カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

帰り道、戻り道。

2015-11-29 23:54:16 | 旅アルバム
四国旅行レポ、やっとこさ最後の帰り道・・・(^_^ゞ

最終目的地であった「龍河洞」を後にします。




そうそう洞内には天然記念物のコウモリの群集が・・・



ただし真っ暗だったので姿は見られませんでした。
羽音と鳴き声のような音は聞こえましたが、もちろん保護のため
フラッシュによる撮影は禁止。当然ストロボ撮影でなければ
写らないだろうし、余程の光量のストロボでないと届かないでしょう
天井が高いので。ま、低い天井にこれ程の群がいたらコワいけど。(^_^ゞ




下り坂、階段を降りるのですが、これが数百メートル?
登り以上にキツかったかも・・・
特に直前の交通事故で膝を痛めていた家内にとってはね。




帰路は比較的余裕をもって、高知自動車道では「馬立PA」、
徳島自動車道では「吉野川ハイウェイオアシス」で休憩。



吉野川を眺望できる露天風呂なんかもありましたが・・・




遅いお昼ご飯をココでとることに、「徳島ラーメン」の看板が
目に入ったので、やはりご当地ラーメンを賞味してみようかと。



発祥の地でもないので本格的なものじゃないでしょうが、肉卵入りを。
徳島ラーメンの定義が何なのかよく知りませんが、一般的に豚骨スープに
濃口醤油やたまり醤油で味付けし中細麺で、トッピングは豚のバラ肉・
ネギ・もやしなど。生卵を乗せるのが特徴とされているようです。
スープの味は濃いめで甘め。ご飯のおかずになりそう。



ソフトは馬立PAで食べたものでした・・・(^_^ゞ

腹ごなしに、ちょっと展望デッキに出て・・・



屋形船の遊覧船はここから出ているようです。



遊覧船の案内に「四季折々の美しい自然と神秘的な奇岩、怪岩がお出迎え。
吉野川中流域唯一の景勝遊楽の地として、昔から詩歌に詠まれ、絵筆に
親しまれてきた徳島県の名勝・天然記念物に指定の「美濃田の渕」。
藍碧透明の水面には「獅子岩」「鯉釣岩」「作造岩」などと名付けられた
奇岩、怪岩がぽっかりと浮かび、神秘的な趣をたたえています。」
とありました。



だいぶ陽も傾き、暗くなってきそうなので遊覧船も温泉も諦め
帰路にもどります。



淡路ハイウェイオアシスを横目に、明石海峡大橋を渡って本州に上陸。
SWの渋滞が予測される高速道路を避けて、神戸辺りから下道で
結構スイスイ帰って来られました♪


2015.9/23、明石海峡大橋にて。

結婚40周年を記念しての四国小旅行でしたが、私らが結婚した1975年って
こんな年だったんです。
『まんが日本昔ばなし』放送開始
ザ・ピーナッツが引退
マイクロソフト社設立。
クイズ番組『パネルクイズ アタック25』(ABC・NET系)放送開始。
・・・長く続いてますね、今でも毎週録画して見てますよ。
ソニーがベータマックスの家庭用ビデオテープレコーダ1号機発売。
・・・電化製品の寿命は短い?ベータは何年間くらい作ったのだろ?
沖縄国際海洋博覧会開幕。
・・・沖縄返還の3年後の大イベント。新婚旅行は沖縄でしたが
10月だったのでもう閉幕していました。
そうそう、今も記念に保管しているHonda XL125が発売されたのがこの年です。

龍がどうしたって?

2015-11-26 17:09:23 | 旅アルバム
四国旅行最後の目的地は「龍河洞」、思っていた以上に規模が大きく
楽しめました♪
龍河洞は秋芳洞、龍泉洞と並んで日本三大鍾乳洞に数えられています。
国の天然記念物および国の史跡。日本の地質百選に選定されている・・・
日本の鍾乳洞の中でも古くから知られた鍾乳洞観光地、折角だから
一度は見て置かないとね。



龍河洞のキャラクター、リューくん。これもやなせたかし作でした。



チャリでのお遍路さん、多く見られました。



この建物は、公衆トイレ。(^_^ゞ




駐車場から龍河洞へ行く路には、お土産屋さんが軒を連ねていました。
まるで門前通り、温泉街のような・・・古い観光地の味わい?







入り口まで行くには急な長い石段を・・・おっ!エスカレーター♪



貧脚な私らは迷わずエスカレーターへ!
ここで体力を温存したのが後々、ヨカッタと思えました。(^_^ゞ




洞入口もワイルド、冒険気分をそそります・・・

こちらは竜王神社、承久の乱により土佐に流された土御門上皇が入洞
された折り、錦の小蛇が現れ案内したとか。その蛇を祀っているとか。
上皇の龍駕(お乗物)が転じて、“龍河”の名称の起源とも言われています。



総延長は約4kmあるそうですが、一般観光コースは1km、
観光コースの長さは秋芳洞並みです。
他に冒険コース(要予約・要装備)なんてのもあるようです。


〈石花殿〉



序盤3分の1くらいは小川沿いの通路で、あまり鍾乳石や石筍が
見られませんが、洞窟探検気分にはなれます。


〈千仭(せんじん)の間〉
洞内で一番天井が高い場所、30mほどあるそうです。写真はその天井。



天井も高かったり頭上注意の場所もあったり、路幅も思いっきり
狭いところもあったりと、なかなか面白い。





〈雲の掛橋〉
鍾乳洞にはいろんな名前が付けられているのも楽しみのひとつ?(^_^ゞ

〈飛竜の滝〉

        〈記念の滝〉

垂直に落下する飛竜の滝、雨があまり降っていなかったので水量は
それほど多くなかったです。
記念の滝は、11mで洞内最大。昭和6年にこの滝を発見した研究者
山内氏が、その思い出を残すために「記念の滝」と名付けられたとか。





〈前の千本〉
エイリアンの卵でもありそうですねぃ・・・


〈天降石〉
洞内最大の巨大な鍾乳石「天降石」。記念の滝のすぐ先にあって
広場のようになっています。記念碑もあり、ガイドさんが説明をされていました。

〈奥の千本〉

        〈中間点〉くらげ石?
前の千本があれば、奥の千本もね。中間点まではスイスイ来れました。


〈裏見の滝〉
恨み・・・じゃなくてヨカッタ。鍾乳洞らしい光景ですね。

        〈龍口〉

〈流礫棚〉


〈玉簾の滝〉高さ6m、幅4m。


        〈双葉山のへそすり石〉
元横綱双葉山が昭和14年入洞の際、狭くておへそを擦りむいたそうで。
スリムな(?)私でも窮屈なところがありましたもん、小錦は絶対ムリ!




様々な鍾乳石、石筍(せきじゅん)、石柱やつらら状、幕状など
一堂に見られる場所もありました。
鍾乳洞はだいたい暗いですけれど、肉眼ではそれなりに見えるのに
写真に撮るのは結構難儀、ストロボを使うと手前の光が当たるところだけ
写って、影の部分は全く潰れてしまう。三脚立ててじっくり撮っていたら
半日洞窟から出て来れないかも。(^_^ゞ
手持ちで露光量を稼ごうと思えばシャッタースピードが遅くなって
ブレブレに。今回もほとんどストロボを使わず手持ちで撮りましたが、
そのままだと真っ暗けの画像なので後処理で増感しましたが、
難しいですね。

        〈シャンデリア〉ん~、そうかなぁ?

〈鮭の石〉これは納得、そう見える見える。



〈七福神の館〉

〈七福神〉何となくそれっぽいけど、ムリがある?

        〈万象殿〉
異様に創造された無数の石筍の集合が森羅万象の如くってことらしい。
僧正を囲んで、数人の僧侶が居並び読経をしているとも・・・?苦しい~




マリアさまにお釈迦さま・・・どこを見ればそう見えるのか??



終盤に差し掛かるところ、文字通り「しんどい」階段が延々と続きます。



途中、休憩できる場所もありますが・・・



洞窟内で峠!そう言えばエスカレーターに「出口はビル20階くらい上」
って書いてあった。あそこで石段を避けたのは正解だったかも。(^_^ゞ




さて、終盤に龍河洞のウリでもある先人の住居跡が・・・



約2000年前、弥生時代といえばもう平野に竪穴式住居、農耕が始まって
いたのに、こんな洞窟生活をしていた一族も居たんですね。
狩猟生活をしていたようで、獣骨なども発見されています。





部屋もいくつかありますが、きっと掘ったりせず適当に住みやすい場所を
探して住み着いたのかな。
明かりと暖をとり、調理もしたのでしょう炉跡もあります。山の中なのに
貝殻なども沢山あったとか、結構グルメな生活をしていたのかな。

水も豊富だし、その水汲み場と思われるところに土器の壷が2000年の間に
その約1/3が石灰華におおわれて残っています。

〈神の壷〉あちゃー、ボケボケ!

        仕方がないので、パンフレットの写真を拝借↑

神の壷2世の実験も・・・



洞窟の発見が昭和6年、実験を始めたのが昭和12年。
当時の龍河洞保存会が、2000年前の『神の壺』と比べてみようと
壺を置きました。ちなみにこちらの壺は弥生時代のものではなくて、
昭和12年当時の物だそうです。
よく見ると100年も経たないのに、それなりに鍾乳石化してきてます。
「神の壷」と呼べるようになるには、まだまだ十数世代の人間が
神や仏にならないとね・・・。

神代の昔からなんて言うけれど、この洞窟が形造られたのは人類が
出現するずっとずっと前のこと・・・何て考えながら
「天の岩戸」って書かれた出口から現世に戻ります。(^_^ゞ

高低差60m、行程1km、普通なら30分ほどの一般コース。洞窟に入って
最初の1枚目を撮ったのが11:42、出口を撮ったのは12:39でした。


2015.9/23、龍河洞にて。

想い遥か・・・四国自動車博物館・二輪編

2015-11-20 17:52:50 | バイク
自動車博物館なんだから二輪車は添え物?
さにあらず、こちらのラインナップもかなり充実のコレクションでした。

トップ画は1954年製〈メグロ ジュニア S-2〉
還暦過ぎてます。私とは1歳違い・・・
248ccで7hpの空冷4サイクルOHV単気筒エンジン。
37年後の1991年に登場したカワサキ バリオスは水冷4サイクル4気筒、
249ccで45ph。凄い進化をしたもんだ・・・(^_^ゞ
※45phは当時の自主規制、RGVΓ250SP(96年以降)のヨーロッパ版は
2ストだけれど250ccで65phと言うから凄過ぎ。




展示台数からいえば、2輪車の方が多いかもね。


〈HONDA ドリーム CB750 four K0〉

〈SUZUKI TS400-1〉

TS400、当時のハスラーシリーズの文字通り旗艦でした。


〈SUZUKI TM400-1〉

ゼッケン1を付けているけれど、誰が乗っていたのかな?
ロジャー・デコスタ?・・・まさかね。(^_^ゞ


〈Hariey-Davidson 36R〉750cc。昭和11年に輸入されたものらしい。

〈陸王 RQ750〉
手動進角、手動油圧ポンプ、前進3段ハンドシフト、フットクラッチ
・・・とてもじゃないけど私には運転できそうにない。
私が誕生したのと同じ年に誕生したRQ750、当時の値段は
かなり高価だったでしょうね。

陸王は和製ハーレーで、もともとハーレーの輸入をしていた三共製薬が
日本ハーレー社を創り正式にライセンス契約をして国内生産を始めたもので
模倣やコピーものでは無い。社名も三共内燃機に変更、ブランド名を公募し
「陸王」とした。後に社名も陸王内燃機になりますが、開発力もなく倒産。




戦前からの国内バイクメーカーと言えば、陸王、メグロ、キャブトンなどを
知っている(聞いたことがある)(^_^ゞ
陸王は前述のとおりハーレーダビッドソンをライセンス生産。
メグロ(目黒製作所)は、当初トライアンフの部品生産をしていた会社で、
のちに大型車を中心に躍進したブランドです。
キャブトンも英国風の大型バイクを生産、創業は名古屋だが発売元が大阪で
社名は Come And Buy To Osaka Nakagawa の頭文字を並べたものなんだ
そうです。今でもマフラーにその名が残っていますね。

〈BSA Rocket Gold〉




〈TRITON〉
英国トライアンフ社のエンジンを英国ノートン社のフレームに積んだ
コラボレーションマシン。「トライトン」って読むのかな。まんま・・・
エンジンはT110 TIGERの750cc?

この頃、英国にはロッカーズと呼ばれる若者たちが現れ、ロンドン郊外で
24時間営業の「エースカフェ」にノートンやトライアンフ、BSAといった
オートバイに跨がり、夜な夜な集まった。
彼らのファッションは革ジャンにリーゼント。ロックンロールを愛し、
店の前のノースサーキュラーロードをご自慢の改造バイクで公道レース。
エースカフェに集まり、オートバイに熱狂する若者たちのことを
カフェレーサーと呼ぶようになり、この若者文化は世界中に飛び火。
現在もバイクの一つの分類としてその言葉を残していますね。

同時期、日本にもカフェレーサーが台頭?カミナリ族と呼ばれました。
爆音を轟かせ街中を駈け回る・・・でも当時の大人たちは
「ハシカのようなもの、若いんだから」と、寛容だったようです。
それは日本でも欧米でも同じ、警察も厳しい取り締まりなどしなかった。
ブームが去り閉店していたエースカフェを2001年に復活させたのは、
ロッカーズの残党で元騎馬警察官であった人物だというのも・・・
『Ace Cafe London 日本公式サイト』

〈Norton Commando?〉

〈TRIUMPH Twenty-one 3TA〉






〈BSA C-15〉
BSAはバーミンガム・スモール・アームス社の略ですね。


〈Honda ドリーム GB77〉


〈スーパーカブ C105〉

〈ラビット S-48〉

骨董品のようなバイクも・・・


〈手前:トヨモーター E8〉中:コンドル、奥:ブルーバード


〈ブルーバードMC型〉
ニッサンとは関係無さそう、高知市にあった山崎内燃機関研究所という
バイクメーカー。(1953年製)

〈コンドル〉これも高知市で昭和20年代後半に生産されていたバイク。

〈HONDA RCB〉
8つのヨーロッパ耐久ロードレースで7つの栄冠を獲得して凱旋した実車。


〈メグロ ジュニア S2〉

目黒製作所と言うのは、なんと90年ほど前の昭和元年に誕生した
バイクメーカーです。当初はトライアンフなどの部品を製作して
いましたが、昭和12(1937)年に最初のメグロ号を発売。
メグロ号の魅力は質実剛健、英国製バイクに通じる気品に満ちた外観と
過剰品質とも言われた美しい仕上げ、そしてその耐久性である。
50年代終わりに最盛期を迎えるも時代は小型車ブーム。ホンダなどの
戦後派メーカーについて行けず、1964年に倒産、カワサキに吸収され
その歴史を閉じます。
が、当時小型車メーカーであったカワサキにあって、メグロの伝統が
引き継がれ誕生したのがあの名車「カワサキ 650W1(通称ダブワン)」
ちなみにロータリー・チェンジ式4速足動ミッションはメグロが開発した
もので、現在でもビジネスバイクなどに使われていますね。

バイクには男の浪漫、文化があると思うのですが、残念ながら日本では
暴走族の出現によって、悪イメージと徹底した取り締まり、三ない運動
などで若者たちから見捨てられた感があります。今となっては
青春時代のたぎる想いを呼び起こしている熟年ライダーだけ?
かつては世界一の二輪生産国でありながら、今は10位にも入らない・・・
その要因は諸々でしょうが、残念です。



2015.9/23、四国自動車博物館にて。

名車がずらり??

2015-11-16 23:26:46 | 旅アルバム
『四国自動車博物館』、名前は重厚だが果たして・・・
クルマ好きなら一度は行っとかなあかんやろって名前なんで、
以前から気になっていました。機会があれば行ってみようって!



えっ?こんなんかって一瞬思いましたが、ミュージアムはこの隣り。
この建物は非展示車の倉庫か何か・・・?



これなら、まぁ何とか・・・ショーウインドウに見えているのは
FERRARI 246GTかな。展示車は入替えがあるようなので、運任せ?


エントランス、資料室兼グッズ販売?には、フェラーリF1マシンがッ!



でもちょっと変!何時の年式?こんなカタチあったっけ、F1っぽくない。
ゼッケン27はフェラーリF1の代表イメージなナンバーだけど・・・
これ、実はローラF3000マシンにまんまフェラーリF1のカラーリングを
施したまがいもの。何の説明も無かったので、本物を観た気になった
人も居るかもね、ちょっと悪趣味というか博物館って言うからには
問題ありかな・・・


馬鹿にしないでよ Play Back、Play Back!
・・・真っ赤なポルシェが歌ってるような。(^_^ゞ


〈Porsche 934〉

〈Abarth Record Monza LM〉

〈Fiat Abarth 2000 SPORT SPIDER Ser.II〉





〈Fiat Abarth 1000SP〉

〈Alfa Romeo Giulia TZ2〉

お分かりのように、展示車列の後ろの壁は鏡張り。
リアビューもよく見えるようになっています♪



鏡壁効果でとても広くて、沢山展示されているように錯覚します。



〈Alfa Romeo Giulia TZ2〉



〈SHELBY-AC COBRA 427〉

好きなクルマの1台です。世界でもっとも獰猛なクルマ、
スネークダッシュの”走る爆弾”。


〈ALFA ROMEO GTA1300 Junior Gr.5 MONZEGLIO〉

〈ALFA ROMEO Giulietta Spider VELOCE〉





〈ALFA ROMEO 155 V6 Ti〉

〈McLaren M6GT〉



〈Lamborghini Countach LP400〉

〈LOTUS EUROPA SPECIAL (TYPE74)〉

〈LOTUS SUPER7〉





〈FORD RS200〉

〈FIAT ABARTH 131 RALLY〉



〈LANCIA STRATO'S〉

これも好きなクルマです。
パワーユニットはフェラーリ・ディノエンジン(V6/2418cc)でした。
ラリー車ながらル・マン24時間耐久クラス優勝などしました。


〈LANCIA DELTA S4〉


手前〈LANCIA RALLY 037 WORKS〉 奥が〈LANCIA DELTA S4〉


実はココで一番観たかったものは『PORSCHE 906 CARRERA6』
これまで日本には3台上陸。この3台はいずれも第4回日本グランプリに
出場、生沢徹選手のカレラ6が見事優勝を果たしたレーシングカーです。
現在、日本では2台が保存されており、その内の1台がここで観られる
はずだったのに・・・(涙)。今回展示は無かった!
カレラ6は、タミヤ模型でプラモデルやスロットカーを
何台作ったことか・・・私。(^_^ゞ 本物を観たかったなぁ。ムネンッ!


そうそう、もう1台のカレラ6は7年前に観ました、
ポルシェ962と同時にね。『コレ』
その前年にはプリンスR380、ニッサンプリンスR380IIも。『コレ』
いずれも『BP大阪ノスタルジックカーショー』でした♪


変わりにかな?こんなもんが置いてあった・・・
ま、これでもイイけれど、できればトヨタ7とか無いのかな。


〈TOYOTA DENSO 88C〉
展示車は1989年ル・マン24時間耐久レースを戦ったトヨタ88Cそのもの。
ドライバーは星野薫、鈴木恵一、Didier Artzet。

こちらは全日本F3000選手権90年・91年に片山右京がハンドルを握った
マシン。〈F3000 CABIN RACING TEAM with HEROS〉

中学生の頃はこんな本をよく読んでたな。(^_^ゞ


日本の自動車史に欠かせないクルマたちも、ほんの少しだけですが
展示がありました。


〈スバル 360〉

〈トヨタ カローラ〉

〈トヨタ パブリカ〉

日本に於ける大衆乗用車時代幕開けを感じさせるクルマたちですね。
パブリカのネーミングはもろパブリックカー、公募で決まったものです。
発売後、何度か値下げされ35.9万円の価格になり1,000ドルカーと
言われました。(当時1ドルが360円の固定相場)
この頃よりローン販売も整備されてきて、
「月給取りが月賦でマイカーが買える」時代に・・・



エアコンの無い時代、いろいろと工夫が見られますね。




戦後初の純国産乗用車ということになるのかな、トヨペットクラウン。
まだまだ高値の花、憧れのクルマだったでしょうね。
最初期型は福山自動車時計博物館で見られます。ここの展示車は
トヨペットクラウンの最終モデル。走行距離が4,000キロちょいだそう。

〈トヨペットクラウン 1900 デラックスRS31型〉

〈TOYOTA SPORTS 800〉

2シーターライトウェイトスポーツカーですね。
ホンダの「エスハチ」に対して「ヨタハチ」と呼ばれていました。
ベースはパブリカでエンジンも空冷2気筒、でもスタイルはイイですね♪








〈TOYOTA 2000GT (前期モデル)〉

これも日本の自動車史において輝く1台。プラモやミニカーも多いです。
ロングノーズ/ショートデッキの流麗なスタイリングに、当時最新の
技術を注ぎ込み、内装も贅を尽くしている。
ヤマハ発動機との共同開発?技術供与を受けたとなっているが、
開発拠点も製造もヤマハの工場で行なわれていた。
インパネやステアリングホイールも木製で、ヤマハのピアノ製造の技術?
まるで工芸品レベルのようです。
当時(1967年)の価格は238万円、今なら1500万円から2000万円程度。
今、同じものを新車で作るとなると1億円はかかると聞いたことがある。

ここの日本車の展示、どうもトヨタ寄り過ぎないかなと思ったら・・・
「四国自動車博物館」と名前は公共的ですが、運営しているのは
ネッツトヨタ南国。展示されているのも社長のコレクションが
主体のようで、それはそれでスゴイんですがね。
観る方は少し物足りないような・・・
大人800円(ネッツトヨタ南国発行のTS3カード会員本人は無料)



2015.9/23、四国自動車博物館にて。

和食のカッパ

2015-11-11 17:13:54 | 旅アルバム
洋食でも中華でもありません、ここは「和食」。

京都市のように山に囲まれた地域でせせこましく暮らしていると
海を見るのが嬉しいです。
特に水平線、太平洋となると対岸は遥か向こう・・・
京都だと琵琶湖かせいぜい瀬戸内海。風情はありますが、
大自然のインパクトは違い過ぎます。(^_^ゞ

ところで、ホテルで知った土佐くろしお鉄道のごめん-はなり線、
20の駅につけられたやなせたかしのキャラクター、その中に・・・



「和食駅・カッパ君」、ちょっと気になって。
ホテルの最寄り駅「西分駅」からは一駅、予定外の寄り道を
してみることにしました。



ホテルを出て少し走ると、あるある、カッパ君。
「かっぱ市」なるものも・・・



芸西村地場産品直売所、河童の干物とかは売ってませんが・・・



琴ヶ浜をまわって「和食駅」を探してみます。
そうそう、和食・・・「わしょく」じゃなく「わじき」ね。(^_^ゞ



琴ヶ浜には「お龍・君枝 姉妹像」が立っていました。
坂本龍馬の妻お龍と、海援隊士 菅野覚兵衞の妻君枝の姉妹の像です。
菅野覚兵衞は芸西村和食の庄屋の出で、君枝はお龍の実妹。
龍馬とお龍が仲をとりもち結婚、しばらくこの地に住んでいたことも。
龍馬を失った後、お龍も妹の嫁ぎ先である家に
身を寄せていたこともあったそうです。

像の前は黒潮の太平洋、背後には緑濃い松並木が続く名勝琴ヶ浜から、
お龍さん、はるか桂浜龍頭岬に立つ龍馬像に向かって手を振っている。
お龍27歳、君枝16歳の頃を想定しての作という。




琴ヶ浜で地元の方に和食駅への行き方を尋ねて辿り着きました。
訊かないと分からないような道筋で・・・

地元の方と会話するとよく言われるのが「京都から来られたのか?」
ナンバーを見て話しかけられたりもします。
娘が京都の大学行ってたとか、観光地の話になりますが、
京都に生まれ育った私より多くの観光地をまわれていることが
ほとんど。(^_^ゞ ありがたいことです。
特に四国の方は京都がお好きなようだと感じることが多いです。






海が近くなのは羨ましいですが、津波が気になる土地柄なんでしょうね。






やはり1時間に1本か2本、時間があれば乗ってみたかったな。



まったりした駅、河童が棲むには最適かもです。
和食のキャラクターがカッパなのは『こんな理由』だそうで。



2015.9/23、和食 琴ヶ浜にて。

土佐でまったり2泊目、だとさ。

2015-11-07 23:04:52 | 旅アルバム
まだ引っ張ってます、9月の四国旅行。(^_^ゞ
2泊目は高知の『土佐ロイヤルホテル』でした。
前泊のアパホテルに比べるとゆったり、部屋も広くてのびのび♪



シルバーウィーク、残り1部屋をじゃらんで予約。
この日しか空いてなかったので、旅のスケジュールはここを中心に
なってしまいました。

ごくフツーの中堅観光ホテルってとこかな、温泉露天風呂もあるので
快適でしたが、繁華街からは外れているので、夕食つきのプランで。









いかにも出てきそうなよくあるメニューですが、一応旅先ならでは?
非日常なメニューなんで記録しておきます。(^_^ゞ

売店などもうろうろ・・・


爆買いグループでも来るのかな?



故やなせたかしさんは高知の育ちでしたね。(2013年、94歳で永眠)
アンパンマンは50歳になってからの作品。
その登場キャラクター数(1768体)はギネス世界記録に認定されました。



このキャッチフレーズいいな!
「わざわざ行こう!志国高知へ リョーマの休日」ってか!(^_-)v


高知・安芸と言えば、我が阪神タイガースのキャンプ地。



9月の始めはまだ首位だったのに・・・旅行中の3日間、成績は
前日から数えて4連敗!一気に3位へと急降下・・・(T_T)



今は秋季キャンプが新監督の元で行なわれていることでしょう。
来シーズンは面白いゲームを期待したいです。


てなことで、アサーーーーーッ!
そう言えば、谷岡ヤスジさんは愛媛県出身だったな(1999年、56歳没)



朝食は最上階で太平洋を眺めながら。






カメラはSX50HSしか持ってなかったので、料理の写真などは×ですが
望遠は利きます。2000mm相当で漁師さんの姿まで♪



土佐くろしお鉄道の「ごめん・はなり線」が見えます。





海岸線、松林。高架から見る景色は気持ち良さそう・・・
何とか乗れないかなと、ホテルで時刻表など訊ねてみましたが
1時間に1、2本?ちょっとスケジュール的に無理みたい。



できればこの車両に乗りたかったところですが。
ちょうど通るのを見られました♪



部屋も海側で、オーシャンビュー。太平洋の景色が楽しめました。




そうそう、ごめん・はなり線。終点は「後免駅」なんですよね。
おもしろ駅名としても知られていて、20の駅にやなせたかし作の
キャラクター
が付いています。
その中で気になったキャラクターを発見・・・寄り道してみようかな?



2015.9/23、土佐ロイヤルホテルにて。

海洋堂の全てがわかる?ホビー館

2015-11-04 00:29:25 | 旅アルバム
かっぱ館はちょっとレアだったけれど、こちらは誰もが知ってる?
フィギュア造形の世界。海洋堂のミュージアム『海洋堂ホビー館四万十』



「かっぱ館」からはクルマで数分の距離に「ホビー館」があります。



かっぱ館で隣りに停まっていたクルマ、ホビー館でも・・・(^_^ゞ
ちょいとお得な共通券もありますもん。






いきなりデカい恐竜さんが迎えてくれます。



館内写真撮影可、そう言ってもらえるのはありがたいですが、
館内暗し・・・ピンボケ写真も多々、見難いでしょうがお許しを。



最新作ギャラリーやショップもあります。カプセルQコーナーもね♪






ずらりと並んだ作品群、見応え充分です。




大きいものから小さいものまで、館内はフィギュアでぎっしり。






懐かしいものもこういうカタチで残すと楽しいかもね。




リボルテックタケヤの仏像シリーズ。揃えてみたくなります。




鉄人28号に装甲騎兵ボトムズ、ピンポイントに世代が分かってしまう。



入館者の調査アンケート?大人男女、子供男女でシールの色が違います。
京都のところに赤と青のシールを貼っておきました♪




ガメラにエイリアン、大魔神も・・・やっぱり世代が出てしまう。(^_^ゞ




船のカタチをした2階には、食玩コーナーがありました。




ん~、ちょっと世代が違う・・・トライガンにダンボー?




海洋堂のモデラー(造形師)、それぞれのコーナーもあります。
海洋堂の造形作品の全てには原型制作者の名前が入っているのだとか。
模型、フィギュアとかジオラマとか、作れない者にとっては“神”に
思える・・・だってこんなもん、本物より本物らしい。









これらは松村しのぶ氏の作品かな、ニューヨーク自然史博物館の依頼で
恐竜モデルを製作したり、「チョコエッグ日本の動物シリーズ」の造型、
監修まで全て手がけ、食玩ブームを起こした方ですね。




木下隆志さんのウルトラマンも凄いです。中に人間が入っているのを
感じさせてくれる・・・(^_^ゞ

このガメラは原型師・酒井ゆうじ作。



この辺りはどうも私の守備範囲では無いのですが、ついつい写真は
たくさん撮ってしまいます。「ボーメ」コレクション、BOMEさんの作品。







これもまた世代が違うのですが・・・



ポケモンにもやしもん。


こんなのを見ると、ほっとする世代です。






マジンガーZにゲッター1、装甲騎兵ボトムズでいいのかな?





企画展示室の方へ行ってみると



『土佐弁キャラクター』が勢揃い。
お化け屋敷もあったので当然入ってみましたが・・・




コチラの部屋には懐かしい漫画誌や雑誌がずらり。
頁を捲ると少年に戻る?♪




この日は一日、よう遊んだ。



石手寺から四万十川、かっぱ館にホビー館・・・



暗くなるまで遊び呆けた少年時代のように。




相撃ち記念写真を♪



結婚40周年記念旅行なのに、私の趣味ばっかりに付き合わせて・・・
いつものことながらスマンことです。(^_^ゞ


これは入館記念品、入館するとおまけでもらえます。



チョコエッグの時代が懐かしい♪



組み立てるのも楽しいのよね。(^_-)v



相変わらず、リアルです。


さて、2日目のスケジュールはこれで終了。ホテルに向かいます。


2015.9/22、海洋堂 ホビー館 四万十にて。