カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

えきまえレストラン

2014-03-30 15:39:29 | ランチ/カフェ
最近あまり見かけなくなったようなお店があるよ・・・ってことで、
一度行ってみたかったお店です。





戸建ちのレストランですが、玄関前のテーブルに置かれた「おすすめ」や
ガラスケースのサンプルが子供の頃感じたワクワク感を呼び覚ましてくれます。

建物もなんか、おとぎっぽい? 庭もあります。



店のすぐ前は、電車の駅。阪急電車です♪



室内がまた何というか・・・お城?舞踏会でもありそうな。(^_^ゞ
昭和的な、ラウンジとかパーラーって感じですね。

お客さんが多くてあまり写真が撮れなかったのですが、真ん中には
彫刻や花で飾られた西洋風な池が設えられていたりします。
・・・そんな池に鯉が泳いでいるのが妙に和風だったりして(笑)


ランチの定番は、やはりお店の名前がついた「フルールランチ」でしょうか



サラダにメンチカツ、クリームコロッケ、エビフライ。
ポテトサラダにナポリタンまでついた何でも盛り。(^_^ゞ
大人のお子様ランチ・・・って感じですね♪



ライスに真っ赤な福神漬け、これも懐かしいかも。



2014.3/9、長岡天神駅「フルール」にて。



ガラッと変って、こちらは「鶴喜そば 山科店」、和風の定食です。





半日ドックを受けるとここの昼食券が付いてきます。
このメニューは一般メニューには無く、半日ドック用特別メニュー。
何故かコーヒーも付いている。おだんごセットは追加注文ですが。


2014.3/15、鶴喜そば山科店にて。

自営業なので、健康診断をする機会が無いもので、年に一度夫婦で
半日ドックを受けているのですが
一昨日、半日ドックの結果が届きました。何と!私は初めてじゃないかな?
要再検査が無しでした。いつもなら2つはあるのに・・・
ただ、治療中の項目が3つもあります。(-。-;)
軽度な異常や要観察は・・・いっぱい。ま、気にはしませんが。
病院が金を取って、病人を増やす営業活動みたいなもんですから・・・
でもまぁ、早期発見に役立てばめっけもん。
健康診断、継続して身体の状態を知っておくことは大事かと。(^_^ゞ

追記、今回の胃カメラ検査、鼻からってやつにチャレンジしてみました。
私も家内も口からの胃カメラ、大の苦手なもので・・・
結果、口からより少しは楽なのかな?でもやはり気色悪い!それに後も
痛いし・・・もう二度とやりません。鼻から胃カメラ!

春の庭に咲くla

2014-03-22 23:30:30 | in My お庭
昨日は冷たい雨が時折り降って、寒い一日でした。もう最後にして欲しい・・・



庭には桜咲く・・・じゃなく、サクランボの花が満開に♪



冷たい雨にもめげず。白木蓮もコートを脱ぎ捨て、今日はもう花を開かせてました。






ミニバラも雨の合間の陽を受けて、キラキラと。



これもアネモネかな? それともあれモネコレもね?



小さな椿、ピンクの侘助かな。水仙は咲いたらすぐ生花にされてしまうw



紅梅はもう咲ききった感じ・・・今年はハチの姿をまだ見ていないな。



サクランボの花にもハチが来ない。おっ、このコが替わりに♪








梅にも(SX50 HS)




サクランボ、これで実をつけて収穫できればイイのだけれど
毎年、収穫前に落ちてしまう・・・ま、春を告げてくれるだけでイイか!(^_^ゞ


2014.3/21、庭にて。

京都御苑、九條池のほとり。

2014-03-21 21:24:28 | 京都徘徊記
今では国民公園として終日開放されている京都御苑ですが、江戸時代までは
御所の周囲に200もの公家屋敷が建ち並ぶ公家町を形成していました。
その名残が今でもいくつか残されていますが、そのひとつ九條邸跡です。



現存する建物は「拾翠亭(しゅうすいてい)」のみで、その前には
勾玉(まがたま)をかたちどった勾玉池(九條池)があります。


ゆるキャラ着ぐるみではありません。花粉症完全防備の河童家内♪(^_^ゞ


「九條池」


九條池にかかる「高倉橋」 (上)拾翠亭、(下)厳島神社が見えます。
この高倉橋の橋脚は、旧三条・五条大橋のものを再利用したものだそうです。




「拾翠亭」、高級料亭にでも入る気分ですね。いつでも入れる訳ではないです。
一般参観日は毎週金・土曜日 (12月28日~2月末日は参観休止)、
葵祭・時代祭・京都御所一般公開日。参観時間は9:30~15:30。
参観料100円は良心的?最後まで粘ってたので追い出されましたが。(^_^ゞ




五摂家のひとつであった九條家の別邸として、主に茶会や歌会などに
使われていたようです。






江戸後期に建てられたものだそうですが、なかなか趣があります。
「拾翠」の名はその昔、貴族たちが春の野辺に出て草花を摘んで(拾って)
楽しんだ慣わしに因んで。「翠」はこの池によく飛来する翡翠(カワセミ)
からつけられたとか。今でも時々カワセミの姿を見ることがあるようです。




二階への階段は、やはり狭くて急。昔は手すりなんて無かっただろうし、
それに着物ですよね。現代人より運動神経があったのかな・・・



二階は二間半四方のゆったりとした座敷、北・東・南の三方には縁高欄が
めぐらされており、見晴らしがよいです。

この写真では分りませんが、障子の貼り方にも趣向が凝らされており、
継ぎ目を故意にずらした「石垣貼り」というものでした。
飾り桟には、トップ写真のように丁子文様の透かし彫りが施されています。
一見、家紋かと思いましたが、九條家は藤原鎌足を遠祖とする藤原北家の流れ
家紋は九條藤といわれるものです。鬼瓦にその家紋が見られます。
この透かし彫り、パンフレットには「丁子七宝」とだけ書かれていますが、
丁子(ちょうじ)と言えば香辛料のクローブのこと。当時、高貴薬で香料で
あることから、茶道では七宝のひとつになっており、貴族の間では好まれた
文様のようです。藤原氏流や諸氏の家紋にも使われています。





一階広間の東側には九條池に向かって開放されている広い縁があります。



北側に四阿(あずまや)が見えるので、行ってみましょう。





苔むした庭を抜けて行くと





四阿の前は藤棚になっています。藤が咲く時期には風情があるでしょうね。





さて、九條池の畔にはもうひとつ、厳島神社があります。
厳島神社といえば、広島安芸の宮島にある厳島神社が有名ですが、
京都御苑の九條邸跡の中にもあったのですね。





平清盛が、崇敬する安芸の厳島大神を摂津国築島(現在の兵庫県神戸市)に
一社を設け勧請。後に、清盛の母といわれる祇園女御(ぎおんのにょご)を
合祀したもので、それが後世この地に移転され九條家の鎮守社となりました。
九條家が東下された後もこの地にあり、お池の弁天さんと呼ばれています。



平清盛建立とされている唐破風鳥居は重要美術品で、京都三珍鳥居のひとつ。
あとのふたつは、北野天満宮の境内末社である伴氏社(ともうじしゃ)の鳥居、
蚕ノ社(かいこのやしろ)、木嶋神社(このしまじんじゃ)の三柱鳥居です。

御所も飽きないですね、いろいろ見どころがあって・・・(^_-)v




2014.3/8、拾翠亭にて。

桜の住み家

2014-03-19 23:30:11 | 京都徘徊記
御所の東側、寺町通の駐車場にクルマを停めると向い側に・・・
あれ?こんなとこにあったんや!新島襄・八重が住んでいた邸宅です。
よく通る道なのに、今まで気がついてませんでしたw(^_^ゞ





しかも一般公開してます。こりゃ入ってみないとね♪



原則、ネットで見学予約申込をするようですが、空きがあれば当日でも
見学できるとのこと。早速、受付に行って訊ねてみたらOKでした♪
そうそう、この特別公開は3月いっぱいで終わります。4月から9月まで
メンテナンスのため休館となります。(期間中も火曜日は休館)
その後は、従来の一般公開(3月~7月、9月~11月の水、土、日と春と秋の
京都御所一般公開日に合わせて一般公開)に戻ると思います。





新島旧邸は同志社新島会館の敷地内にあります。こちらで受付を済ませて
ルートに従って見学することになります。見学は無料ですが、
1口300円の東日本大震災復興協力金(募金)をお願いされます。

資料パネルなど一部撮影禁止ですが、邸内は撮影可なので・・・


「外観」南側。全景が撮れなかったw



竣工は1878(明治11)年。江戸幕府終焉から10年ほど。三方にバルコニーを
備えた、当時としてはかなりモダンな洋風の建物だったでしょうね。
家具や調度品とともに京都市指定文化財になっています。

同志社教員で医師・宣教師でもあった W.テーラーの助言をもとに、
新島自身が設計したといわれていますが、施工したのは京都の大工職人。
スタイルは洋風ですが和風在来工法である真壁造、寄せ棟の木造2階建です。





「キッチン」
当時の台所は土間が普通だったろうに、フローリングにシステムキッチン!
井戸も部屋の中にあります。この台所は画期的だったでしょうね。



応接間に置かれた八重愛用のオルガン。


「ダイニング」から「応接間」を見る。間仕切りは襖、和洋折衷ですね。

         「書斎」
新島襄が使った机も当時のまま、壁一面の書棚の中には洋書が並んでます。
よく見るとダミーの写真プリントでした。実物は資料センターに保管。


「暖炉」
セントラルヒーティングになっていて、1階の他の部屋や2階にも
温風を送るようになっています。



「応接間」
18畳ほどの洋間で、椅子、テーブルも当時のまま置かれています。

「茶室 寂中庵」

         「2階への階段」
襄の没後、八重は1階洋間を和室に改造し「寂中庵」と称した茶室を造ります。
新島襄は46歳で亡くなりますが、八重は86歳の生涯をこの家で全うします。


「2階へは立入り禁止」でした。
2階は居間と寝室になっています。八重のベッドも置かれているはず。ただ
板張りの洋間を畳敷きに変え、ベッドも脚を取ったものを使ったようです。
階段は狭くて急勾配、町家そのもの。収納が付いた箱階段になっています。
こういうところも洋館建てのようで洋館ではない、和洋折衷の建築ですね。


「トイレ」と「バスルーム」
厠(かわや)じゃなく、トイレと呼ぶべきでしょうね。板張りの洋式トイレは
日本初と言われています。バスタブはさすがに風呂桶?(^_^ゞ



庭から見た「書斎」
この部屋には同志社の学生も自由に出入りすることができ、図書室のように
使用していたといわれています。



「附属屋」
二階建ての洋館、本宅の隣りには和風平屋の附属屋が建てられています。
新島襄が呼び寄せた両親が住んでいたということです。
二世帯住宅のはしりかな・・・


東日本大震災の復興支援を念頭に置いた大河ドラマ『八重の桜』を観て、
初めて知った東北・福島に根づく不屈のプライド、近代日本をきり拓いた
人物達。今になって良いドラマだったなと感じています。

新島襄は言うに及ばず、その襄がハンサムウーマンと称した八重さん
その兄、山本覚馬は同志社創設の大きな協力者であり、「同志社」と命名
したのも彼だとされています。

建物も貴重ですが、これらの人物の半生を知ることも大切ですね。
ちなみに、二人の暮らしは明治23(1890)年、新島襄の永眠により終わりを
告げますが、28歳にして京都に根を下ろした八重のその後は、篤志看護婦として
日清・日露の両戦争の負傷者の看護にあたるなど、ボランティア活動と
チャリティ活動に生涯をささげ、この家で86歳の生涯を終えました。
左京区鹿ケ谷若王子山町の同志社墓地には新島襄・八重の墓が。
その側には山本覚馬の墓もあります。




2014.3/8、新島旧邸にて。

椿の城南宮

2014-03-17 23:20:25 | 花だより
城南宮は、794年の平安京遷都に際し、都の南方に鎮まり国を守護する役割で
造営されたものと言われています。



方除(ほうよけ)の大社として信仰され、普請・転宅・旅行・交通安全など、
方除の神威あらたかとされ、ここで交通安全祈祷を受け、ステッカーを貼った
クルマを多く見かけます。なお、夏には「愛車の茅の輪くぐり」ができます。
家を新築する際には、こちらでお祓いを受けた清めの砂を撒くのが習わしです。
我が家も家を建て直す際、やりましたよ。



城南宮の神紋は「三光の紋」。神功皇后の旗印であり日、月、星が表されている。
昼夜の隔てなく、あまねく及ぶ城南宮の神徳を表すものとされています。



本殿に向かって正面にある赤い鳥居は城南宮鳥居と呼ばれ、
特有の形式だそうです。反り上った笠木の上に屋根が乗り、貫は柱で止まり、
額束はなく島木の正面中央に神紋の金具が打たれています。


「しだれ梅と椿まつり」3月21日までということでしたが、
3月24日(月)まで期間を延長すると発表されました。
期間中は毎日午前10時より「梅が枝 巫女神楽」を斎行します。
(21・22日・23日は午後3時も斎行)とのこと。
花守り(初穂料千円)をお受けの方、お一人ずつ巫女さんが神楽鈴で
お祓いしてくれます。



たまたま、頭の飾りが気になって追いかけた巫女さん、子供さんを相手に
あやす姿がほほ笑ましかった。
この巫女さん、今、HPのトップページを飾っている方だと思います。(^_^ゞ


神苑「楽水苑」は、春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、離宮の庭の
5つの庭からなり「源氏物語 花の庭」と称されています。


「室町の庭」の池。河童はおりません、沼じゃないから?(^_^ゞ


「源氏物語」に登場した植物100種が植えられる日本唯一の庭といわれており、
案内板にも源氏物語の一節が添えられています。


「城南離宮(鳥羽離宮)」平安時代後期に白河・鳥羽・後白河上皇が
造営された離宮で、東西1.5キロ、南北1キロの広大な敷地だったそうです。


「平安の庭」では年2回、王朝時代を偲ばせる雅やかな曲水の宴が催されます。


余談ですが、城南宮がある伏見区鳥羽と言えば、幕末、戊辰戦争の発端となる
鳥羽伏見の戦いの舞台となりました。この城南宮には薩摩藩の陣が置かれ、
ここから戦いの火蓋が切られたと言われています。
新政府軍5,000、対する旧幕府軍15,000と兵数は圧倒していたものの火器違い、
さらにこの戦いの最中、薩摩藩士 岩倉具視などの策略で「錦の御旗」を掲げる。
倒幕軍であった薩長土佐は、一躍「官軍」となり、幕府軍はその旗の前に
総崩れ、敗北します。以後、戊辰戦争の舞台は江戸市街での上野戦争や、
北越戦争、会津戦争、箱館戦争として続きます。

ここでまた登場、会津藩の山本覚馬は・・・この4年前、禁門の変において
砲兵隊を率いて勲功を挙げますが、失明同然に陥ります。
鳥羽伏見の戦いでは弟の三郎が戦死、自身は薩摩藩に捕われて収容されますが、
その人物の優秀さを買われ、明治2年には岩倉具視により釈放されます。
自由の身になった覚馬は京都の近代化に大きく寄与するのですが、波乱万丈の
人生ですね。もうひとつ面白いエピソードが、禁門の変では長州軍の火器に
苦しめられ、その時は新型銃を備えた薩摩藩に助けられます。
砲兵隊を率いていた覚馬は新型銃の威力を目の当たりにし、ゲベール銃の
調達に成功するものの鳥羽伏見の戦いに納入が間に合わず、薩摩の火器の
前に破れてしまいますが、
覚馬が調達した銃は後に新政府が押収していましたが、それが西南戦争で
活用され薩摩の銃を圧倒することになります。
歴史って一歩違えば結果は大きく異なったものになってしまいますね。


さてさて、椿です。


「有楽(うらく)/太郎冠者(たろうかじゃ)」




椿の語源は「艶葉木」という説も。


「紅侘助」




「孔雀椿」↑↓
















「蝦夷錦」








椿を愛でるは、咲いている時だけにあらず 落ち椿もまた風流なり。







2014.3/9、城南宮 神苑にて。

梅、埋めの城南宮

2014-03-15 23:07:23 | 花だより
京都市伏見区、鳥羽にある城南宮
その神苑「楽水苑」には「春の山」と名づけられた庭があります。



毎年春を告げてくれる、150本の枝垂れ梅が咲き誇る庭は圧巻です。











いつも“すーさん”のブログで拝見していて、一度行きたいなと思いつつ
なかなかタイミングが合わなかったのですが、
今年は満開の時期に行くことが出来ました♪













「しだれ梅と椿まつり」は、3/21日まで。でも先週でこの咲き具合だと
早く行かないと散り始めるかもね。ま、それも風情がありますが。













源氏物語 花の庭とも称されている城南宮神苑は春夏秋冬、四季を通して
花のある風情が楽しめます。
















これだけ枝垂れ梅が見られる庭も珍しいかと・・・♪






↓誰かが仕込んだようですねぃ(^_^ゞ



2014.3/9、城南宮 神苑「楽水苑」にて。

梅を観に行き、桃は?

2014-03-14 14:18:39 | ランチ/カフェ
御所の南、丸太町通に面した小さな蕎麦屋さん『花もも』
三年ほど前にオープンされた新しいお店です。評判も良いので行ってみました。



古い町家だったのでしょうか、なかなか風情もあります。



店主は信州出身、山梨県のそば店で修業するなかで、そばの産地や鮮度への
高いこだわりを学び、感銘を受けたとか。
ここのそばは、そば粉8割、小麦粉2割のいわゆる二八そば。
秋に収穫された新そばを実のまま冷蔵保存し、使用するその都度、皮を剥き
石臼で挽いたそば粉にこだわり、香りや鮮度のよさが身上のようです。













御苑の富小路口が斜め前に臨めます。1階はテーブルがひとつ中央に置かれ
8人くらいが座れるのかな、ちょっと狭っくるしそう。
やはり2階の方が落ち着きます。座卓とカウンター席、座敷なので
足に難のある私にはちと辛いのですが・・・






値段もそこそこ。メニューはそば屋らしいものが揃っています。
そばがきとか、そば茶アイスも。お昼は、そばの実ごはんのセットが
プラス150円で用意されています(売り切れ次第終了)




温かいのが食べたかったので、「鴨なんばん」と「にしんそば」を。



出汁はしっかり目で、私は好きかも。鴨肉はもう少し脂がのってしっとり
していた方が良かったかな。
つくねも入っていましたが、できれば骨も混じっていた方が味わい深いかも。
にしんそばは食べていないので、何とも言えません。

もう一度くらい行ってみても良いかな?とも思いますが、行列が出来るとか
私なら並んでまでは入らないだろうな。(^_^ゞ




2014.3/8、「手打ちそば 花もも」にて。

あれこれ・・・

2014-03-12 17:31:48 | 京都徘徊記
いつだったけな、そうそう七福家に中華ランチを食べに行った日(3/2)です。
駐車場に戻るまでに平安神宮の前を通るので、ふらっと寄ってみました。

観光地として、今も修学旅行のルートなのかな『平安神宮HP』
ここを訪れる人のほとんどは、立派だね、綺麗だねと。お賽銭を投げて、手を
パンパンと・・・せいぜい、おみくじ、絵馬程度じゃ無いでしょうか。
HPにも>"観光"の「観」とは見物ではなくて「物事の本質をつかむ」ことです。
「光」はまさに神様や仏様のご神威です。つまり神社やお寺に参詣して
神の光り輝くご神徳をいただくことが"観光"なのです。>と書かれているように
宗教心はともかく、京都を、日本人のことを考え、学習するにはよい神社かも。

平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に創建された新しい神社。
だからこそ分かりやすいってこともあります。『バーチャル参拝』




京の都は「四神相応」と讃えられています。平安宮を模して建てられた
平安神宮にも四神(しじん)信仰の形が見られます。



一般に四神相応の地とされるのは、東に清き流れがあるのを「蒼(青)龍」、
南が広く開けた湿地帯であるのを「朱雀」、西に大きな道が続くのを「白虎」、
北に高くそびえる山があるのを「玄武」とされていて、それぞれこの京都では
「蒼龍」が賀茂川、「朱雀」は干拓されて今は無き巨掠(おぐら)池、
「白虎」は山陽道(もしくは山陰道)、「玄武」は舟岡山とされています。




平安神宮でも平安京往時さながらに、大極殿の東には「蒼龍楼」
西には「白虎楼」が建てられ、四神信仰にそっています。




古来の中国天文学では、天球を天の赤道帯に沿って東方・北方・西方・南方の
四大区画に分け、それぞれに四神を対応付けた。
これらを東方蒼龍(そうりゅう)・北方玄武(げんぶ)・
西方白虎(びゃっこ)・南方朱雀(すざく)と呼びます。



方位だけに留まらず、季節や年功にもあてがわれていますね。
春=蒼龍(緑・青)、夏=朱雀(赤・朱)、秋=白虎(白)、冬=玄武(黒)
若年期を「青春」、壮年期を「朱夏(しゅか)」、熟年期を
「白秋(はくしゅう)」、老年期を「玄冬(げんとう)」と表現したりも。
会津藩では年齢別に50歳以上の玄武隊、36歳から49歳までの青龍隊、
18歳から35歳までの朱雀隊、17歳以下の白虎隊と軍構成していました。

会津藩が出てきたついでに、平安神宮創建にもかかわったであろう元合津藩士
山本覚馬(新島八重の実兄)が思い浮かびます。大河ドラマ「八重の桜」を
観られていた方ならよくご存知でしょうが。
維新後、荒廃しきった京都に留まり盲目、下半身不随ながら京都の復興に
尽力された、この人なくては今の京都は語れないほどです。
当時の京都は人口35万人が20万人に激減。それには天皇の東京行幸(未だに
帰ってこられない)が大きく関わっています。優秀な人材、会社などが
東京へ流出。急速に寂れました。残った者で勧業による復興をはかった。
そのリーダーが山本覚馬であり槙村正直(当時府知事)だったりします。
日本初の博覧会を今の京都御苑で開催したり、内国勧業博覧会(第4回)を
出来たばっかりの平安神宮、岡崎界隈で開催。英文の京都観光ガイドブック
なども作り(八重も手伝う)、国内外から100万人の入場者を呼びました。
それに合わせて、日本初の市街電車も開業。当時のチンチン電車は平安神宮
神苑に展示保管されています。

ボツネタだと言いながら、ちょっと語り過ぎかな。ここらにしときまひょ。


ガラリと話が変わって、ウチの花壇ですが・・・



折角植えたプリムラジュリアン、寒波や積雪でひどいことに。(・_・、)

でもね、よ~く見ると・・・



復興の兆しが♪ 新しい花芽が湧いてきています。ヽ(´∀`*)ノ

昨日は3.11、未曾有の大地震、津波によって多くの犠牲者が・・・
復興は遅く、風化は速いという声も聞かれましたが、希望を持って下さい。
京都も荒廃と復興を何度も繰り返した歴史があり、東京も大震災や大空襲の
焼け野原から復興し今の姿に。広島も長崎も・・・もちろんまだ記憶に新しい
阪神淡路大震災も復興を成し遂げてきました。ガンバレ東北!です。



動く日本列島、他人事じゃ無いですけどねw


もうひとつ、今日は寒波も去って、うららかな春の日和。
でも一昨日の京都は・・・



朝から雪が舞う・・・3月10日どっせ!



夕方には、うっすらと・・・どないなってるんやろ。(-。-;)



オマケ、旧1号線、今は府道に突如現れたスーパーカー軍団。なんで?



ところでスーパーカーと言えば、これスゴ過ぎ『アゲーラOne:1』
車名の「One:1」は、最高出力1メガワット(1000kw=1340PS)であることや、
パワーウェイトレシオが1kg/psであることに由来する。だって!
最高速440km/h(推測)やて、絶対気ぃ失うヮ・・・(゜ε゜;)

春風待てず御所のこの花。

2014-03-10 19:52:10 | 花だより
梅の開花情報では、京都御苑「咲き始め」だったので期待せずに行ったのですが
意外と咲いていました。まだ梅林は花盛りとはいかず、2割くらいの木が
見頃って感じ。来週末にはもっと咲いているだろうなと思っていたら・・・
今日の京都は朝から雪が降ったり止んだり、どうなってるんやろ。(^_^ゞ


梅林のみならず、あちこちで梅の花が観られます。1枚で収まりきらない木も多々。
下の写真は御苑名物、ちゃりんこ路。知らない人は何かと思いますね。
御所を取り巻く御苑は自転車も入れて通り抜けできます。みんな同じところを
走るので踏み固められて、自然発生的に自転車道ができてしまってます。


「馬酔木(アセビ)」





梅の別名、異称でよく聞くのは春告草(はるつげぐさ)とか木の花(このはな)
他にも沢山あります。初名草(はつなぐさ)は、一年で最初に名を聞くから。
百花魁(ひゃっかかい)は、多くの花に魁(さきがけ)て咲くことで。
風待草(かぜまちぐさ)は、春風を待って咲き始めるからですが、これらは
咲く時季からきているようですね。「花の兄」というのも同じく梅の花は
他の花より咲きに咲くから「兄」と呼ばれるようです。
ちなみに弟は?菊の花なんです。遅く咲くから菊を「花の弟」と呼びます。





匂草(においぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、香栄草(こうばえぐさ)など
香りに由来する別名も。梅の香りは強過ぎずやわらかな匂いでイイですね♪
好文木(こうぶんぼく)と呼ぶのは、晋の武帝が学問に励むと梅の花が開き、
学問をやめると花が開かなかったという故事に由来するそうです。





玉骨(ぎょっこつ)と言っても梅をイメージしにくいですが、もともとは
貴人で美人の骨の意味であり、梅の幹枝をたとえる言葉でもあります。
氷肌玉骨(ひょうきぎょっこつ)とは、美しい女性のことをたとえた四字熟語。
これはまた、寒中に咲く梅のことをいいます転じて、「玉骨」だけでも
梅の幹枝だけじゃなく、梅全体の異名として使われることが多いようです。













木の花(このはな)と言うのは、お花見の代表的な花だったからかな。
今でこそ花見と言えば桜だけれど、奈良時代は梅。平安京になってからも
御所紫宸殿の前の左近の桜、右近の橘は創建当初、桜ではなく梅だったようです。













「黒木の梅」は、まだツボミでした。咲けば濃紅色で大輪の八重咲きです。







桃林の桃の花も、まだツボミ。花は全く咲いていませんでした。




鳥はあまり見ませんでしたが、キジバト(上)さんと、ツグミちゃん(下)



新しいトイレが出来ていました。案内板が御所らしくってイイかも♪










日曜日(3/9)は、城南宮と長岡天満宮の梅林を訪ねてみました。
城南宮は満開、見頃です。今週末までもつかなって感じ。長岡天満宮の見頃は、
梅林の方はまだもう少し先かも。境内や八条ヶ池では満開の木もありました。





2014.3/8、京都御苑にて。

上海家庭料理 七福家のランチ♪

2014-03-08 19:55:31 | ランチ/カフェ
いつもよくクルマで通る丸太町通り、看板を見ては、いつか行ってみようと
思いつつ、駐車場が無さそうなので素通りばかりしていたのですが・・・
去年の秋、ついでがあったので、ついにその機会が!
しか~し、店の前に立ったもののランチ時間を過ぎていたのと、ちと本格的?
どんなものが出てくるやら・・・不安がよぎり
結局、安全策をとって入らずに他の店に行きましたw(^_^ゞ

東大路丸太町の熊野神社の近く、丸太町通には看板だけが・・・

看板の矢印の先を見ると狭い路地にあるお店が見つかります。

今回は、ついでではなくランチ時に此処を目指しました。と言うのも
京男さんが最近行かれるようになって。中華料理にも詳しい京男さんのお墨付き!
これで安心して入れます♪



お店の表にも貼ってあるのですが、メニュー。半端なく多い・・・w

レギュラーメニューだけで93品?以前はこれを見て、止めたような。(^_^ゞ



今回は、このサービスランチの中から。これ、お安い!




店内はこじんまり、カウンターと小上がり。2階は宴会もOKなのかな。
愛想の良いおばちゃんと、バイト?の女の子たちも接客は問題なし。
ただ、店員さん同士の会話は中国語、何を言われているか分りませんw




日曜日だったので、日替りセットは無し。私は黒酢の酢豚セット。
ご飯と玉子スープにザーサイ。もう1皿、豆腐料理だったかな。これで750円♪




家内も同じくサービスランチ、海老入り五目野菜の旨煮セットを。
私らのお腹を満たすには充分のボリュームでした。




黒酢の酢豚は人気メニューのようです。もちろん火傷しそうなくらい
アツアツで出てきます。黒酢特有の香りと酸味がちょっとクセがありますが
とても美味しく、癖になりそうです。(^_-)v




上海家庭料理、本来なら水餃子なんでしょうが、焼き餃子があったので
注文してみました・・・これまたウマウマです。ちょっと時間かかったけど。
京男さんおすすめの「自家製やわらか杏仁豆腐」も忘れずに。
口当たりも良く、さっぱり。香りも良くて、これは外せないデザートかも。

ちなみに、サービスセット。+200円でデザート付き、+350円でスープが
ミニラーメンに替えられます。
お昼に中華が食べたくなったら、ここは定番のお店になりそうです。


オマケ、先日次男坊が持って帰った「祗園 花萬」のお弁当。



お店は南座の二階にあり、幕間弁当や懐石料理を提供してくれます。
このお弁当は、六仕切り懐石膳「顔見世」と「萬巻き(よろずまき)」
萬巻きは、京風だし巻きの中に鰻飯が入っています。



そういえば、しばらく南座には行ってへんなぁ。ま、こんなお高い幕間弁当は
よう頼まへんけど・・・w




2014.3/2、七福家にて。

西の御所?妙心寺。

2014-03-06 00:16:12 | 京都徘徊記
臨済宗妙心寺派大本山『正法山 妙心寺(しょうぼうざん みょうしんじ)』
境内は10万坪(13万坪とも)の広大な敷地です。三門、仏殿、法堂(はっとう)
などの中心伽藍の周囲には、多数の塔頭(たっちゅう)が建ち並んでいます。
塔頭の多さでは日本一。まるでお寺の団地? 妙心寺の塔頭は48ヵ院に及び、
うち山内塔頭38ヵ院、境外塔頭10ヵ院の中には石庭で有名な龍安寺も。

日本にある臨済宗寺院約6,000ヵ寺のうち、半数以上約6割近くが妙心寺派
だそうです。その大本山だから、デカいのは納得。
西の御所と呼ばれているそうです(私は初めて聞きましたが)
また、京童の囃子言葉では「大徳寺の茶面、建仁寺の学問面、東福寺の伽藍面、
妙心寺の算盤面(そろばんづら)」と言われています。
利休に代表されるお茶の大徳寺、京都五山の筆頭として学界をリードすべく
奮闘した時代もあった建仁寺、伽藍造りに東奔西走した東福寺、
妙心寺はというと寺院経営に執心して巨大教団を形成したことから
何時も算盤をはじいていた・・・ということかな?(^_^ゞ


「北総門」この日は北門から入りました。クルマで入って行けます。
親切な警備員さんが、ちゃんと案内してくれますよ。駐車場は入って左へ。

「南総門」こちらが正門。こちらにも3ヵ所駐車場があり、Pの心配はご無用。
駐車場は無料だし、境内に入るのも無料。結構太っ腹♪ ま、御所と同じで
普通に通り抜けの生活路にもなっています。それだけ広いってことで。


絵図で見ても広大さが分ります、お寺の集合体。詳しくは『妙心寺山内図』



じっくり見て回ると半日はかかるでしょうね。『半日コース』

この日は、ふらっと立ち寄っただけなので、通り抜け感覚で・・・


「鐘楼」の1つ。
日本最古の紀年銘鐘である国宝の梵鐘、黄鐘調(おうじきちょう)の鐘。
数年前まで撞かれていましたが、今は法堂の内部に保存されています。
昭和48年までは毎年「行く年来る年」の冒頭を飾っていたそうです。


案内が無いと迷子になりそう・・・



「仏殿(ぶつでん)」と「法堂(はっとう)」どちらも重要文化財。

仏殿は非公開、その前には竹垣に囲まれた四本の松「四派(しは)の松」が
植えられています。
法堂、拝観可:500円。鏡天井には、8年の年月を費やして描かれた狩野探幽の
筆による雲龍図(重文)が観られます。どこから見ても睨んでいるように
見えるので「八方睨みの龍」と呼ばれています。

天井に龍の図が描かれるのは、龍が仏法護持の神将の一つとして重んじられて
きたことによります。龍が雲を呼び雨を降らすといわれることから、
法堂に法の雨(法雨)を降らせるために描かれたり、同じ理由で火災より
守ってくれるために描かれるのだという説もあります。
他にも京都で著名な龍の天井画として、
南禅寺(法堂天井)今尾景年筆、東福寺(本堂天井)堂本印象筆、
天龍寺(法堂天井)加山又造筆、相国寺(法堂天井)狩野光信筆、
大徳寺(法堂天井)狩野探幽筆などがあります。
京のドラゴンクエストを楽しんでみるのも面白いかも・・・



「三門」(重文)内部未公開。
境内で唯一、朱塗りの建物です。東福寺三門、大徳寺三門に次いで古いもの。

「仏殿と法堂とつなぐ廊下」

「浴室」(重文)「明智風呂」と呼ばれるように、明智光秀を供養するために
建てられたものです。ちなみに、妙心寺には織田信長の墓もあります。
塔頭には石田三成の菩提所だったり、豊臣家ゆかりのものも・・・
とってもディープな戦国史探訪もできそうです。



三門越しの仏殿、法堂。



塔頭「退蔵院」(国の名勝および史跡)拝観可:500円
絵図を見ての通り、ここだけでも立派なお寺です。
枯山水の名園「元信の庭」は、画家であった狩野元信による作庭。
国宝、瓢鮎図(ひょうねんず)も観られるようですが、ここにあるのは
レプリカ、本物は京都国立博物館に寄託されているはずです。

瓢鮎図は将軍足利義持が山水画の始祖と言われる如拙に描かせたもので、
ナマズを瓢箪(ひょうたん)で捕まえるという禅問答が描かれています。
後に宮本武蔵がこの絵を前に自問自答したとか。武蔵の刀のツバには
ひょうたんとナマズの意匠が施されたものが残っています。
余談ですが、瓢鮎図、瓢=ひょうたんは、分りますが「鮎」って疑問が・・・
実は「鮎(あゆ)」って漢字は、本来中国では「ナマズ」って漢字。
中国でアユは「香魚」と書きます。「鯰(なまず)」は、和製漢字です。



三門、仏殿、法堂は南北一直線に並んでいます。
その先に見えるのは大方丈(おおほうじょう)、庫裡(くり)などありましたが、
何やら工事中でして写真は撮ってません。いずれも重文です。


「東海庵」(原則非公開)史跡名勝の枯山水の庭や絵画など重文多数。

「天球院」京狩野派の祖、狩野山楽・山雪の2人が描いた重文障壁画が多数
収められています。原則非公開ですが、特別公開もあるようです。

塔頭は山内だけでも38寺もありますが、そのほとんどが非公開です。
通年公開しているのは、退蔵院、大心院、桂春院くらいで、他に幾つかは
特別公開、限定公開もあるようです。
境外塔頭である龍安寺(りょうあんじ)は、もちろん通年公開しています。




気軽に行けるので、散策にはもってこい♪ 歴史好き、美術好きだと
ディープな探索もできます。重要文化財の宝庫みたいなエリアですから。


迷路好きも楽しめるかも。(^_^ゞ


「大心院」拝観可:300円。枯山水の名園「阿吽庭」で有名。宿坊もあり。


2014.2/11、妙心寺にて。

春を待つ庭。

2014-03-03 00:00:43 | in My お庭
白木蓮。蕾はまだ硬いながら少しコートを脱ぎ始めている。




さくらんぼの莟(つぼみ)。咲くのはまだ先、虫はスタンバイしてるのにね。




紅梅がほころび出した。梅は蕾より香ありって言うが、それを見抜くのは難しい。







我が家には何種類か椿の木があり、春を告げてくれる。



笑みの眉開く、春の陽射しを受け日一日、膨らみを増しているよう。







枇杷が花をつけていた。花としては目立たないが、その実は美味しい。




花月、別名カネノナルキ。花は咲くけれど、収穫に至ったことは無い。(-。-;)




鉢植えのアネモネ。美の神アフロディーテの涙の化身、美し過ぎる涙。




足元にはフキノトウ。少し成長し過ぎだが摘んで、ほろ苦い味を楽しみました。







2014.3/2、庭にて。

内緒のお店

2014-03-01 00:03:39 | ランチ/カフェ
できれば秘密にしておきたいようなお店・・・(^_^ゞ

以前から家内が行ってみたいお店としてリストアップしていた
美味しくて安い、ステーキランチを食べられるお店。
その情報を見ると・・・こりゃ、行きたくなるわな!(笑)で、早速電話して
ランチタイム、ギリギリでしたが席を確保♪ わざわざ妙心寺方面まで



外観はトップの写真のように・・・、まさかこんな所にと思える住宅地の中。
一応ナビで検索したら、なんと!ありました。何とか辿り着けます。
電車なら嵐電妙心寺駅から龍安寺方面へひとつ目の踏み切りの近くです。



バックミラーには踏み切りが映ってます。お店の前には駐車場が無いので
契約されている駐車場を訊ねているところです。
手書きの地図を渡され、説明も聞いたのですが・・・少し、いや、そこそこ
離れた場所で、迷ってしまった。(^_^ゞ



嵐電の踏み切りをクルマで渡ったり、徒歩で戻ったり。

店構えは写真の通り、のれんや看板が無ければ普通のお宅。
・・・って言うか、ここまで古いお家はもう珍しい?
おっと、屋号は『鉄板焼 割烹 しま田』
隠れ家的と言うより、まさに・・・
ま、これが私の好奇心をくすぐった理由ですけど。通り掛かりで入るには
相当勇気が要りそうな・・・

設えも京町家というか昔からある民家。入口ののれんをくぐって3、4歩。
玄関の引き戸をガラガラと開けて「おじゃましま~す」。
三和土(たたき)で履物を脱いでいると、先ほどの奥さんが出て来られて
奥の部屋へ案内されます。



外観は古い民家でも、中はリノベーションされたお店かな・・・何て考えたら
イケません!まんま・・・です。



廊下を通って案内された先は、6帖ほどの広さかな、堀コタツ式?の
カウンター、5人席のようだが満席だとちょっと窮屈かな4+1ってとこ。
既にご夫婦らしいカップルが食事をされていて、その横に私らの席も
用意されていました。すぐ前に鉄板があって、ご主人が先のお客さんに
ガーリックライスを焼く準備をしながら
「ランチのお肉は100グラムになってます。100グラムでいいよね」って
念を押されて、了解してしまったけれど、増量もできたみたい。
「肉焼くまでそれでも食べててな」って、温野菜とサラダを食べ始めます。



お肉登場♪(写真の塊で2人分)。年季の入ったヘラさばきで・・・
このマスター、お歳は77才。京都生れ、東山は古川町。いろいろあって?
東京の六本木のステーキハウスで長年勤めたあと、25年程前に京都に戻って
このお店を始められたとか。
何だかんだと、客4人とマスターとの四方山話の会話がはずみます。



お肉が焼けた頃にご飯と赤だしが出てきます。赤だしの具はじゅんさいでした。



そうそう、このステーキランチ、食べログなどでは1500円ってなってますが
「ちょっと前に値上げさせてもろたんやわ、よろしいか」って・・・
今は1700円になってます。もうひとつ、全席喫煙可でしたが今は全面禁煙。
理由はご主人に聞いて下さい。奥から酸素吸入器など持ってきて、
見せてくれます。(^_^ゞ こんなことになりまっせ~!って脅されて。



お肉は国産牛のフィレ、これが旨いのなんのって!脂っこくなく柔らかくて
口に入れたら噛まなくても溶ける・・・みたいなアホな表現したくなるほど。
あくる日までこの肉の旨味が口の中に残るって感じ♪今でも思い出せます。
ハッキリ言って100グラムじゃ足りない。200、いや300グラムでも
食べられそう。増量注文してせいぜい150グラムにすればよかった・・・

ご主人いわく「今日のは特別、ええ肉仕入れられたから昨日と今日の客は
得してます。普通やったらこの値段で出せる肉とちゃうから」って。
いつもこれや思わんといてな。ってことでしたから、すかさず「そらあかんわ!
もうこの味、覚えたさかい今度もこんな肉出してや」って釘を刺しました。

上等の肉、美味しいステーキを安く食べられることでは京北町の「登喜和」が
ありますが、あそこのヒレステーキ150gで確か3500円か3600円?
しかし、ここの肉の方が美味しいと感じました。
後で調べたら、こんな隠れ家みたいなお店ですが、食べログのランキングで
「太秦・妙心寺・仁和寺×ステーキ」だと何と1位。「京都府×ステーキ」の
お昼のランキングでも4位。(登喜和は8位)と、かなり高評価のお店。
ただし、ご主人は知らんと思いますけど。なにせパソコンも触ったことない
インターネットなんてどこ吹く風・・・
「以前、食べログが取材に来て、たいそうなカメラで写真撮って・・・
もうええわ思うた」って。(^_^ゞ 
あ、もちろん僕らは最初に写真の許可はいただいておりましたが。



ちなみにですね、ご主人、77才ってお歳もあるのでしょうが、この日は
「夜も入れたら今日は10組も予約があって、断わろ思てたんやけど」
・・・あわや断られるところでした。予約は早めの方が良さそうです。
それに、お店は不定休です。この前の土曜日は孫の運動会で店閉めたとか。

そんなこんなで、私としては紹介したくないお店なんです。
もちろん、私はまた行きますよ!美味しいステーキが食べたくなったら・・・
その時、予約が取れなかったら困りますからねぃ。




2014.2/11、しま田にて。