西国三十三所観音霊場巡り、第十一番札所は京都市伏見区にある
『深雪山 上醍醐 准胝堂(みゆきやま かみだいご じゅんていどう)』
世界遺産、醍醐寺は上醍醐と下醍醐に分かれた200万坪以上の広大な境内をもつ。
札所のある上醍醐は険しい山の中、准胝堂は山頂近くにあり三十三所の中でも
一番の難所と言われています。(でも今は・・・)
醍醐寺は全国的に知られた桜の名所なので、その時期に行ったら大変なことに。
巡礼目的なので桜を避けましたが、写真的にはちと寂しいかな。
「霊宝館」
ここの枝垂れ桜は大木で、その見事さは言葉に言い表せないくらいだとか
(私、見たこと無いんです)〔別途入館料要〕
左「三宝院」 右「桜の馬場」正面に仁王門が見えます。
桜の馬場には道の中央にむしろが敷かれていました。お馬ちゃんが走るのかな?
「三宝院門跡」
ここの庭園も桜の名所、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
建造物の大半が重文で、表書院は国宝です。
ここもまた別途入園料が必要です。今回は巡礼目的なのでパス。(^_^ゞ
でもまだ入ったことが無いのでぜひ観たいところです。
さてこのお寺、創建は874年ですが応仁の乱(1467-1477年)の戦禍により
下醍醐は五重塔を残し三宝院もほとんどの伽藍が全焼し、長く荒廃。
それを復興、再建したのが時の太閤、豊臣秀吉でして・・・
三宝院庭園も「醍醐の花見」を催すため、自ら基本設計したとか。
ま、10年に及ぶ応仁の乱で焼き尽くされた京都の街や社寺を再興したのは
この権威、肩書き好きの天下人。
このおっさんが居なきゃ京都の歴史は途絶えてたかも・・・
「三宝院 唐門」〔国宝〕
平成22年7月に修復を完了、ピカピカになっています。
「西大門(仁王門)」〔重文〕
「金剛力士像」〔重文〕
平安後期の作、あまり恐くないお顔の仁王さんやった。
「金堂」〔国宝〕
手前向って右側に神楽舞台が見えますが、
二月後半の五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)の際のメインイベント
「餅上げ力奉納」がここで行われます。
この行事は「五大力さん」と呼ばれ親しまれており、力比べは一般参加で、
男性は150kg、女性は90kgの鏡餅を抱え何秒間耐えられるかを競うもの。
京都の早春の風物詩のひとつとして、その様子は毎年、
こちらのTV、新聞で紹介されています。
右側奥のプレハブも気になりますね・・・
実は三十三所最大の難所、上醍醐准胝堂は平成20年8月24日に
ご本尊もろとも落雷によって全焼。半年ほどは上醍醐への
入山も禁止でした。今は行けるようになりましたが、ご朱印、納経は
このプレハブで・・・こんなこともあるのですね。
残念なような、ヨカッタような。(^_^ゞ
私、20歳代の頃、上醍醐に登ったことがあります。山の東側、笠取の方から
途中まで林道をジムニーで行き、ハイキング道(登山道に近い)を、
えっちらおっちら山岳地図じゃないと出ていない道を登り
辿り着いたのですが、当時は門も柵も無く・・・不法侵入だったのかな?
金堂では何やら法要が行われていたようで・・・
ひよこの行列じゃないですよ、厳かなものです。(^_^ゞ
「鐘楼」
同じ世界遺産でも奈良東大寺を観たばかりなので、伽藍の壮大さは
比べるべくも無く・・・
「五重塔」〔国宝〕
これは立派で美しい。醍醐天皇の菩提を弔うため、朱雀天皇が936年(承平6年)に着工、
村上天皇の951年(天暦5年)に完成したもので、
現存する京都府最古の木造建築物です。
小学生の頃だったかな、写生会でこの五重塔を描いた憶えが・・・
何か賞をもらったような、サクラクレパス賞だったかな♪
「清瀧宮拝殿」
「清瀧宮本殿」〔重文〕
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。
この周りにも大きな枝垂れ桜が何本かありました。
「不動堂・護摩道場」
不動明王を中心に五体の明王が安置されています。
毎年2月23日(五大力さんの日)この日に限って授与される災難・盗難除けの
お札「御影(みえい)」は、京都の町屋や老舗はもちろん、各家庭の出入り口に
貼られています。我が家でも少し前までは貼るようにしていたのですが・・・
「真如三昧耶堂」
「祖師堂」
「役小角(えんのおづの)=役行者(えんのぎょうじゃ)像」
新しく置かれたのかな、いやにリアル。松崎しげる似?
大伝法院へ行くまでの門。
「洛餓鬼門」とでも呼ぼうか・・・良い門なのに落書や千社札でわやや。
左「大講堂」 右「鐘楼」
この大講堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等を
総称して大伝法院と呼びます。
「弁天堂」
ここは紅葉スポットだそうです。豊臣秀吉はこの醍醐寺で春に桜の花見、
秋には紅葉狩りの宴を催すつもりで造り上げ、楽しみにしていたようだが・・・
太閤「醍醐の紅葉狩り」は、果たせなかった。この年の夏に伏見城で死去する。
2012.3/11、醍醐寺にて。
○宗派:真言宗醍醐派(総本山) ○開基:聖宝理源大師
○御本尊:准胝観世音菩薩 ○創建:貞観16(874)年
御詠歌「逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな」
『深雪山 上醍醐 准胝堂(みゆきやま かみだいご じゅんていどう)』
世界遺産、醍醐寺は上醍醐と下醍醐に分かれた200万坪以上の広大な境内をもつ。
札所のある上醍醐は険しい山の中、准胝堂は山頂近くにあり三十三所の中でも
一番の難所と言われています。(でも今は・・・)
醍醐寺は全国的に知られた桜の名所なので、その時期に行ったら大変なことに。
巡礼目的なので桜を避けましたが、写真的にはちと寂しいかな。
「霊宝館」
ここの枝垂れ桜は大木で、その見事さは言葉に言い表せないくらいだとか
(私、見たこと無いんです)〔別途入館料要〕
左「三宝院」 右「桜の馬場」正面に仁王門が見えます。
桜の馬場には道の中央にむしろが敷かれていました。お馬ちゃんが走るのかな?
「三宝院門跡」
ここの庭園も桜の名所、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
建造物の大半が重文で、表書院は国宝です。
ここもまた別途入園料が必要です。今回は巡礼目的なのでパス。(^_^ゞ
でもまだ入ったことが無いのでぜひ観たいところです。
さてこのお寺、創建は874年ですが応仁の乱(1467-1477年)の戦禍により
下醍醐は五重塔を残し三宝院もほとんどの伽藍が全焼し、長く荒廃。
それを復興、再建したのが時の太閤、豊臣秀吉でして・・・
三宝院庭園も「醍醐の花見」を催すため、自ら基本設計したとか。
ま、10年に及ぶ応仁の乱で焼き尽くされた京都の街や社寺を再興したのは
この権威、肩書き好きの天下人。
このおっさんが居なきゃ京都の歴史は途絶えてたかも・・・
「三宝院 唐門」〔国宝〕
平成22年7月に修復を完了、ピカピカになっています。
「西大門(仁王門)」〔重文〕
「金剛力士像」〔重文〕
平安後期の作、あまり恐くないお顔の仁王さんやった。
「金堂」〔国宝〕
手前向って右側に神楽舞台が見えますが、
二月後半の五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)の際のメインイベント
「餅上げ力奉納」がここで行われます。
この行事は「五大力さん」と呼ばれ親しまれており、力比べは一般参加で、
男性は150kg、女性は90kgの鏡餅を抱え何秒間耐えられるかを競うもの。
京都の早春の風物詩のひとつとして、その様子は毎年、
こちらのTV、新聞で紹介されています。
右側奥のプレハブも気になりますね・・・
実は三十三所最大の難所、上醍醐准胝堂は平成20年8月24日に
ご本尊もろとも落雷によって全焼。半年ほどは上醍醐への
入山も禁止でした。今は行けるようになりましたが、ご朱印、納経は
このプレハブで・・・こんなこともあるのですね。
残念なような、ヨカッタような。(^_^ゞ
私、20歳代の頃、上醍醐に登ったことがあります。山の東側、笠取の方から
途中まで林道をジムニーで行き、ハイキング道(登山道に近い)を、
えっちらおっちら山岳地図じゃないと出ていない道を登り
辿り着いたのですが、当時は門も柵も無く・・・不法侵入だったのかな?
金堂では何やら法要が行われていたようで・・・
ひよこの行列じゃないですよ、厳かなものです。(^_^ゞ
「鐘楼」
同じ世界遺産でも奈良東大寺を観たばかりなので、伽藍の壮大さは
比べるべくも無く・・・
「五重塔」〔国宝〕
これは立派で美しい。醍醐天皇の菩提を弔うため、朱雀天皇が936年(承平6年)に着工、
村上天皇の951年(天暦5年)に完成したもので、
現存する京都府最古の木造建築物です。
小学生の頃だったかな、写生会でこの五重塔を描いた憶えが・・・
何か賞をもらったような、サクラクレパス賞だったかな♪
「清瀧宮拝殿」
「清瀧宮本殿」〔重文〕
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。
この周りにも大きな枝垂れ桜が何本かありました。
「不動堂・護摩道場」
不動明王を中心に五体の明王が安置されています。
毎年2月23日(五大力さんの日)この日に限って授与される災難・盗難除けの
お札「御影(みえい)」は、京都の町屋や老舗はもちろん、各家庭の出入り口に
貼られています。我が家でも少し前までは貼るようにしていたのですが・・・
「真如三昧耶堂」
「祖師堂」
「役小角(えんのおづの)=役行者(えんのぎょうじゃ)像」
新しく置かれたのかな、いやにリアル。松崎しげる似?
大伝法院へ行くまでの門。
「洛餓鬼門」とでも呼ぼうか・・・良い門なのに落書や千社札でわやや。
左「大講堂」 右「鐘楼」
この大講堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等を
総称して大伝法院と呼びます。
「弁天堂」
ここは紅葉スポットだそうです。豊臣秀吉はこの醍醐寺で春に桜の花見、
秋には紅葉狩りの宴を催すつもりで造り上げ、楽しみにしていたようだが・・・
太閤「醍醐の紅葉狩り」は、果たせなかった。この年の夏に伏見城で死去する。
2012.3/11、醍醐寺にて。
○宗派:真言宗醍醐派(総本山) ○開基:聖宝理源大師
○御本尊:准胝観世音菩薩 ○創建:貞観16(874)年
御詠歌「逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな」