カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

第十一番札所 醍醐寺

2012-03-31 23:12:04 | 西国三十三所巡礼
西国三十三所観音霊場巡り、第十一番札所は京都市伏見区にある
『深雪山 上醍醐 准胝堂(みゆきやま かみだいご じゅんていどう)』



世界遺産、醍醐寺は上醍醐と下醍醐に分かれた200万坪以上の広大な境内をもつ。
札所のある上醍醐は険しい山の中、准胝堂は山頂近くにあり三十三所の中でも
一番の難所と言われています。(でも今は・・・)

醍醐寺は全国的に知られた桜の名所なので、その時期に行ったら大変なことに。
巡礼目的なので桜を避けましたが、写真的にはちと寂しいかな。



「霊宝館」
ここの枝垂れ桜は大木で、その見事さは言葉に言い表せないくらいだとか
(私、見たこと無いんです)〔別途入館料要〕



左「三宝院」   右「桜の馬場」正面に仁王門が見えます。
桜の馬場には道の中央にむしろが敷かれていました。お馬ちゃんが走るのかな? 



「三宝院門跡」
ここの庭園も桜の名所、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
建造物の大半が重文で、表書院は国宝です。
ここもまた別途入園料が必要です。今回は巡礼目的なのでパス。(^_^ゞ
でもまだ入ったことが無いのでぜひ観たいところです。

さてこのお寺、創建は874年ですが応仁の乱(1467-1477年)の戦禍により
下醍醐は五重塔を残し三宝院もほとんどの伽藍が全焼し、長く荒廃。
それを復興、再建したのが時の太閤、豊臣秀吉でして・・・
三宝院庭園も「醍醐の花見」を催すため、自ら基本設計したとか。
ま、10年に及ぶ応仁の乱で焼き尽くされた京都の街や社寺を再興したのは
この権威、肩書き好きの天下人。
このおっさんが居なきゃ京都の歴史は途絶えてたかも・・・



「三宝院 唐門」〔国宝〕
平成22年7月に修復を完了、ピカピカになっています。



「西大門(仁王門)」〔重文〕


「金剛力士像」〔重文〕
平安後期の作、あまり恐くないお顔の仁王さんやった。



「金堂」〔国宝〕
手前向って右側に神楽舞台が見えますが、
二月後半の五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)の際のメインイベント
「餅上げ力奉納」がここで行われます。
この行事は「五大力さん」と呼ばれ親しまれており、力比べは一般参加で、
男性は150kg、女性は90kgの鏡餅を抱え何秒間耐えられるかを競うもの。
京都の早春の風物詩のひとつとして、その様子は毎年、
こちらのTV、新聞で紹介されています。


右側奥のプレハブも気になりますね・・・


実は三十三所最大の難所、上醍醐准胝堂は平成20年8月24日に
ご本尊もろとも落雷によって全焼。半年ほどは上醍醐への
入山も禁止でした。今は行けるようになりましたが、ご朱印、納経は
このプレハブで・・・こんなこともあるのですね。
残念なような、ヨカッタような。(^_^ゞ

私、20歳代の頃、上醍醐に登ったことがあります。山の東側、笠取の方から
途中まで林道をジムニーで行き、ハイキング道(登山道に近い)を、
えっちらおっちら山岳地図じゃないと出ていない道を登り
辿り着いたのですが、当時は門も柵も無く・・・不法侵入だったのかな?








金堂では何やら法要が行われていたようで・・・



ひよこの行列じゃないですよ、厳かなものです。(^_^ゞ






「鐘楼」
同じ世界遺産でも奈良東大寺を観たばかりなので、伽藍の壮大さは
比べるべくも無く・・・






「五重塔」〔国宝〕
これは立派で美しい。醍醐天皇の菩提を弔うため、朱雀天皇が936年(承平6年)に着工、
村上天皇の951年(天暦5年)に完成したもので、
現存する京都府最古の木造建築物です。

小学生の頃だったかな、写生会でこの五重塔を描いた憶えが・・・
何か賞をもらったような、サクラクレパス賞だったかな♪



「清瀧宮拝殿」



「清瀧宮本殿」〔重文〕
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。
この周りにも大きな枝垂れ桜が何本かありました。





「不動堂・護摩道場」
不動明王を中心に五体の明王が安置されています。
毎年2月23日(五大力さんの日)この日に限って授与される災難・盗難除けの
お札「御影(みえい)」は、京都の町屋や老舗はもちろん、各家庭の出入り口に
貼られています。我が家でも少し前までは貼るようにしていたのですが・・・



「真如三昧耶堂」



「祖師堂」



「役小角(えんのおづの)=役行者(えんのぎょうじゃ)像」
新しく置かれたのかな、いやにリアル。松崎しげる似?





大伝法院へ行くまでの門。
「洛餓鬼門」とでも呼ぼうか・・・良い門なのに落書や千社札でわやや。



左「大講堂」    右「鐘楼」
この大講堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等を
総称して大伝法院と呼びます。



「弁天堂」
ここは紅葉スポットだそうです。豊臣秀吉はこの醍醐寺で春に桜の花見、
秋には紅葉狩りの宴を催すつもりで造り上げ、楽しみにしていたようだが・・・
太閤「醍醐の紅葉狩り」は、果たせなかった。この年の夏に伏見城で死去する。





2012.3/11、醍醐寺にて。




○宗派:真言宗醍醐派(総本山) ○開基:聖宝理源大師
○御本尊:准胝観世音菩薩 ○創建:貞観16(874)年

御詠歌「逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな」

気分上々?いや、まんじゅまんじゅかな・・・

2012-03-29 22:37:39 | ランチ/カフェ
以前も行ったことのあるそば処『萬寿亭 橘』、前回にリピートもアリと判断。
ちょうど通り掛かりということもあり、寄ってみました。






お店の所在地は、豊臣秀吉、太閤の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺、三宝院の
少し北、小野小町ゆかりの随心院のすぐ隣りにあります。
随心院は観梅の有名スポット、この時も梅園を覗いてみたのですが、まだ1分咲きでしたw

このそば処、建物は築400年近い旧家をリノベーションした趣のあるもの。
5、6年前に行った時も話題の店でしたが、今も人気があるようで
席に座るまで30分、1時間待ちもあるとのこと。営業時間は11~15時までやのに。



少し変わっているというか、かなり個性的であります。

今回は見かけませんでしたが、入り口に
「やくざさん、行儀の悪い子供、中年さん入店お断り」の張り紙があったり・・・
もちろん私は入店できましたが・・・(^_^ゞ
子供連れで本当に断られているのを見たって報告も!子供用メニューもあるのに。
※小学生以下の幼児の入店は出来ないとのこと。

お店に入ると靴を脱いで下駄箱(靴だから靴箱か)に。そこでまず
張り紙や品書き札を見ながら注文、前払いで支払いを済ませてから席につきます。
これも以前と変わってしまっている。前は土間があり靴のままの席と
上がり框で靴を脱いで上る座敷に分かれていたし、席に着いてから注文。
普通のシステムだったのに、人気が出過ぎた弊害なのか?
前払い、セルフサービスなんてシステムに・・・!











食券に、セルフサービス。食べ終ると食器を返却口まで客が運ぶ・・・
どうもこの雰囲気には合わないなw
私らは閉店1時間前の午後2時頃に入りましたから、結構余裕もあるように
思えたのですが、ピーク時はかなり混乱するのかな?
ただ、行列が出来ると言っても昨今のラーメン屋のようにわざと席数を減らす
「仕掛け」では無いようで、ここはゆったりしたスペースで50席以上ある。

こんなものが置ける余裕もね。






食堂を抜けて中庭には蔵があり、そこはギャラリーになっているようだ。
入ったことは無いのですが・・・

随分待たされるのですが、その間うろうろしていると飽きないかもね。


やっと注文したものが来ました、料理は一応運んできてくれます。
実は注文といっても、ここは売り切れ御免のスタイル。この時も
ご飯物はもう終了しました。あれもダメ、これも切れたと、品書きは×だらけ。
温厚な私もさすがにピキッ!と、こめかみに痙攣が・・・
でもまぁ、混み合うのを避けて遅めに来てますから、それに空腹だったし。



「天ざる」



「えびおろし」
蕎麦に大根おろし、その上に海老の天ぷらがなんと5匹♪出汁をぶっ掛けて。

裏に製麺所があり、製麺されたてを出しているようです。
その日の材料の産地も書き出して貼ってあります。蕎麦なら北海道幌加内産と
日によってか季節によってか、滋賀竜王産であったり北米ワシントン産とブレンド。
米は魚沼こしひかり、牛肉・豚肉、かしわ(鶏肉)、卵はどこどこと
ダシの原料にいたるまで細かく表記。ほとんどが国産の有名どころのものです。

これも人気の所以なんでしょうが、好評のカツ丼や天丼は平日のみのメニュー。
折角来ても店の勝手ばかりで、客に対するおもてなしの姿勢が感じられませんね。
この日も材料切れか、閉店時間前なのにさっさとのれんをおろし、
来られたお客を断ってました。店内にはまだ多くの客が居ましたけど、忙しない。
きっともう行くことは無いでしょう・・・








材料も味も雰囲気も悪くは無いのですが、
「こだわり」の持って行き方が、どこか間違ってる気がします。
それでもまぁ、TVやネット上では話題の店。現実に行列が出来る店ですから
行ってみられるとよいかも。評価は個人の感性かと・・・





2012.3/11、萬寿亭 橘にて。

お待たせ~の春。

2012-03-27 19:27:16 | in My お庭
今年はなかなか暖かくならないようで、花便りも軒並み遅れぎみ。
それでもまあ、一歩一歩のろのろと春がやって来ているようで
我が家の荒れ庭にも明るいスポットが・・・

やっとサクランボの花が満開~♪









何て言う種類のサクランボなのか、よく知りません。
ソメイヨシノが開花する頃には、もうこの花は散っているはず。
写真を撮っていると、甘~い花の香りがほのかに漂ってきます。

ほとんど手入れもしないので、花は咲けど、ろくに収穫できた憶えが無い。

サクランボの種類、これじゃないことは確かなようで・・・


そうか!サクランボの手入れは
つまんだり、しゃぶったりすれば・・・チャウカナ?(^_^ゞ






他の花たちも冷たい春風にそよいでいました。







水仙、3種。




ミニ薔薇。







赤い椿に、白椿。化粧品は・・・








荒れ庭のスミッこにはスミレが春を告げに。ふきのとうはもう成長し過ぎ。


3月25日、日曜日の模様ですが、折角満開に咲いたサクランボの花。
ミツバチさん達の姿は1匹もなく・・・まだ寒いのかな?



仕方がないのでカッパちゃん達を・・・♪


・・・で、ここからは本日の様子、撮影分です。












ぶんぶんぶん♪やっと営業開始のようです。
つーか、労働時間帯があるようですね・・・ミツバチさん。








2012.3/27、庭にて。

久しぶりに・・・

2012-03-25 22:12:49 | 今日のボソッ
ふらっと行ったコンビニ(7・11)で何か飲み物をと、冷蔵庫を探索。
特にオマケ付きをね・・・(^_^ゞ

で、見つけたのが



UCCの缶コーヒー『THE DEEP BLACK無糖リキャップ缶400g』ってやつ。

1/42スケール ディスプレイ用リアルモデル「ヨシムラism」がオマケ♪



もう食玩集めは止めようと思っていたのに、ついつい衝動買いw

これ8種類あります。
ヨシムラKATANA1135R、KAWASAKI Z400FX、Honda CB750FOUR、Honda CB400FOUR、
SUZUKI GSX1300R HAYABUSA、SUZUKI GSX1100S KATANA、Honda CB750F、ヨシムラHAYABUSA X1。
揃える気はありませんけど、小さい(CB400Fで全長約5cm)のになかなか良く出来ています。





それよりコレは何だぁ~!



7i「お好み焼きパン」、何ともリアル。どう見てもお好み焼き・・・



匂いを嗅いでもお好み焼き、触感もふにゃふにゃとまるでお好み焼き。
食感も味もお好み焼き・・・つーか、美味しい♪
包んである皮(?)は、普通のパン生地じゃなくもちもちしていて、
中にはソース焼きそばがたっぷり詰まっています。
かつお節に青のり、お好み焼きソースの本格派?マヨやチーズの味もします。
想定外にアタリでした。

ビールに合うパンかも知れません、でも下戸の私、特にビールは苦手。
でも何か酒が欲しい気分。で、懐かしい顔を発見。アンクルトリス♪



「トリス ハイボール」
懐かしいやないの。ってCMがですが・・・


トリスおじさんも若かったね。


第十番札所 三室戸寺

2012-03-21 23:59:03 | 西国三十三所巡礼
西国三十三所観音霊場巡り、第十番札所は京都府宇治市の
『明星山 三室戸寺(みむろとじ)』です。
本山修験宗の別格本山、創建は宝亀元年(770年)と言われているから1242年前。
「花の寺」と言われ、5千坪の大庭園はツツジ、アジサイで有名です。


奈良大安寺から行表法師を迎えて住職とし、御室戸寺と名づけたが、このあと
お寺は光仁、花山、白河の三帝の離宮となったので、御の字を三に改め
三室戸寺と呼ぶようになったとのこと。






この程度の石段はもう驚かなくなりました。




石段を登りきった左側に手水舎。「不動水」とよばれる霊泉だそうです。
蓮型鉢から水が落ち(この日は枯れて?いた)下には不動明王が置かれています。







「本堂」文化11年(1814年)に再建されたもの。
重層入母屋造の重厚な建物で、秘仏の千手観音立像が安置されている。
※再建のきっかけは織田信長vs足利義昭の宇治槇島の戦いの際、足利側に
味方したため、のちに寺領を全て没収された時期(66年間)もあり、
堂宇が廃退し、三十有余年の歳月を費して再建、落成されたのが文化11年でした。




このお寺、伽藍はそれほど多くありません。がら~んとしているわけでも無いけど。


「宝蔵庫」重文の仏像が何体か収められている。「十八神社」(重文)



「阿弥陀堂」
寺伝によると、日野有範(親鸞の父親)の墓だと伝えられています。
親鸞の娘、覚信尼が祖父の有範の墓上に阿弥陀堂を建てて菩提を忌ったというものです。



「三重塔」
もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、
明治43年(1910年)に当寺が買い取って移設したものだそうです。



「鐘楼」
簡素な造りですが、参拝者が撞くこともできます。(要・志納)


このお寺、伽藍より目を引くものがあちこちに!
ナンジャコリャ!って・・・言っちゃいけないかな?(^_^ゞ


「狛蛇」(宇賀神)
このお寺には何度か行ってますが、これは今回初めて見るニューフェース♪
来年の巳年には人気が出るかも・・・?
「財運・金運の蛇神で、頭は老翁、体は蛇で蓮に乗る姿をとっています。
宇賀神を撫でると、財運(金運)・良運がつく」・・・ご利益満載。
確か、髭を撫でると健康長寿、そして尻尾を撫でると金運がつくとか。
ちょうど、うら若き女性が熱心に尻尾を擦ってました、ちょっとドキドキ。(^_^ゞ






「狛兎」
本堂前、向って左側に置かれています。この地域は遠い昔「菟道(うじ)」と
呼ばれていたこともあり、ウサギとは縁が深いのですが・・・



ウサギが抱えているボウリングのボールのような玉の中に卵型の石があり、
両手を中に入れ、卵を・・・それが立てば願いが通じると云われています。
もう少し難しいと達成感があるのですが、簡単に立てられます。(^_^ゞ
それにしてもどうして兎に卵なのか?確かに兎は1羽2羽って数えますが。



「狛牛」(宝勝牛)
三体の中では一番古くからあります。本堂前、向って右側。
これの謂れは「バカボンのパパが説明」してくれてます。



口の中には玉が入っていて・・・これが牛王(ごおう)でしょうか、
これを撫でると勝運がつくといわれています。
かつてうら若き女性の集団が「玉、タマッ!きゃはは♪」って騒いでました。



お腹に覗き窓があり、覗くと牛の木像が収められて・・・よく見えないけど。
本物の(?)牛王はこの木像の体内だそうです。




すぐ側には若乃花、貴乃花の手形と絵馬が・・・これのご利益で優勝したとかで。

丑、卯、己・・・次に行った時は何が増えていることやら。



「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」
撫で仏として親しまれています。病んでいる部位を撫でると除病の功徳があるとか。
顔ばかり相当撫でられたのかな?部位を表すお札もありましたが・・・





2012.3/11、三室戸寺にて。




○宗派:本山修験宗 ○開基:行表和尚
○御本尊:千手観世音菩薩 ○創建:宝亀元(770)年

御詠歌「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」

春の雨上がりに

2012-03-17 23:09:21 | in My お庭
春ですなぁ~♪
昨日は一日ぐずついた天気でしたが、雨も冷たさを感じませんでした。

で、雨が小休止の時にうかれて庭へ。
久しぶりに60mmマクロをちょいと着けて『SP AF60mm F/2 DiII LD [IF] MACRO』





サクランボの花ですが、今年はまだこんなにツボミが堅い。
去年の今ごろはもう満開、春爛漫って感じだったのに・・・『荒れ庭にも…』





ハクモクレンもまだ毛皮のコートを着たまま・・・

こんな気候のせいか、今年は虫や野鳥もとんと姿を見せません。
不気味なくらい・・・









紅梅が満開だというのに、メジロちゃんの姿は無し・・・
毎年、ツボミの頃から待ち遠しそうに来ていたのに。


これは牡丹咲きの椿です。アップにしたら何の花か分かりませんね。



2012.3/17、庭にて。
Nikon D7000+TAMRON SP AF60mm F/2 MACRO

斜め掛けのニクイ奴。

2012-03-17 22:50:34 | キャメラ
実はこれ、去年のクリスマスイブに届いた「自分サンタ」のプレゼント♪
今年の西国三十三所巡りなど、てくてく撮影に活躍しております。

『BLACK RAPID(ブラックラピッド)』
と、申します。略してブラピ。(^_^ゞ




要はストラップでございまする。
アイデア商品つーか、なんつーか、カメラをぶら下げてそのまま撮影体制が
とれる便利グッズ。



随分以前から気になっていたんですよね。欲しいって・・・。

でもストラップってカメラに付いているしね。それにコレ、決して安くは無い。
いっちゃん安いのでも7,000円ちょい切るくらいw
ただあの付いてくるストラップはどうも好きくない・・・
「Nikon」とか「CANON」とかね、どうもイケません。唯一「PENTAX」って
書いてあるストラップをじぃさんとかが提げていると、カッコイイなって。
私、個人的な偏見ですけどね・・・(^_^ゞ



このストラップをたすき掛け、カメラをぶら下げて歩くってのも大袈裟な感じで
カッコイイとも言えませんがね・・・

肩にあたる部分がこれだけぶっといと、肩の負担は随分楽ちん。
たすき掛けなんで、肩から外れて落とす心配はまず無いだろうしね。
それにガッツリ丈夫そう。





んで、肝心の構造ですが、カメラの三脚穴にロックネジを固定しておいて
スライド金具がついたカラビナ式ロックを嵌める。するってぇとスルスルと
ストラップのベルト部分をスライドしてくれるっちゅう単純明快な構造。
ベルト自体はレールみたいなもんでストラップは動かないから安定感あります。

なんでこんな簡単なことに気ぃつかへんかったんやろ。って感じ・・・
構造だけ考えれば自作できそうな気もしますが、製品レベルのものは
ちと難しいやろな。ましてや素材も考慮してオーダーすればアホほど
高くつきそうだしね・・・。



ろくに説明できてませんね。私は↓ここらの説明、評価で買う気になりました。
『オリエンタルホビー』
『デジカメWatch』


BUILT FOR SPEED - BlackRapid 2011



私のようにあちゃこちゃ、うろちょろする撮影スタイルにはとっても便利。
重宝しておりま♪ でも、何でも欠点はおます。コレの場合・・・
○三脚穴使ってしまうので、三脚や一脚使うためには外さんとあきまへんw
○このストラップ自体、ごっついので収納に場所を取ります。
 付けたままカメラバッグに入らへん・・・
○カメラの底に金具が付くので、カメラをまともに置けません。
 横に寝かすかなんかせんとね。
不便といえばこんなもんかな、もうひとつ・・・
コレ使い出すと、もう止められんようになります。(^_^ゞ




待ちきれず、花の寺。

2012-03-15 00:40:59 | 京都徘徊記
12、13日の寒の戻りも一段落したようで、やっと昨日は最高気温が
寒波が来る前の2ケタに戻ったようです。その寒波前の日曜日ですが
西国三十三所霊場巡りのため、宇治にある「三室戸寺」に行ってきました。





今年はしつこい寒さもあって、梅の花の開花も随分遅れていました。
ようやく五分咲きってところでしょうか・・・









ここは京都の花寺として親しまれているお寺のひとつですが
梅はそれほど多くありません。ウリにはしてないようです。

ここのウリは何と言っても


ツツジ、アジサイ、シャクナゲ。それに蓮の花です。
シャクナゲは以前、観に行ったことがあります。『春の三室戸寺』

今はまだ花寺というには、寂しいです。


咲き残りの山茶花(サザンカ)


まだ蕾が堅い石楠花(シャクナゲ)


「万両(マンリョウ)」
葉の上に実をつけてマンリョウより少し実が少ない「千両」も良く知られてます。
他に唐橘(カラタチバナ)の別名を「百両」、薮柑子(ヤブコウジ)を
「十両」と呼びます。ここまでくると・・・やはりあります「一両」が!
蟻通(アリドオシ)の別名です。想像通り、実は1ッコ。(^_^ゞ
お正月の縁起ものの生け花にマンリョウ、センリョウとこの蟻通=イチリョウを
生けるそうです。「千両、万両、有り通し」って縁起で・・・



ちょっと休憩、お水、お水・・・♪




やはりここの一番のウリはツツジかな、20,000本は見事でしょうね。


「馬酔木(アセビ)」これもツツジ科ですが。



「満作(マンサク)」
1月の終り頃から咲き始めます。春の花に先駆けて咲く>まず咲く>マンサク
ということで、名前が付けられたとか。


さて、今回の本命は・・・「侘助椿(ワビスケツバキ)」が咲いているというので。











ありました、満開。でも私のイメージするワビスケとは少し違うかな。

侘助椿の定義は、
○有楽椿(ウラクツバキ)別名「太郎冠者(タロウカジャ)」から生まれた
 ものであること(有楽椿の子、あるいは子孫)
○葯(やく)〔雄しべの先端の花粉を作る器官〕が退化して花粉を作らないこと
この両方を満たすものをワビスケと呼ぶのだそうです。

一般的な特徴としては、花が小さい、一重、猪口(ちょく)咲き、もしくは
ラッパ咲き。雄しべに花粉が無く不稔(種子を生じない)、香りが強い。
花の色は品種が多種あるので一概には言えないが、ピンクか白花が大半だと思う。

この木は質素なイメージの侘助椿にしては、ちと派手な感じでした。












2012.3/11、宇治 三室戸寺にて。

二、三、四・・・きゅう暦?

2012-03-12 20:02:53 | 洛外うろうろ
さて、西国三十三所 九番札所、興福寺 南円堂から東大寺へ回ったお蔭で
奈良再発見の観光は、充実した一日になりました。

最後はどうしても観たかった「二月堂」。
関西では「奈良のお水取りが終ると、春が来る」と言われて、
毎年、ニュースにも二月堂での「お松明」の儀式が映し出されます。
東大寺二月堂、聞きなれたところなのに、観るのは初めてでした。
そうそう3月12日、今晩がちょうど大松明、お水取りのクライマックスです。

二月堂に参る前に・・・


「四月堂」
正式には三昧堂(さんまいどう)ですが、毎年旧暦四月に法華三昧が行われるので
四月堂と呼ばれるようになりました。
※”三昧” というと、どっぷりつかっている、とか、好き放題、といったイメージが
ありますが、仏教では、精神状態が深まりきった状態を指すそうです。

その奥に屋根だけ見えているのが「開山堂」。



「三月堂」
東大寺建築のなかで最も古く、とても美しいお堂ですが
もとは正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接して建っていたものを
鎌倉時代に2棟をつなぎひとつにしたもので、国宝建造物です。
中に安置されている仏像なども国宝だらけ、
その内、有名な不空羂索観音立像と日光・月光両菩薩像は、今は
東大寺ミュージアムで展示されているとのこと。
ここも正式には「法華堂」ですが、旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われる
ようになり、三月堂と呼ばれるようになったそうです。

さてさて、いよいよ二月堂へ。





「手水舎(ちょうずや)」も立派です。























ここもまた本来は「観音堂」でしょうが、今や「二月堂」が正式名称?
ここのご本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる
2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏だそうです。
一説では修二会の本尊である小観音は今も人肌の温もりを持つとされていますが
誰も見たり触ったりできないので、確かめることが・・・

ここでの修二会(しゅにえ)は、「お水取り」とか「お松明(おたいまつ)」と
呼ばれ、前述のように関西では春の到来を告げる風物詩として広く知られてます。
旧暦の2月1日から14日(新暦では3月1日から14日)まで行われる法要行事で、
天平勝宝四年(752年)に始められた二月堂での修二会は「不退の行法」と称せられ、
今日に至るまで一度も途絶えることなく続いてきた、実に今年で1261回目です。




懸崖造りの二月堂、舞台というにはちと狭い回縁が三方にあり、修二会の期間中
連日「お松明」が登廊を上がり舞台、欄干で長さ6~8m重さ40kg、10本の松明を
振り回します。そして、12日の深夜には一段と大きな「籠松明(かごたいまつ)」
長さ8m、重さ70kg前後ある大松明が11本も登場、
年によっては2万人から3万人にも及ぶ善男善女が参集、その火の粉を浴び、
また「焼木」(燃えかす)を持ち帰り護符の代わりにするするのだとか・・・


そんな二月堂の横に「二月堂茶所」があったので覗いてみることに。







無料の休憩所でした。お茶をいただいたり、暖もとれます♪
お水取りで使用された松明などの展示もある資料室にもなっています。




登廊を降りて行くと


「閼伽井屋(あかいや)」
12日の夜(13日午前1時過ぎ)に、この中の井戸から御香水(閼伽水)を
汲む儀式が行われます。これがお水取りの本来の儀式ですね。
この井戸は「若狭井」と呼ばれ、その謂れはこういうことです→〔参照〕
今でも若狭小浜市の若狭神宮寺では今もこの井戸に水を送る「お水送り」の
行事が行われています。(3月2日)〔jimmy.さんのブログで〕
※閼伽(あか)とは梵語のアルガの音写で水のこと。英語のアクアと同じ語源だそうです。


2月12日でしたがもうお松明の準備が始まっていたようです。


さて、帰りは二月堂裏参道の石畳を降りて行きます。






なんとも古都奈良の息吹きが感じられます。五木寛之さんお奨めの小径だそうです。




2012.2/12、東大寺二月堂にて。


追記、本日の午前中・・・京都市内でも牡丹雪が舞いました。
お水取り、大松明の日だというのに・・・(^_^ゞ

東大寺、あちゃこちゃ。

2012-03-06 23:32:34 | 洛外うろうろ
まだ奈良なんです。どっぷりと奈良づけ状態・・・(^_^ゞ

大仏殿に入らなかった分、周りをゆっくり見て回れました。
それでも春日大社や正倉院までは足を伸ばせず・・・なんぼ見どころあるねん!
※正倉院は現在、整備工事のため外構公開してません。もちろん中は見られません。


「俊乗堂」
国宝「重源上人坐像」が安置されている。俊乗房重源は、平氏による南都焼討ちで
焼け落ちた東大寺の復興再建を成し遂げた人物。







「鐘楼」
これまたデッカイ。日本三名鐘のひとつと言われています。
「姿(形)の平等院」「音の三井寺(園城寺)」そして「勢の東大寺」。
ですが、東大寺の代わりに「銘の神護寺」を三名鐘とすることもあります。
ただ神護寺は撞かないので・・・

東大寺での除夜の鐘は「ゆく年くる年」の定番ですね。
今年は厳かな除夜の鐘の映像、東大寺の場面で僧侶が鐘を撞き損ねて
スッテンコロリン・・・って映像が流れました。(^_^ゞ
毎年一般の方、800人余りがここで除夜の鐘を撞くことができます。
(1時間前くらいから整理券を配り、8人一組で1回撞きます)



「念仏堂」
俊乗堂、鐘楼そしてこの念仏堂は「鐘楼の丘」と呼ばれるエリアに建っています。


歩き疲れたので、この鐘楼の丘の茶店で一服・・・






外では国の天然記念物がのんびり?それともスタンバイ中?






ま、こんなものをいただきましたが・・・
後でお店のことをググったら、夏限定なのかな「鹿のふんころソフト」って
メニューもありました。シマッタ!



見落としたのかなぁ?

お店の前には「鹿せんべい」の販売スタンドが置かれていたので、ひとつ。
これ、奈良の鹿愛護会が製造販売しているもので、同会の登録商標となっており
売上金は同会の活動資金になっている。もし行かれたら、ぜひどうぞ。

★ただぁ~し!ご用心召されよ、餌をやるにも掟が・・・

だいたい6、7枚かな束ねて薄紙を十字に貼り束ねてある
(公式のものは紙に鹿愛護会の印刷がされてます)紙ごと食べさせても大丈夫。
お店の方いわく、せんべいをクリッとひねればすぐに紙が破れて外せる。
そして鹿が届かない高さに掲げて見せると、お辞儀をするので、
お辞儀をしたら1枚づつやってね。と・・・


うはーーっ!
そんな余裕ありましぇ~ん。今までゆたぁ~っとししていた鹿たち、
せんべいを買ったと見るやいなや、一斉に集まってきます。
ぐずぐずしていたら、頭突きしてくるは、前脚をかけてくるは・・・
揚げ句、服を噛まれたり・・・散々。(^_^ゞ


この鐘楼の丘からもう少し高台に上がって行きます。


ボーッと突っ立ってる子が、迷子かな? 実家は遠そうだな・・・








「手向山八幡宮」大仏造営の際、宇佐八幡宮から勧請してお祀りした
東大寺の鎮守八幡宮です。
小倉百人一首にも出てきますね。
「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」
菅原道真が詠んだものです。(古今和歌集)


「菅公腰掛石」
菅公って菅原道真公のことですよ、
先生のことを先公って呼ぶのとは意味が違うと思うけど・・・



「校倉(あぜくら)」
校倉造りで有名なのは、東大寺の北東に隣接している正倉院ですかね。
ここにも2棟の校倉があります。南側が「手向山八幡神輿庫」で、
北側が「法華堂経庫」。


「御髪塔」
これは大仏殿の再建で使用された黒髪のロープを埋めた供養塔。



「神楽所」
相当古そうというか、朽ちかけてる感じ。大丈夫かな・・・
壁画は頼光の鬼退治の絵、だそうです。


のたのた歩き回っていると、お土産物屋さん見っけ♪



デフレの波がこんなところにも?
う~ん、面白そうだけど、買って帰るものは無かった。(^_^ゞ

いざ二月堂へ!だが、これはまた次回(最終回)に。

二月堂からの帰り道にちらっと見えた若草山(三笠山)。
ここも百人一首に出てきます。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
安倍仲麻呂(古今集)



2012.2/12、東大寺にて。

ぶらり東大寺。

2012-03-06 16:39:51 | 洛外うろうろ
東大寺には子供の頃、何度か来た記憶がある。学校の遠足や家族とも来たはずだ。
しかし当時の写真やビデオが残っている訳でもなく、甦る記憶は微かなものです。
大仏さん見たな、柱の穴をくぐった憶えが・・・程度かな。(^_^ゞ


さすがに東大寺、特別な日でも無いのに門前参道の賑わいは結構なものだった。






しかも、人だけじゃなく、シカも・・・



しかし、シカのお土産は昔とは随分変わってきている?
ところでまだ「奈良の大仏商法」って言葉は生きているのかな・・・






ここの鹿、天然記念物として保護されてはいるが、飼い馴らされたものじゃなく
あくまで野生。なのに感心するのは、目の前に販売中の鹿せんべいがあっても
決して手を(口を)出さない。観光客に首を上下に振ってまるで
お辞儀をするようにおねだりする。さすが日本鹿?




『華厳宗大本山 東大寺』興福寺や薬師寺、唐招提寺などとともに世界文化遺産であり
本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
とにかく建物も仏像も国宝、重文のオンパレード!
聖武天皇の発願により創建され、そのはじまりは神亀5年(728)に建てられた
金鍾山寺(きんしょうさんじ)にまで遡ることができるという。
初代別当は良弁。行基、菩提僊那(インドから招かれた僧)らにより
大仏の鋳造が始まった頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったとか。



「南大門」
現在の門は、鎌倉時代の1203年に再建されたもの。



でかいです。門の高さは基壇上25.46m、日本最大の山門。



「金剛力士像」左側の阿形(あぎょう、口を開いた像)
これまたデカッ!教科書の表紙になっていたような・・・
この阿形像は運慶・快慶らの作。8.36m木像。


「金剛力士像」右側にある吽形(うんぎょう、口を閉じた像)
一般的な仁王像の配置とは逆になってます。しかも向かい合って立っているのは
ここだけだとか。こちらの吽形像は定覚・湛慶らの作とわかった。8.38m木像。
実は僕らは「阿形像は快慶、吽形像は運慶」と覚えたのだが、1988年から
5年間にわたり解体修理を実施した際、像内から多数の納入品や墨書が
発見され、従前の通説が覆されることに。
いずれにしろこの迫力には圧倒されます。



屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及ぶといいます。
大仏さんといい、我が国最大級がひしめいている寺ですね。



「鏡池」水面に映る大仏殿が・・・あ、そんな撮影ポイントに気がつかなかったw



「中門」
ここも焼失、再建を繰り返し、現存のものは享保元年(1716年)ごろの再建。






元来、大仏殿に入るのはこの門を通ってなのでしょうが、今は柵で塞がれています。
左右にある回廊の向って右側に入館料を払って入り、左側に出口があります。
確か、元日の午前0時より朝八時までこの門を開扉。大仏殿を一般開放、
無料で参拝できるとか(元日のみ)

南大門は金剛力士像(仁王像)がある仁王門ですが、こちらは左右に
二天像が安置されている二天門です。


「持国天」像。向って左側ですが
ここも二つの像は向かい合っています。


「兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)」像、右側。
足元にチラッと見える頭は「地天(ぢてん)」で、この両手に乗っています。
・・・ちゃんと写真撮れって?これでも寝転がるようにして柵の間から撮りました。
やっぱ、バリアングル液晶モニターが必要。



「金堂(大仏殿)」
当初の大仏及び大仏殿は、8世紀に造られたものですが、中門と同じく
2度の兵火で焼け落ち、鎌倉と江戸時代に再建された。
現存する大仏殿は江戸時代の再建だが、柱とする材が調達できず、
芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。
そのため、創建時には11間(86m)あったが7間(57m)となった。
現在でも世界最大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。

大仏も台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、
体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作だそうです。





実はここまで来て、大仏殿には参らず。中門の柵越しに写真を撮りました。
どうせ入っても撮影禁止だろうと思っていたら、撮影可でした。(^_^ゞ
(但し、三脚は禁止)




大仏殿の前の八角灯籠も見えてます。その先に大仏さんのお顔も・・・
う~ん、見えへん(悲)


そうそう大仏殿の東側の空き地に変なものが・・・

これ高さ23.3mもあるそうです。
大仏殿が出来た当初はその東西(左右)に97mの七重の塔が建っていたそうで
これはその屋根の上に付ける相輪(復元模造)
これひとつとってもクレーンも無い時代、大変な建築をしたものですね。




2012.2/12、東大寺にて。

奈良ならでは?

2012-03-02 21:23:15 | 洛外うろうろ
猿沢池から少し南下、予定外だけれど「ならまち」の北部、商店街を
ちょろっと歩いてみました。

上の写真は「率川(いさがわ)」。橋の上からは石の地藏さんを乗せた船形の島が見えます。
このお地藏さん達、護岸工事の際、今まで祀られていたものをここに集めたらしい。
川といっても・・・だが、
「羽根かずら 今する妹(いも)を うら若み いざ率川の 音の清(さや)けさ」
と、万葉集にも詠まれている。
今ではこの川、この先で暗渠になって、奈良市街では土管の中を流れているとか。




今御門町の商店街、かなり鄙びて?おります。
この道「上街道(上ツ道)」は、かつて奈良盆地を南北に走る街道で猿沢池が起点。
京都の公家達の長谷寺詣や町衆の伊勢参りで賑わったのでしょうが・・・



「道祖神社(猿田彦神社)」御祭神は猿田彦命と天宇受売命のご夫妻。
賽ノ神が祀られているとかでギャンブラーに人気?ここの道祖神さん、
サイコロ賭博でスッテンテン、身ぐるみ剥がされたって話なのに・・・(^_^ゞ




「ならまち」探訪と行きたいところですが、そこそこ広範囲。見どころは
南部に集中しているようですが、今回はUターンして奈良公園に戻ります。



ん?河童のお面、発見♪





何だか最近見かけない楽しげなモノが詰まったお店ですね・・・♪


奈良といえば・・・ねこぉ??







猫だらけの一角に遭遇。



これはまた、ゴージャスな招き猫・・・ええ仕事しそうやね。


懐かし気なアーケード街も






途中に春日大社「大宿所(おおしゅくしょ)」があります。
二本柱に注連縄、鳥居の原型かな?



「下御門(しもみかど)」「餅飯殿(もちいどの)」アーケード街の名前が
奈良っぽいです。

ここを抜けるとまた三条通、奈良公園へ向いました。


これは知らなかった、ある意味、奈良らしくないルネッサンス様式の建物。







『奈良国立博物館』
この建物は旧帝国奈良博物館〔重文〕で、明治中期に帝国博物館(現東京国立博物館)、
帝国京都博物館(現京都国立博物館)とともに建てられたもの。
設計は片山東熊(とうくま)で、京都国立博物館と同じ設計者です。
京都と比べると規模的にも見劣りしますが、フレンチルネッサンスの装飾など
なかなか素敵な建物である。なにより奈良公園の中で違和感をもろともせず
忽然と建っているというのが素晴らしい♪ 
ただ、残念なのが修復の際、強度の問題なのか窓や扉がコンクリートで
塗り固められていたり・・・無造作すぎるw


奈良公園といえば、やはり鹿ですね。このシカ達、国の天然記念物です。
春日大社の神使(しんし)として保護され、今は1200頭ほどいるそうです。
間違ってもいじめたらあきまへん。昔に誤って鹿を殺めてしまった子供を
その鹿の遺骸といっしょに生き埋めにした。なんて話も・・・

手前の鹿の写真を撮っていると偶然(何で連写なん?)こんなシカちゃんが
写ってました・・・向こうの鹿ね。





セクハラ? なんだかデートの演出にひと役かっているようにも。(^_^ゞ




ありゃ、シカも仲間かと間違えますよ・・・




シカジュース?かと思ったら、鹿保護のための募金でした。何も出てきませんw





2012.2/12、奈良公園にて。