カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

西国三十三所巡礼 第三十二番札所 繖山 観音正寺

2013-08-31 15:58:02 | 西国三十三所巡礼
繖山 観音正寺(きぬがさやま かんのんしょうじ)に行ったのは
猛暑真っ只中の今月15日、京都では38度越え連発の日々だったかな・・・

このお寺、標高432.9mの繖山(きぬがさやま)の山中にあるので少しは涼しいかなと
期待したのですが、何とここ、西国三十三所でも一、二と言われる難所だとか。
表参道ならず表山道、石段が1400段とも・・・長命寺の808段でも驚いたのに
それを軽く上回る。
・・・但し、長命寺同様、こちらも中腹までクルマで行けます♪



入山料や拝観料は要らないのですが、クルマ用の林道には通行料が必要。
麓の小屋で500円払うと、昔の遮断機みたいなゲートを上げてくれます。
くねくね狭い舗装路を登ると10台ほど停められるかなって駐車場。



駐車場から下を見ると、先が見えない険しい石段の山道。

上を見たら・・・まだまだあるやん!この先、登ること300段?400段?。






石段と言っても整備されたものではありません。自然石ゴロゴロって感じ。

それだけではありません、周りが竹薮ってところがあり、ヤブ蚊がワ~~ッて!



ショートカットしたはずの駐車場からの登り、想像以上にかなりなものでした。
手すりに付けられた木札に書かれた格言を読みながら…少しは気が紛れます。





書かれた数字でカウントダウン、ちょうど登り切ると「一」が読めます。


ヤブ蚊に餌を与えながら、汗だくで登りつくと、山門(仁王門)は無く、



二体の仁王様が露天でお寺を守ってます。





仁王様用の鉄下駄? カッパちゃんには合いません・・・w


観音正寺の歴史は1400年以上前に遡るかなり古いものです。
鎌倉時代から室町時代にかけては、佐々木六角氏の庇護の下、三十三もの塔頭を
擁するまでの大寺に発展したのですが、その佐々木氏が応仁の乱の頃、ここに
居城である観音寺城を築いたことで、堂宇は山麓に移転。戦火に巻き込まれ
やがて織田信長によって観音寺城も落城。寺も焼討ち?
江戸時代に現在の地に移転し、明治15年(1882)に彦根城の槻(けやき)御殿
という建物を移築して本堂としていましたが、平成5年(1993)の原因不明の
出火によりその本堂も全焼。
現在の本堂は平成16年(2004)に再建、落慶されたもので新しいです。

境内も狭く、仁王像から本堂まで100mほどかな。その間に小さな堂宇が
並んでいる程度です。


「鐘楼」
仁王像の手前にあります。ここでもまたひと撞き・・・(^_^ゞ


右手の仁王像の先には池があり


「弁天堂」?



池の前や奥には小さな祠がいくつかありました。

あった~!

休憩所?
建物内は冷房は入ってませんが、自動販売機が!実はクルマから持って出た
小さなペットボトルの水はもうほとんど飲み尽くし、しかもぬるま湯みたい。
ここで冷え冷えのスポーツドリンクを補給。持って歩くことに・・・








「聖徳太子像」
あまりの暑さで、唇が乾いているように見えるけど・・・

このお寺の開基は31番札所「長命寺」に続いて聖徳太子です。
西国三十三所では、18番「頂法寺(六角堂)」、24番「中山寺」も同じです。

例によって伝承によれば、605年にこの地を訪れた聖徳太子が琵琶湖のほとりで
人魚と出逢い、「前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚にされて
しまい苦しんでいる。どうかこの苦しみから解放して下さい」と頼まれました。
聖徳太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音菩薩像を刻み、後に堂が建立され
その像を祀ったのが寺の創始とされています。
寺にはその「人魚のミイラ」と称するものが保存されていたそうですが、
平成5年の火災の際、焼失しました。ザンネン!
・・・何か写真で見た気もするけど、あれは河童のミイラだったかな?(^_^ゞ



「手水舎」
ここのお水は飲めます。冷たくて美味しい水でした、ついでにタオルを浸して
ドボドボのまま首に巻いておくことに。すぐに乾いてしまいますが・・・

「白蛇大明神」

「子授け地蔵尊」「子育て地蔵尊」


「北向地蔵尊」
ちょっとアートな祠、木樽?藁葺き屋根も面白い。
中には小さなお地藏さんが祀られています。一願地蔵で「声に出すことなく
微音にて7へん真言を称えるべし」とあります。大声で怒鳴ってはいけません。
願い事はひとつだけ、さすれば必ず解脱の方法を表し抜苦与楽を与えてくれる
そうです。必ず願いを叶えると書かないところがイイですね。?

余談ですが、子供の頃、童話などで「ひとつだけ願いを叶えましょう」と
言われた時、僕なら「何度でも願いを叶えて下さい」それが願いです。
って言おうと考えてましたが・・・(^_^ゞ



「濡佛(ぬれぶつ)」
釈迦如来坐像ですね、江戸時代から置かれていたものは太平洋戦争の際、
供出され、今のものは昭和58年(1983)に再建されたものです。



大仏さんの下には可愛いお坊さんが・・・キノコではありません。



「護摩堂」修験根本道場



中にはご本尊のミニチュアモデル?
矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子を従えた不動明王像、
隅には役行者の像も祀られていました。



「太子堂」
堂内には元三大師も祀られています。「おみくじ」を発案された僧ですね。


さて本堂ですが、右手の石積みが気になりますね。





2004年に再建された、まだ真新しいお堂です。


「抱きつき柱」
『本堂内撮影禁止』でしたが、お寺の方に訊ねてみると、内陣ご本尊の撮影は
困るけれど、それ以外だったらどうぞご自由に・・・ってことでした。
ご本尊はどうして駄目なのかとの質問には、ただの像ではなく開眼法要により
魂を入れてたものだから、宗教的にも他の参拝者にも失礼だと言うことでした。

この「抱きつき柱」は、台風で倒れたヒノキですが、節がちょうど33ヶ所
あったので、何かの縁と本堂再建の際に使用されたのだそうです。
これに抱きついて祈れば、三十三所分の功徳があるのだとか・・・
抱きついている人は見かけませんでしたが。(^_^ゞ

ご本尊は、それまでのものが平成5年の火事で焼けてしまい、新たに造立する
にあたり住職が二十数回インドに赴き、禁輸対象品である白檀の原木をなんと
23トンもインド政府から特例処置を受けて輸入。
その貴重な白檀で「千手千眼観世音菩薩坐像」を造り上げたのは、京仏師の
第一人者?松本明慶大仏師だそうです。
新たなご本尊は3.56m(光背を含めた総高は6.3m)の総白檀造り、
平成16年5月22日、本堂の落慶法要と同時に本尊の開眼法要も行われました。
写真は撮れませんが、拝観することはできます。
内陣に入り直ぐ前で拝観、お身拭いなどすることもできるようです。(別料要)


結構なスケールで、気になる石積みを見てみます。



所々の岩の上に観音像など仏像が置かれており、前は蓮池になっています。


「えんむすび地蔵尊」
悪縁を絶ち、良縁を結んで頂けるお地蔵様だそうです。

おっ!人魚のミイラ?

・・・ちゃうな。(^_^ゞ










壮観ですが、石積み自体には宗教的な意味は無いそうで、土木的な意味で
山崩れを防ぐためのものだそうです。
上からロープを垂らしてあったので、登ってみようかとも思いましたが
専門家じゃないと無理っぽいので自重しました。



「魚濫観音」
ちょっと珍しい?観音様ですが、水かけ観音とされていました。
乾き切っていたのでお水を掛けたら、クッキリとお姿が。
ここの水は、本堂建設の基礎工事の際、湧き出たという細菌ゼロ、水温14度の
水だそうです。







境内からの眺めはよく、三上山(近江富士)まで見えるとのことですが、
この日は湿度が高く、空気が澱んでいて・・・w


さて、「濡佛」像の脇から山道に入ると、観音寺城、繖山三角点に行けます。



観音寺城のことはよく知らなかったのですが、日本百名城の一つになっており
こりゃ行くしかないと・・・最初は歩きやすい山道だったのですが



しだいに険しくなり、石段道というより崩落跡?それより何より大群のヤブ蚊の
襲撃に遭い、あえなく敗退・・・途中から逃げるように戻りました。

汗だくでまた自動販売機のある休憩所へ、そこにはなんと観音寺城のスタンプが。



ま、途中撤退したとは言え、行こうとしたのだから日本百名城のスタンプ帳には
スタンプをゲット!・・・逆さまで二重捺しになってしまった。(^_^ゞ

奥の院もあったのですが、あまりもの暑さと、奥の院に行く途中にはこれまた
ロープを頼りに登らないといけないような険しい場所もあるとか・・・
即座に断念いたしました。8月15日、時期が悪かったかも。




○宗派:天台宗(単立寺院) ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手千眼観世音菩薩 ○創建:推古天皇13(605)年

御詠歌「あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを」




2013.8/15、観音正寺 蓮池にて。(SX50SH)

草レース、メモリー。

2013-08-24 00:38:29 | フラッシュバック
古い写真とは別に、がらくた箱に放り込まれていたトロフィー、
マジに残していた訳じゃないので、一部ですが出てきました。
もちろん何の格式も無い草レースでのトロフィーですが・・・(^_^ゞ

1980年代(私、27歳~37歳)は、バイク好きがこうじてモトクロスを。
といっても、あくまでお遊びレベルですが・・・
モトクロスって何じゃ?って方も居られるでしょうし、「あぁ、崖を登ったり
岩を乗り越えたり」って、よく言われますが、あれはトライアル。
最近では「空中で回ったり、手を放したり」・・・あれも違う競技ですw

モトクロスとはモーターサイクルクロスカントリーってことなんでしょうが、
MXと略すのは世界的に通用するようです。
専用競技車(モトクロッサー)で、不整地のクローズドサーキットでよーいドン、
競走する競技です。10分+2周、40分+2周とかのレースで、一斉にスタート、
ゴールする早さで順位が決まります。要するに早い者勝ち、単純なスポーツです。
よく混同されがちなトライアルとは使うバイクも違うし、こちらは速さじゃなく
技量を競う競技。設定されたコース(セクション)を、いかにバイクに
乗ったまま走り切るかを競います。セクションは10~15用意され、
周回するものではありません。順位は減点方式、足を1回地面につけると
1点減点、と行った具合に各セクションをトライしていきます。
一度も足をつくことなくセクションを走り抜ければ、減点0でクリアー。
減点数が少ない方が勝ちとなり順位が決まる試合です。
モトクロスとトライアルは、サッカーとゴルフくらい違う競技なんです。
競技の難易度ではトライアルはピカイチ?ロードレースなどはツーリング
ペースであれば誰でもサーキットを走れるし、モトクロスもフラットな
部分なら慣れれば誰でも走れますが、トライアルのセクションは、バイクに
乗れる程度ではまず走れないもんね。(^_^ゞ

モトクロスの魅力、ひと言では表せません。オフロード走行もやってみないと
分りませんが、バランスが必要な二輪で不整地を駆けるのですから楽しい。
そんなところで、よーいドンだから面白くってしかたない。(^_^ゞ
真冬でも汗だくになる、夏はもう地獄ですが・・・。オールシーズン、しかも
全天候。雪が降ろうが土砂降りの雨でも余程のことが無い限り中止は無い。
ワイルドなスポーツです。他のスポーツもそうですが、初心者と上級者の
差は大きいながら、同じレベルの者同士で競い合う楽しみも。

公式戦(MFJ公認レース)に出るにはMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)
発行のライセンスが必要で、この当時はA級・B級・ジュニア・ノービス
というクラス分けがされていました。最初はノービスクラスで、MFJの会員に
なって申請すれば発行してもらえます。
地方選手権などに出場し、規定の入賞ポイントを得れば、ジュニアに昇格。
頂点のA級を目指していくってことになります。
※現在のクラス分けはIA(国際A級)を頂点にIB(国際B級)、
NA(国内A級)、NB(国内B級)です。
その他に年齢・性別で、キッズ・ジュニア・レディースクラスがあります。




私の場合、本格的にやるつもりはなく、公式戦なんて考えてなかったのですが
何事も経験、1年間だけライセンス(ノービスクラス)を取って、唯一、参戦
した時の写真↑だと思われます。まだ始めて2年目くらいの頃だったかな
ゼッケン86、結果は・・・後ろから数えたら入賞?(^_^ゞ

これはクラブの練習場でのスタート風景。


モトクロスの場合、スタートは横一線に並びます(競馬と一緒)。多い時には
30台、それ以上の場合は後ろにもう1列、2列ってこともあります。
そこから、狭く絞られた第1コーナーに向かって一斉にフル加速で突っ込んで
行くのは、他のモータースポーツでは見られない醍醐味でもあります。
当時はスターティングマシンも普及していないので、ヘッドタッチスタート。
エンジンを掛けた状態で、左手をヘルメットに添えて待ち、フラッグが
降り降ろされると同時にクラッチレバーを握りギアを入れて発進するという
もので、ちょっとしたコツが必要でした。


左の髭にもじゃもじゃ頭の人物は、クラブの会長さん。風貌とともに性格も
かなり個性的、誤解もされやすい人でしたが、イイ人でした。すでに故人。


このモトクロス場は、宇治の養鶏場団地の一角を借りたもので、私の所属した
チーム ファントム(YAMAHA)と京都ボブキャット(KAWASAKI)が共同で管理、
当時は朝、まずクラブ員でスコップ、ツルハシでコース整備でした。
後にこのコースは大々的に整備され、地方選手権も開催されたこともある
「チキンランド」というMXコースに発展したのですが、それも今年一杯で
閉鎖されるらしい・・・

このコースで当時、クラブ主宰のローカルレースが開催されていました。
草レースなのでライセンス不要、クラス分けも独断でAクラスは公式戦に
出ているような上級者(といってもノービスだったりしますが)、Bクラスは
そのノービスでも通用しないヘタレ。それにもついて行けない初心者は
Cクラスが用意されていました。これだけ分けてくれると、速く走れない
ライダーでも同じレベル同士でレースの醍醐味が味わえて楽しかったです。
このクラス分けでシリーズ戦として年間チャンピオンを決定するというもの。
レベルが違う、速過ぎると判断されるとシーズン途中でも昇格。その判断は
クラブ会長の胸三寸・・・



超草レースなのに「京都スーパークロス」は厳ついですが・・・
私はBクラス、トロフィーが残っているのはこれだけですが、頭(1位)を
取ったこともあり、84年 年間チャンプを獲得♪ それでも昇格せず
確か次の年も年間ポイント1位で、チャンプ・・・会長の温情で?(^_^ゞ

私が体験したモトクロッサーでのレースは、ほとんどこのホームサーキットで
このシリーズ戦くらいなもの。タイヤやウェアなど賞品で潤ってました。

80年代後半は、市販車(一般公道を走れるトレール車)でのレースに
YAMAHA DT200R(37F)で参戦することも多くなりました。
市販車レースですから、ライダーのレベルもちょうどBクラス程度。
MXの公式戦に出ているようなライダーはまず来ません。(^_-)v



エンデューロ(耐久)レースもあって、タッグを組んで参加するのも
楽しいものでした。当時はMXコースを使って1時間、2時間程度が
主流だったと思いますが、一人で走り切るにはちとキツイもんね。
そのくせ同日のスプリントレースにも参戦、スプリントレースは
10分+2周を2回、ヒート1とヒート2を戦って総合順位が決まります。




先日、見られなくなったベーターのビデオテープをキタムラでDVD化して
もらったところ、この時↑のレースの模様が入っていましたのでYouTubeに。

出演 出場者〕

ゼッケン1番、ヨッシー君。赤シートのDT200R 赤ヘル・赤パン。当時30歳。
「ぽ集」にも何度かコペンで参加。

ゼッケン2番、あさしん君。青シートのDT200R 青ヘル・青パン。当時30歳。
「ぽ集」にはメルセSLK280やホンダTypeRなどで参加経験あり。

ゼッケン5番、1京都さん。125クラスでは黄色のバイクで、Sヒート2では
青シートDT200R、あさしん君の代走。エンデューロは私とタッグを組み・・・
白ヘル・青パン。当時39歳。
「ぽ集」ではお馴染の常連さん、いつも乗って来るバイクが違います。

ゼッケン3番は、わたくし。青シートDT200R 白ヘル(赤のストロボライン)
赤白パンツでヒート1は、赤袖のジャージー、ヒート2は白袖。当時34歳。

撮影はあさしん君の奥様、もう片手で撮れるようになった8mmビデオです。
それをベーターテープにダビングした映像が26年ぶりに・・・
画質が悪くて見難いですが、それもまた希少資料ってことで。(^_^ゞ

スプリント 125以上クラス ヒート1


スプリント 125以上クラス ヒート2



どうでもいいけど優勝は?・・・ありました!出てきましたよ証拠が
カワサキ中日本支部主催のエンデューロ、KAZE京都大会。
2時間エンデューロレースで、あさしん君とタッグを組んで優勝♪



この日は発売したばっかりのKDX125SR、KDX200SRの試乗会も兼ねており、
その試乗車もエントリー、完全優勝を目論んで上級ライダーで参戦。
ダントツに速かったのですが・・・
慣らしが済んでいないエンジンを回し過ぎたのか、あえなく全滅、リタイア。
勝負にならんわ!と淡々と走り切った我々に予想もしなかった優勝が
転がり込んだという顛末。
何はともあれ、第1回のKAZE京都大会で、金字塔?\(^◇^)/


そんなこんなで楽しい想い出が甦りました。こんなトロフィーは捨てようと
思ってましたが、またガラクタ箱に放り込んでおきましょう・・・



ありついたのは・・・

2013-08-19 18:00:36 | ランチ/カフェ
とりあえず帰路でどこかあればと・・・
そうそう道の駅『あいとうマーガレットステーション』がありました。
ここは何度も行っているので、何かしら食べ物にはありつけます。

そう言えば、2007年には「ぽか~んの集い」も・・・もう6年も前になるのか。


車椅子で参加の方もおられました。NR-A改!ハンディがおありなのに
ロードスター、マニュアルミッション?驚きましたが嬉しかったな♪




暑いからあまり人の気配が無い?

私らは早速「レストラン マーガレット」に入ります。
冷房が効いているので、思い切って・・・



私は熱っい 近江牛うどんセット(1100円)を。
 滋賀県産小麦「ふくさやか」を100%使った近江うどんに滋賀名物「近江牛」
 をのせました。地元産ネギ・玉子もついた滋賀の味を召し上がれ!
・・・だそうです。山菜ご飯も付いています。
お腹空いていたので美味しくいただきましたが、お肉は細切れ過ぎ?



見た目がどうも・・・
甲賀流 忍者うどんセット(900円)こちらも山菜ご飯付き。
 甲賀産「紫黒米」を使用した忍者のような黒いうどん。のどごしがよく、
 ビタミン・ポリフェノール・食物繊維たっぷりです。・・・だそうです。
意外と美味しいです。見た目を気にしなけりゃね。(^_^ゞ


ここへ来たら、いつものように『ラプティ』へ。



池田牧場で食べ損ねたジェラートを♪ 値段はここの方がうんと安いかも。

 地元の乳牛から搾った搾りたての牛乳と四季折々の地元の果物や野菜などを
 ふんだんに使用しておりますので、とてもヘルシーで、また低カロリーな
 ジェラートです。
・・・だそうで、いつも行列ができてます。あそこよりうんとマシですが。



冷房の効いた室内で食べれば良いものを、お外のベンチに持ち出しました。
外は灼熱、あれよあれよと見てる間に、いや撮ってる間に融け出します・・・

ここのジェラートは種類が多い(季節により違います)のも魅力。
今まで色んなものを食べてみました。ひまわり味とか柿味とか・・・
面白い味をいくつか、たけのこ・レタス・なすび・ビール・干し柿・おもち
などなど・・・食べてみたくなるでしょ♪ (^_^ゞ

スイカまつり、とかで農家の方が直売されてました。



時間的に売れ残りっぽかったですが、無類のスイカ好きの家内が見逃すはずもなく
見事に鬆(す)が入ってますが、甘くて美味しかったです。


帰り道に「和た与」の本店に寄って、





近江八幡名物の、元祖でっち羊羹。うゐろ餅も買って帰ります。

でっち羊羹は、いつもお世話になっているお向いさんに・・・すると!



高級うなぎ店のお持ち帰り蒲焼きに、化けました!(^_^ゞ
まるでわらしべ長者、長命寺の観音様のご利益でしょうか・・・
  京都では気軽に手土産渡すと、よくこういうことになりますw

うゐろ餅は自分チでいただきました。こんな美味しいういろうは初めてかも♪



2013.8/6。

当て外れ。

2013-08-17 15:11:25 | ランチ/カフェ
長命寺に出掛けたのも、いつものことで家を出たのが11時前。近いとはいえ
途中、渋滞もあったので1時間以上かかりました。
お参りを済ませた頃はもうとっくにランチタイムを過ぎた時間・・・
長命寺近くの「シャーレ水ヶ浜」で近江牛バター焼き(akiraのランチさん)ってのが
頭をよぎっていたのですが、テラスでは暑そうだし、混んでいそうなので
ちょいと気になっていた『池田牧場』へ。永源寺までひとっ走り・・・

電話番号、メモっていたのでナビに打ち込んで。1時間以上かかるやん!
それでもまぁ、行ってみようかと。
ところが、ナビの案内で到着したところは・・・何だか様子が違う。
駐車場もあるし、ヤギなんかの姿も見るのだが人の気配が無い。お店も無い。
そこの看板を見ると、ナビ検索の場合はこの電話番号でって書いてあるw
後で見たHPにも書いてあった。私はグルメサイトで調べただけだったので
電話番号が違ったみたい。前を走っていたクルマも同じ目にあったよう。(^_^ゞ



そんなこんなで、やっと辿り着いたのが、3時5分。
広い駐車場も満車状態、人がいっぱい!こんなに混み合ってるとは想定外でした。

お昼の目的はここ、古民家でいただく山里の味『香想庵』



お目当てのメニューは『大皿料理 鹿コース』。だったのですが・・・
営業時間が3時まで。知らんかった、5分過ぎてる(涙)


ならば、池田牧場を有名にしている一番人気、『香想』のジェラートを!



暑い中、えらい並んでる。こんな辺鄙なところまでジェラート食べに?
ま、この列の後ろなら並んでもヨカッタかな・・・?(^_^ゞ



木槿(むくげ)〈アオイ科〉

結局、並ぶのも嫌やし。折角来たものの何も食べず・・・



アヒルのガーコとガータロウ、暑いのでお昼寝中?それにしてもベタな名前やな。
石を投げるやつもおるんや・・・

羊かな、ふうちゃん、みいちゃん。姿見られず・・・
ひいちゃんも居たんやろか、これまた名前がいい加減なw眠たくなるやんか。




子供たちに人気? 可愛くも無いと思うけど・・・



シドニーへはアッチへ7935km、ロンドンはコッチへ9500km・・・何か意味ある?


今日の記事、読んだ方も当て外れやろなぁ。(^_^ゞスンマヘン


禊萩(みそはぎ)〈ミソハギ科〉お盆の行事に使うことから別名:盆花とも。


2013.8/4、池田牧場にて。

長命寺あれこれ

2013-08-13 17:51:02 | 西国三十三所巡礼
それほど広い境内ではありませんが、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が織りなす
整った伽藍配置が美しいお寺です。
そして派手な朱塗りではなく、弁柄かと思われる酸化鉄の錆赤色の塗りは
重厚さを醸しています。

弁柄(ベンガラ)塗と言えば、奈良や京都の町家。特に京都の花街のイメージ?
インドのベンガル地方のものを輸入していたので、この名がついたようです。
オランダ語でもBengalaと言うのは、日本語が伝わったのかな?
ちなみに、このお寺のある近江八幡の特産品に「赤コンニャク」がありますが
あの赤も酸化鉄の赤ですね。



「護摩堂」(重文)


「三重塔」(重文)


三重塔側から見た本堂です。



本堂の正面?入口側から見たところです。手前は三仏堂。


本堂と三仏堂を繋ぐ渡り廊。
ちょっとした風情を感じますね、このあたりの美意識も高いです。


「三仏堂」



三仏堂には薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来の三尊が安置されています。

「護法権現社拝殿」も三仏堂と渡り廊で繋がっています。

        「護法権現社本殿」
拝殿の奥には本殿がありますが、意外と簡素なものでした。
長命寺の護法神として開山の祖「武内宿禰」が祀られています。
仏教寺的には「開山堂」ですね。

奥の扉?には、こんな木彫が・・・開山の物語を表したものでしょうかね?



「三仏堂」その奥に「護法権現社拝殿」
一段高くなった先に「鐘楼」と「如法行堂」


如法行堂には勝運将軍地蔵尊・福徳庚申尊・知恵文殊菩薩が祀られています。
真ん中の小さな窓から覗けば見られます。
        「如法行堂」

「鐘楼」(重文)



鐘楼は中に入れます。「鐘を撞くな」とは書いてなかったので・・・ひと撞き♪
構造上、頭の真上で鳴り響きます・・・脳みそが揺れました。ノ(>。☆)ノ
くれぐれも思いっ切り撞くのは自重しましょうwww


「拕柷尼天尊(だきにてんそん)」(稲荷大明神)


何かメタリックな感じがしたので、石段を上って間近で見てみると・・・
檜皮葺きの屋根に夥しい1円玉が!
誰が始めたものか、こういう手のものをよく見ますねぃ。

手といえば・・・


よりによって本堂の白壁に、こちらも誰が始めたものか朱印の手形が無数に。
本堂は重要文化財ですから、立派な犯罪ですね。指紋まで残して・・・


↑こちらはちょっと許したくなる。
何かなと思ったら、石仏さんの頭にペコちゃんが乗ってました・・・(^_^ゞ




境内をうろうろ歩いていると、琵琶湖が見えるスポットが何ヶ所かあります。
美しい琵琶湖の夕日が見られることでも有名。
境内の西の端になるでしょうか、「太郎坊大権現拝殿」があり、
ちょうどよい展望所にもなっています。

このお寺の直ぐ近くには「シャーレ水ヶ浜」っておすすめカフェも。


「長命寺港」
レジャーボートが行き交ってます。
手持ち2400mmのSX50HSの出番です!原寸サイズだと乗っている人の表情まで。



これまた気持ち良さそう♪
ウルトラライトプレーンってやつですかね。そう言えばここの近くに
フライトスクールとかの拠点があると聞いていましたが・・・
ジブリ映画『風立ちぬ』を見てから飛ぶのもイイかもね♪



「太郎坊権現社」


ここにもこんな木彫がありました。太郎坊の修業の様子でしょうか?

太郎坊とは、長命寺の修行僧で空を飛んだり、風雨を呼ぶ霊力を身につけ、
後に京都の愛宕山に移り住んだと伝えられています。
愛宕山では、太郎坊を神として信仰し、大天狗と呼ばれるようになりました。

長命寺には巨石がいくつかあり、それぞれに逸話があるようです。


「飛来石」(太郎坊権現社の上)
修行を極めた太郎坊が長命寺を懐かしく思い、京都の愛宕山からここまで
飛ばしてきたものと伝えられています。





「六処権現影向石」(本堂のすぐ裏手)
武内宿禰がここに祈りを捧げて、三百歳の長寿を全うした言い伝えが
残されている、天地四方を照す岩だそうです。
今にも落ちそうなんですけど・・・


「修多羅岩」(鐘楼の裏手)
仏教用語で「天地開闢 天下大平 子孫繁栄」の意味だとか。
武内宿禰の御神体とされているそうです。


何かとても気になる飾り瓦。



三重塔へ上る石段の下の屋根にありました。
近江八幡と言えば、伝統工芸品として八幡瓦が有名。これがそうなのかは
分りませんが・・・


長命寺はまた、紫陽花の寺としても有名。5月半ばにはイベントもあったようです。



季節が合えば綺麗だったでしょうね。

何故か枯れ紫陽花、侘び紫陽花にも風情を感じてしまう私ですが・・・



2013.8/4、長命寺にて。

西国三十三所巡礼 第三十一番札所 姨綺耶山 長命寺

2013-08-11 09:53:57 | 西国三十三所巡礼
西国観音霊場巡りも、あと3つ。
第三十一番札所は『姨綺耶山 長命寺(いきなさん ちょうめいじ)』です。

寺名の由来はかなり古く、聖徳太子が開基した数百年前、景行天皇の御代に
武内宿禰(たけうちのすくね)が当山に登った際、柳の巨木を見つけ
「寿命長遠諸願成就」と彫りつけ長命を祈った。その霊験あって三百歳もの
寿命を保ち五朝に仕える長寿の大臣として大きな功績を残したといわれている。
その後、この地を訪れた太子はこの木に観音を感得し、三尊をつくらせ、
伽藍を建立し「寿命長遠」より長命寺と名づけたそうです。







「長命寺」の名に相応しく?石碑の土台は亀さんです。

標高333mの奥島山にあるお寺ですので、もちろん長い石段上りが待っています。
琵琶湖畔から続く808段の険しい石段。健康には良いのかな?しかし、
長いといってもほどがある。この日も暑かったし・・・と言い訳を考えながら
途中の駐車場までクルマで上がりました。(^_^ゞ



下を見れば延々と石段、1kmほどあるそうです。(写真左)
駐車場からだと残り100段余り。貧脚の私でもこれなら何とかなります。(右)



「山門」
駐車場からは直ぐに山門が見えますが、本堂へはもうひと息石段を登らないと


「手水舎」
手水舎の奥にはお地藏さんが並んでます。向いには書院が建っていました。



この先に本堂が見えますが、湖畔から808段の石段を登って来られた方は
やっとの思い?感動するでしょうね。


「?」
石灯籠とお堂がありましたが、札の文字が読めません。これより先に三重塔が。


「三重塔」(重文)




「閼伽井堂(あかいどう)」
中は井戸です。東大寺二月堂にも「閼伽井屋」がありましたね、御水取りの
御香水を汲む井戸でした。閼伽(あか)とは梵語のアルガの音写で水のこと。
英語のアクアと同じ語源だそうです。


「瓦?」
本堂前の広場に展示されていました。創建当時の瓦とかでしょうか?
ここからも琵琶湖が眺望できます。
白洲正子著「近江山河抄」には、近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、
私は長命寺のあたりと答えるであろう。と書かれています。







「本堂」(重文)

創建は619年とかなり古いですが、1516年に戦火に遭い、伽藍の殆どを焼失。
現存する建造物は1521-1614年にかけて再建されたものといわれています。

本堂は間口、奥行きともに12間4面の単層入母屋造りで檜皮葺きの
天台様式。三重塔と同様、渋い色合いの朱塗りが重厚で味わい深いです。



「賓頭盧尊者」           「釈迦像」
びんずるさんは撫で仏とされ、気になる部分を撫でるとご利益があるとか、
ここの賓頭盧さんは顔ばかり撫でられたのか・・・のっぺらぼう状態w


「本堂 拝所」
ご本尊は「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」、千手観音、十一面観音、
聖観音の3体とされている。本堂内陣の厨子に安置され、いずれも秘仏です。


「金剛力士像」
外陣の両側に置かれています。仁王門が無い代わりでしょうか。



ん、覗き込んで写真を?

撮影禁止されていないので、私もo[◎]_- )パチリ
秘仏であるご本尊は奥の厨子の中ですが、代わりのお前立ちご本尊のお姿を。







本堂からも琵琶湖が眺められるよう縁が設けられています。
長い石段を登ってきた甲斐があるってものです。私はラクしましたが(^_^ゞ

今回はここまで、後編へとつづく・・・




2013.8/4、長命寺にて。



○宗派:単立 ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体 ○創建:推古天皇27(619)年

御詠歌「八千年や 柳に長き 命寺運ぶ歩みの かざしなるらん」

1980年代、モトクロス。

2013-08-06 14:01:54 | フラッシュバック
私のバイク歴、10年目で大きな変動がありました。
ロードバイクからオフロード車へ、そして遂にモトクロスなんてものを始めました。
27歳、始めるには遅すぎる歳なんですが・・・もちろん、何かを目指した訳でもなく
動機はよく憶えてませんが、ストレス解消?
林道は公道なのである意味、大変危険。ブラインドも多いし、対面からも何が来るのか・・・
思いっ切り走れません。それに私、どうもツーリングより同じところをぐるぐる回る方が
性に合ってるってことで、クローズドサーキット通いをすることにしました。(^_^ゞ







しかし、考えがスイーツでした! もともと体力も根性もない私。
モトクロス場、モトクロッサーは過激で過酷・・・。アクセル全開なんて、とんでもない!
初めて1周した時は、何ちゅうところを走るの!って。登りも下りもエゲツナイ。
私がこわごわリアブレーキを掛けてタイヤをズルズルいわせながら降りる下り坂も
先輩達はアクセル開けてカッとんで降りていく・・・「コイツら何考えるんやろ」って。

〈同型参考写真〉

初めて乗ったのは、中古の YAMAHA YZ125(3R3・80年型?)まだ空冷でした。
有鉛ガソリンにカストロールのオイルを混ぜた、混合ガソリンで走ります。
この匂いがたまらなく好きでした♪超魅惑的・・・


ちょうどそんな頃、こんな映画が封切られました。

〈参考写真・クリックで大きくなります〉
『鉄騎兵、跳んだ』まず、観た方は無いでしょうね。
私はモトクロスを始める少し前に家内と一緒に観に行きました。日活映画だったので、
成人映画館でやっていたような・・・(^_^ゞ
この映画、石田純一のデビュー作でもあります。相手役は熊谷美由紀、後に松田優作と
結婚し今は松田美由紀、松田龍平・翔太のお母さんですね。当時は19歳?
それにしても14,800円って、昔は高かったな、ビデオ。

映画はつまらなかったけれど「鉄騎兵」のフレーズが気に入りました。
私、甲冑騎馬兵と言うのが無性に好き。中学の時に観た『エル・シド』の影響かな?
モトクロスはまさに鉄騎兵のイメージ、そんな子供っぽい動機もあったように思います。




ただ、当時(今でもだけど)真夏の炎天下でもこの格好w キツイですよ!
長袖、長ズボンはもとより、グローブに分厚いロングブーツ、ブーツの下は
ハイソックスですぜ。ウェアにはパッドが仕込まれており、腹巻きならぬウェスト
ベルトも。その上、プロテクターも着けます。
当時、スポーツ医学の調査で最も運動量が激しいスポーツの1位がサッカーで、
ただし、ウェア等を考慮すればモトクロスはそれを上回るとの報告も・・・

私も炎天下での練習では、何度も倒れそうになった思い出があります。






所詮、乗り物に乗る競技だから・・・と、思っていたのはこれまた甘かった。
始めた頃は翌朝、起きられないほどの筋肉痛。経験してみないと分らないです。







〈同型参考写真〉

2台目は、YZ125(5X4・82年型)いち早く水冷化されたヤマハのマシン、前年型から
フロントのゼッケンプレート内にラジエターが仕込まれていました。


当時、息子にはこんなマシーンを与えて・・・



〈同型参考写真〉
YAMAHA PW50(82年型?)オートマでリミッターも付いていますが50ccのエンジンです。





とーちゃん、がんばれ~♪・・・の図。(^_^ゞ


とってもレアのが、このカメラ。ソニーのベーターマックス、まるで業務用の様ですが
当時はソニーのお家芸、世界最小・最軽量がウリだったと・・・

〈同型参考写真〉

1981年に発売されたもので、上の写真はカメラ部分だけ。肩に担ぐタイプでした。
これにビデオデッキを繋いで、デッキは肩から提げると言うものでした。

〈同型参考写真〉

カメラが [HVC F-1]¥220,000、写真左からテレビチューナーユニット [TT-F1]¥75,000、
ACアダプター [AC-F1]¥28,000、バッテリー [NP-1]¥?、予備も1本買いました。
リモコン [RMT-F1] 別売りで¥5,000、ビデオテープレコーダ [SL-F1]¥199,000。
価格も今では信じられない?(笑)
もう一度言いますが、家庭用ムービーレコーダーとしては画期的。ポータブルで
世界最小、最軽量でしたから・・・
ちなみにビデオデッキ [SL-F1] の大きさは、幅215×高さ80×奥行305mm 
重さ 4.2kg(バッテリー含:4.9kg)。バッテリーは1時間使用可でした。




モトクロス、やり出した当初は家内も子供も来てくれていたのですが・・・
何年か経ち子供も成長すると、遠のくようになり、ビデオや写真も少なくなりました。



〈同型参考写真〉

3台目は YZ125(39W・84年型)ラジエターがタンク下に。
私のウェアもやっとヤマハっぽくなってますね・・・(^_^ゞ

私が買ったモトクロッサー、最後は YZ125(2HG・87年型)

〈同型参考写真〉

かなり今風に。しかし、これに乗っている写真もおそらくビデオも、ありません(悲)