カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

草レース、メモリー。

2013-08-24 00:38:29 | フラッシュバック
古い写真とは別に、がらくた箱に放り込まれていたトロフィー、
マジに残していた訳じゃないので、一部ですが出てきました。
もちろん何の格式も無い草レースでのトロフィーですが・・・(^_^ゞ

1980年代(私、27歳~37歳)は、バイク好きがこうじてモトクロスを。
といっても、あくまでお遊びレベルですが・・・
モトクロスって何じゃ?って方も居られるでしょうし、「あぁ、崖を登ったり
岩を乗り越えたり」って、よく言われますが、あれはトライアル。
最近では「空中で回ったり、手を放したり」・・・あれも違う競技ですw

モトクロスとはモーターサイクルクロスカントリーってことなんでしょうが、
MXと略すのは世界的に通用するようです。
専用競技車(モトクロッサー)で、不整地のクローズドサーキットでよーいドン、
競走する競技です。10分+2周、40分+2周とかのレースで、一斉にスタート、
ゴールする早さで順位が決まります。要するに早い者勝ち、単純なスポーツです。
よく混同されがちなトライアルとは使うバイクも違うし、こちらは速さじゃなく
技量を競う競技。設定されたコース(セクション)を、いかにバイクに
乗ったまま走り切るかを競います。セクションは10~15用意され、
周回するものではありません。順位は減点方式、足を1回地面につけると
1点減点、と行った具合に各セクションをトライしていきます。
一度も足をつくことなくセクションを走り抜ければ、減点0でクリアー。
減点数が少ない方が勝ちとなり順位が決まる試合です。
モトクロスとトライアルは、サッカーとゴルフくらい違う競技なんです。
競技の難易度ではトライアルはピカイチ?ロードレースなどはツーリング
ペースであれば誰でもサーキットを走れるし、モトクロスもフラットな
部分なら慣れれば誰でも走れますが、トライアルのセクションは、バイクに
乗れる程度ではまず走れないもんね。(^_^ゞ

モトクロスの魅力、ひと言では表せません。オフロード走行もやってみないと
分りませんが、バランスが必要な二輪で不整地を駆けるのですから楽しい。
そんなところで、よーいドンだから面白くってしかたない。(^_^ゞ
真冬でも汗だくになる、夏はもう地獄ですが・・・。オールシーズン、しかも
全天候。雪が降ろうが土砂降りの雨でも余程のことが無い限り中止は無い。
ワイルドなスポーツです。他のスポーツもそうですが、初心者と上級者の
差は大きいながら、同じレベルの者同士で競い合う楽しみも。

公式戦(MFJ公認レース)に出るにはMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)
発行のライセンスが必要で、この当時はA級・B級・ジュニア・ノービス
というクラス分けがされていました。最初はノービスクラスで、MFJの会員に
なって申請すれば発行してもらえます。
地方選手権などに出場し、規定の入賞ポイントを得れば、ジュニアに昇格。
頂点のA級を目指していくってことになります。
※現在のクラス分けはIA(国際A級)を頂点にIB(国際B級)、
NA(国内A級)、NB(国内B級)です。
その他に年齢・性別で、キッズ・ジュニア・レディースクラスがあります。




私の場合、本格的にやるつもりはなく、公式戦なんて考えてなかったのですが
何事も経験、1年間だけライセンス(ノービスクラス)を取って、唯一、参戦
した時の写真↑だと思われます。まだ始めて2年目くらいの頃だったかな
ゼッケン86、結果は・・・後ろから数えたら入賞?(^_^ゞ

これはクラブの練習場でのスタート風景。


モトクロスの場合、スタートは横一線に並びます(競馬と一緒)。多い時には
30台、それ以上の場合は後ろにもう1列、2列ってこともあります。
そこから、狭く絞られた第1コーナーに向かって一斉にフル加速で突っ込んで
行くのは、他のモータースポーツでは見られない醍醐味でもあります。
当時はスターティングマシンも普及していないので、ヘッドタッチスタート。
エンジンを掛けた状態で、左手をヘルメットに添えて待ち、フラッグが
降り降ろされると同時にクラッチレバーを握りギアを入れて発進するという
もので、ちょっとしたコツが必要でした。


左の髭にもじゃもじゃ頭の人物は、クラブの会長さん。風貌とともに性格も
かなり個性的、誤解もされやすい人でしたが、イイ人でした。すでに故人。


このモトクロス場は、宇治の養鶏場団地の一角を借りたもので、私の所属した
チーム ファントム(YAMAHA)と京都ボブキャット(KAWASAKI)が共同で管理、
当時は朝、まずクラブ員でスコップ、ツルハシでコース整備でした。
後にこのコースは大々的に整備され、地方選手権も開催されたこともある
「チキンランド」というMXコースに発展したのですが、それも今年一杯で
閉鎖されるらしい・・・

このコースで当時、クラブ主宰のローカルレースが開催されていました。
草レースなのでライセンス不要、クラス分けも独断でAクラスは公式戦に
出ているような上級者(といってもノービスだったりしますが)、Bクラスは
そのノービスでも通用しないヘタレ。それにもついて行けない初心者は
Cクラスが用意されていました。これだけ分けてくれると、速く走れない
ライダーでも同じレベル同士でレースの醍醐味が味わえて楽しかったです。
このクラス分けでシリーズ戦として年間チャンピオンを決定するというもの。
レベルが違う、速過ぎると判断されるとシーズン途中でも昇格。その判断は
クラブ会長の胸三寸・・・



超草レースなのに「京都スーパークロス」は厳ついですが・・・
私はBクラス、トロフィーが残っているのはこれだけですが、頭(1位)を
取ったこともあり、84年 年間チャンプを獲得♪ それでも昇格せず
確か次の年も年間ポイント1位で、チャンプ・・・会長の温情で?(^_^ゞ

私が体験したモトクロッサーでのレースは、ほとんどこのホームサーキットで
このシリーズ戦くらいなもの。タイヤやウェアなど賞品で潤ってました。

80年代後半は、市販車(一般公道を走れるトレール車)でのレースに
YAMAHA DT200R(37F)で参戦することも多くなりました。
市販車レースですから、ライダーのレベルもちょうどBクラス程度。
MXの公式戦に出ているようなライダーはまず来ません。(^_-)v



エンデューロ(耐久)レースもあって、タッグを組んで参加するのも
楽しいものでした。当時はMXコースを使って1時間、2時間程度が
主流だったと思いますが、一人で走り切るにはちとキツイもんね。
そのくせ同日のスプリントレースにも参戦、スプリントレースは
10分+2周を2回、ヒート1とヒート2を戦って総合順位が決まります。




先日、見られなくなったベーターのビデオテープをキタムラでDVD化して
もらったところ、この時↑のレースの模様が入っていましたのでYouTubeに。

出演 出場者〕

ゼッケン1番、ヨッシー君。赤シートのDT200R 赤ヘル・赤パン。当時30歳。
「ぽ集」にも何度かコペンで参加。

ゼッケン2番、あさしん君。青シートのDT200R 青ヘル・青パン。当時30歳。
「ぽ集」にはメルセSLK280やホンダTypeRなどで参加経験あり。

ゼッケン5番、1京都さん。125クラスでは黄色のバイクで、Sヒート2では
青シートDT200R、あさしん君の代走。エンデューロは私とタッグを組み・・・
白ヘル・青パン。当時39歳。
「ぽ集」ではお馴染の常連さん、いつも乗って来るバイクが違います。

ゼッケン3番は、わたくし。青シートDT200R 白ヘル(赤のストロボライン)
赤白パンツでヒート1は、赤袖のジャージー、ヒート2は白袖。当時34歳。

撮影はあさしん君の奥様、もう片手で撮れるようになった8mmビデオです。
それをベーターテープにダビングした映像が26年ぶりに・・・
画質が悪くて見難いですが、それもまた希少資料ってことで。(^_^ゞ

スプリント 125以上クラス ヒート1


スプリント 125以上クラス ヒート2



どうでもいいけど優勝は?・・・ありました!出てきましたよ証拠が
カワサキ中日本支部主催のエンデューロ、KAZE京都大会。
2時間エンデューロレースで、あさしん君とタッグを組んで優勝♪



この日は発売したばっかりのKDX125SR、KDX200SRの試乗会も兼ねており、
その試乗車もエントリー、完全優勝を目論んで上級ライダーで参戦。
ダントツに速かったのですが・・・
慣らしが済んでいないエンジンを回し過ぎたのか、あえなく全滅、リタイア。
勝負にならんわ!と淡々と走り切った我々に予想もしなかった優勝が
転がり込んだという顛末。
何はともあれ、第1回のKAZE京都大会で、金字塔?\(^◇^)/


そんなこんなで楽しい想い出が甦りました。こんなトロフィーは捨てようと
思ってましたが、またガラクタ箱に放り込んでおきましょう・・・



1980年代、モトクロス。

2013-08-06 14:01:54 | フラッシュバック
私のバイク歴、10年目で大きな変動がありました。
ロードバイクからオフロード車へ、そして遂にモトクロスなんてものを始めました。
27歳、始めるには遅すぎる歳なんですが・・・もちろん、何かを目指した訳でもなく
動機はよく憶えてませんが、ストレス解消?
林道は公道なのである意味、大変危険。ブラインドも多いし、対面からも何が来るのか・・・
思いっ切り走れません。それに私、どうもツーリングより同じところをぐるぐる回る方が
性に合ってるってことで、クローズドサーキット通いをすることにしました。(^_^ゞ







しかし、考えがスイーツでした! もともと体力も根性もない私。
モトクロス場、モトクロッサーは過激で過酷・・・。アクセル全開なんて、とんでもない!
初めて1周した時は、何ちゅうところを走るの!って。登りも下りもエゲツナイ。
私がこわごわリアブレーキを掛けてタイヤをズルズルいわせながら降りる下り坂も
先輩達はアクセル開けてカッとんで降りていく・・・「コイツら何考えるんやろ」って。

〈同型参考写真〉

初めて乗ったのは、中古の YAMAHA YZ125(3R3・80年型?)まだ空冷でした。
有鉛ガソリンにカストロールのオイルを混ぜた、混合ガソリンで走ります。
この匂いがたまらなく好きでした♪超魅惑的・・・


ちょうどそんな頃、こんな映画が封切られました。

〈参考写真・クリックで大きくなります〉
『鉄騎兵、跳んだ』まず、観た方は無いでしょうね。
私はモトクロスを始める少し前に家内と一緒に観に行きました。日活映画だったので、
成人映画館でやっていたような・・・(^_^ゞ
この映画、石田純一のデビュー作でもあります。相手役は熊谷美由紀、後に松田優作と
結婚し今は松田美由紀、松田龍平・翔太のお母さんですね。当時は19歳?
それにしても14,800円って、昔は高かったな、ビデオ。

映画はつまらなかったけれど「鉄騎兵」のフレーズが気に入りました。
私、甲冑騎馬兵と言うのが無性に好き。中学の時に観た『エル・シド』の影響かな?
モトクロスはまさに鉄騎兵のイメージ、そんな子供っぽい動機もあったように思います。




ただ、当時(今でもだけど)真夏の炎天下でもこの格好w キツイですよ!
長袖、長ズボンはもとより、グローブに分厚いロングブーツ、ブーツの下は
ハイソックスですぜ。ウェアにはパッドが仕込まれており、腹巻きならぬウェスト
ベルトも。その上、プロテクターも着けます。
当時、スポーツ医学の調査で最も運動量が激しいスポーツの1位がサッカーで、
ただし、ウェア等を考慮すればモトクロスはそれを上回るとの報告も・・・

私も炎天下での練習では、何度も倒れそうになった思い出があります。






所詮、乗り物に乗る競技だから・・・と、思っていたのはこれまた甘かった。
始めた頃は翌朝、起きられないほどの筋肉痛。経験してみないと分らないです。







〈同型参考写真〉

2台目は、YZ125(5X4・82年型)いち早く水冷化されたヤマハのマシン、前年型から
フロントのゼッケンプレート内にラジエターが仕込まれていました。


当時、息子にはこんなマシーンを与えて・・・



〈同型参考写真〉
YAMAHA PW50(82年型?)オートマでリミッターも付いていますが50ccのエンジンです。





とーちゃん、がんばれ~♪・・・の図。(^_^ゞ


とってもレアのが、このカメラ。ソニーのベーターマックス、まるで業務用の様ですが
当時はソニーのお家芸、世界最小・最軽量がウリだったと・・・

〈同型参考写真〉

1981年に発売されたもので、上の写真はカメラ部分だけ。肩に担ぐタイプでした。
これにビデオデッキを繋いで、デッキは肩から提げると言うものでした。

〈同型参考写真〉

カメラが [HVC F-1]¥220,000、写真左からテレビチューナーユニット [TT-F1]¥75,000、
ACアダプター [AC-F1]¥28,000、バッテリー [NP-1]¥?、予備も1本買いました。
リモコン [RMT-F1] 別売りで¥5,000、ビデオテープレコーダ [SL-F1]¥199,000。
価格も今では信じられない?(笑)
もう一度言いますが、家庭用ムービーレコーダーとしては画期的。ポータブルで
世界最小、最軽量でしたから・・・
ちなみにビデオデッキ [SL-F1] の大きさは、幅215×高さ80×奥行305mm 
重さ 4.2kg(バッテリー含:4.9kg)。バッテリーは1時間使用可でした。




モトクロス、やり出した当初は家内も子供も来てくれていたのですが・・・
何年か経ち子供も成長すると、遠のくようになり、ビデオや写真も少なくなりました。



〈同型参考写真〉

3台目は YZ125(39W・84年型)ラジエターがタンク下に。
私のウェアもやっとヤマハっぽくなってますね・・・(^_^ゞ

私が買ったモトクロッサー、最後は YZ125(2HG・87年型)

〈同型参考写真〉

かなり今風に。しかし、これに乗っている写真もおそらくビデオも、ありません(悲)




フルバム、林道時代?

2013-04-23 23:57:53 | フラッシュバック
二輪車暦、第二弾ってことになります。

まずは家内用に買ったスクーター遍歴を・・・
家内が始めてバイクを乗り出したのはコレからです。

Honda ロードパル NC50、ラッタッタってやつです。


後ろにチラッと見えているのが、我が家のラッタッタ♪
風防にチャイルドシート(?!)、このバイクは大活躍してくれました。
※リアル初期型SR400は仕事のスタッフのもの。TL50とCB750Kが私の愛車でした。

やがてやって来たスクーターブーム、その初期のものですね「ホンダ・タクト」



キー付きのリアサイドバックが付いていました。

子供を乗せるのに二人乗りが必要ってことで、家内も小型二輪を取得。
原付二種を買うようになります。

リード80です。ホンダ・リードシリーズの初っぱなだと思います。
この後も、リードを乗り継ぐことに。

〔参考写真〕
リード90。これも良く走った印象があります。
この頃の写真が残ってませんw

リード90も散々乗り、いざ乗換えとなったのですが・・・
困ったことに後継車リード100は、大柄に変身。おっさん向きのスクーターに。
小柄な家内には大き過ぎ重過ぎで、熟慮の結果、当時まだ50cc原付と同じボディを
使っていたスズキのアドレス100に乗り換えました。結局それ以後も小型軽量の
原付二種スクーターは出て来ないので、未だに現役で活躍中です。(^_-)v


さて、もっと時代を遡り、私の高校時代?かな・・・当時の雑誌広告を。
(私の二輪遍歴とは関係ありませんが)


スズキ・ハスラーTS250ですかね、ヘルメットやウェアーが何とも・・・


これも広告だったと思います。今では考えられない大胆さ♪
つか、掲載されていた雑誌はきっと・・・ムニュムニュ(^_^ゞ


憧れの1台。ヤマハ・トレール250DT1。当時乗った印象は怪物でした。


これまた時代を反映したファッションで・・・



YAMAHA FS1
これこれ、ヤマハの原付スーパースポーツ。
当時(1970年初頭)私が最初にバイクに乗り出したのがホンダのベンリィSS50。
最高速95km/hという当時最速の原付だったのですが・・・同級生がこのFS1を買って
シグナルグランプリでは全敗w完敗・・・2ストの強さを思い知らされました。

〔参考写真〕
これがSS-50ね。スタイリングもYAMAHAの方がカッコよかった。



コイツのスタイリングにはシビれた・・・スズキ・ウルフT90。
90でありながら2気筒、アップマフラーが両側に!これの125版もありました。
後に名前だけ「Wolf」が甦ったが、このスタイリングは微塵も無いものだったw

私はというと、小型免許(125ccまで)を取得、早速
Honda CL125(中古)。Suzuki RV125(バンバン)と乗り継ぎます。
やがて世間も豊かな時代を迎え、私も大人になり大型車が買えるようになりました。
20歳を過ぎ、限定解除、大型免許取得後は
Honda Dream CB500T ツインカムのバーチカルツイン。
→CB550FOUR-II 4気筒、4in1の集合管マフラー。
→CB750K 4本マフラー復活。何てたってナナハン♪
と、オンロード・ツーリングバイクを乗り継ぎました。 




これはYAMAHAのXS(ペケエス)ですが、
この後に出たTX650を一時期持っていました。友人が長く乗っていたものを
譲ってもらった中古車ですが、バーチカルツインの小気味よさが忘れられず。

〔参考写真〕

とてもタチが強く、曲がるのにひと苦労。分解してしまいそうな振動も・・・
快適とは言えませんでしたが、力強さと排気音は脳を震わせてくれました。
今思えば、とても愛おしいバイクだったかも。
4発ナナハンと同時保有だったから、1年ほどで処分してしまいましたが
今なら迷わずTXを残すでしょうね。(^_^ゞ
近年になりヤマハ内部でも復活を!の声が出たそうですが、ちょうど同時に
大型スクーターの開発企画があり、TX復活の企画はボツになったそうです。

当時の国産では最大排気量のナナハンに行き着いたところで、私のバイク暦で
オンロードバイクは終わりになります。後にHonda VT250Fを買いますが
アッと言う間に飽きてしまい手放します。



もともとオフロード志向が強かったのでしょうか、遊びで買ったホンダTL50を
皮切りに、オフロードへのめり込んで行きます。
SR400のオーナー、お付き合いとばかりにヤマハTY50を買って対抗。ここでも
2ストエンジン、ヤマハのバイクに脱帽させられます・・・



それでも私はホンダ党、4スト派を貫き・・・ナナハンを売っ払い乗り換えたのが
フロントタイヤ23インチの「XL250S」。





河原に造成地、林道へとダートを走って泥まみれになった愛車を見るのが好き♪
洗車と整備は嫌いだったから・・・性質サイアク。(^_^ゞ



この頃、家内にもお揃いのXL80Sを購入、一緒にオフを楽しみました。
〔参考写真〕





林道や一般道を走ることにフラストレーションを感じ始めた頃、たまたま店先で
モトクロッサーを洗車しているオッサンを発見、声を掛けたのが運の尽き
そのオッサン、MXチームの会長でして・・・「MX時代」は、またいずれ。
1980年、私、もう27歳になっておりました。(^_^ゞ

体力、技術も自信を持って無い!と言える私にとってMXは超過酷。それでも
楽しくて仕方なかった。ひ弱で、今まで体育系クラブにも所属したことが無かった
私ですが、何か新鮮で、やり残したことを取り戻せるような・・・
そんなオフロードバイクを謳歌する時期がここから10年続きました。

MXチームに所属しているとは言え、あくまでサンデーライダー。
趣味で真似事レベルですから、一向に速くも走れず。また林道に戻ったりして




YAMAHA DT200R(37F)

雪が積もれば歓び山駆け回りたくなるワン公みたいな僕、この時、32歳。
今はすっかり猫ですが・・・(-。-;)

DT200Rには3年ほど乗ったかな、林道へ行ったのはわずか。ほとんどは
一般車両参加のエンデューロレースなどに使い、結構活躍してくれました。
ジャンプの着地では底突きしてたけど・・・

もっと戦闘力の高いものをと買ったのが
〔参考写真〕
Kawasaki KDX200R。何年か落ちのモトクロッサー並の走りができました。

しかし、このバイクが私のレーサー人生(←オオゲサナ!)に終止符を打ちました。
レース中の事故で6ヵ月の入院。退院後もリハビリや抜釘(ばってい)手術で
・・・2年近く、家族や関係各位に多大な迷惑をかけました。

もう二度とバイクに乗ることは許されないと、自分自身に言い聞かせ・・・


それから10年、こんな大人し気なトレールならイイかと。(^_^ゞ

HONDA SL230 買いました。良いバイクでしたが、あまり乗ることは無く。
何故か経緯は忘れましたが、確かレッドバロンに引き取ってもらいました。

その後も京男さんより無償で譲り受けたTDR250(2YK)や友達3人でヤフオク落札、
共同購入したTZR250(3MA)などを所有していた時期もありました。

そして現在、長年の夢であったXL125(元祖ペケエル)を保有していますが
果たして林道へ戻ることは・・・



ほんの一部ですが・・・43年前、初めて乗ったバイクのも残っているのは凄いかも。

懐かしの遊撃手たち。

2011-08-02 23:56:43 | フラッシュバック
ちょっと立て続けですが、今回は四輪編。
しかも自分で乗ったり買ったりしたクルマではありません。
四半世紀前のカタログがあっただけです。

まずは「いすゞ ジェミニ 3ドアハッチバック イルムシャーターボ」
実はコレ、買うつもりでいすゞの販売店に行ったんです。
当時、サニーのハッチバックに乗ってたかな、買ったばかりでしたが。
ちょうど発表展示会か何かで店内は賑わっていて、相手にしてくれませんw
やっと捕まえた営業さん曰く「このクルマはマニアの方が買われるクルマです」って!「下取りのサニーもまだ新車だし、買い替えにはもったいない」と査定もしてくれません。
ま、そんな調子で、もらえたのはこのペラカタのみ。本カタは手にすることなく・・・スゴスゴと引き上げました。

これが出たのが1987年、ご存知のようにこの6年後、いすゞは小型乗用車の自社開発・製造中止に陥ってます。


例によってクリックで拡大します。






実に魅力的なクルマでしたね。洗練されたデザインもカッコ良かった。
それもそのはず?この2代目として登場したFFジェミニは、イタルデザイン・ジウジアーロの作品。
なおかつ大ヒットしたTVCM。新作が出るのが楽しみでした。
いすゞジェミニCM集(街の遊撃手編)



さて、1983年に既に登場していたのが
「ホンダ バラードスポーツ CR-X」

当時ホンダベルノから発売されたばかりのTVCMは・・・
1983 HONDA CR-X Ad

あまり印象に残ってませんが・・・





















時代がしのばれるグラフィックですね、ちなみにこの年(1983年)には
東京ディズニーランドが開園、任天堂ファミコンが発売された年でもあります。

バラードスポーツ CR-Xに関しては、もう1冊B4サイズのカタログが出てきたので、スキャンせずにコンデジで撮りました。


















おまけ・・・コレが発売されたのは1991年、ちょうど20年前ですね。
キャッチフレーズは「遊んだ人の勝ち」!
ホンダ ビート CM (HONDA BEAT)



おまけのおまけ・・・プリモ店の折り込みチラシです。
某無名の天才デザイナーの作です。(^_^ゞ






フラッシュバック、二輪車歴。

2011-07-21 01:14:07 | フラッシュバック
新カテゴリー「フラッシュバック」の第二弾です。
たまたま残された古いカタログや雑誌広告のスクラップ、撮り散らかして放置されていた写真を年季もののスキャナーで取り込んでみました。

私の二輪遍歴は1970年、17歳の時から始まります。
バイトをして初めて買ったのが、ホンダベンリィSS50。新車、それも出たばっかりの新型車でした。

当時の雑誌広告(おそらく平凡パンチ)

クリックで原寸大。

SS50としては、これは二代目だと思います。スタイルを一新、一文字ハンドルにロングタンク、シートエンドにストッパーが付いて、前時代のレーサーレプリカ風?最高速95kmは当時の50ccでも最速。
後に同じようなデザインで出てきたYAMAHA FS50には勝てませんでしたが・・・
ある意味、一番思い出深いバイクです。何せペーパーテストだけで得た原付免許。納車された時、バイク屋さんでクラッチのつなぎ方なんかを教えてもらったって始末。(^_^ゞ
案の定、初走行で50mほど走った四つ角でクルマと接触しそうになり、転倒。納車、その日の内に修理・・・でした。その後もバイク屋からは「毎度!今度はどんなコケ方したんや!修理代、またもうかるわ」なんて言われてましたw
初違反もほどなく・・・アルバイトの帰り、同僚を後ろに乗せて(違反1:当然ノーヘル、でもそれは違反ではありませんでした。違反は原付二人乗り)、一方通行を逆走(知らんかった:違反2)、60km/hオーバー(違反3:ほんまに90km/h出るんや、しかも二人乗りで緩やかな登り坂で)。天晴れ、3ついっぺんに!ポリさんもあきれてた・・・で、パトカーに乗せられ署まで連行。(・_・、)
高校にも乗って行ってたな(もちろん校則違反)。校門からは見えない路肩に停めておいてたのに、ある日、生活指導の先生が待ち受けてた。「今度、見つけたら親呼ぶで!」・・・って、見つからへんかったらええんや。次の日はもう少し遠くに停めた。ヽ(´∀`*)ノ
言っておきますが、私、不良ではありませんでした。いたって大人しくて真面目。品行方正な生徒でしたから!
この頃から人格が変わるって言われ続けているような気はしますが・・・



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クリックで原寸大。

ベンリィのスポーツ車シリーズですね。
私が乗っていたわけではありません。小型免許取ってからは、Honda CL125(中古)。Suzuki RV125(バンバン)と乗り継ぎました。



クリックで原寸大。

上の雑誌広告の「CB500FOUR」は、1971年のものですね。






私はと言うと、限定解除。大型免許取得後は、Honda Dream CB500Tを買いました。1974年のことです。
量産車初のツインカム、名車CB450(1965)の流れをくむ(デチューン版)バーチカルツイン。
ツーリングモデルにされてしまったとは言え、当時他に無かったツインカムでっせ!・・・これでもよう事故ったw

この後、CB550FOUR-II(1975年)に乗り換えます。このバイクはツマランかった、4in1の集合管マフラー、中途半端な排気量。静かでマイルド・・・一度も違反も事故も起こさなかった退屈なバイクでした。
で、やっぱナナハン!4本マフラーの迫力あるヤツが欲しいって考えてたら、出ましたよ。CB750K(1978年)ってバイクです。



1968年に発表されナナハン時代を築くきっかけとなったCB750K0。その再来です!・・・って人気は全く無く、翌年発売された集合マフラーのCB750Fが大人気。もう4本マフラーの時代は終わってたのね。(^_^ゞ
でもまぁ私的には気に入ってて、当時流行ってた(?)カウリング(風防?)なんか着けて・・・今見たらブサイク~!



やっと、写真が出てきたね。この頃はキャノンの一眼(もちろん銀塩フィルムのですが)持ってましたから・・・今でも持ってるけど「キャノンA-1」まだ、マニュアルフォーカスでした。



ちらっと映ってるTL50、このバイクが僕をオフロードに目覚めさせてくれました。すぐにナナハンを降りて、フロントタイヤ23インチのXL250Sに乗り換えることになります・・・

時が経ち1982年、Honda VT250F が発売されるや、欲しくなり・・・フルオプションで買ってしまいます。










当時のカタログです。(画像クリックで原寸大)














古いアルバム、車歴。

2011-06-12 01:40:27 | フラッシュバック
新しいカテゴリーを作ってみます。「フラッシュバック」
あまり自らの過去を振返るのを良とは思わないのですが・・・
マンネリ化した当ブログにこんなカテゴリーがあってもイイかなと、
続くかどうか分かりませんが、ヒマを見つけて整理します。

きっかけは、古いカタログや雑誌広告の資料を引っ張り出してしまったのと、整理もせずアルバムから溢れて放置していた昔の写真、積み上げたら30cm以上にはなるかな・・・を見つけてしまったから。
ちなみに保存状態が良くなかったのと、自宅火災の際、焼け残ったモノということもあり、見難いのはスルーして下さい。

まずは車歴、正確なタイムラインは分かりません。
私が普通免許を取ったのが27歳(1980)の時、その1年前に家内が取得、最初に買ったのは中古車で





スバルレックス 2ドアセダン、水冷になった2サイクル・360ccのリアエンジン・リアドライブ車。レックスの初期型だと思われます。

1年後には私も免許を取ったことで新車のスバルサンバー ハイルーフを購入。もともとモトクロスを始めるにあたって、どうしてもバイクを積むトランスポーターが必要でした。そのために四輪免許も取ったようなもので・・・



4ストロークの550cc、2気筒。やはりRRでした。
サイズは今の軽より小さかったけれど、何とかモトクロッサーを積めました。




長男、3歳。後に高校は自動車科に進むことに・・・(^_^ゞ

この後、クルマもオフロードが欲しくなり、スズキジムニーに乗り換えます。トランスポーターのほうは、郵便車の払い下げダイハツハイゼットを3万円だったか1万円だったかで譲り受けました。当時はできたんです、郵便カブも5千円で買いましたもん。







2サイクル3気筒550ccエンジンでした。最小回転半径4.9mに難儀したような、何せサンバーは3.8mでしたから。
本当は「f」が欲しかったのですが、これがメインのファミリーカーだったもので・・・





この当時、すでに珍しくなった2ストの音も捨て難かったのですが、モトクロッサーが進化とともに大柄に。さすがに郵便車の軽パネルバンでは積むのがしんどい・・・
てな訳でジムニーを下取りに、日産サニーバネットラルゴのライトバンに乗り換え♪これでまたファミリーカー兼トランスポーター。それでは不便なのですぐにスズキアルト マリアンヌを追加購入。エアコン付き特別仕様車(時代やね)ホワイトエディション。「夏のマリアンヌ」だったけな?写真は残ってませんが・・・





初期のラルゴです、当時は1500のライトバンがありました。
マニュアルのコラムシフト♪


↑鈴鹿サーキットにて、チームのサポートに。つーか撮影係。
近所の子供たちを連れて・・・入場料パスで遊園地に行けました。(^_^ゞ

↓この赤いのが元郵便車。〒マークを塗りつぶすのが条件でした。

↑自宅ガレージにて、SR400初期型は事務所スタッフのもの。
私は当時、VT250初期型。バイク遍歴はまた後々に・・・