カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

正面外して文子さんとご対面。

2016-03-03 18:37:26 | 京都徘徊記
家康によって寸断された正面通、うろうろし難い通りです。
東本願寺とその飛び地境内・渉成園(しょうせいえん)があるので
どうしても回り込まなくては・・・

東本願寺と渉成園の間には、わずかですが正面通が通っています。
この間は中珠数屋町通とも呼ばれています。


〈平安法衣店〉
御影門前の噴水から烏丸通(ここでは不明門通(あけずどおり)が
合流しています)を渡って正面通(中数珠屋通)に入る角にあります。

ここもしばらくは仏具店が並んでいるので、看板ウォッチングを・・・

〈法藏館〉仏教関係の書店です。創業は1602年、東本願寺創建と同時。

〈薫玉堂〉創業1594年と古いですが、ここの店舗はもう営業されて
いないようで、看板だけ大事に残されている感じ。
今は西本願寺前に新しい店舗があります。


〈寺嶋念珠老舗〉ここも創業400年を軽く越え、17代続いているとか。

正面通、烏丸通から一筋(東洞院通)過ぎれば、間之町通(あいのまち
どおり)、渉成園に突き当たります。
渉成園、庭が美しく桜の季節もおすすめです。
以前は隠れスポットでしたが今はどうなんだろ・・・?



ここで正面通は途切れるのでUターン、今度は北の上数珠屋町通へ
回って西本願寺の駐車場まで戻ることにします。

〈佛願寺〉

〈光久寺?〉

間之町通(あいのまちどおり)、上珠数屋町を少し北に上がると・・・


〈文子天満宮〉



文子(あやこ)天満宮。北野天満宮の前身神社、天神信仰発祥の神社。
と言われています。ご祭神は当然、菅原道真。
菅原道真公は、大宰府へ左遷され失意のうちに59歳で亡くなります。
その後、都では天候不順や政治の混乱が続き、人々はそれらの災いを
道真公の怨霊のせいだと考えるようになりました。
そんな没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、
「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣(おつげ)を受けましたが
文子は貧しく、社殿を建立するなんてムリ。自宅に小さな祠を建て、
道真を祀った。それが天神信仰の発祥とされています。

後におつげの場所、うこんのばば(ひらかな表記しないほうがイイね)
現在の北野天満宮に祀られるようになったことで、ここが
北野天満宮の前身と伝えられています。





文子さん、発見♪





道真公が太宰府へ御左遷の途次お立ち寄りの際腰掛けられた腰掛石。



どうやら天満宮の神紋「星梅鉢紋」かたちに1円玉を並べるのが
慣わしのようです・・・もぅ~!(^_^ゞ




さて、上珠数屋町通に戻って西へ・・・また看板ウォッチング。

〈京仏具 犬塚〉大正時代に創業。まだ100年経っていない新しい店?

〈だるまや〉
だるまやの看板と建物、達磨型の窓や火灯窓(花頭窓)がいいな。
○○公認会計士事務所の看板も年季が入ってる。(2階右端)



〈八田彩華堂〉表具屋さん。高浜原発の“再稼働”は失敗!(^_^ゞ

〈芝川骸骨堂本店〉仏壇仏具。
上の看板はちと読み難かったのですが、電飾看板にははっきりと
「骸骨堂」・・・極楽堂とかだるまやなんてある中、骸骨って!



ここの通りは東本願寺と西本願寺の間だけに残る東西の通り。
仁丹標識には「花屋町通」となっていますが、これは古い呼称で
今は旧花屋町通。今の花屋町通は東西本願寺の北側に面した通りに
なっています。






これが今の花屋町通、東本願寺の北壁沿い。西には城のような
石垣が残っています。

ぶらぶら散策していると、正体不明、意味不明なものに出会しますね。
今回はコレ・・・何処かの駐車場の壁側に!





2016.1/11、旧花屋町通にて。