カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

冬のかほり。

2013-01-28 18:55:18 | in My お庭
我が家の玄関先に1本のロウバイ(蝋梅)の木があり、
今が盛りと咲き、馥郁たる香りを漂わせてくれています。














毎年、この花の前を通るのが楽しみ。
玄関を出て直ぐのところにありますから、1日何度か必ず通ります。
特有の甘くてまろやかな芳香が安らぎを与えてくれます。





ふと見ると、ミノムシ??



実はこれ、種なんです。正確には種袋?



落花生のような殻を割ってみたら、中から種子が・・・
やっぱ、ムシっぽい?(^_^ゞ






ついでに昨日の朝のロドちゃんも・・・







2013.1/27、庭にて。

アイム、シクスティ。~ン?

2013-01-27 18:18:07 | ランチ/カフェ
ごく、ささやかなお祝いをってことで、出掛けようとすると・・・



ロド初冠雪です♪ ま、昨日は家族で出るのでスタッドレス付キャロちゃんで。
降雪はごくごくわずか、スタッドレスは必要なかったですが・・・

で、予約をとっておいてくれたのは、京都ホテルオークラ地下2階にある
「有喜屋(UKIYA)」って手打ち蕎麦屋さん。



家族4人がいただいたのはズバリ、京蕎麦懐石『祝 (IWAI)』。(^_^ゞ











旅館の食事みたいですが、ま、イイでしょう。何年か振りにアルコール入りの
ビールも飲んだし(予約特典だったみたい)
ウチの家族は全員、下戸。ビール1本を3人で分けても余るくらい・・・
この日の運転手、次男坊は私に輪をかけた下戸。1滴も飲みません♪



デザートは「そば白玉ぜんざい」、甘党な家族です。(^_^ゞ
これも特典?蕎麦茶のお土産付♪


で、帰宅したら、待っていたのが・・・



さすがに、昨日は食べられず。本日いただきました。
飾りのカッパちゃんゼリー菓子は、
想い出と一緒に私のお腹の中で生き続けていくはず・・・




危機一髪でしたが・・・

2013.1/26。

広電でんねん。

2013-01-23 23:59:35 | 洛外うろうろ
広島を離れる前に、何とか時間をとって路面電車に乗りたいなと。
広島城から一番近くにありそうな駅を探して、あとは行き当たりばったり・・・

まずは「家庭裁判所前」から



白島(はくしま)から八丁堀まで行く短い路線で、運賃は100円。
市内線は均一で、ひと乗り150円。乗換えの場合は乗換えカードをもらいます。
白島線利用で八丁堀で乗り換える場合は、50円追加で市内線どこまでも・・・♪




乗った電車は900形だったと思います。1957年製の元大阪市電。



単車両のワンマン電車、なんともレトロだけど充分機能を果たしています。



あっと言うまに「八丁堀」ここで乗換えですが、ちょっと道草。



百貨店「福屋」、私は全く馴染がありませんが、家内は懐かしかったみたいです。




「八丁堀」から「広島港」へ。乗ったのは5100形グリーンムーバーマックス。
最新型かな、5両編成?でした。先を走っているのは750形の元大阪市電。
向かいから来るのは1900形の元京都市電「清水」号♪


ここでちょっと市内を走る車両、見かけたものの極一部を・・・


〈3000形〉3両連結、1954年~64年製。
元西鉄福岡市内線を走っていたものだそうです。


〈900形〉単車、1957年製。
元大阪市電で、現在9両が運行しているようです。


〈5100形〉5両連結、2005年~08年製。
すれ違ったのも、乗っているのも最新型のグリーンムーバーマックスです。
国産初の完全超低床車両、なかなかカッコイイ♪





車内も路面電車とは思えない?ただ、車掌さんのバッグは懐かしげ・・・


もう5時過ぎ、夕暮れ迫る広島港に到着しました。





車両も車内もバリアフリーなのがイイですね。




やっぱり懐かしいのは元京都市電♪
〈1900形〉単車、1957年製。今でも15両が運行、一番多いかもです。





私は住んでいた地域の関係で、幼い頃は嵐電(らんでん・京福電鉄)そして
京津線(けいしんせん・京阪電車)の路面電車の方が馴染み深いですが・・・
それでもこれより前のちんちん電車も憶えています。(^_^ゞ





この元京都市電には京都に因んだ名前が各車両に付けられています。
「嵯峨野」「銀閣」「東山」「清水」「舞妓」・・・と言った具合。




色んな電車が、昔ながらのカラーリングもそのままなのが嬉しいな。

広島港を後にする頃はもうどっぷり日が暮れて、写真を撮るのもお終い。
ここからまた、もと来た道を乗り継ぎながら「白島」まで戻りました。
日本最大の路面電車網を誇る広電、これからも頑張って欲しいですね。
また機会があれば、乗り倒しに来たいものです。




2013.1/4、広島港にて。

戦火に消えた国宝、広島城。

2013-01-22 23:26:07 | 洛外うろうろ
平和公園から直ぐ近く、広島城へは歩いても行けるのですが
また戻るのもなんなので、クルマで移動。駐車場を探す方が大変だったかも。



平和公園の横、元安川の船着き場から宮島行きの船が出ているようです。
「世界遺産航路」、これも良さそうだなと横目で見ながら・・・(^_^ゞ

お正月だったせいか、お城近くの駐車場はどこも満車。探し回って
城北通りよりまだ北のコインPに停めて、てくてく・・・

あれれ、城内はやたら賑やか




何と城内に神社が『廣島護国神社』。初詣で賑わっていました。


広島らしく牡蛎の屋台も♪







当然、復元天守。平城ながら立派な天守で広島市街が見渡せるようです。
最初に築城したのは毛利元就の孫、毛利輝元。
毛利輝元は織田信長と対立、羽柴秀吉が中国攻めをした相手でもある。
その戦の最中、信長は本能寺の変で死去。秀吉の中国大返し、天下取りとなる。
後に輝元は秀吉に臣従、五大老の一人として豊臣政権を補佐。その時に
大坂城を見て、こんなお城を造ろっと。って思ったのか大田川のデルタ地に
築城を始める。海と川に囲まれた広~い島のようだったからこの頃から
この地域を広島と呼ぶようになったとか。
城は1599年に落成したと言われるが、翌年には関ヶ原の合戦があり、
西軍の総大将であった毛利輝元は徳川家康によって長門(山口県)へ転封され、
東軍で功績を挙げた福島正則に安芸・備後を与え、広島城主とした。
福島正則は城下町の整備など尽力するが、もともと秀吉の親戚筋でもあり
外様であった福島正則を幕府は何かと因縁をつけて改易することに。
この後は豊臣政権時代、五奉行であった浅野長政を父とする浅野長晟(ながあきら)が
同じく外様ではありますが、関ヶ原、大坂冬の陣と徳川方につき家康の娘を
妻にするなど、より徳川に近い浅野氏が広島藩主を12代、250年にわたり、
明治の廃藩置県で免官されるまで続きました。



廃藩置県後、本丸に広島県庁舎が設置されるとともに城内には大日本帝国陸軍の
施設が建てられるようになり、日清戦争時は大本営がここに置かれることに。
そのため、それまでの城としての建造物は壊されていきますが、歴史的価値を
見出され昭和6年、天守が国宝保存法の国宝(旧国宝)に指定されます。


広島大本営跡

昭和20年、原爆投下により
国宝天守をはじめ、まだ江戸時代から残る建物はことごとく崩壊します。
城内には臨時救護所が設けられ、国宝であった木材は薪として使われたそうです。
もっとも真の国の宝は国民であり、それを救うために使われたのは
国宝としての役割を果たしたと言えるのかも・・・。

昭和28年、広島の復興を内外に伝えるために開催された広島復興大博覧会の
一環として鉄筋コンクリート製の天守閣を外観復元。また、原爆で焼失した
二の丸の表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓は、戦前の写真・図面や発掘調査の
成果を元に平成6年までに、木造で江戸時代の姿に復元され現在に至っています。

ちなみにこの広島城、またの名を「鯉城(りじょう)」と呼ばれています。
「広島カープ(Hiroshima Carp)」の球団名の由来ですね。


現在の天守閣は博物館となり内部は撮影できないところも多く・・・





それでもまぁ、ちょっとばかり遊べます。(^_^ゞ



おいおい、何しとるネン?


鯉焼き、ならぬ鯛焼きを・・・♪




2013.1/4、広島城にて。

ノーモア・・・

2013-01-20 15:40:27 | 洛外うろうろ
「原爆ドーム」「広島平和記念資料館」、感慨深いところでした。



様々な記念碑を見ても、

原爆ドームを前にするだけでも、込み上げてくるものが・・・



写真を撮っている内に、ファイダーが滲んできます。最近涙腺が・・・(^_^ゞ






慰霊、鎮魂。もうそれしか無いのですが



人類は、何て残酷な兵器を手にし、使ったのでしょうね。

広島、長崎以後も核兵器は造られ続け、ただ、使われなかったのだけが
唯一救いでしょうか・・・
今後、使われないという保証はどこにもありませんが。
訳の分らん国が手にしたら・・・



広島観光の目玉なんでしょうが、海外からの観光客が大勢見受けられました。
お正月ということもあってか、日本人より外国人の方が多いと思えるほど
ちなみにそのほとんどが欧米人。インド人や東南アジア系のお顔も見られましたが
ちょっと驚いたのは最近、観光地といえばあふれるほど居る某C国人、半島人の
姿が見られなかったような・・・大声でうるさく騒ぎ立てているアノ声も
聞かれなかったです。
??何故なんだろう?分るような気もするけれど、たまたまだったのかな?
遠い国からわざわざ訪ねてこられる方が多数、隣国なのにね不思議です。
教育がそうさせるのでしょうか、やったやられたの戦争の影が未だに
尾を引いているようで・・・





「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」


人類、全ての人の想い、願いであって欲しいですね。





平和資料館も意外に多くの人が見学に。







今なお増え続ける核兵器、放射能の恐怖。そして紛争、戦争・・・
尊い多くの犠牲から学ぶものは沢山あります。
「ノーモア ヒロシマ」、言うのは簡単ですが。個人ができることといえば・・・
何もできなくても、ひとりひとりが強い意識を持つことが重要かも。

平和ボケ、平和にどっぷり、弱腰外交・・・それでも我が国は平和でした。
あれ以来戦死者を出していない(巻き込まれた方はお気の毒ですが)。
軍事力強化、強行姿勢、国益・・・煽られやすい国民性。少し心配です。
この平和を維持して行くためなら協力は惜しみませんが・・・
二度と再びあの悲劇を繰り返さないためならば。






「恒久の世界平和」理想論だと一笑に付すのは、少し待って下さい。
それを願い、目標とすることが大切だから。
人類は過去から学び、右往左往しながらでも緩やかながらこの理想に
近づいていると思います。中世、近世(世界大戦期)と比べれば
いくらかでもマシ。兵器の発展は凄まじいですが・・・
宗教や民族、国益を越えた、命を大切にする教育が
人類の未来にとって救いとなるのではないでしょうか。
・・・なんて、柄にもないことを考えてしまう「ヒロシマ」でした。




2013.1/4、広島市にて。

平和大通りでイルミ♪

2013-01-14 23:02:25 | 洛外うろうろ
昨年の11月17日から年を越してお正月3ヶ日まで48日間にわたって開催されていた
『ひろしまドリミネーション2012』、その最終日に見られてラッキーでした。
特別狙って行ったわけじゃなく、たまたまホテルも平和大通りに面している
予想していなかっただけに歓びも・・・疲れを忘れてシャッターをo[◎]_- )パチリパチリ



主会場となる平和大通りでは、南北緑地帯の総延長2キロにわたって
さまざまなオブジェが目を楽しませてくれます。



早速、やっちまった・・・露光間ズーミング。ちょっとショボイw










この冬、最後になるであろうイルミを楽しめました♪










イルミの花見?(^_^ゞ


花よりだんご・・・いや、焼き芋♪







こちらは紅葉まんじゅうかな・・・










140万球のLEDによる光のシャワーで、広島の夜を華麗に彩ります。





何たって一般道ですから路面電車からもチラ見できます。


おぉ!京都市電やん♪ 懐かし~。よし、明日は・・・(^_^ゞ




2013.1/3、平和大通り「ひろしまドリミネーション」にて。

1月3日、広島泊。

2013-01-13 23:19:05 | 洛外うろうろ
広島市内、平和大通りに面したホテルに予約をしていました。
着いたのは6時半、朝食のみの宿泊プランなのでゆっくり繁華街を探索、
夕食はご当地、広島焼きを食べようとの魂胆です。(^_^ゞ





泊まった部屋は10階だったかな、カーテンを開ければ平和大通り、
グリーンベルト一帯がイルミの並木に・・・♪





『三井ガーデンホテル広島』
、名前だけ聞くと高級そうにも思えますが・・・
正月にもかかわらず、料金は二人で1万円切ります。
当然それなりに部屋は狭ッ!ですが、設備は整っているし、廊下はふかふか(笑)
宿に金を掛けないコンセプトの旅には最適♪とてもリーズナブルです。

ご当地ならではの食事どころを探すのも楽しみですしね。



並木通、新天地などをうろうろ。大人の夜の街、看板が如何わしい眩しい(笑)
お好み焼きの店はいっぱいあり過ぎて絞りきれず、結局、流川で見つけた
聞き覚えのある「八昌」に入りました。







「八昌」っていっぱいあるようですね。広島焼きの元祖的存在?
私らが入ったのは「流川・八昌」。直系は鷹野橋店のようで、他は暖簾分けや
修業をした人が「八昌」を名乗っているとか・・・でもまあ、ここも
イメージ通りの広島焼き。最初に通った時は行列ができていたのでパス。
2度目に通りがかった時、すんなり入れたので・・・(^_^ゞ
「スペシャルねぎ焼き」と「お好み焼きカキ入り」。美味しゅうございました。
そこそこ満足して、イルミ撮影に向かいます♪

明けて、4日の朝。



イルミは3日が最終日だったようで、撤去されていました。



地上80m、25階でいただく朝食バイキング。
たっぷり2食分喰いだめ、お腹に詰め込んで・・・(^_^ゞ セコッ!





2013.1/4、三井ガーデンホテル広島にて。

群青の海と空に…

2013-01-12 22:10:00 | 洛外うろうろ
呉港に戻り、一度は見ておきたかった『大和ミュージアム』に行きました。





僕が生まれたのはもう戦争も終り、戦後の混乱も感じられず
ベビーブームのピークも過ぎた時代。とはいえ、国際法上の戦争終結である
サンフランシスコ講和条約が発効されたのが1952年だから、
その翌年に生まれたことになる。
両親は戦争体験者であり、特に父親は戦場で戦闘を体験していた訳だから
生々しい体験談も聞かされることがあった。

今、この大和ミュージアムに来られる方は、ほとんどが戦争を知らない世代。
僕らよりも若い、僕らの子供、孫の世代が多いと思う。









戦争を知らない世代である僕らですが、子供の頃はプラモデルと言えば
戦艦大和、零戦・・・などなど、戦争ものが多かった。
見ていたTV番組も「コンバット!」や「ラットパトロール」など
アメリカ兵が活躍するTVドラマ・・・今とは随分違うね。(^_^ゞ



遊びといえば、刈入れが終った田んぼや造成地で戦争ごっこをよくしていた。
青春期になると一転、ベトナム戦争に対する反戦運動、安保反対闘争。
その間、高度経済成長期。バブル期で豊か過ぎる平和にどっぷり・・・










しかしながら今もなお、地球上から戦火、紛争が絶えることは無く。
悲しく不幸な歴史が続いている。





この施設が戦争を知らない日本人にとって、戦争の悲惨さを伝える場であって欲しい。
でないと先人たち、と言っても今まだ生きていてもおかしくは無い同胞達が
血を流し、無念にも散って往った、その魂に報いることができない。








ここに来ている若い人達は何を感じて帰るのだろう・・・
自らの世代、次の世代へこの戦争をどう伝えて行くのだろう。
近年、今もなおこの戦争に関する新たな資料、証言が続々と出てきているようだ
当時の政治家、官僚、軍部。そして世界情勢も。教科書で習うだけではなく、
少しそういう情報にも目を向け耳を傾けてみてはどうだろう?

僕らも「戦争を知らない爺ちゃんたち」になってしまった。孫にはできるだけ
正しい戦争の姿を伝えてやらないとね・・・




2013.1/3、呉港にて。

黒鉄ホエールウォッチング

2013-01-09 15:48:44 | 洛外うろうろ
呉と言えば軍港のイメージがあります。それは、明治22(1889)年に呉鎮守府、
明治36(1903)年には呉海軍工廠(こうしょう)が設置され、
戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として
栄えたことによります。

そして今も海上自衛隊呉地方隊 潜水艦桟橋があります。ここでは海上自衛隊の
潜水艦と護衛艦がイカリを下ろしている姿を国内で唯一、間近で見ることができ、
毎週日曜には艦艇を一般公開もしているそうです。

一般道路からも見られるよう海岸沿いに遊歩道のような公園が整備されています。
それが『アレイからすこじま公園』。

車道を挟んで向かいには


煉瓦造りの旧呉海軍工廠 電気部関係建造物が残っています。
今は民間会社の倉庫として利用されているようですが。





コンビニの横の坂道を登って行くと、無料の駐車場があるので
そこに停めてゆっくりホエールウォッチング♪
コンビニに停める人も多々見かけますが、当然のことに駐車場には
「お買物以外の利用はお断り」の貼り紙が。


駐車場からの道には
ちょっと物騒な看板や、なるほどっちゅう町名も・・・(^_^ゞ

ちなみに「アレイ=alley」は小道のこと。小道のような公園だからね。
これが「arrey」になると、隊列。軍隊を整列、勢ぞろいさせるって
意味になるけど・・・どうでもいいことでしたw



ここへ来るのはもう3度目かな、初めて通りがかった時は知らなかったので
驚きましたよ、思わず脇見運転・・・×



ここでは潜水艦や護衛艦など13種類の艦艇が見られるそうです。
それほど多くの種類が見られるのはココだけで、マニアの見学スポット?



今回は今までで一番多くの艦艇が見られた気がします。
正月休みだからかな?どの艦にもお正月の注連飾りが付けてあったし・・・
エエんかそれで、日本の海の守り。



ちゃんと仕事はされているようですね・・・(^_^ゞ












安倍自民党政権は2013年度予算の防衛関係費について11年ぶりに対前年度比で
増額するようですね。公務員は削減するけれど自衛官は増員するって。
国防は大事なことですけどね・・・
年金や社会保障は削り、増えるのは税金と電気代?経済対策、デフレ脱却って。
企業は給料は上げないって言ってるし、物価だけは上がりそうな・・・

はてさてどうなることか、とりあえず魚雷装填して潜望鏡で見てましょうか。(^_^ゞ




2013.1/3、アレイからすこじまにて。

平でくるくる音戸♪

2013-01-08 17:44:15 | ドライブ
正月3日、家内が中学校時代を過ごした呉市で同窓会があるというので
ドライブがてら送っていくことにしました。5時間は乗れるもんね、ロドに♪
時間にして80%は高速道路かな。


2時間半ほどで岡山県、吉備SAで2度目の休憩。



高速を降りて広島市街を抜けます。ここまで4時間位かな。
そして呉港を目指しますが、時間に余裕があるので、
ちょっと音戸まで足を伸ばします。







音戸の瀬戸は呉市の本土側と倉橋島の間の海峡で、潮の流れが早く、
岩礁もあって開削は難しいと言われていたのを平安時代、平清盛が
日宋貿易の航路として開削したとされています。
だから音戸の瀬戸公園には、清盛の「日招像」が立っています。
この像のレプリカは呉のアチコチで見られました。


今回は音戸の瀬戸公園、高烏台までは上らず。「汐音(Sion)」から眺めただけで
呉港の中央桟橋に戻ります。



呉中央桟橋ターミナルビル(大和ミュージアムと隣接)に、
ちょっと気になるお店があったもので、そこでランチにします。



呉港を眺めながら、いただいたのは・・・



鯨カツがついている「海軍定食」。(椿庵)
なんで呉まで来て牡蛎じゃなく鯨やねん!(^_^ゞ
・・・鉄のくじらはいっぱいいたけれど。ちなみに直ぐ近くにある
「海上自衛隊 てつのくじら館」は、この日まで年末年始の休館日。ザンネン






大河ドラマ・平清盛、京都・神戸・広島が舞台なので興味深く観てましたが…
このビルの5Fは展望室になっています。当然行ってみないとね♪





そうこうしている内に、家内の同窓会が始まる時間に。
家内を会場まで送って行って、私は一人でドライブです。
もう一度、音戸まで走り音戸大橋を渡りに行きました。
※ここからの写真はCasioのコンデジで、ながら撮影w









主橋は真っ赤に塗られたアーチ橋ですが、橋桁との高低差20m以上の登坂路が、
本土側は橋1つを含む変則二重ループ線、倉橋島側は日本初の三重螺旋型の
高架橋ってことで、くるりくるりが楽しいったらありゃしない♪(^_^ゞ






今は同じような真っ赤なアーチ橋がもう1本架ってます。まだ工事中の様で
今年の春には開通だとか・・・新しい橋はループが無し?
だとしたら今度来る時もやっぱりループを走りたいな、ツツジの季節に





2013.1/3、呉市 音戸大橋。

初詣。

2013-01-06 12:03:02 | 京都徘徊記
毎年、初詣はここ、『山科毘沙門堂』。鄙びた山寺です。



いつもはクルマで行っていたのですが、最近ここも人出が多くて・・・
ここに行くまでの道は離合不可、歩く人の波もあり大渋滞するようになり
去年は家内と二人、スクーターを連ねての参拝でした。
何を血迷ったか今年は歩いて行ってみようと思いつき、途中のホムセンまで
クルマで行き、そこからてくてく歩いて登りました。









最後に待ち受けているのは山門前の心臓破りの石段・・・
今年も人出が・・・全然少ないやん!こんなに少ないのは初めてかも。
2日ということもあるだろうけど、徒歩で渋滞を避けた意味が・・・トホホ。






一巡お詣りを済ませて






いつものように、ふるまいの熱~い甘酒をいただき
たき火にあたってほっこり・・・この時が一番、新年を感じる時かも。

ところで、今季の京都はまだ雪が本格的に積もったことがない。
この冬は寒いのか?調べてみました。(気象庁データ)
1月1日の京都での気温です。〔〕内:日最高気温 【】内:日最低気温
2009 〔7.9〕 【1.9】
2010 〔5.8〕 【-1.2】
2011 〔5.7〕 【-2.2】
2012 〔11.1〕【1.3】
2013 〔7.5〕 【-0.9】
5年間を数字でみるかぎり、今年は特別暖かでも寒くもなさそう。
ただ、過去30年間の平均は〔9.7〕【1.8】だから、やはり寒い?
あれだけ騒ぎ立てた温暖化という言葉も最近あまり聞かないな・・・

さて、いつもの『山科聖天 双林院』にもお詣りして、
ハイキングコースで山を降りることに。





幸せそうな顔のわんちゃんも初詣?

今年こそはブログも腰を据えて・・・と思いつつ、
初詣の記事がこんな日付に。(^_^ゞアカンナァ





2013.1/2、山科毘沙門堂にて。

あけまして おめでとうございます

2013-01-01 13:19:56 | その他
2013年 平成25年 新しい年が始まりました。


今年一年、皆様にとって良い年になりますよう

何よりも健康で元気に過ごされることを祈念いたします。




昨年は起こっては欲しくないことも多々ありましたが、

その全てを受け入れ新たな年を迎えました。

今年は 還暦を迎える私にとって節目の年かも知れません。



人生の糸はとかく縺れることもある。縺れれば解けば良いし、切れれば繋ぎ直せば良い。

生命のあるかぎり、希望はあるものだ。

大切なのは 人として正しいと信じる行いを続けること。

今年もまた

小さな歓びを重ね、大きな幸せを感じられるよう

希望をもって前向きに生きていこうと思います。



本年も どうぞよろしく お願い申し上げます。




2013.1/1