福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

札幌沸騰

2007-06-08 07:00:42 | 四季折々

07060801天候が懸念されていましたが、昨日から大学祭がスタート。各種模擬店が北大キャンパスメインストリートを埋め尽くし、人だかり。

大学祭期間中は、構内循環バスの運航が中止され、また、メインストリートを自転車で通り抜けることも制限されています。そのため、所用で他部局へ行く場合は、時間の余裕を持って向かわなければなりません。

0706080207060803飲食を中心とした模擬店からは、各種のゴミが出てきますので、実行委員会ではゴミの分別回収を徹底しています。その効果か、キャンパス内で、ゴミはそれほど目立ちません。

大学祭は、今週の日曜日までです。

0706080407060605大学祭で賑わうメインストリートを過ぎて、モデルバーンにさしかかると、一転して静寂な白樺並木。低温研に向かう道には、ちょうど、ふじライラックが咲き始めました。ふじライラックの季節の大学祭も、ロマンチックですね。


ハンプな一日

2007-06-07 06:33:25 | 日記・エッセイ・コラム

35年前の小学校の卒業文集で、将来なりたい職業として、「国家公務員」と書きました。クラスの他の児童たちは、大臣、野球選手、科学者とかで、夢のある職業のオンパレード。なぜ、私が「国家公務員」と書いたのだろうと、思い起こしてみると、安定を求めていたのですね。

でもって、28歳でようやく国家公務員になったわけですが、給料の良し悪しはさておいて、いろいろな特典があることにビックリ。その特典の一つが英語研修。

通産省(現在の経産省)には、東村山(東京都。志村けんの歌で有名な地)に通産研修所があります。ここで、3週間の英語研修(合宿)に参加。入省して3年目だったでしょうか。研修所の周りには、居酒屋などはなく、逃げ場のない過酷な合宿です。1クラス5名で、朝から晩までネイティブスピーカーの講師による英語漬けです。その日の授業が終わっても、翌日の宿題やLL教室での自習もあって、結構しんどい研修でした。クラスメートは研究職が3名で、他2名は霞ヶ関の事務官、経歴も様々。

ネイティブスピーカーの講師は3名。その一人が、ホーン先生で、朝鮮戦争の頃の米兵で日本人女性と結婚し、戦後も日本に在留した方でした。なんと、ホーン先生はグラマラス女優ホーン?ユキのお父様!

ある水曜日の午後、ホーン先生がダンデーなスタイルで教室にやってくると、いきなり一言。

 I need a pick-me-up!

オヨヨ。ホーン先生、昼間っから気でも狂ったか?5人とも怪訝な顔をしていると、「pick-me-upは、元気を回復させるもので、転じてコーヒーのことだよ」と先生。ナルホド。しかし、せっかく教えていただいたのですが、“I need a pick-me-up!”というフレーズ、一度も使えていません。

さらに、ホーン先生、調子づいて、“It's a hump day, isn't it?”
humpとは、らくだの背コブの意味。1週間のうち、水曜日が山場で大変な一日なので、a hump dayと表現するんですって。

昨日は水曜日。国家公務員にとっては、定時退庁日。9年に及ぶ国家公務員生活を終え、地方公務員6年間、そして、今は、法人職員。ハンプな一日の過ごし方も大きく変わってきました。昨夕、ふと我が口から漏れたフレーズは?

  I am finally over the hump.
 (やれやれやっと山を越えたよ、やっと一息つけるぞ)

でも、今日は、もっとハンプな一日になりそう。12歳の私が望んだ安定はいずこへ?

雨上がりの今朝。一転して晴れ、北大キャンパスには、徹夜で大学祭の準備をしていた学部生があちこちに。なかには、毛布にくるまってテントでグーピーの学生も。そう、今日から大学祭。テーマは、「札幌沸騰」だそうです。ここにも、"pick-me-up"がありそうです。


40年前の自分との対話

2007-06-06 06:35:09 | 南極

少しブログの更新が滞りましたね。時にはそういうこともありますので、お許しください。

さて、40年前の自分自身と対話することになったら、どんな話題で盛り上がるのでしょうか?大学院生の皆さんにとっては、あまり意味のない問いかも知れませんね。私の場合、ちょうど小学1年生の頃がちょうど40年前。

今の私:君は、将来何になりたいのかね?
小1の私:わかんねー。
今の私:うーん、それじゃ、尊敬する人は?
小1の私:いねー。
今の私:それじゃ、今、何がしたいの?
小1の私:腹イッペ、チョコレート食いテー(「腹一杯、チョコレートを食べたい」の意)。
今の私:そうなの(笑い)。じゃあ、学校の勉強は楽しい?
小1の私:つまんねー。
今の私:どうして、学校の勉強はつまんないの?
小1の私:担任の先生が怖いっけねー(「担任の先生が
怖いから」の意)。
今の私:それは、困ったねえ。

とまあ、こんなふうに、あまり盛り上がらない会話なのでしょうね。

70歳にして、40年ぶりに南極大陸を再訪したジャーナリスト柴田鉄治さんは、近著『世界中を「南極」にしよう』(集英社新書、2007年5月22日刊)で40年前のご自身との対話を綴っています。

30歳の私:7次隊(第7次南極観測隊のこと。1965年)に同行したころの私は希望にあふれ、新聞も読者から熱い期待が寄せられ輝いていましたよ。
70歳の私:あのころの希望に満ちあふれた気持ちをどうしたら取り戻せるのだろう。
30歳の私:「平和と人権を守るために」新聞記者になったのでしょ。その志に照らしていまの新聞はどうなのか?新聞記者のOBとして後輩たちにガンガン言うべきですよ。
70歳の私:ずいぶん言ってきているつもりだが、なかなかよくならなくて・・・。最近は、朝日新聞の幹部たちからも煙たがられて、「少しは黙っていてくださいよ」とまで言われているのだよ。私だって言いたくて言っているのではなく、やむにやまれぬ気持ちから言っているので、煙たがられるとがっくりしてしまう。
30歳の私:遠慮せずに「新聞よ、しっかりせよ」と言い続けてください。南極へ行ったころの元気さと明るさを思い出して・・・。
70歳の私:そうだ。もう一度、南極へ行ってみよう。そうすれば、いまの暗い気持ちも吹き飛び、あのころの明るい希望が取り戻せるに違いない。そして、「新聞よ、しっかりせよ」とあらためて檄(げき)を飛ばす元気も出てこよう。そのためにも、もう一度、平和の地、南極へ!だ。
30歳の私:それはいいですね。南極に行けば元気を取り戻し、希望がわいてきますよ。南極にはそういう力があります。
   (
柴田鉄治著『世界中を「南極」にしよう』より

そうでしたか。そんな熱い思いを抱いて、柴田さんは、71歳の誕生日を南極大陸で迎えたのですね。

0602で、南極での柴田さんはどうだったかと言うと、隊員の誰よりも元気で情熱にあふれていました。昭和基地から数十キロ離れたラングホブデの観測小屋で1泊した柴田さん。里芋を中心とした和風の煮物とカレーライスをおかわりした柴田さん。話尽きず、あっという間に翌朝を迎えましたね。

0705柴田さんの近著。内容は南極を中心としていますが、核となるメッセージは南極を遥かに超えています。これからの世界や地球のことを考えていく上で示唆に富む内容ですので、お薦めの一冊です。


広くて美しい北の大地

2007-06-01 06:25:29 | 日記・エッセイ・コラム

一枚のフォト絵はがきを握りしめている、若き女性フォトグラファーの広美。送り主は香菜子で、その絵はがきが広美をフォトグラファーへの道を進むきっかけとなった。

この絵はがきの写真の風景はどこだろう?その風景をたずね求める、広美の一人旅が始まる。広く雄大な北海道。道央から始まる旅。そして行き着いた先が道東の釧路湿原。これだ!これが、絵はがきの風景だ!その瞬間、広美は、なぜフォトグラファーを目指したのか、その初心に帰る。

そんなショートムービー『Photograph』(5月限定?)を、新千歳空港へ向かう機内で初々しい気持ちで見ました。

夏の北海道はいい。無条件にいい。休暇を取って、釧路湿原へ行ってみようかな?