ワタクシ、新聞の第一面に登場したことがあります。と言っても、毎日新聞の新潟版ですが。あれは、そうそう、28年前でしょうか?
1979年1月、マークシート方式による共通一次試験が全国一斉に実施されました。共通一次試験元年でしたので、新聞各紙は一面で大々的にその実施の様子を紹介したのです。
私の場合、新潟市旭町にあった新潟大学教育学部旭町校舎(当時の県庁の近く)で受験。そのため、国鉄信越線の加茂駅から、羽生田、田上、矢代田、古津、新津、荻川、亀田、越後石山、そして新潟駅まで45分かけて行き、さらに新潟駅からは新潟交通バスで10分かけてようやく試験会場へ。
雪が降る中、バス停から徒歩で会場の玄関に入ると、新大生から合格飴を貰いました。飴を受け取っている姿が大きく毎日新聞に載ったのでした。特段自慢するような話でなかったですね。すみません。
試験を終え、雪が舞う中、高校の友人Aと帰路につく。新潟駅で電車に乗り込み、向かい合わせに座りながら、「やれやれ、終わったね。やあ、疲れたね」と。電車は、越後石山に停車した。すると、友人Aが、「福井!あれ見ろよ」と駅のホームにある、今いる駅と上下方面の駅名を記した看板(←白い看板です)を指差したのです。
にいがた←えちごいしやま→かめだ
「越後石山を中心に、上下方面の駅名を逆さに読むと、<たがいに・だめか>と読めるなあ」とA。
「なんか縁起が悪いなあ」と私。
ちょっと暗い気分に陥り、次の亀田駅、そして荻川駅に停車。今度は、私が気づいてしまった。
かめだ←おぎかわ→にいつ
「おお、すげえー!<ついに・だめか>だってよ」と私。
「ああ、もう終わりだね」と友人A。
暗澹たる気分でAと別れ、帰宅。どっと疲弊感に襲われたことを今でも思い出します。
あの時、受験を諦めていたら、今はどうなっていたのでしょう。また別の人生が広がっていたのかもしれませんね。
つい先日、JRに移行した信越線に乗車し、新潟駅から加茂駅までの電車の旅を楽しみました。あの思い出の荻川駅に停車した時、なんと例の白い看板が変わっているのです!
かめだ←おぎかわ→さつきの
期待していた<ついに・だめか>ではなく、<のきつさ・だめか>って意味のないフレーズに変わっているのです。荻川駅と新津駅の間に新駅「さつき野」ができてしまったので。ああ、残念!
時と立場が変われば、物事の見方が変わるもの。<ついに・だめか>を期待して、ノスタルジーに浸ろうとしたでのすが。新駅ができたおかげで、「センター試験」を受験する高校生には、無用なストレスを与えなくなったのですね。受験生は、とかく神経質になりがち。「さつき野」駅の存在は大きい!