デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

ピロスマニを見る

2009-08-11 08:25:22 | 観覧雑記帳
朝起きてテレビを見て、びっくり。静岡で震度6弱の地震があったという。全然気づかなかった。地震といえは去年のいまごろあった宮城の地震のことを思い出すが、今回はあのときのような大きな被害はなさそうなのが救い。娘の調子は変わらず、見た目だと昨日より悪いかも。固いものも喉を通らないし、しゃべるのも億劫そう。午前中で台風の雨は止む。メール便を出しながら、娘のためにハーゲンダッツを買ってくる。午後ピロスマニを見る。ずいぶん前に録画していたもの。グルジアの自然、風俗、民俗が色濃くでている意味でも面白かった。それにしても映画の半分ぐらいは酒場や食堂のシーンではなかったか。長谷川利行のように辻画家として、注文にしたがって絵を描きその日暮らしを続ける。彼は定着とか家庭とかそんなことが本質的に受け入れることができなかったのだろう。突然彼の絵が注目を浴びる、一時有名になるものの、新聞で絵の基本を知らない画家だと酷評されてから、彼はいままでかまってくれた酒場や食堂のひとたちから無視される。彼が悲痛にも叫んでいたように、自分は自分の描きたいという情念のもと絵を描いてきた。誰も誉めてくれと頼んだわけじゃない、でも世間の評価が出たらみんな無視する、ひどいじゃないか、いやいやちょっと誉められただけでいい気になっていた自分が悪いと、ほぼ野垂れ死の状態になってしまう。かつて彼の絵を見いだした画家が彼のもとを訪ねると、ピロスマニはあばら家の階段下の物置に横になっている。どうしたのかという問いかけに、「死ぬところだ」と答えるシーンは強烈である。彼の絵を評価したもの、貶したのも世間である、それに対して彼は責任はない、でも放浪しながら絵を描く、魂の命ずるままに描く、それを定めとしたこと、それは真の芸術家の生きかたともいえよう、芸術家として生きること、それに対する報いだとすればあまりにも苛酷なものである。長谷川濬の生きかたにもかぶるものがある。晩年長谷川濬は日記でピロスマニについて書いていた。日本で一番最初に紹介したのは長谷川濬かもしれない。どこかで自分の生きかたとクロスさせていたのかもしれない。
青空がやっと広がってくる。夕方10キロほど走る。ロシアから招待状のコピーがメールで送られてくる。とりあえず、懸案事項がクリアー。明日からの小淵沢への避暑に心置きなく出発できるのはなによりだ。

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