書名 「宮本常一の旅学 観文研の旅人たち」
著者 福田晴子 監修 宮本千晴 出版社 八坂書房 出版年 2022
昔「あるくみるきく」という薄い表紙の月刊誌があった。大学のあった高田馬場の芳林堂か、神田の三省堂とか書泉、信山社だったかには常備されていたのではないかと思う。早池峰神楽とか大雪山単独行、大峯山修行、海外編もあったが、抜群に面白い雑誌だった。この雑誌をつくっていたのが、日本観光文化研究所、近畿ツーリストがスポンサー、そして所長が宮本常一だった。
本書は生涯旅人だった宮本常一のおおらかで、ふくよかな旅のすがたをまずは追いかけ、それを旅学として位置づけ、そこに集まってきた若者たちを中心に、つくられた梁山泊、観文研をじっくりととりあげた、「あるくみるきく」と同じように抜群に面白い、なにより元気がもらえる、痛快な本である。いろいろ語り尽くされている観のある宮本常一だが、本書での宮本は、魅惑的な旅人という視点だけで抉られていて、とびっきりの光彩を放つ。自分もそれなりに旅人だと思っているが、宮本のような旅人になりたかったんだとつくづく思う。最近読んだ沢木耕太郎の評伝「天路の旅人」の主人公西川一三のようなストイックな、旅することが目的となった旅人とは、まったく違う学ぶこと、知ること、人と出会うことを求め続けた宮本常一の旅こそが、自分にとって理想の旅なのだとあらためて認識した。この宮本の魅力に引き寄せられた若者たちのさまざまな、実に多様な旅の姿が次にここで生き生きと描かれることになる。大学ではとうてい学べないことを、ここで多くの若者たちは自分の身体を動かして、まさに歩きながら学んでいく。本書の半分は、いまは老人となった、かつての若者たちの回想であるが、みな痛快なものばかりである。著者は実際にかつての旅人たちに会って話を聞き、観文研が解散したあとのこの若者たちがどんな道のりを歩いていたかも追いかける。本書でとりあげられている旅人たちの歩いた道のりは、それぞれユニークで、間違いなく観文研でやってきたことの延長にあることがよく納得できる。ここに登場する80歳を越えた(それ以下の人もまじっているが)おじいちゃん、おばあちゃんたちはいまでは無茶な旅を続けていた若かりし頃をいとおしみ、そしていまでも旅を愛し続け、観文研の精神を受け継いでいるのだなとしみじみした思いにとらわれた。
これだけ楽しく読めた本は久しぶりであった。監修をつとめた宮本千晴(常一さんの息子さん)が、最後に書いた文におもわずほろっとしてしまった。そもそもこの本のもとになったものは、修論であり、その取材を受けていた宮本は、出来上がった修論を見せてもらい、おそらくかつての観文研のことを思い出したのだろう。これを本にしてあげたいと思い、わざわざ知っている出版社八坂書房にこの原稿をもちこみ、本にするように働きかけたという。うれしかったのだろう、そしてそれで終わらずに何かをしようと思う、そこに観文研の魂が引き継がれていると思った。
いま旅する若者たちはずいぶん少なくなったという。確かにここ10年ぐらい旅先でひとりで旅する若者たちを見ることはあまりないような気がする。グループ連ればかりである。それに反してひとりで旅する老人たちは多くなっているような気がするが。コロナということもあるが、私自身これではいけないという思いで、昨年発行した「石巻学」では越境する人たちをとりあげたのも、おそらく本書の最後の方で、宮本千晴がこう語っていたことを思っていたからだと思う。
「いい旅人は中央と地方を結ぶし、地方同士も結びます。今の日本の世情を考えても、いい旅人をつくっておかないと怖くてしようがないという気がします」
この警句はしっかりと受けとめないといけない。旅人たちをつくるための場のようなものがいまとても必要なのかもしれない。
周防大島郷土大学が、この観文研の流れでできたとのことだが、このようなものを、例えば石巻につくれないだろうか・・・