デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

限界芸術論

2016-10-27 14:42:07 | 買った本・読んだ本
書名 「限界芸術論」    
著者 鶴見俊輔  出版社 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 出版年 1999

朝日新聞でいままた脚光を浴びているということでこの書が取り上げられ、その記事を読んでいたら、すぐにでも読みたくなり購入(最近では珍しいことである)。なによりも気になったのはいま自分が展開しようとしている「サーカス学」を定義づけるときに、もしかしたら助けになるのではないかと思ったからだ。ただ最初の限界芸術の理念をマニフェスト風に掲げた章では、なんども途中睡魔に襲われてしまい、なかなか前に進めなかった。それは限界芸術という概念がいまひとつ自分のものとしてつかみきれていなかったからだと思う。読み始めて勢いがついたのは黒岩涙香の評伝あたりからだった。それまでこの概念を説明するのに宮沢賢治や柳田国男、柳宗悦などを例に彼らの創作の根っこをつくっていたものをとりだしていたのだが、いまひとつピンとこなかった。それが黒岩の評伝を通じて、彼のやろうとしていたこと、連載小説や翻訳もの、それを生かしたなかで万朝報というマス媒体をつくっていったことを知ったあたりから俄然面白くなってきた。なぜならそこで彼が最大限に利用としていったのが、まさに限界芸術なのである。鶴見は黒岩を評して「日本の近代史上、不朽の人とするのは、彼が、明治時代の趣味の組織者としてのこした仕事であろう」としているが、黒岩は探偵小説からはじまって、狂詩、どどいつ、五目ならべ、碁、すもう、闘犬、たまつき、かるた、家庭農園などをてがけ、それを広め、交流のために新聞を使うということを考えたのである。その柔軟な発想とそれをマスコミによって広めていくという行動力こそ、彼の真骨頂と言えよう。
その他にも円朝を論じた身振り文学論も傑作だったし、鶴見がこれを書いた当時に話題になっていたのだろう、野坂昭如や五木寛之、井上ひさし論も秀抜であった。
いまマージナルアートと呼ばれるものはもしかしたら鶴見がこの本を書いたときから比べたら、何十倍も広く、さらに深く展開しているのではないか。ただそれは鶴見がここで展開していこうとしていたように国民文化の基礎をなすもの、つもり共同で分け合うものではなく、個人の世界だけに留め置かれている。マージナルアートの発想はいまでも不滅のものだと言っていいだろう。それをいまどのように展開させていくのか、ここがいまの新たな問題なのかしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企画書

2016-10-27 05:53:13 | デラシネ日誌
風も強く、晴れていたのでベイサイドに行けば冠雪した富士山が見れるべと思ったのだが、どうも山付近にガスがかかってるらしく見えず。残念でした。
明日から今年最後の出張(?)ということで、荷物をコンビニまで持っていき発送。今回は5日間。
姫路公演の千秋楽と帰国まで立ち会うのだが、その滞在している間に、来年のプレゼンを二カ所でしないといけない。そのための企画書を昨日に引き続き作成。二週間返事を待っていたのに連絡がなかったアーティストから返事。できるとのこと。他のアーティストも確保していたのだが、何よりである。
同僚のところにデフラクトのメンバーがいま滞在しているバンガローのおかみさんから電話。外人さんは嫌だといっていたところを本人たちがぜひにというので、なにかあったら電話くださいと言っていたらしい。食料をもってきていないのに驚いたらしい。この日は5-6回電話があった。それにしてもこのメンバーたちはネットで調べ尽くし、実にあっちこっちに行っている。山登りに行っている奴もいれば、久留米から松本まで行ったのもいる。恐るべきフランス人である。
18時退社。ちょうど打ち合わせに来社した東京ちんどん倶楽部の髙田さんとお久しぶりの挨拶。カバレットチッタ以来ではないか、あまりお変わりがなく元気そう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2016年10月
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

バックナンバー