書名 「限界芸術論」
著者 鶴見俊輔 出版社 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 出版年 1999
朝日新聞でいままた脚光を浴びているということでこの書が取り上げられ、その記事を読んでいたら、すぐにでも読みたくなり購入(最近では珍しいことである)。なによりも気になったのはいま自分が展開しようとしている「サーカス学」を定義づけるときに、もしかしたら助けになるのではないかと思ったからだ。ただ最初の限界芸術の理念をマニフェスト風に掲げた章では、なんども途中睡魔に襲われてしまい、なかなか前に進めなかった。それは限界芸術という概念がいまひとつ自分のものとしてつかみきれていなかったからだと思う。読み始めて勢いがついたのは黒岩涙香の評伝あたりからだった。それまでこの概念を説明するのに宮沢賢治や柳田国男、柳宗悦などを例に彼らの創作の根っこをつくっていたものをとりだしていたのだが、いまひとつピンとこなかった。それが黒岩の評伝を通じて、彼のやろうとしていたこと、連載小説や翻訳もの、それを生かしたなかで万朝報というマス媒体をつくっていったことを知ったあたりから俄然面白くなってきた。なぜならそこで彼が最大限に利用としていったのが、まさに限界芸術なのである。鶴見は黒岩を評して「日本の近代史上、不朽の人とするのは、彼が、明治時代の趣味の組織者としてのこした仕事であろう」としているが、黒岩は探偵小説からはじまって、狂詩、どどいつ、五目ならべ、碁、すもう、闘犬、たまつき、かるた、家庭農園などをてがけ、それを広め、交流のために新聞を使うということを考えたのである。その柔軟な発想とそれをマスコミによって広めていくという行動力こそ、彼の真骨頂と言えよう。
その他にも円朝を論じた身振り文学論も傑作だったし、鶴見がこれを書いた当時に話題になっていたのだろう、野坂昭如や五木寛之、井上ひさし論も秀抜であった。
いまマージナルアートと呼ばれるものはもしかしたら鶴見がこの本を書いたときから比べたら、何十倍も広く、さらに深く展開しているのではないか。ただそれは鶴見がここで展開していこうとしていたように国民文化の基礎をなすもの、つもり共同で分け合うものではなく、個人の世界だけに留め置かれている。マージナルアートの発想はいまでも不滅のものだと言っていいだろう。それをいまどのように展開させていくのか、ここがいまの新たな問題なのかしれない。
著者 鶴見俊輔 出版社 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 出版年 1999
朝日新聞でいままた脚光を浴びているということでこの書が取り上げられ、その記事を読んでいたら、すぐにでも読みたくなり購入(最近では珍しいことである)。なによりも気になったのはいま自分が展開しようとしている「サーカス学」を定義づけるときに、もしかしたら助けになるのではないかと思ったからだ。ただ最初の限界芸術の理念をマニフェスト風に掲げた章では、なんども途中睡魔に襲われてしまい、なかなか前に進めなかった。それは限界芸術という概念がいまひとつ自分のものとしてつかみきれていなかったからだと思う。読み始めて勢いがついたのは黒岩涙香の評伝あたりからだった。それまでこの概念を説明するのに宮沢賢治や柳田国男、柳宗悦などを例に彼らの創作の根っこをつくっていたものをとりだしていたのだが、いまひとつピンとこなかった。それが黒岩の評伝を通じて、彼のやろうとしていたこと、連載小説や翻訳もの、それを生かしたなかで万朝報というマス媒体をつくっていったことを知ったあたりから俄然面白くなってきた。なぜならそこで彼が最大限に利用としていったのが、まさに限界芸術なのである。鶴見は黒岩を評して「日本の近代史上、不朽の人とするのは、彼が、明治時代の趣味の組織者としてのこした仕事であろう」としているが、黒岩は探偵小説からはじまって、狂詩、どどいつ、五目ならべ、碁、すもう、闘犬、たまつき、かるた、家庭農園などをてがけ、それを広め、交流のために新聞を使うということを考えたのである。その柔軟な発想とそれをマスコミによって広めていくという行動力こそ、彼の真骨頂と言えよう。
その他にも円朝を論じた身振り文学論も傑作だったし、鶴見がこれを書いた当時に話題になっていたのだろう、野坂昭如や五木寛之、井上ひさし論も秀抜であった。
いまマージナルアートと呼ばれるものはもしかしたら鶴見がこの本を書いたときから比べたら、何十倍も広く、さらに深く展開しているのではないか。ただそれは鶴見がここで展開していこうとしていたように国民文化の基礎をなすもの、つもり共同で分け合うものではなく、個人の世界だけに留め置かれている。マージナルアートの発想はいまでも不滅のものだと言っていいだろう。それをいまどのように展開させていくのか、ここがいまの新たな問題なのかしれない。