書名 「佐野眞一が殺したジャーナリズム」
編著 溝口敦+荒井香織 出版社 宝島社 出版年 2013
なんとも後味の悪い本だった。ここでたたかれている佐野眞一の盗用・剽窃の事例、そして彼の弁解や詫び状を見て、いかに佐野というライターが盗用・剽窃を日常的に行い、それが癖になっているという浅ましい実像が浮き彫りにされ、またそれを執拗に盗用・剽窃の例を追い求めるライターの姿になりか怨念の深さを見て、さらにはそれを黙認する出版各社を見せつけられる、正直読まなければよかったと思った。
佐野眞一という人は嫌いだ。個人的に嫌な思いをしているということもある。ただ自分はライターとして優秀だという思い込みの激しさ、だから売れるネタは全部俺が書く、そのためにはライターたちをふる動員してリサーチをかける。そんな態度が一番嫌いだ。この人の盗用・剽窃の仕方、そしてそれに対する弁明を見ていると、自分が思っていた以下の書き手だったということもわかる。パソコンで書く以前にこんなにも軽々とコピペしているというその書き方に文章を練って書こうという姿勢が初めからなかったのではないかと思わざるを得ない。
ここで佐野を告発する人たちの鬼気せまるものにもなにか怖いものというか、ちょっとすぐに同調できないものもある。ノンフィクションの「巨人」に鉄槌を下ろすわけで、それは大手出版社にも攻撃の刃を向けることで、ある覚悟をもってのことだから故の高揚だとは思うのだが、ついていけなかった。
ただこれを自らへの警鐘としなければと思ったことも事実。コピペ、それも佐野のように姑息にアレンジしてしまうということは、いつでもできてしまう。そんな安易な道がいつでも書き手の前にはあるということも事実なのである。気をつけないと・・・
編著 溝口敦+荒井香織 出版社 宝島社 出版年 2013
なんとも後味の悪い本だった。ここでたたかれている佐野眞一の盗用・剽窃の事例、そして彼の弁解や詫び状を見て、いかに佐野というライターが盗用・剽窃を日常的に行い、それが癖になっているという浅ましい実像が浮き彫りにされ、またそれを執拗に盗用・剽窃の例を追い求めるライターの姿になりか怨念の深さを見て、さらにはそれを黙認する出版各社を見せつけられる、正直読まなければよかったと思った。
佐野眞一という人は嫌いだ。個人的に嫌な思いをしているということもある。ただ自分はライターとして優秀だという思い込みの激しさ、だから売れるネタは全部俺が書く、そのためにはライターたちをふる動員してリサーチをかける。そんな態度が一番嫌いだ。この人の盗用・剽窃の仕方、そしてそれに対する弁明を見ていると、自分が思っていた以下の書き手だったということもわかる。パソコンで書く以前にこんなにも軽々とコピペしているというその書き方に文章を練って書こうという姿勢が初めからなかったのではないかと思わざるを得ない。
ここで佐野を告発する人たちの鬼気せまるものにもなにか怖いものというか、ちょっとすぐに同調できないものもある。ノンフィクションの「巨人」に鉄槌を下ろすわけで、それは大手出版社にも攻撃の刃を向けることで、ある覚悟をもってのことだから故の高揚だとは思うのだが、ついていけなかった。
ただこれを自らへの警鐘としなければと思ったことも事実。コピペ、それも佐野のように姑息にアレンジしてしまうということは、いつでもできてしまう。そんな安易な道がいつでも書き手の前にはあるということも事実なのである。気をつけないと・・・