バイキング会場に行って、皿にいろいろ盛り始めると、後ろから肩を叩かれる。サハサーカスの兄弟分セルゲイではないか。同じテーブルに行くようにする。そのあとまた肩を叩くものが。ワレンチンであった。まあ太ったこと太ったこと。何年か前にサンクトで会っているが、あのときは本当軽く挨拶しただけ。しっかりと抱きしめられる。
こういう集まりになるとこうした思いがけない出会いがつきものではあるが、ちょっとびっくり。
セルゲイと食べていると、11月5日に療養中の奥さんのマルファが亡くなったことを知る。カザフの弟分のローマから脳溢血で倒れたという話しは聞いていたが、半年の闘病生活の末亡くなったということだ。子どももおらず誰よりもマルファを頼りにしていたセルゲイにすれば覚悟はしていたとはいえ辛いだろう。
こうした会合では移動がオーガナイザーにとっては一大事業。昨日空港に迎えにきてくれたアリョンナと、ずっとメールのやりとりをしていたマーシャがてんてこまいしながら手配をつづける。大変だよな。アリョンナの一生懸命な姿を見ていると応援したくなる。
会場は中央放送時代に何度かきたことがあるボリショイドラマ劇場の小ホール。大ホールは知っているがこっちはしらない。今回はジャグリングと、サーカス事業とふたつのセクションに分かれている。サーカス事業セクションに知り合いが多かったために、そちらに出席してしまった。。ロスゴスツィルクのイワノフ新総裁とモスクワボリショイサーカス団長のザパーシヌィ、サハサーカスのセルゲイ・ラストルギェエフ、イスラエルの「ドラド」サーカスのヌシンスキイ総裁が出席。どうもここではないなあと思っていたら、オーガナイザーのひとり「スノーショー」のグリーンクラウンのボスサーシャがやってきてザパーシヌィの報告の途中、こっちじゃないぞと連れられてジャグリングセクションに参加。
最初のポルーニンの「なぜジャグリングなのか」という開会の挨拶は聞けず。アメリカ在住のドミニク・ジャンドゥのの報告の途中から参加。このあとの報告の前に、オーガナイザーて進行役のナターシャが、最近出たばかりの「チニゼリサーカス」というめちゃめちゃ厚い本を紹介。これはたぶん必要な本だろう。作者で報告してくれたのはイリーナ。話の中でチニゼリサーカスに日本人のアーティストがたくさん仕事をしていたというエピソードも。彼女とはいろいろ教えてもらいたいことがありそうなので、講演後に挨拶。持ってきたアートタイムズをプレゼント。メールアドレスを聞く。
少し休憩があり、いかにして「ジャグラーになったのか」という報告がソ連時代に有名なジャグラーとして知られるジェーニャから報告。話の間流れていた彼の練習場所となっていたのが、洞爺湖のサンパレスホテルのロビーだったのがおかしかった。あとでその話をすると本間興業の仕事だったという。
このあと夕方からサンクト郊外にあるウプサラサーカスに移動。
ここは2008年に創立されたストリートチュルドレンたちのためのサーカス団。ここで最初はダウン症の子供たちと一緒にジャグリングを楽しむという。「障害をもった子供たちがいかにしてジャグリングをするか」がここの支配人であるラリサの指導のもと行われる。最初はちょっと危険なのではとも思ったのだが、ビニール袋を使ってジャグリングをする。ここの子供たちはそこそこジャグリングができている。

あとで指導者のひとりがジャグリングは一番子供たちが集中してやるのでいいと言っていた。
このあとサーシャの、子供たちを相手にしたワークショップ「空飛ぶオレンジ」。最初は子供たちに果物や野菜を自由にとらせてジャグリングをさせ、競技形式にして最後に残ったものにプレゼントをあげるというもの。このあと皆を坐らせ、なぜか私が餌に使われ、フリッシュと私が二年前の「スノーショー」の時偶然あったことや、私がサーカスについての本を書いているということなどを紹介、そのあとトイレットペーパーをつかったギャグをみんなに披露するということになったが、私はこのネタを知っているよと言ったら、チェンジされる。
このあとは「ウプサラサーカス」でメンバーによるショーを見学。
この公演には「サーカス産業セクション」に参加していた代表団も多数集まる。とにかくテントの雰囲気が最高。二人による生演奏からはじまる。7人のメンバーによるショー。派手な芸はないのだが、なぜかさわやか。この感じはどこかでいつか感じたもの、そうそう「沢入サーカス学校の発表会」の時に感じるものと同じさわやかさである。
公演後ピローグとワインで交流会。いま到着したばかりのジェローム・トマやサハのセルゲイもジャグリングを披露するという楽しい夕べになった。なぜかウプサラサーカスのスタッフさんに自分はすっかり人気ものになってしまって、あちこちからお呼びがかかった。サーシャのおかげで、すっかり「オオシマさん」がスタッフさんの頭に入ってしまったようだ。
ジャグリングセクションの責任者のスラーバ夫妻も参加。にぎやかな交流会になった。そういえば変だったのは、ロスカンパニーの副総裁という名刺を持ってきた若い男が親しげに近寄ってきて、名刺を出してきたこと。自分のようなカスのようなプロモーターはロスカンパニには必要ないと思うが・・・公演後偉そうに出演者の前で挨拶したり、嫌な奴だった。
このあとホテルに戻り、サハのセルゲイの部屋で明日発表することになっているワレンチン・グニェーショフと今日発表をしたジャグラーのビリャウエールとで、サハのウォッカとレナで採れた魚モキウムを肴に一杯。この魚が絶品だった。サハサーカスのクラウンとして活躍するセルゲイの姪っこのファクーラがかいがいしく世話をしてくれる。セルゲイにとってすればマルファの血とつながっていることで可愛くてしかたがないようだ。
ウォッカがなくなったところで、下に行き、ナターシャとマーシャを交え、バーでまたウォッカを飲み直す。自分にはちょうどいいくらいだったが、セルゲイには多すぎたようだ。
こういう集まりになるとこうした思いがけない出会いがつきものではあるが、ちょっとびっくり。
セルゲイと食べていると、11月5日に療養中の奥さんのマルファが亡くなったことを知る。カザフの弟分のローマから脳溢血で倒れたという話しは聞いていたが、半年の闘病生活の末亡くなったということだ。子どももおらず誰よりもマルファを頼りにしていたセルゲイにすれば覚悟はしていたとはいえ辛いだろう。
こうした会合では移動がオーガナイザーにとっては一大事業。昨日空港に迎えにきてくれたアリョンナと、ずっとメールのやりとりをしていたマーシャがてんてこまいしながら手配をつづける。大変だよな。アリョンナの一生懸命な姿を見ていると応援したくなる。
会場は中央放送時代に何度かきたことがあるボリショイドラマ劇場の小ホール。大ホールは知っているがこっちはしらない。今回はジャグリングと、サーカス事業とふたつのセクションに分かれている。サーカス事業セクションに知り合いが多かったために、そちらに出席してしまった。。ロスゴスツィルクのイワノフ新総裁とモスクワボリショイサーカス団長のザパーシヌィ、サハサーカスのセルゲイ・ラストルギェエフ、イスラエルの「ドラド」サーカスのヌシンスキイ総裁が出席。どうもここではないなあと思っていたら、オーガナイザーのひとり「スノーショー」のグリーンクラウンのボスサーシャがやってきてザパーシヌィの報告の途中、こっちじゃないぞと連れられてジャグリングセクションに参加。
最初のポルーニンの「なぜジャグリングなのか」という開会の挨拶は聞けず。アメリカ在住のドミニク・ジャンドゥのの報告の途中から参加。このあとの報告の前に、オーガナイザーて進行役のナターシャが、最近出たばかりの「チニゼリサーカス」というめちゃめちゃ厚い本を紹介。これはたぶん必要な本だろう。作者で報告してくれたのはイリーナ。話の中でチニゼリサーカスに日本人のアーティストがたくさん仕事をしていたというエピソードも。彼女とはいろいろ教えてもらいたいことがありそうなので、講演後に挨拶。持ってきたアートタイムズをプレゼント。メールアドレスを聞く。
少し休憩があり、いかにして「ジャグラーになったのか」という報告がソ連時代に有名なジャグラーとして知られるジェーニャから報告。話の間流れていた彼の練習場所となっていたのが、洞爺湖のサンパレスホテルのロビーだったのがおかしかった。あとでその話をすると本間興業の仕事だったという。
このあと夕方からサンクト郊外にあるウプサラサーカスに移動。




このあとサーシャの、子供たちを相手にしたワークショップ「空飛ぶオレンジ」。最初は子供たちに果物や野菜を自由にとらせてジャグリングをさせ、競技形式にして最後に残ったものにプレゼントをあげるというもの。このあと皆を坐らせ、なぜか私が餌に使われ、フリッシュと私が二年前の「スノーショー」の時偶然あったことや、私がサーカスについての本を書いているということなどを紹介、そのあとトイレットペーパーをつかったギャグをみんなに披露するということになったが、私はこのネタを知っているよと言ったら、チェンジされる。
このあとは「ウプサラサーカス」でメンバーによるショーを見学。

公演後ピローグとワインで交流会。いま到着したばかりのジェローム・トマやサハのセルゲイもジャグリングを披露するという楽しい夕べになった。なぜかウプサラサーカスのスタッフさんに自分はすっかり人気ものになってしまって、あちこちからお呼びがかかった。サーシャのおかげで、すっかり「オオシマさん」がスタッフさんの頭に入ってしまったようだ。
ジャグリングセクションの責任者のスラーバ夫妻も参加。にぎやかな交流会になった。そういえば変だったのは、ロスカンパニーの副総裁という名刺を持ってきた若い男が親しげに近寄ってきて、名刺を出してきたこと。自分のようなカスのようなプロモーターはロスカンパニには必要ないと思うが・・・公演後偉そうに出演者の前で挨拶したり、嫌な奴だった。
このあとホテルに戻り、サハのセルゲイの部屋で明日発表することになっているワレンチン・グニェーショフと今日発表をしたジャグラーのビリャウエールとで、サハのウォッカとレナで採れた魚モキウムを肴に一杯。この魚が絶品だった。サハサーカスのクラウンとして活躍するセルゲイの姪っこのファクーラがかいがいしく世話をしてくれる。セルゲイにとってすればマルファの血とつながっていることで可愛くてしかたがないようだ。
ウォッカがなくなったところで、下に行き、ナターシャとマーシャを交え、バーでまたウォッカを飲み直す。自分にはちょうどいいくらいだったが、セルゲイには多すぎたようだ。