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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

思いがけない再会

2016-12-01 00:08:06 | 
バイキング会場に行って、皿にいろいろ盛り始めると、後ろから肩を叩かれる。サハサーカスの兄弟分セルゲイではないか。同じテーブルに行くようにする。そのあとまた肩を叩くものが。ワレンチンであった。まあ太ったこと太ったこと。何年か前にサンクトで会っているが、あのときは本当軽く挨拶しただけ。しっかりと抱きしめられる。
こういう集まりになるとこうした思いがけない出会いがつきものではあるが、ちょっとびっくり。
セルゲイと食べていると、11月5日に療養中の奥さんのマルファが亡くなったことを知る。カザフの弟分のローマから脳溢血で倒れたという話しは聞いていたが、半年の闘病生活の末亡くなったということだ。子どももおらず誰よりもマルファを頼りにしていたセルゲイにすれば覚悟はしていたとはいえ辛いだろう。
こうした会合では移動がオーガナイザーにとっては一大事業。昨日空港に迎えにきてくれたアリョンナと、ずっとメールのやりとりをしていたマーシャがてんてこまいしながら手配をつづける。大変だよな。アリョンナの一生懸命な姿を見ていると応援したくなる。
会場は中央放送時代に何度かきたことがあるボリショイドラマ劇場の小ホール。大ホールは知っているがこっちはしらない。今回はジャグリングと、サーカス事業とふたつのセクションに分かれている。サーカス事業セクションに知り合いが多かったために、そちらに出席してしまった。。ロスゴスツィルクのイワノフ新総裁とモスクワボリショイサーカス団長のザパーシヌィ、サハサーカスのセルゲイ・ラストルギェエフ、イスラエルの「ドラド」サーカスのヌシンスキイ総裁が出席。どうもここではないなあと思っていたら、オーガナイザーのひとり「スノーショー」のグリーンクラウンのボスサーシャがやってきてザパーシヌィの報告の途中、こっちじゃないぞと連れられてジャグリングセクションに参加。
最初のポルーニンの「なぜジャグリングなのか」という開会の挨拶は聞けず。アメリカ在住のドミニク・ジャンドゥのの報告の途中から参加。このあとの報告の前に、オーガナイザーて進行役のナターシャが、最近出たばかりの「チニゼリサーカス」というめちゃめちゃ厚い本を紹介。これはたぶん必要な本だろう。作者で報告してくれたのはイリーナ。話の中でチニゼリサーカスに日本人のアーティストがたくさん仕事をしていたというエピソードも。彼女とはいろいろ教えてもらいたいことがありそうなので、講演後に挨拶。持ってきたアートタイムズをプレゼント。メールアドレスを聞く。
少し休憩があり、いかにして「ジャグラーになったのか」という報告がソ連時代に有名なジャグラーとして知られるジェーニャから報告。話の間流れていた彼の練習場所となっていたのが、洞爺湖のサンパレスホテルのロビーだったのがおかしかった。あとでその話をすると本間興業の仕事だったという。
このあと夕方からサンクト郊外にあるウプサラサーカスに移動。ここは2008年に創立されたストリートチュルドレンたちのためのサーカス団。ここで最初はダウン症の子供たちと一緒にジャグリングを楽しむという。「障害をもった子供たちがいかにしてジャグリングをするか」がここの支配人であるラリサの指導のもと行われる。最初はちょっと危険なのではとも思ったのだが、ビニール袋を使ってジャグリングをする。ここの子供たちはそこそこジャグリングができている。あとで指導者のひとりがジャグリングは一番子供たちが集中してやるのでいいと言っていた。
このあとサーシャの、子供たちを相手にしたワークショップ「空飛ぶオレンジ」。最初は子供たちに果物や野菜を自由にとらせてジャグリングをさせ、競技形式にして最後に残ったものにプレゼントをあげるというもの。このあと皆を坐らせ、なぜか私が餌に使われ、フリッシュと私が二年前の「スノーショー」の時偶然あったことや、私がサーカスについての本を書いているということなどを紹介、そのあとトイレットペーパーをつかったギャグをみんなに披露するということになったが、私はこのネタを知っているよと言ったら、チェンジされる。
このあとは「ウプサラサーカス」でメンバーによるショーを見学。この公演には「サーカス産業セクション」に参加していた代表団も多数集まる。とにかくテントの雰囲気が最高。二人による生演奏からはじまる。7人のメンバーによるショー。派手な芸はないのだが、なぜかさわやか。この感じはどこかでいつか感じたもの、そうそう「沢入サーカス学校の発表会」の時に感じるものと同じさわやかさである。
公演後ピローグとワインで交流会。いま到着したばかりのジェローム・トマやサハのセルゲイもジャグリングを披露するという楽しい夕べになった。なぜかウプサラサーカスのスタッフさんに自分はすっかり人気ものになってしまって、あちこちからお呼びがかかった。サーシャのおかげで、すっかり「オオシマさん」がスタッフさんの頭に入ってしまったようだ。
ジャグリングセクションの責任者のスラーバ夫妻も参加。にぎやかな交流会になった。そういえば変だったのは、ロスカンパニーの副総裁という名刺を持ってきた若い男が親しげに近寄ってきて、名刺を出してきたこと。自分のようなカスのようなプロモーターはロスカンパニには必要ないと思うが・・・公演後偉そうに出演者の前で挨拶したり、嫌な奴だった。
このあとホテルに戻り、サハのセルゲイの部屋で明日発表することになっているワレンチン・グニェーショフと今日発表をしたジャグラーのビリャウエールとで、サハのウォッカとレナで採れた魚モキウムを肴に一杯。この魚が絶品だった。サハサーカスのクラウンとして活躍するセルゲイの姪っこのファクーラがかいがいしく世話をしてくれる。セルゲイにとってすればマルファの血とつながっていることで可愛くてしかたがないようだ。
ウォッカがなくなったところで、下に行き、ナターシャとマーシャを交え、バーでまたウォッカを飲み直す。自分にはちょうどいいくらいだったが、セルゲイには多すぎたようだ。



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新手詐欺の先例

2016-11-30 14:55:43 | 
5時前に起床。水族館劇場に頼まれていた原稿をチェック、問題なさそうなので送付。ほぼいつもどおりに家を出ればいいので軽く走る。あとは1週間以上走れなくなるということもある。走っているうちにサーカスフォーラムに参加する人にアートタイムスのサーカス学特集をプレゼントすることを思いつく。トランクを開けて10冊詰め込む。これで俄然重くなった。駅まではどても歩けないということでタクシーで冨岡駅まで。
電車に乗ったところで、もしかしたらと忘れ物に気づく。発表の時に使おうかとプリントアウトしていたパワポ文書と発表の時に使おうと思った資料。家に電話する。しっかり机の上にあるという。戻るわけにもいかないし、なくてもなんとかなりそうなのでそのままに。余裕もってやっているはずなのにどうしていつも忘れ物をするのだろう。
今回はネットでチェックインしておいたので、座席もとれたしすごく楽だった。しかも荷物はサンクトまで行くので、モスクワでピックアップする必要はない。
アエロフロートは機内でビールがでないことを乗ってから思い出す。一応ハイボールの缶を買っておいたのは正解だった。ずっと今度飛行機に乗り時は読もうと思っていた沢木耕太郎の「流星ひとつ」を読む。藤圭子引退前のインタビュー。いいルポだった。最初は死んでから二カ月後にこの本が出て、ずいぶんあざといことをと思ったが、読書好きで信頼できる友人がこれは面白いと言っていたのを思い出し、読んだのだが、いい本だった。
モスクワ到着。二年前機内アナウンスで1時間遅く間違った時間を聞いたために、乗り継ぎのとき大変だったことを思い出す。モスクワ定刻到着、2時間も時間があるし、今回は搭乗券もあるので余裕だろうと思ったら、入国審査に長蛇の列。8割近くは中国人。結構かかった。それでも一時間以上はあるので楽勝と思って、国内線の乗り継ぎの案内を探していたときだった。アエロフロート・トランジットという札をぶら下げた男が寄ってきて、国内線の乗り継ぎか、ここからえらく遠くだし時間もないので、いま案内をつけるからすぐについて来いという。なにか乗る便のトラブルでもあったのだろうと思い、ついていくと、外に出て車に乗せられる。地図を見せてこんなに離れているから、この車で行け、お金はルーブルだけだというところで、変だなあと思い始める。飛行機のトラブルではないの、時間はあるし、乗り継ぎは近いはずだがとロシア語で聞くと、ロシア語がわかるのか、どうでもいいけど時間ないよ、あとは自分の好きにしてという。あわてて車を出てまた空港に戻る。まあこんな手もあったのかという新手の詐欺だったことに気づく。これで時間が大幅になくなったが、なんとかセキュリティーを終えて、搭乗口へ。ちょっと時間があったのでビールでも買おうとぶらぶら。搭乗口に戻ると時間なのに人気がない、時刻表を見ると、搭乗口が変わっている。ここはロシアなのである。最後の最後までチェックしないと。あわてて変更した搭乗口へ。乗客の多くは中国人観光団。この人たちは列で待つという習慣がないから困る。
予定より1時間近く遅くサンクトの空港に到着。-3度というアナウンスだった。今年は例年になく寒いというのは出迎えに来たアリョーナの話し。
フォーラム会場のDDTから近いところのホテルかと思ったら、ずいぶん遠くのホテル。チェックインして一安心。カードキーをもらって部屋に入ったら驚いた。部屋の中に二階がある。とんでもないいい部屋。台所もあるし、応接間もあるし、前回のホテルとは雲泥の差。かえってどうつかったものか部屋の中をあちこちいったりきたり。やっとネットをつなぎ、荷物も片づけ。冷蔵庫に入っていたビールを飲んで一息。まあいろいろあった一日であった。着くだけでこれだけ疲れる、ここはロシアなのである。

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ソウル秋の旅5-映画『密偵』を見る

2016-10-31 06:28:57 | 
ホテルから歩いて行ける映画館で8時45分から映画「密偵」を見る。今日はいい天気になりそう。少し早めに映画館に行って切符を買ってから、近くのコンビニをのぞいてみる。こんな早くから映画をやっているということも不思議だったのだが、見るお客さんもいるのにも驚く。
字幕なしで韓国映画を見るので、朝早いし寝ちゃうかと思ったのだが、セリフなんかわからなくても展開が早く、見どころも多いのでまったく退屈せずに楽しむことができた。
最近見た「暗殺」と同じように占領下の韓国が舞台。日本軍に雇われている密偵の韓国人にソン・ガンホが扮し、上海からソウルまで爆弾を運ぼうとする抗日団体の実施リーダーにコン・ユ、その恋人にハン・ジミンという名優が出演、しかもイ・イヴョンホンまで特別出演しているというアクション映画。日本人悪役として鶴見辰吾が出てくれているので彼の日本語で大体と筋書きがわかったことも大きいが、映像だけでも見どころ満載だから面白いのなんのって。上海の場面も良かったし、上海からソウルまでの列車でのアクションシーンも迫力があった。いい役者が揃っていてこれだけ映像の迫力でせまってくればセリフなんかわからなくても十分楽しめるということだ。「暗殺」よりもおもしろかった。
映画を見終わって外にでる。お昼近くになったのでここは空港まで行ってロッテモールで食事しようということに。ソウルフードの最後は石焼きビビンパで絞めた。
観光地は見ることもなかった今回の旅だったが、イ・ジュンソプと映画、そしてチュルタギも見れたということで、十分楽しめた旅となった。

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ソウル秋の旅4-ソウルのタシケント

2016-10-31 06:20:21 | 
展覧会を見終わって徳寿宮を少し散歩する。心地よい疲労感につつまれる。遅い昼飯となるところだが、ジョンスプの絵ですっかり満腹してしまったのかあまり食欲はない。どこかカフェで軽く食べようかということになる。市庁前付近を散歩しながらカフェに入る。ワッフルがあったのでそれを妻と食べる。俺らしくない気もするが、昨日のチョコパフェといい、そんな気分になっているようだ。
雨がふる通りを眺めながら、ワッフルというのも悪くないかも。
いったんホテルに戻って少し休むことに。
ふたりとも疲れたようで、少し寝る。目が覚め、外を見ると、傘をさしている人が少なくなっている。
今晩は昨日目をつけていたチゲ鍋の店でとることに。最初に頼んだチャミスルが甘いやつだったので、スイスイ、すぐに二本目を頼む。絞めのこげ飯がめちゃうまかった。チョミスルを2本飲んだこともあってすっかりいい気分になっていた。昨日も歩いた中央アジア系の店が並ぶ通りをまた歩く。店の人にロシア語で話しかける。入りたい中央アジア風のカフェがあったのだが、妻は嫌そうだったのでやめとく。
腹ごなしの散歩も終えてホテルに戻る。かくして2泊3日の短いソウルの旅の最終日も過ぎていった。

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ソウル秋の旅3-イ・ジュンソプ展2

2016-10-31 06:15:16 | 
第一コーナーは若い時に描いた絵から戦後戦乱から逃れ家族そろってひっそりと生きていた済州島での絵画、さらには朝鮮動乱の兵士を描いた画や、ポストカードなどが並んでいる。その他に彼の書いたエッセイや彼について書かれた評などが載っている雑誌なども展示されている。さまざまなタッチの絵がある。風景画、人物画、スケッチ、故郷の絵、家族でひっそりと貧しく過ごしていた済州島の海辺の絵、なにかの流派には括ることのできないあふれるような創造のひらめき、描くことへの情熱、くねるような線でなんとか描こうとする愛のかたち、兵隊さんを描くときの冷めた視線、この画家がさまざまな可能性をもっていたことがよくわかる。それは描きたいという情熱、描こうとするものへの限りない愛、それをかたちにしたいと筆をもったときに一心不乱に紙に立ち向かうその思いが、びんびん伝わってくる。「俺は描きたいんだ、描くんだ」という情熱のほとばしりが迫ってくる。
このコーナーのメインとなっていたのは済州島での彼の創作活動を紹介するところ。彼が家族3人と一緒に住んでいた家がどんな狭いところだったかを、実際の間取りを再現してくれる。そして映像でその住まいを見せてくれる。自分がとても印象に残ったのは、朝鮮戦争の兵士を描いたスケッチだった。彼のそれまでのタッチはまったくちがう現実への冷めた目線がある。それとやはりポストカード。わずか1年未満のなかで描き続けるハガキ、そこには妻への愛を語りかける日本語と挿絵が一体となっている。執拗に彼が描き続ける家族への愛のかたちがはっきりとここで確立されているような気がする。
第二コーナーは、戦争と戦後の混乱のなか画用紙もカンパスも手に入れることができなかった彼が、タバコの包装紙となる銀紙に、刻み込んだ絵が並ぶ。ちょっと肉眼では見ることができないようなそのスケッチに描かれているのはすべて家族、子どもと妻たちである。同じテーマでいくつも版画や絵も残っているのだが、この銀紙に刻まれた家族の絵は、とにかく細かくこれでもこれでもかと描きこんでいる。肉眼ではわからないくらい細かい描写をこれでもかこれでもかと、刻み込んでくる。それでなくてもわかりにくいのに、なんでこんな絵に描くよりももっとたくさんの、そして細かく刻み込もうとするのだろう。その思いがせつなく伝わってくる。これはひとつの執念ともいえるものではないか。2階にあがっての第三コーナーのメイン妻や子どもたちにあてたレター絵と牛の絵。レター絵にはこれだけ混み合っているのに、かぶりつくようにそこに書かれている日本語を読みはじめていると、ずっと立ち尽くし読まざるを得なくなる。自分の家族への愛をどう伝えようと必死になっているその言葉が胸に響いてくる。生一杯と書く彼の思いが伝わってくる。文面を読んでいると何度かこみあげてくるものがあった。やさしい挿絵ばかりだ。家族を描くとき、その深くせつない思いがみんなを絡み合わせながら結んでいっているのではないか。今回の展覧会のまさに核となっているコーナーであった。そして力強い牛の絵も並ぶ。そしてこのシリーズに最後には葉山の展示会でも展示されていたあの「旅立つ家族」があった。どん底にいた時代に描かれたものとは思えない力強く、未来をしっかりとみつめた絵である。
最後のコーナーは晩年の彼の絵が並ぶ。彼が精神を病んでいたことに描いた「帰らざる河」シリーズが目を引く。なんとも物憂げで窓から見ているのはおそらくは自分で、彼が見ていたものは故郷の村だったのではないか。あれだけ力強く未来を見つめた「家族」を描いた彼がみた絶望の深さがわかるような気がする。
文化座の芝居でも描かれていたソウルで開催された展覧会の様子も写真で紹介されている。そして彼の作品集なども展示される中、自分も見た映画「「ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻」の奥さんのインタビューのシーンが流されていた。妻の話だとこの映画はいまソウルで上映中とのこと。
およそ2時間近くじっくりと見ることができた。イ・ジュンソプという画家の軌跡をこれだけたくさんの絵を通じてたどることができた。もしかしたらまだ彼の絵はもっとあるのではない。それでもやはりソウルまで来てこれだけたくさんの絵を見れたことでかなり気持ちは火照っていた。美術館を出ると雨がまだ降っていた。この火照りをすこしさましてくれるようなやさしい雨だった。

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