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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

風邪薬

2016-12-06 14:29:16 | 
寝た、寝た。10時間以上寝るなんてどんだけ久しぶりのことか。時計はまもなく11時になろうとしていた。シャワーを浴びる。前日浴びれなかったので気持ち良かったのだが、栓をしめたまま浴びていたため部屋に水が流れだしてしまった。あやうく部屋を水浸しにするところだった。朝飯を食べたあと、いま建築中の家の内部を見学。まだまだ完成までの道のりは遠そうだ。自分が泊まる部屋もある。早く関係させたいなあ。
また別宅の方に戻って遅めのランチ。フェルーザは明日の手術のため今日から入院。娘のダイアナは泣くこともなく、がっばってひとり遊んでいる。なかなか健気である。
相変わらず渋滞がひどいというので、今日は電車と地下鉄をつかって打ち合わせの場所にいくことにする。ここは電車の駅が近いからいい。
待ち合わせの駅でフリシュの友人と合流、音楽センターに向かう。ここであるフェスティバルについて話しを聞く。
22時に帰宅。まもなくサハのセルゲイもトゥイチーの家に到着。久しぶりの対面ということでふたりもうれしそう。
それからセルゲイが持ってきたサハのウォッカを魚とズフラがつくったプロフを肴に一杯やる。三人とも風邪気味ということで、さらに薬品らしくするために胡椒をいれる。こうすると身体が温まり、中からカッカッカとしてくる。これは治りそう。
セルゲイがマルファの思い出話をぽつりぽつりと言う。やはりこういう場が欲しかったのだと思う。今日はトゥイチーもよく飲む。最後は大事なのは関係なのだ、こうしていま三人がいるのも、いままでの関係があったからではないか、俺たちはほんとうにいい友だちなんだよと言ったところでおひらき。朝の2時になっていた。結構よく飲んだ。今日は自分はフェルーザの部屋で寝ることに。

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モスクワへ

2016-12-05 20:41:53 | 
昨日の薬は多少効果はあったようだ。ずいぶん楽にはなった。ちょっと汗をかいたようなのでシャワーでも浴びようとしたらお湯がなかなか熱くならないのであきらめる。いくら立派なホテルでもこれじゃな。朝飯を食べて、荷造りをしてから部屋で一仕事と思ったら今度は寒い。ダウンジャケットを奥さんが持たせてくれたのだが、正解だった。チェックアウト。歩いてクンストカーメラへ。今日は暖かくなったようで、道路がつるつる、歩きずらいことこのうえない。ロシア人がすいすい歩くのにびっくり。約束の15分前にやっと到着。
11時日本課長のシニーツィンがやってくる。すぐに別棟の学術センターに案内される。ここで保管されている古い日本の着物をみせてもらう。環海異聞に出てくる刺し子の着物がどこかにあるのではと、来る前にいろいろやりとりをしていたが、記録が残っていないので、断定はできないが、たぶんないだろうということだった。最初に見せてもらったのは、厚手の着物、可能性としてはあるような気がした。もう二着アイヌの服も見せてもらう。これはシベリアコレクションのものだという。
このあと今日は休館日なのだが、クンストカーメラの日本コーナーを案内してもらう。大黒屋光太夫の扇子とか、見ただけではわからないものがごっちゃに展示してある。説明を聞いて初めてわかった。
とても親切な学者さんだった。今後も関係をもっていきたい。
また滑りながらホテルに戻り、両替してくれる銀行を探す。ホテルで教えてもらった銀行は外貨の両替はしていないという。結局みつからず、ホテルに戻り、駅までタクシーを予約。支払いはカードでできるという。
汽車が出発する1時間前に到着、自動販売機のコーヒーを買おうとしたら、誰か寄ってきて、切符を買うのにお金が足りないから恵んでくれという。こっちだって金なくているのに。そんな金はないと振り切る。自動販売機のおつりが出ない、癪なのでもう一杯飲むことにして5ルーブル足らないのだが、ボタンを押すとあっさりと出てきた。相変わらずロシアである。
改札がはじまりモスクワ行きの特急に乗る。これがなかなか快適な列車。4時間弱でモスクワ到着。トゥイチーに号車を教えてあったのだが、姿が見えずちょっと焦ったが、すぐに歩き寄ってくる。もう秘湯の出口で待っていたようだ。雪が一日中降っているというので嫌な予感。予感的中ですぐに渋滞に巻込まれる。中心を通り過ぎるのに、2時間かかった。11時前に到着。ズフラとフェルーザ、チィミールから抱きつかれる。早速シャシリークの晩飯を薬のウォッカ付きで。相変わらずズフラの料理はうまい。少し休憩したあと、いま建設中の新宅へ。今日はここで寝ることに。ベットを用意してもらい、すぐに横になり寝入る。

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チニゼリサーカス

2016-12-04 13:14:01 | 
朝飯を早く食べてもろもろメモを整理。ACCのホームページ用のフォーラム日誌をまとめる。ほんとうは写真もあるといいのだろうが・・・・ろくなもんじゃない。
重装備をして部屋を出る。どうしてもフォーラムで紹介されていたチニゼリサーカスの本が欲しかったので、まずはネフスキイ大通りにあるドームクニーガが目的地。意外に近かった。残念ながらサーカスコーナーにはこの本はなかった。もしかしたらサーカス会場で売っているかもしれないということで、ついでに13時からのショーも見ちゃおうとフォンタンカ運河のチニゼリサーカスに向かう。そういえば修理されてから一度も行っていなかった。12時ぐらいについたので余裕で当日券を買えるかと思ったら、これがなかなか大変。列はちゃんとできているのだが、当日券と前売りを一緒に売っているからひとつの対応の時間が長い、そのうちに客同士でいい合いが始まり、係員に文句をいう人も。そんなときに一枚券が余っているというおばちゃんが買い手を探していたのでこれはラッキーということで購入させてもらう。サーカス場に入ってびっくりしたのは天井がすっかり変わり、キャットウォークのようなものもできていたこと。これを修理するにあたってスラバが天井が古くなっているから危険だということを言っていたが、これで完璧だろう。今日の出し物はサーカスフォーラムにも出席していたボリショイサーカスのザパーシヌィ。あまり期待していなかったのだが、ここ数年見たサーカスでも群を抜いていたかもしれない。圧巻は熊のショーと犬のショー。さすがボリショイである。カチェーリは今年のボリショイで来ていたチームと思うが、日本公演よりは全然良かった。パーチもすごかった。となりの切符を売ってくれたおばちゃんがなかなかのサーカス好きのようで、一緒に来ていた同年配の女性に説明していた。公演のあと「面白かった?」と聞かれたから「とても面白かった」と答えると、「明るいから良かったよね」と言っていたがほんとうにその通りだと思う。
休憩時間中にロビーをうろうろ、サーカス博物館で前に陳列していた衣装や写真が廊下にすべて置かれていた。サーカス博物館へ行くドアはわかったのだが、そこに人が群がりとても行けそうもなくあきらめる。やっていたかどうかもわからないが。そして売店であの本を見つける。2500ルーブルといういい値段だったが、この本は絶対欲しいので購入。
公演中せきがでて困ったが、どうも風邪をひいたようだ。部屋寒いもんなあ。薬用のウォッカを買ってホテルに歩いて戻る。さすがに疲れた。
19時半電話。アレクセイ・クルーゼンシュテルンがやって来た。下におりる。雪のピョートルを案内すると言ってくれたのだが風邪がどんどんひどくなっていく感じなので、遠慮させてもらう。持ってきたラングスドルフの本の翻訳をプレゼント。喜んでいた。アレクセイはまた最近本をつくったという。書名のメモをもらう。30分ほど話してお別れ。咳がとまらないので遠慮したのだと思う。
部屋に戻って持ってきた非常食のカップヌードルを食べて、ウォッカを2杯ひっかけすぐに就寝。旅の後半戦の一日目は終わった。

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フォーラム終了

2016-12-03 13:08:52 | 
朝ドミニク・ジャンドゥが帰国するというので、持ってきた「アートタイムス」を進呈、掲載記事のひとつリズリーの本の書評を見て、びっくり作者のフレッドとは一ブロックしか離れていない近所同士だという。
8時45分出発、昨日までの会場であったボリショイドラマ劇場小ホールではなく、エルミタージュ美術館内のホワイトルームに向かう。たぶん予定表にはそう書いてあって、オーガナイザーはみんなわかっていると思っているのだろうが、来てみてびっくりという感じ。今日の公演の準備をボリショイドラマ劇場のスタッフさんと二回も確認しながらやったのに、聞いていないという感じだったのだが、自分の中ではまたボリショイドラマ劇場に戻るんだよなという気持もあった。ところがロスカンパニーのイワノフ代表の挨拶、ポルーニンの野外劇についてのスライド上映が終わったあとに「ミキオ・オオシマ」と呼ばれてしまった。でもUSBとDVDを持ってきたことは救い。昨日まであれだけチェックしたyoutubeのリンクが使えないことがわかる。インターネットがないという。こんなもんである。とにかくオリガが訳してくれたテキストを読むしかない。昨日までのフランクな感じではなくかなり公式的な感じで緊張もしたし、やはり意外な展開に動揺もあったかと思うが、なんとか終えることができた。あとでわかったが最後に見せた頭と口の渡邉君のフロアージャグリングがかなり衝撃を与えたようだ。
このあとはサーシャと一緒にカフェで食事。黙って食事する男ではない。次々に来たお客さんや係員に話しかける。不思議なのだがこれが厭味がないからみんな乗ってくる。おかしかったのはひとりの作家さんが話しているうちに意気投合して、本までプレゼントされたこと。さらに2時半からはじまったルナチャルスキイ賞授賞式で隣合わせて人から、フリッシュよねと声をかけられ、すぐに記念撮影。たいしたもんである。
ホテルに戻り一休み。ロビーではまたワレンチンがすっかり酩酊していた。つかまりそうになったが、フサーシャが救いの手を出してくれて、部屋で休めることに。
8時からはじまるいまサンクトで話題になっているカバレットショーを見学。車でレニングラード駅までしか送ってもらえなかったので、会場までかなり歩くことになったが、いい運動になった。素晴らしい会場だったがショーはひどいものだった。休憩時間で抜け出して、ポルーニンの自宅へ。無事に今日でフォーラムが終わったということで打ち上げをやっていた。インド料理をつまみながらここでもサーシャの話にみんな腹を抱えて大笑い。今日自分の話の中で映像を見ることをとても楽しみにしていたナターシャに、USBをそのままプレゼント。これでちょっとほっとする。スラーバ夫妻に別れを告げて、ホテルに戻る。またロービーではワレンチンが飲んでいた。これから汽車でモスクワに帰るという。抱きつかれ、ほんとうに今回あえて良かったと言ってくれたのはうれしかった。ほんとうに俺はお前のことが好きなんだぞというから、俺も好きだよというと、そんなにでもないだろうと言い返すところは相変わらずなのだが・・・
このまま部屋に戻り、今日は二階のベッドで寝ることに。こんだけ広いからなのかもしれないが、部屋が寒い。来てからずっと続いていた喉の痛みはなくなったのだが、せきがとまらなくなっている。電話が鳴ったがもうでないでおく。そのまますぐに寝ついてしまった。


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プーチンとニアミス

2016-12-02 12:55:02 | 
会場に行くバスの中で、カザフ国立サーカスの新しい総裁やモンゴルサーカスの総裁たちと名刺を交換。みんな「サーカス産業」セクションなのだが、こちらはかなりの豪華メンバーだ。モンゴルサーカスのディレクターは二年間日本で日本語を勉強していたというので日本語がうまい。カザフのディレクターはかなりがたいが大きいのでパーチかなんかしていたのかと思っていたら、オペラ歌手で前はオペラ劇場の支配人をしていたというので大笑い。
今日のジャグリングセクションはなかなか濃い内容になっている。
まずはグニェーショフが演出したジャグリング作品の名作「ピエロ」をピモネンコが実演。予定ではこのあとワレンチンの講演があるのだが、どうやらまだ会場にきていないらしい。そこでこういうときはいつも頼りになるサーシャがワレンチンの演出について解説。このピエロの原型はベルチンスキイだったというが、なるほど・・・このあとセルゲイ・イグナートフが自分のビデオを見せながら解説。その中には1988年の日本公演の映像も。このとき彼は11個のリングのジャグリングに成功している。この日本公演のことはよく覚えている。あとで彼にシェフシェンコのグループと一緒だったときだよねと聞くと、そうだとの答え。あのときはもう亡くなってしまった自転車のサーシャが来ていたので、よく会っていた。たしかこの年にはリングリングサーカスも来ていたはず。そのときの印象ではイグナートフは見かけはストイックな感じがしていたのだが、この日の彼は冗談も交えかなりの饒舌家だった。アメリカ公演で初めて11個のリングに成功したときのプライベートビデオはなかなか感動的だった。
このあとワークショップ。およそ3時間あった。これは4つのボールができることが条件みたいだったが、実に興味深いワークショップだった。見ていても若いジャグラーたちがどんどんうまくなっていくのがわかる。教え方が実にしっかりしているということなのだろう。彼を日本に呼んでワークショップさせたらいいのではないだろうか。
このあと短いブレークのあと、寝坊して遅れてきたワレンチンの講演。ろいろ興味深い話もあったが、どこか崩れてしまっていていることが憐れだった。聞けば今日の朝食会場でシャンペーンを何度もおかわりしてすっかり酔っぱらっていたという。途中二度ほど感情的になって泣きだしたのにはびっくり。あとでナターシャがサーシャとワレンチンは今回のクラウン役だったよね、と言っていたが、泣いた後にまた笑わせたり、とにかく感情の起伏が激しかった。ここまできてしまうとは・・・・最初は彼のことをたてていたサーシャも見捨てたような感があった。
このあとイギリスのショー・ガンジーというなかなか面白いジャグリングショーをつくっている人がビデオで自分たちのショーを紹介したあと、ワークショップ。
このあと本当は自分が話すことになっていたのだが、今日は時間がないので明日になってしまった。せっかく朝飯も食べずに練習していたのだが・・・まあ今日は二日酔いもまだ残っていたので明日の方がいいだろう。
このあとがジェローム・トマがいままで彼がつくってきた自分のビデオを見せながら解説。これがみんな面白いものだった。彼はジャグラーとしてもすごいと思うが、作品をつくるセンスに満ちあふれている感じだ。このあとワークショップ。今日参加したジャグラー君たちはずいぶんいいチャンスをもらえたのではないだろうか。三人それぞれ違うスタイルだが、かなり中身は濃い。自分は最後まで残ってワークショップを見学。開会セレモニーが行われるマリンスキイー劇場に行くまでジェロームといろいろ話す。彼はずいぶん前に大阪のNGKで働いただけで、日本では公演してないという。彼のつくった作品がまだ上演されていなかったとはちょっと意外だった。
厳しいチェックを受けて、マリンスキイー劇場で開かれた第5回文化フォーラム開会式に出席。最初の挨拶はプーチン大統領。この人の肝入りでこの文化フォーラムははじまったという。このあと1時間ぐらいのショー。今年がロシア映画年ということで映画にちなんだ出し物が続く。最初はエイゼンシュタイン「イワン雷帝」の有名なシーンがスクリーンで紹介されるなか、プロコフィエフの音楽がゲオルギーエフ指揮のフルオーケストラで演奏されるほか、今年のヒット作や来年公開予定の映画なども紹介された。なんでもいまロシアでは映画が産業としても成長しているらしい、観客数も増え、映画館自体も増えているという。すべてが終わりプーチンが退場するところで、意外に近いところを通りすぎてくれたのでスマホで撮影。あとで家人にラインで送り一人悦に入っていた。、
ホテルに戻ってから、セルゲイとイタリアのサーカス研究家でプロモーターでもあるギアロアとブルガリアのエージェントのステファンと四人でホテル近くのチェコレストランでビールを軽く飲みながら談笑。ギアロアがプロデュースしたという馬150頭のショーのデモンストレーション映像を見せてもらったがこれは凄い。
ホテルのロビーではまだ関係者が残って飲んでいたようだが、ここはパスさせてもらって部屋に戻る。


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