まだ比較的最近の某日、昼前に「なか卯」へ行ったときのことです。
ひとりの女性が店の中に入ってきました。
彼女は、食券販売機をスルーして、カウンター越しに直接店員に話しかけました。
「1万円(札)を、両替してもらえないか?」と。
少し苛々したような口調に聞こえたので、私もちょっと気になりました。
見ると、彼女の手には1万円札が握りしめられています。
だけど…、
『この店で両替は、無理だろう』
ってなことを思いながら、私はそれとなく様子を見ているだけ。
「駐車場の精算機が、この1万円札を受け付けてくれないから!」
みたいなことを、店員に訴えています。
やっぱり、苛々しているのですね。
お店の隣にコインパーキングがあるので、そのことを言っていたのでしょう。
クルマを出したいのに自動精算機が1万円札を受け付けてくれない、だから、両替してくれと、店に入ってきたわけですね。本当に苛々しておられました。
「(店の)隣の駐車場ですか?
ああ…、あれはウチ(店)とは関係ないので、両替できません」
と店員が言ったものだから、女性の苛々は極限に達したみたいで、
「もうっ!どうしたらいいのよぉ!!」
と吐き捨てるように言い残して、足早に店を出て行ってしまいました。
『近くにコンビにもあるし、ジュースでも1つ買って、釣りをもらえばいいのに…』
と、私はそう考えてしまうほうなので話にならないのですが、よくよく考えてみたら、いまや1万円札をふつうに両替してもらえる場所というのは無いのかもしれませんね。ニセ札を両替する事件もありましたからね。
しかしながら、店員のひとことも、別の言い方があったのではないかと思います。
断るのは構わないと思うのですが、気持ちよく断ってほしいですね。
『両替できなくて、ごめんなさい!』
という気持ちを言葉に乗せないと、言われたほうはやっぱり不愉快です。
食べにきた〝客〟ではないのは承知のうえですが、一応、店の中に入ってきた人ですから、気持ちをこめて応対しなければならないと思います。
そういう対応を、このタイプのお店に求めるのは酷ですかな。
ひとりの女性が店の中に入ってきました。
彼女は、食券販売機をスルーして、カウンター越しに直接店員に話しかけました。
「1万円(札)を、両替してもらえないか?」と。
少し苛々したような口調に聞こえたので、私もちょっと気になりました。
見ると、彼女の手には1万円札が握りしめられています。
だけど…、
『この店で両替は、無理だろう』
ってなことを思いながら、私はそれとなく様子を見ているだけ。
「駐車場の精算機が、この1万円札を受け付けてくれないから!」
みたいなことを、店員に訴えています。
やっぱり、苛々しているのですね。
お店の隣にコインパーキングがあるので、そのことを言っていたのでしょう。
クルマを出したいのに自動精算機が1万円札を受け付けてくれない、だから、両替してくれと、店に入ってきたわけですね。本当に苛々しておられました。
「(店の)隣の駐車場ですか?
ああ…、あれはウチ(店)とは関係ないので、両替できません」
と店員が言ったものだから、女性の苛々は極限に達したみたいで、
「もうっ!どうしたらいいのよぉ!!」
と吐き捨てるように言い残して、足早に店を出て行ってしまいました。
『近くにコンビにもあるし、ジュースでも1つ買って、釣りをもらえばいいのに…』
と、私はそう考えてしまうほうなので話にならないのですが、よくよく考えてみたら、いまや1万円札をふつうに両替してもらえる場所というのは無いのかもしれませんね。ニセ札を両替する事件もありましたからね。
しかしながら、店員のひとことも、別の言い方があったのではないかと思います。
断るのは構わないと思うのですが、気持ちよく断ってほしいですね。
『両替できなくて、ごめんなさい!』
という気持ちを言葉に乗せないと、言われたほうはやっぱり不愉快です。
食べにきた〝客〟ではないのは承知のうえですが、一応、店の中に入ってきた人ですから、気持ちをこめて応対しなければならないと思います。
そういう対応を、このタイプのお店に求めるのは酷ですかな。
ところで、店員というのはある意味では店の商品ですから(人件費の割合の高い飲食業の場合は特に)、店員に高い品質を求めるのは「酷」ではないと思いますよ。
ということでしょうけれど、どの程度まで踏み込んでいけば良いか、加減の難しいところです。
接客マニュアルを踏まえたうえで、それを超える応対に挑戦するのが仕事の楽しさになるのかもしれません。(←いい加減なことを言っています)
或いは、マニュアルを超えた応対を禁じているのが、マニュアルなのかもしれませんが…。