寒さもゆるんで、いい天気の一日でした。
午後に、地元エリアを てくてくと、散歩してきました。
ひさしぶりに、木津川を歩いて渡ってみました。(玉水橋)
↑玉水橋(たまみずばし)。これは西詰め、京田辺市側です。
↑橋を渡った向こう岸は、綴喜郡井手町(つづきぐん・いでちょう)。
↑橋の上から。 上流側を見ています。
ほんま、木津川を歩いて渡るのは久しぶりです。
↑橋の上から、川がカーブしている様子が見えます。
カーブの外側と内側で〝地形〟が異なる様子が、わかります。
小学校理科の教材に、もってこいだわ
↑玉水橋を渡って井手町に入ると、すぐに国道24号線との交差点があります。
その交差点のそばに、井手町役場が建っています。
『みんなで乗って、全線複線化』 (JR奈良線複線化促進協議会。←JR奈良線沿線の市町で構成)の幕が掲げてありますね。
近鉄京都線は通っておらず、JR奈良線によって京都方面・奈良方面と結ばれている井手町にとって、同線のさらなる輸送改善への期待は大きく、切実。
↑玉水駅前の通り。
画面奥、どんつきがJR玉水駅。
↑玉水駅に着きました。 自宅からここまで歩いて、1時間ちょっとかかりました。よう歩いた~
駅前の植え込みに置かれたモニュメントみたいなのは、井手町のマーク。町章。
「なんか、亀岡市のマークに似てない?」
「見分けはつくぞ。見間違えることはないと思うけど。〝突き抜けたら〟亀岡っぽくなるかも…」
◎玉水駅のなか
↑玉水駅のなか(2番線プラットホーム)には、こんな記念碑が。
「国鉄電化9000km達成記念」と記されています。
JR奈良線(国鉄奈良線)が電化されたのは、昭和59年(1984年)10月のことでした。
↑同じく2番線プラットホーム、電化9000kmの記念碑の隣りには、大きな岩と「水難記念」の碑文。
昭和28年(1953年)8月に京都南部を襲った豪雨被害は「南山城水害」の名で現在に語り継がれており、私も、経験していないけれど知っている。
この岩は、その水害のときに、氾濫した濁流に押し流されて、この場所までやってきたということです。
↑水害の歴史を伝えつつ、プラットホームから電車の運行を見守っている、大きな岩。
↑玉水駅の跨線橋から。
この付近の奈良線は単線。 駅の部分だけ、複線になっています。
なお、玉水駅は無人駅ではありません。
↑頑張っています、103系電車の京都ゆき。 (この画像のみ、きょう撮影したものではありません。以前に玉水駅で撮ったもの)