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「神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し」(by 伊藤博文氏)

2019-07-31 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月31日(水)11時17分55秒

三年前、宇野重規氏の『保守主義とは何か─反フランス革命から現代日本まで』(中公新書、2016)を少し検討したときに、宇野氏が伊藤博文の枢密院での演説に言及した部分を引用しました。

「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」(by 伊藤博文)https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1e50dbf8594f70801e0a5b4f1bc70cd5

宇野氏も参照しておられる瀧井一博編『伊藤博文演説集』(講談社学術文庫、2011)を確認してみたところ、これはなかなか格調の高い名演説ですね。
4頁ほどの分量ですが、参考までに前半を引用してみます。(p17以下。フリガナはそのままでは若干煩雑なので、適宜省略)

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2 憲法草案審議開会演説
       明治二十一年六月十八日(枢密院)

 各位、今日より憲法の第一読会を開くべし。就ては注意の為め開会に先〔さきだ〕ち此〔この〕原案を起草したる大意を陳述せんとす。但し此原案の逐条に渉ては今日素〔もと〕より一々之を弁明すべきにあらず。
 憲法政治は東洋諸国に於て曽て歴史に微証すべきものなき所にして、之を我日本に施行するは事全く新創たるを免れず。故に実施の後其〔その〕結果国家の為に有益なるか或は反対に出づる歟、予め期すべからず。然りと雖〔いえども〕二十年前既に封建政治を廃し各国と交通を開きたる以上は其結果として国家の進歩を謀るに此れを舎〔す〕てて他に経理の良途なきを奈何〔いかん〕せん。夫〔そ〕れ他に経理の良途なし。而して未だ効果を将来に期すべからず。然れば則ち宜く其始〔そのはじめ〕に於て最も戒慎を加わえ、以て克く其終あるを希望せざるべからざるなり。
 已に各位の暁知せらるる如く欧洲に於ては当世紀に及んで憲法政治を行わざるものあらずと雖、是れ即ち歴史上の沿革に成立するものにして其萌芽遠く往昔〔おうせき〕に発〔ひら〕かざるはなし。反之〔これにはんし〕我国に在ては事全く新面目に属す。故に今憲法を制定せらるるに方〔あたつ〕ては、先〔ま〕ず我国の機軸を求め我国の機軸は何なりやと云う事を確定せざるべからず。機軸なくして政治を人民の妄議に任す時は政其〔その〕統紀を失ひ国家亦〔また〕随て廃亡す。苟〔いやしく〕も国家が国家として生存し人民を統治せんとせば、宜く深く慮つて、以て統治の効用を失はざらん事を期すべきなり。
 抑欧洲に於ては憲法政治の萌芽せる事千余年独り人民の此制度に習熟せるのみならず、又〔ま〕た宗教なる者ありて之が機軸を為し、深く人心に浸潤して人心之に帰一せり。然るに我国に在ては、宗教なる者其力微弱にして一も国家の機軸たるべきものなし。仏教は一たび隆盛の勢を張り上下の人心を繋ぎたるも、今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。我国に在て機軸とすべきは独り皇室あるのみ。是を以て、此憲法草案に於ては専ら意を此点に用い、君権を尊重して成るべく之を束縛せざらんことを勉めたり。或は君権甚〔はなは〕だ強大なるときは濫用の虞〔おそれ〕なきにあらずと云ふものあり。一応其理なきにあらずと雖も、若〔も〕し果して之あるときは宰相其責〔せめ〕に任ずべし。或は其他其濫用を防ぐの道なきにあらず。徒〔いたずら〕に濫用を恐れて君権の区域を狭縮せんとするが如きは道理なきの説と云わざるべからず。乃ち此草案に於ては君権を機軸とし偏〔ひとえ〕に之を毀損せざらんことを期し、敢て彼の欧洲の主権分割の精神に拠らず。固〔もと〕より欧洲数国の制度に於て君権民権共同すると其揆を異にせり。是れ起案の大綱とす。
 其詳細に亘りては各条項につき就き弁明すべし。不肖数年前より勅命を蒙り之が起案の責に当る。是に於て浅学菲才を顧みず拮据経画微力の及ばん限り研究し、遂に此〔かく〕の如くなれば大体に於て過〔あやま〕つ所なからんと信ずる所を以て、之を陛下に上〔たてま〕つれり。然りと雖、事国家永遠の基礎に関し国家の面目を一新するの大事たるを以て、各位願わくば起案の主意如何〔いかん〕に拘らず、王家の為め、国家の為め、潜思熟考して充分に討議せられんことを希望す。
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宇野氏は「然るに我国に在ては、宗教なる者其力微弱にして一も国家の基軸たるべきものなし」の後を「かつて隆盛した仏教も今日では衰退に向い、神道もまた人々の人心をよく掌握できていない」と要約した上で「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」に繋げていましたが、この要約された部分を見ると、

(1)仏教は一たび隆盛の勢を張り上下の人心を繋ぎたるも、今日に至ては已に衰替に傾きたり。
(2)神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。

となっています。
伊藤は仏教は過去には「上下の人心を繋」ぐ力があったのに対し、神道は過去においてもそんな力はなくて、現在に至るまで、一貫して「宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し」いと評価しているのですね。
まあ、現代人には当たり前の客観的な歴史認識だとは思いますが、これを聞いていた枢密院のメンバーの中には心穏やかでない人もいたでしょうね。

>筆綾丸さん
すみませぬ。
ちょっと外出しますので、レスは後ほど。

コメント
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