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深井卓爾と「浦和事件」

2018-07-23 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 7月23日(月)14時20分4秒

秩父事件関係の本をまとめて読んだ後、秩父事件に6か月先行する群馬事件についても福田薫『蚕民騒擾録─明治十七年群馬事件』(青雲書房、1974)や藤林伸治編『ドキュメント群馬事件─昔し思ヘば亜米利加の…』(現代史出版会、1979)などの関係書籍をパラパラと眺めてみました。

群馬事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

秩父事件の場合、その舞台が群馬県西南部に隣接する養蚕地帯であり、史料に出てくる語彙や口調が群馬に似ていて、何だか生々しい感じがしたのですが、群馬事件となると私の生活圏に近く、ふーん、あそこでそんなことがあったのか、みたいな驚きの連続です。
まあ、そんな訳で個人的にはそれなりに面白いのですが、ローカル過ぎてこの掲示板に載せるにはあまり適当な話題でもなさそうです。
ただ、人的な面から秩父事件と群馬事件の両方に関わる「浦和事件」(密偵殺し)という出来事があって、その関係者に旧高崎藩出身の士族で深井姓の人物がいるのですが、どうもこの人は以前この掲示板で少し論じた第十三代日銀総裁・深井英五の親族のようですね。

深井英五(1871-1945)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E4%BA%95%E8%8B%B1%E4%BA%94

慶応大学名誉教授・寺崎修氏の「明治十七年浦和事件の一考察」(『武蔵野大学政治経済研究所年報』第5号、2012)という論文がネットで読めますが、そもそも「浦和事件」とは何かというと、

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明治十七年(一八八四)四月十七日夜、埼玉県秩父郡日野原村の青年自由党員村上泰治の要請により岩井丑五郎、南関三の両名が、当時明治政府の密偵と怪しまれていた同じ自由党員の照山俊三をピストルで射殺する、という事件が起こった。のちに浦和事件(密偵殺し)と呼ばれる事件がこれである。

https://www.musashino-u.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00000883.pdf&n=%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%8D%81%E4%B8%83%E5%B9%B4%E3%83%BB%E6%B5%A6%E5%92%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%80%83%E5%AF%9F.pdf

ということで、裁判が浦和で行われたために「浦和事件」という名前がついていますが、殺人事件自体は秩父で発生しています。
そして、裁判の経緯に若干不可解な点があるものの、「浦和重罪裁判所」の判決では殺人実行犯の他に宮部襄と深井卓爾が「謀殺教唆」で「有期徒刑十二年」に処せられ、二人は北海道の「樺戸集治監」に収監されることになります。
深井卓爾は深井家の分家の人で、深井本家の女性と結婚したと記す文献もあるので、深井英五の姉妹の夫なのかな、と思っています。

深井英五『回顧七十年』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/605b63aac3f2e40c619f3245c4fd32f3
「高崎潘兵中弓を携へたのは景命一人であつた」(by 深井英五)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8c36207d2f5a0ba9975c758eeec597ef
軍都高崎の「坊ちやん」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/89e75f603c5f54b0bca6a69bd0674805

>筆綾丸さん
ま、「袋」はあくまで比喩ですからね。
松沢裕作氏の「結社」についての説明は、「袋」の比喩を用いない「地方自治制と民権運動・民衆運動」(『岩波講座日本歴史』第15巻、2014)の方がむしろ分かりやすい感じがします。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

木綿の袋と絹の風呂敷 2018/07/22(日) 16:38:27
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 ・・・筆者は、近世史研究の蓄積にもとづき、少し違った意味で「近世の身分制」という言葉の意味をとらえている。「士農工商」が、三角形のヒエラルヒーでイメージされるとすれば、筆者のいう身分制とは、人間が、いくつかの「袋」にまとめられ、その「袋」の積み重ねによって一つの社会ができあがっているようなイメージである。(松沢裕作氏『自由民権運動』24頁)
 結社は、身分制社会が解体した後の人びとの拠り所として立ち上げられた。そうであるとすれば、民撰議院がポスト身分制社会の最有力の構想となった一八七四(明治七)年以降、そのような結社が、民撰議院構想の実現を目標の一つに据えることは当然のなりゆきである。結社という新しい「袋」は、民撰議院という新しい「酒」を盛るのに最適な器だった、というわけである。
(同51頁)
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近世身分制社会の「袋」には閉鎖的で排他的なイメージが連綿とするのに対して、ポスト身分制社会の結社には参加と脱退が自由で開放的なイメージが揺曳するから、後者を新しい「袋」」とはせず、ほかの言葉、たとえば「風呂敷」くらいにしたほうがいいのではあるまいか。
近世社会の「袋」は、戊辰戦争でズタズタに破けて、いわば木綿の「袋」から絹の「風呂敷」へと移行した、といったようなイメージでしょうか。もっとも、木綿も絹も酒は盛れず、盛れるのは「皮袋」ですが、それでは、制外の卑賎な職業が付き纏ってしまいますね。
コメント
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