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公卿について

2018-05-22 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 5月22日(火)21時57分48秒

>キラーカーンさん
確認するまでもないことでしたが、おっしゃる通り、参議になった時点で公卿ですね。
参考までに『日本史大事典』(橋本義彦氏執筆)を引用しておきます。

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公卿
 摂政・関白以下、参議以上の現官および三位以上の有位者(前官を含む)の総称。中国の三公九卿に由来し、大臣を公に、大納言・中納言・参議を卿に充てたという。狭くは大臣以下参議以上の議政官をいい、平安中期にはその定員を一六人としたので「十六之員」とか「二八之臣」とも称されたことが記録にみえるが、三位以上の前官および非参議をも含めて公卿と称することがしだいに一般化し、「公卿補任」に記載される範囲全体に及ぶようになった。鎌倉時代以降、公卿の員数はますます増大したが、一方、家格の形成にともない、公卿に昇る上流廷臣の家柄もしだいに固定し、江戸時代には、その家柄に属する廷臣の総称として、公家とほぼ同じ意味にも用いられた。上達部、卿相、月卿、棘路などの異称もある。【参】和田英松『官職要解』講談社学術文庫
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ご指摘を受けて直ぐに変なことを書いてしまったと思ったのですが、たまたま5月15日の投稿<「弘安の御願」論争(その9)─「弘安の御願」はそもそも存在したのか?>で引用した『国史大辞典』の「公卿勅使」の項に、

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伊勢神宮に朝廷から差遣される使には恒例祭典の例幣使(四姓使)と皇室・国家・神宮に事があった場合の臨時奉幣使があり、後者のうち格別の大事に際しては三位以上の公卿または参議が充てられた。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4c870df53572c5ecfcd8822326ceb6e7

とあったので、参議は厳密には公卿ではないけれども公卿並みに扱う、といった用法もあるのかな、などと考えたのですが、これも公卿の普通の定義で理解できる記述でした。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

ちょっとした疑問 2018/05/21(月) 01:28:46
お久しぶりです

>>その年の十二月に従三位となって公卿の仲間入りです
とありますが、
>>正月十三日任(元蔵人頭)。右中将如元。
とあるので、参議任官(宰相中将)となった時点で公卿ではないでしょうか。

追伸
五段昇段パーティーを七段昇段パーティーに無理やり変えた人がいるそうですが、
この昇段ペースでも、一〇〇〇段がやっとで一二三九段には到達できないようです。
コメント
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