学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「本郷館という木造三階建ての大きな下宿屋」

2014-05-16 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 5月16日(金)21時52分39秒

永原慶二氏の「私の中世史研究」はなかなか面白い読み物ですね。
国史学科での皇国史観派と実証主義派の対立に触れた後、「ただね、われわれの思想的な環境はもう少し複雑でした。それを整理してみますと、三つ四つのものをあげなければならない」として、まず第一にマルクス歴史学系統、羽仁五郎その他の講座派の学者に言及されていますが、まあ、これはお約束ですね。
ついで二番目は保田與重郎・亀井勝一郎等の日本浪漫派で、「保田與重郎にはポリティカルな面が強く、アジア主義的・民族主義的な発言もたくさんある。これは思想運動としてはわれわれに影響力があった」そうです。
三番目は西田哲学で、西田幾多郎・田辺元・高坂正顕・高山岩男・西谷啓治・鈴木成高といった「京都学派の権威はたいへんなものだった」とされていますが、永原氏個人は特に影響は受けなかったような書き振りですね。
意外なのは四番目で、「さらにもう一つ、もっとすごい極右的なものがあった。影山正治など。戦後は歌人として知られているけど、影山は神兵隊事件の黒幕ですね。そういう人たちの動きとか。三田村四郎みたいな左翼からの転向グループもあった。それが論文や書物だけではなくてそれぞれ私塾を持っている。グループを組織してね。東大の正門前を森川町へ入ったところに有名な本郷館という木造三階建ての大きな下宿屋があった。その本郷館はそういうさまざまなグループの集会場で、百鬼夜行というところです。まわりの友達からね、ちょっと今日来ないか、面白い話があると言うんで呼ばれていくと、そういう思想集団の会合なのですね」という具合に、ずいぶん丁寧に書かれていますね。
そして、「そのような不安定な状況の中で、ふりまわされていたのが現実ですが、僕はやはり羽仁さんがいちばんしっくりした」と一番目にもどる訳ですが、四番目の詳細さはいささか奇異な感じもします。

私も学生時代、本郷館の前を何度も通ったことがありますが、妙にでかい木造建築だなと思っただけで、「百鬼夜行」の時代があったとは知りませんでした。
ウィキペディアによれば本郷館は1905年に建築され、実に一世紀以上生き延びて、2011年に解体されたそうですね。

本郷館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%B7%E9%A4%A8

コメント
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