大福 りす の 隠れ家

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国津道  第31回

2021年05月03日 22時32分13秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第30回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第31回



「待ってろ」

顔色を変えた次郎が言い残して部屋から出て行った。

閉められた襖を見ていた浅香が、待ってろと言われた時に顔を上げた詩甫を見ていた。 次郎に負けず劣らずかなり顔色が悪い。

「野崎さん、本当に大丈夫ですか?」

「私、下手なことを言っちゃったんでしょうか」

一度頷いてから縋るような目で浅香を見てくる。
詩甫の脈をとろうと手を出しかけたが、その手を引っ込めた。 脈に異常があったとして今帰るなどとは言えないのだから。 それに今そんなことをしてしまえば、詩甫に余計な不安を与えてしまうだけだ。

「いいえ、言っていませんよ。 それに待っているように言われたんですから、話を聞かせてくれるはずです」

詩甫が両手を胸に当て深く息を吐く。

「まだ緊張してます?」

それなら深呼吸でもしてもらおうか。

詩甫が首を振り「もう大丈夫です。 待つように言われたんですもんね」 と言って一つ大きく息をして続ける。

「実はこちらに伺うことで、浅香さんから最初に連絡を頂いた時、何かのヒントだけじゃなくて確信に触れられるかもしれないと思ったら、心臓がどきどきしてあまり寝られなくて」

「え? あの日から、ですか?」

詩甫がコクリと頷く。

「あ、もしかして顔色があまり良くないのは睡眠不足ですか?」

ファンデーションで誤魔化せていないようだった。
詩甫が両手を自分の頬に充てる。

「そんなに顔色悪いですか?」

「いえ、キョンシーほどではありませんから安心してください」

一瞬目を瞬いたが、すぐに冗談と分かり頬に充てていた手で顔を覆うと手の中でクスクスと笑い出した。

「あまり構えないで良いんじゃないですか? って、電話の時にそう言えばよかったですね」

手を下ろした詩甫の表情は柔らかくなっていて「そんなことないです」 と、その首を振った。


玄関から家を出て畑に行こうとしていた次郎が足を止めた。 父親である長治が畑から戻って来て、軽トラックで運んできた野菜の入ったボックスを作業小屋に入れているところであった。

「親父」

長治が振り向く。

「誰かだと? 誰のことか知りたいだと? そう訊いてきたんか」

表情を変えることなく低く渋い声で訊き返す。

「ああ、正体を知りたいって、大蛇と言われるのは誰のことなのかって」

誰もが昔から大蛇のことは蛇の姿をしていると思っている。 それはそうだろう、大蛇と言われているのだから。 それなのに・・・誰、だと? 誰と訊くからには大蛇が蛇ではなく人間だと分かっていての事。

「何処で聞いたか言っとったか?」

次郎が頷くと、詩甫が話していたことをかいつまんで聞かせた。

「書き記したものがあった?」

「ああ、そう言っとった」

長治が少し考える様子を見せてから口を開く。

「大婆にそのことを話してこい。 わしが座敷に行く」

次郎が踵を返すと、長治は首にかけていたタオルを手に取り、服についた土をはたいて玄関に向かった。 今日はそれほど土ぼこりを被っていないし、泥汚れなどもない。

玄関に入り横にある戸を開けると、直接座敷の広縁にあがることが出来る。 そこから入ると広縁を歩き雪見障子の向こうに座る浅香と詩甫の姿を見た。 顔までは見ることが出来ないが、若者の服を着ているのが見てとれる。

同時に足音を聞いた浅香と詩甫が広縁を見ると、グレーの作業着を着たような男の下半身が見えた。 次郎はブルーを穿いていた。 色が違う。
浅香も気付いたのだろう。
「大将登場ですね」 と小声で言って「気を楽にして下さい」 と続けた。

広縁の雪見障子が開けられると、先ほどの次郎より随分と背の高い細面の男が入ってきた。
詩甫がすぐに戻っていた座布団から身を外す。 浅香もそれに続こうとしたが全く足が動かない。

「あ、った!」

腕を使って動こうとするが、それでも足は上手く動いてはくれなかった。 どうも太腿まで痺れているようである。 詩甫と話していて全く気付かなかった。

「痺れたか」

男が浅香に声をかけながら次郎が座っていた場所に座る。

「あ、はい。 面目ありません」

言ってみれば待っている間に足を崩していればいいのに、生真面目にもずっと正座をしていたのだろう。

「わしも胡坐をかく、気にせず足を崩しとればええ」

「・・・はい、申し訳ありません」

崩せと言われてすぐに動く足では無かった。 徐々に足を伸ばすしかない。
その横で詩甫が手を着いて挨拶しようとしたが、長治が止めた。

「息子から話は聞いた。 浅香君と野崎さん、だな」

名前を呼んだ時にそれぞれの顔を見てそして続ける。

「わしは長治。 この家で名字を呼ばれるとあちこちから返事が返って来る」

今この部屋で苗字を呼んでも、返事をするのはこの目の前に座る長治だけだろう。 それなのにどうしてそんなことを言うのだろうか。 訝(いぶか)しく思いながらも、浅香が一人悶絶を行っている。
その横に座る詩甫が口を開く。

「では・・・長治さんとお呼びして宜しいでしょうか」

先程長治は息子から話は聞いたと言っていた。 次郎の父親なのだろう。 そしてあの少年の祖父であり、浅香がいうところの大将。

「ああ」

手に持っていたいたタオルを畳の上に置くと座卓に腕を置く。

「大蛇の正体を知りたいそうだな」

単刀直入にきた。 少々驚いたがそれは願っても無いことである。

「はい」

「まずはこちらからの質問に答えてもらおう」

「はい」

浅香という男はまだ一人で悶絶している。 この野崎と名乗る娘とだけ話を進めるしかない。 それに次郎が言っていた、書き記したものの話をしていたのは野崎という娘の方だと。

「その書き記したものとはいつの時代のものだ」

「元号の年を書いてあったわけではありませんのではっきりとは分かりませんが、まだ着物を着ていた時代というのは間違いありません」

「着物・・・それだけでは時代が絞れんな」

この家に伝えられていることは千年以上も前からである。 昭和の初めもその前の年代に生まれた者たちも普段着に着物を着ていた。 言ってみれば今の時代も着物を着ているが、この娘の言っているのは普段から着物を着ていたということだろう。

「私の想像では鎌倉時代から室町時代初期ではないかと思います」

長治が眉をしかめる。 想像という以上は想像させる何かがあるのだろうが、その時代この土地は戦に巻き込まれることもなかったはずだし、これと言って何があったわけでもないはずだ。 年代が分かるようなことは何も無かったはず。

「歴史に詳しいわけではありませんから間違っているかもしれませんが、書き記したものの中に、鉄の農具が手に入ったと書かれていました。 農具に鉄が用いられるようになったのは鎌倉時代と歴史の授業で習いました。 ここの土地に伝わってきたのが遅いとすれば、室町時代初期も範囲ではないかと」

瀞謝の更なる記憶は、朱葉姫と一緒に居る時にしか思い出せない。 この農具のことは朱葉姫に会いに行った時に断片的に思い出していた。

『あの鍬(くわ)があれば、お社の周りの雑草を根から取り除けるのに』

浅香ではないが、瀞謝も雑草は気になっていた。 村に鉄製の鍬が入ってきたときにそう思ったことを思い出していた。 それを浅香に語り、浅香が年代を調べたということである。

長治にしては、意外なことを聞かされた。 農具の歴史など考えたことは無かったし、自分も遠い昔に歴史の授業で聞いていたのかも知れなかったが記憶に一切なかった。
その時代とすれば今からおおよそ五百年から九百年前になる。

「次郎から聞いたところによると、書き記したものは大蛇の事ばかりが書かれていたということだったが、農具の事も書いていたということか?」

「直接に農具・・・鍬のことですが、それがどうのとは書かれていませんでした。 ただ新しく鉄の鍬を手にした大人を見て、その鍬でお社の周りの雑草を根こそぎ取り除きたいと書かれていました」

「社?」

次郎からはその昔、書き記した者が社の掃除をしていたと聞いていたが、ついうっかり声に出してしまった。 社が重要なのだから。

「はい。 朱葉姫の祀られている紅葉姫社です」

長治が腕を組んで目を瞑る。

朱葉姫の名前、紅葉姫社のことを言ったのが失敗だったのだろうか。 詩甫が下唇を噛む。

ようやく痺れが解けた浅香がきっちりと胡坐をかき直した。 痺れがきれていたとは言え話はちゃんと聞いていた。 詩甫に失言はなかったはず。 そっと座卓の下で足の上に置かれていた詩甫の手を、人差し指でトントンとつつく。
詩甫が手元を見ると、浅香が親指だけを立てていた。 まだ長治は目を瞑っている。 浅香を見ると浅香が小さく頷いてみせる。

それから数秒後、ゆっくりと長治が目を開けた。

「朱葉姫のことも紅葉姫社のことも、それに書き記されていたということか」

そうでないと有り得ない事だ。 あの社に朱葉姫が御座(おわ)す、その社を紅葉姫社という。 そのことはこの地域に暮らす者以外誰も知らないのだから。
万が一にも、この娘が何かを考えてこの地域に暮らす者からその情報を仕入れたとしても、それが何だと言うのだ、何の得にもならない。
この娘の言う通り書き記されていたのかもしれない。

長治の声は詩甫に訊いているようには思えなかった。 詩甫を見ているわけではなく視線は下がっている。 それに一人で納得しているような口調だ。 どう返事をしていいのかが分からない、頷くしかなかった。

ようやっと長治の視線が上がった。 詩甫と目が合う。

「大蛇のことを聞いて、書き記した者に伝えたいと聞いたが」

「あ、それは現実的ではない事と充分わかって―――」

長治が手を上げてそれ以上言わせなかった。

「思う心があればいい。 それで伝わるだろう」

「え・・・」

どう言う意味だろうか。

「この希薄な時代に・・・。 ご先祖さんは有難く思っているだろうな」

何が言いたいのだろうか。 だが嘘を連ねた。 それを信じ今こうして長治が言っているのだけは分かる。 心が痛い。

「話は長くなる」

「・・・はい」

長治の先祖。 それは朱葉姫の兄の嫁の本家筋であったと聞かされた。 朱葉姫の兄の嫁はこの本家の分家筋から出たということである。

「嫁の方が・・・わしの親戚だがな、惚れまくったのだと聞いている」

朱葉姫の兄はかなりの美丈夫だったようで、引く手も数多だったらしい。 それに性格も良いということであった。
朱葉姫を考えるとその兄だ、そうだろうと納得がいける。

「分家から出た朱葉姫の兄の嫁の名は花生(はなお)」

花生はとんでもない手段を使って朱葉姫の兄に近付いた。 そして朱葉姫の兄の首を縦に振らせた。
花生を信じた兄は花生であれば、我が妹である朱葉を大切にしてくれると思ったからであった。 実際、花生は朱葉姫を大切にした。 父親と兄自身と同じように。



『まぁ朱葉姫、この様な朝早くに』

朝餉も食べることなく、朱葉姫が裁縫道具を持って屋敷を出ようとした時だった。
朱葉姫が口元に人差し指を置く。

『お姉さま、ご内密にしていただけませんか?』

花生が微笑む。

『民の衣が綻(ほころ)んでいたのですか?』

朱葉姫が頷いた。

『畑に出る前に繕おうかと』

再度花生が微笑む。

『そう、行ってらっしゃいませ。 お義父様にも誰にも言わないわ。 それよりお手伝いが出来なくて御免なさいね』

朱葉姫が首を振る。

『お姉さまはいつも母上と一緒に家の中のことをして下さっています。 母上のお手伝いをお任せしっ放しにしているわたくしの方こそ、申し訳が御座いません』

『何を言っているのですか、お義父様のお手伝いを朱葉姫がして下さっているのでしょう? 朱葉姫がなさることによっても、お義父様は民に信認を置かれているのですから』

『そんな、とんでもありません』

『御免なさいいね、足を止めさせて。 朱葉姫、行ってらっしゃいませ、民が待っています』

『お姉さま・・・』

お姉さまと言われて花生が首を傾げる。

『朱葉と呼んでくださいませ』

それは何度も言っていた。 だが花生は一度たりとも “朱葉” と呼ばなかった。 “朱葉姫” そう呼んでいた。 朱葉姫が亡くなるまでずっと。 いや、朱葉姫が亡くなってからもその口からは “朱葉姫” としか言わなかった。
花生が首を振る。

『こんなに可愛らしい朱葉姫をどうしてその様に呼べるものでしょうか』



「花生は朱葉姫を憎んでいた」

「え・・・」

唐突に聞かされた。 どうしてなのか、そんなことを考える隙間もなかった。

「花生は良い妻、良い義理の娘、良い義理の姉を演じていた」

「演じていた?」

長治が頷く。

「わしらの先祖は花生の本音を聞いていたからな」

「本音?」

本音と言われてどういうことなのかは分からないが、少なくとも朱葉姫は愛する人の妹である。
曹司ではないが、朱葉姫が人から憎まれることなど考えられない。 それが他人なら有り得るかもしれない。 万人に愛されるというのは簡単なことでは無いのだから。 だが朱葉姫は花生の義理の妹である、愛する人の妹ではないか。

詩甫とて朱葉姫と何度も会ったわけではない。 それに時代のずれもある。 たとえそうであったとしても、朱葉姫の心からの温かいものは感じていた。
だが花生が良い義理の姉であると言いながらも、長治は演じていたと言う。

「ああ、そうだ。 花生が朱葉姫に執念を燃やしていた、とな」

訳が分からなくなってきた。 どういうことなのだろうか。

「執念とはどういうことですか?」

「朱葉姫には誰もが心を寄せていた。 亡くなってからもな。 だからあの社が建った。 そうでなければ社など建たん」

詩甫は頷いたが、問の答えになっていない。

「きっとあんたの先祖も、社にあるだろう朱葉姫の温かさに触れたんだろう。 当時はだれもが社に行くと心和むと言っていたと聞いている」

ここまで話しても詩甫が疑問を持ったままのような顔をしている。
ははは、と長治が笑う。

「その様子じゃあ、あんたはそんなことを考えんようだな」

詩甫が難しい顔をして首を傾げる。

浅香は朱葉姫と会ったことこそないが、曹司から朱葉姫のことを聞いている。 何か分かったように僅かに下を向いた。

「花生は生きている内は何もしなかった。 一つを除いてな」

再度詩甫が首を傾げる。

「朱葉姫は短命だった。 知ってるか?」

「はい、お嫁に出る前に―――」

シマッタと思った。 その話は浅香を介して曹司から聞いた話だった。 瀞謝が知るところではない。 どう話を繕おうか。

「そうだ、嫁入り前に亡くなった。 それがどうしてか知っているか?」

「え・・・」

どう繕うもなにも話が進んでいる。 ましてや訊かれたことの答えを知らない。

「・・・知りません」

「そうだろうな、知っていれば訊きに来ることもなかっただろうからな」

「あの・・・いったい何が」

襖の外から声がかかった。

「親父」



とうとう曹司が口を開いた。 瀬戸から聞いたことを朱葉姫に話したのだ。 この社に大蛇が居るということを。

「大蛇?」

朱唇皓歯(しゅしんこうし)から出たのはそれだけだった。
曹司が頷く。

「何時からかは分からないようですが、それが原因で民の足が遠のいたかと」

濡れ縁に座る朱葉姫の斜め後ろに座っている曹司、その曹司に朱葉姫に代わって一夜が問う。

「そのような大蛇など見たことも・・・いいえ、そういう問題ではありません。 どれほど長く生きているというのですか。 民が来なくなった後もそのように言われているとはどういうことです」

少々声を荒げて曹司に問いただす。

一夜が言いたいのは、自分が生きている間にこの社で大蛇など見たことは無い、そう言いかけたが、曹司はそんな言い方はしていなかった。 民が来なくなったのは朱葉姫も一夜も亡くなって何百年もしてからである。
だが今は更にそれからも何百年と経っている。 それなのに未だにそのように言われているというのは、どういうことなのだということである。

“どれほど長く生きている” と言ったのは、大蛇が未だに生きているのかと、ある意味嫌味で言っただけである。

「それを瀞謝と亨が調べております」

「瀞謝が逃げないと言っていたのは、その事があってのことなの?」

僅かに振り向いた朱葉姫に曹司が答える。

「そうかどうかは分かりませんが、瀞謝の前向きな姿に事が動いたのかもしれません」

あの時の詩甫である瀞謝の姿は凛としていた。 その姿に事が動き出したのかもしれない。 そう考えるのは夢物語なのかもしれないが、遠目に見たあの時の詩甫である瀞謝の姿はまだ瞼の裏に残っている。 まだ十五にもならない幼い姿だというのに。

「亨が言っておりました。 今も民は姫様の御名とお社のことを覚えていると」

「そう・・・」

顔を戻し前を向いた。

気のない返事だった。 朱葉姫はこの事を何と考えているのだろうか。
その朱葉姫と正反対の声を出したのは一夜だった。

「民が? 民が姫様の御名を覚えていると?」

顔がぱぁっと明るくなった。 一夜も朱葉姫に民の姿を見せたいと願っているのだ。
曹司が頷く。

「その大蛇の謂れがあってお社に近付くことが出来ないようです」

最初に言った言葉を少し違えて一夜に顔を向けて言う。
曹司の言葉に朱葉姫が首を振る。

「此処に、社に大蛇など居ないわ」

曹司もそれは分かっている。 もしそんなものが居れば、社を見回っている曹司が目にしているはずだ。
朱葉姫にしても大蛇となれば民に危険が及ぶ。 すぐに察知してそれなりのことを施しただろう。

「誰がその様な虚言を触れ回ったのか」

一夜の声音と表情が忙しく変わる。 今は怒りの中に苛立たしさと呆れを含んでいるようだった。

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