大福 りす の 隠れ家

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孤火の森 第1回

2024年06月24日 20時55分02秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第1回




下生えの草がそよ吹く風に身体を預けゆらゆらと揺れている。
深く息を吸えば少し冷たいが、その分ゆらゆらと揺れている爽やかな緑に満ちた空気が口腔一杯に広がることだろう。
そこは山の中の広い草原、どこまで走ってもずっと緑が続いていくようにさえ感じる穏やかで豊かな草原である。
草原から四方を見渡すと遠くに連山が見える。 それだけ山に囲まれた草原。 その中で昔は草原の奥に大きな森が泰然としていた。 だが今その森は森とは言えない姿をしている。


白い月が顔を出してきた。 いくらかすると月夜の刻となる。

広い草原の中、一ケ所を除くと全く同じ姿をした二つの小さな影が下生えの草を蹴って走っている。
右前の衿合わせの裾は尻をすっぽりと隠し帯の代わりに縄を巻き、その下には膝下迄の筒の下衣を穿いている。 足元はわらじが簡単に脱げないように工夫されている。

「ポポ、まだ追ってくる」

チラリと後ろを振り返った片方の影が言った。
追っ手は馬に乗っている、すぐに追いつかれることは火を見るより明らかである。

「しつこい奴ら」

ポポと呼ばれた一つの影が走りながら懐に手を入れた。 懐に入っているのは粉状の石炭を三重に包んだ物である。 それを懐から出す。 その袋は外側の一重目を簡単に結び紐から引き抜けるように工夫をされている。

「そんなのを持ってきてたのか?」

これは仲間の大人たちが猟に出る時に万が一を考えて懐に入れるもので、大小さまざまな大きさがある。 最も大きな包みはクマ狩りに出る時に懐に入れて出ている。

「万が一があるからな。 野孤(やこ)は居ないか?」

「だから! 野孤って言うなって! そんなことを耳にしたら孤火(こび)が怒って出てこないだろ!」

孤火、それは野孤のように尻尾に小さな炎を持ち怯えて群れを成している狐とは違う。 人間から見て感覚的に野良の狐ではなく、尻尾に立派な炎を持ち己が決めた主(あるじ)に付くと言われその矜持は高い。 主に付くまでは野良ではあるが、その矜持の高さから野良とは別と考えられ、立派な狐火(きつねび)をもつ狐の総称である。

「分ってるよ! ちぇ、走りながらはやりたくないんだけどな」

簡単とは言え、袋を包んでいる内側の三重目を引き抜くに失敗すれば手の中で爆発してしまう。 ましてや今日持ってきたものは大きいものである。
三重目を引き抜くと二重目の包みは落ちると簡単に破れ、尚且つその衝撃で静電気が発生しやすい仕組みになっている。 静電気が発生するとそれが着火源となり、中にある粉状の石炭が爆発する。 いわゆる粉塵爆発である。 懐に入れている間はそれを避けるために一重目と三重目の包みがある。

ポポが一番の外側、一重目を取り払った。 そして三重目の包みをそっと引き抜こうとした時、ポポと一緒に走っていたブブの横で草原の草が踊った。

「ポポ待て!」

包みに集中するあまり足の運びが遅くなっていたポポに踵を返す。
馬に乗り剣を腰に佩(は)き雄叫びを上げている追っ手がどんどん近づいてくる。

「こんな時に待てるか!」

「孤火だ!」

訊き返す間もない。 咄嗟に結び紐を解き二重になったままの袋を後方に投げつけた。 勢いよく投げられた包みが石炭を散らせながら、すぐそこまでやってきた追っ手の前で広がる。

「孤火、頼む!」

ブブが石灰弾の方を見て叫ぶと、草原の中から薄茶色の孤火が顔を出し、高く跳躍するとその立派な尾を振る。 尾に点いていた炎から粉火が飛び、ポポの投げた石炭が爆発を起こした。
怒号絶叫の中、馬のいななき、馬上から人の落ちる音が聞こえる。
それを確認した二人が再度草原を走り出す。

草原を抜け、岩を跳び、走り、山道を下っていく。
息を上げ、後ろを振り向くともう追っ手が追ってくる様子はない。 ポポの投げた一発で何とかしのげたようである。
二人が足を止め膝に手を着いた。

「なんだよ、あいつら!」

息を上げながらも怒りに任せて怒鳴る。 いったい誰に追われていたのかが分からなければ、どうして追われたのかも分からないのだから。

「なんで追われなくちゃなんないんだよ!」

怒り任せに怒鳴るポポを尻目に、足元にやって来た孤火にまるで背丈を合わすかのように座り込み、肩を上下させながら孤火の背中に礼を言うように撫でてやる。

「なんでって、入っちゃいけないって言われてた森に入ろうとしかけたからだろう」

「うっ・・・」

「ポポも孤火にちゃんと礼を言えよ」

「わ、分かってるよ!」

背中を撫でられている孤火に向かうと 「孤火、さっきは助かった」 そう言ったのだが、孤火はちらりとポポを見ただけである。

「ちぇっ、なんで孤火はブブにしか懐かないんだよ」

今日だけではない。 二人でふらふらと歩いていると孤火が寄っては来るが、ポポのことをちらりと見るだけでブブには身体を摺り寄せる。
はたから見て背も顔も、まだ声変りをしていない声も、それこそ指の一本まで全く同じなのに。 ただ一つ違うのは、ポポは黒い髪の毛を襟足の下で一つに括り小鳥の尻尾のようになっている。 対してブブは黒い髪の毛を後頭部で一つに括っている。
これは仲間から二人が見分けられるようにとしていることだが、髪の毛の長さも同じこの二人は時々括り方を交換し仲間をおちょくる時がある。
それ程に似ている二人なのに、孤火にはどちらがブブか分かるようであった。

「孤火に見る目があるからだろ。 それより、もう月が出た。 どうする? お頭になんて言おうか」

常から月が出る前に戻って来いと言われているのに。 それに森には入るなと口が酸っぱくなるほど言われているのに。
ポポが口を歪めて腕を組む。

「嘘ついてもすぐにバレるからなぁ・・・」

どうしてかあのお頭は勘がいい。 それに若頭も。

孤火の背を撫でていた手を止め「今日は助かった、もういいよ」と孤火に言うと立ち上がり尻に着いた砂を落とすにパンパンと叩くと、まるでその音が合図になったように孤火が坂を上って帰って行った。

「オレらの嘘は見切られてるからな。 嘘をついて怒られるより怒られても・・・正直に言うしかないな」



岩屋の中のお頭の部屋(穴)で正座をしているポポとブブ。
岩屋の外では何人ものざわめきが聞こえ金物の音も聞こえてくる。 あと少しで晩飯が始まる。

「で?」

細身で白髪交じりの六十五に手が届きそうなお頭が言う。

で? と言われても。 ちゃんと正直に言った。 これ以上何を言えと言うのか。 下を向いているポポとブブが目を合わせる。

「どうして森に入った」

それは言っていなかった。

「えっと・・・」

ポポが口淀んで止まってしまう。

「行くなと言われたから行きたくなったか」

「・・・お頭」

言い淀んでいるポポを置いてブブが上目遣いにお頭を見ながら口を開いた。

「なんでぃ」

お頭に睨まれた気がして肝が上がるが、どうしても訊きたいことがある。

「その・・・、馬に乗った奴らに追いかけられた」

「それはさっき聞いた」

ブブが一つ頷くと目を下に向け続けて言う。

「あいつらって、いったい誰なんだ?」

「オメーらが知る必要はない、と言いたいがな」

え? っという顔をして二人が顔を上げる。
目の前には腕を組み睨みを利かせているお頭が座っている。 その目が二人を順に見る。

「あいつらはあの森を見張ってる州兵だ」

「州の?」

「兵?」

「分かったか、分かったらもう二度とあの森に行くんじゃねぇ、いいな」

行きたいと思っていても兵と聞けばもう二度と行きたいとは思わない。 お頭の言うように州兵であるのならば、これ以上なにを訊くことも必要ない。
だがポポとブブにすれば、分ったか、と言われても到底納得のいくものでは無い事柄があった。

「待って、お頭。 兵って、州兵って・・・兵の鎧(よろい)なんてつけてなかった」

「そうだよ、オレらと変わんない格好をしてた」

「目くらましだよ」

その声はお頭の口からではなかった。 後ろから声がした。
二人が振り返ると布を持ち上げて二十代後半の頬に傷のある男が入ってきた。 長髪が好みなのだろう、他の仲間たちと違って背の後ろに三つ編みを垂らし、獣を追っている時に怪我でもしたのだろうか、左の肩に近い腕の付け根にはただれた跡がある。 顔の造形は男前なのだが、そういった傷跡がモノを言うのか、滅多に笑うことがなく笑ってもニヤリとする程度で、内から出るものがあるのか風貌がどことなく恐い。

「晩飯の用意が出来ました」

「そうか」

お頭が腰を上げると男に顎をしゃくる。 あとはお前から言っておけということである。
ポポもブブも今日の晩飯にはありつけないと分かっている。 何度も喰らったお仕置きだ。
お頭とすれ違った男がその場に座り片方の口の端を上げるとやはりニヤリと笑う。

「若頭、どう言う意味だ? 目くらましって」

同じ顔をして同じ姿勢で身体を振り向かせた双子の二人。

「そういう意味だよ」

「そういう意味って・・・そんなんじゃ分かんないだろ」

「あの森は州が密かに手にしてんだよ」

「密かに?」

「ああそうだ。 いつ兵に殺(や)られても誰にも分かりゃしない。 だからお頭もあれほど入るなってお前たちに言ってたんだ」

二人を順に見据えてから「何度もな」と付け足し、二人が口を歪めたところで続けて言う。

「お前たちが今までに散々やってきたことと、あの森に入ることは全然違うってことだ」

若頭の言う散々、それは流れの激しい川に入るなと言われていたのに、二人でどちらが対岸まで泳ぎ着けるかと競争をし流れに押し流されたり、崖から飛び下りるなと言われていたのに、大きな布を広げて四辺の角を持ち崖から飛び下りたり、その度に大人の仲間に助けられていた。

「いいか、今日お前たちが捕まっていても、お前たちに何かあっても、俺たちにそれを知る術はない」

「でも・・・でもなんで密かになんだ? 州なら堂々としてたらいいだろう?」

「州つっても色々あるんだよ、言えないこともな」

「それをお頭も若頭も知ってるのか? その言えないってことってのを」

「知るわけねーだろが」

ポポとブブ、交互に訊いてきてくれる。 目を瞑って聞いているとどっちが喋ったのか分かりゃしない。 いや、一人が喋っているとしか思えない。

「あの森には森の民が居ないのか?」

若頭が二人から目を外し大きく息を吐いた。 まだ話を続けたいと言うのか。
だがそれに答えたのは双子の片割れだった。

「居ないから州の兵が居るんじゃないのか?」

「なんで森に森の民が居ないんだよ、それっておかしいだろ」

「そりゃそうだけど・・・まぁ、どこの森にも森の民が居たしな」

自分達は山の民だ。 だから山に住んでいる。 森には森の民が住んでいるはずだ。 実際にどこの森にも森の民が住んでいた。 それを知っている。 この目で見てきたのだから。

勝手に話し出した双子の会話を聞いて若頭の眉がピクンと動いた。

「お前ら・・・他の森にも行ったのか」

この山から一番近いのが今日この二人が行った森であった。 だが近いと言ってもすぐ近くにあるわけではない。 ましてや他の森となると危険な場所もあれば、獣が居る場所を横切らなければいけないこともある。 そしてそれだけでは無い、他の民のテリトリーにも知らず足を入れていたかもしれない。

二人が一瞬固まり勢いよく首を左右に振る。
正直な嘘と丸分かりである。
ゴン、ゴンと鈍い音が二つ鳴った途端、二人が頭頂部を押さえて悶絶しだした。

「森には行くなと言ってあっただろうが!」

今日二人が行った森ほどには行くなとは言わなかったが、それでもどこの森にも行くなと言っていた。

「座れ!」と怒鳴られ、まだ頭頂部を押さえている涙目の二人が胡坐をかいて座る。

「いいか、今度どこかの森に行ってみろ、この群れから出すからな」

若頭の低い声が頭頂部に疼く。
あまりの痛さに声も出ないのか何度も頷いていたが、この二人は何をしでかすか分からない。 それに、もうそろそろ放ってはおけない年齢になってきた。

(お頭に相談か・・・)

双子にすればここから出されてはどこにも行くところがない。 お頭に拾われて親もいなければ双子の片割れ以外、肉親もいない。

ここの連中はみな似たようなものだった。 お頭に拾われたり、勝手にお頭について来た者達の集団、群れであったがそれは全て山の民であった。 山の民であるお頭に他の民はつかないし、お頭とて山の民以外は受け付けない。 例外がなくはないが、それはどこの民の中にもある暗黙の決まり事である。

初めて若頭に本気で怒られた。 大人たちに助けられてはいつも呆れて笑っていただけの若頭なのに。

「穴に戻ってろ」

二人が頭を抱えたまますごすごとお頭の部屋を出て行く。
見張など必要ない、この二人が今日これ以上何をするではないということは分かっている。 それはお頭に怒られた時のいつものことである。 腹を空かせて穿(うが)たれた二人の岩屋の寝床に寝るだけである。



部屋(穴)の中でパチパチと火のはぜる音がする。 その火に照らされゆらゆらとお頭と若頭の影が踊っている。

「まだだ」

「ですけど、あの二人はいつ何をしでかすかわかりませんぜ」

二人が他の森にも行っていたと話していた。 どこからもそれらしいことが何も聞こえてこないということは、森の民に見つかったわけでは無いのだろうが、これからもそうとは限らない。 それなのにどうして。

「まだおれの聞いた時期じゃねー」

「けど、何かあってからじゃあ」

お頭がちらりと若頭を見る。

「ああ、それが二番目に怖い。 だが一番怖いのは時期を誤まるこった。 そうさな、檻に入れとくわけにもいかねーし・・・」

「ですから、それこそ檻に入れてでもあそこに移動させればそれなりに―――」

「場所が変わったくらいで、あの二人にそれなりなんてもんがあるわけねーだろ。 ったく、そろそろだとは思うんだが、どうしたもんかい」

「そろそろ? どこをどう見て。 まだ前兆も見えませんぜ?」

「分ってるよ! かぁー、とっととくりゃいいのによー」

「だから場所を移動して・・・って、でも穴はまだ掘れてないか。 今こられちゃあ、にっちもさっちもいかなくなる、か」

お頭は毎日こっそりと穴を掘りに出かけている。 その間の群れのことは若頭が見ているが、夜になって仲間が寝静まると再びお頭が穴掘りに出かける時には若頭も手伝っている。

「テメーはどっちを言いたいんでぇ」

「まぁ・・・まずは穴ですか」

「だろうが。 とにかくあの二人を当分大人しくさせな」

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