孤火の森(こびのもり) 第2回
精緻な金細工が置かれた豪奢な部屋、高い天井には弧を描いた何枚もの絹の布が、まだ肌寒い季節だというのに全開にされた窓から入る風に揺れている。
バルコニーに置かれたテーブルに金杯がコトリと置かれた。
「それで? 逃がしたと言うのか?」
絹で出来た衣装に身を包み、左の瞼の目尻辺りでカーブを作って前髪を下ろし、そのまま高く括った金色の長い髪の毛には髪飾りが揺れ、露(あらわ)にされた耳には大きな金細工の耳環(じかん)が揺れている。
「はっ、ですが、森に入る手前で見つけまして」
すでに背中にも額にも大量の汗が流れている。
「森に入らなければいいとでも言うのか?」
「そ、それは・・・」
「よい、下がれ」
「はっ・・・」
命が繋がった。
子供二人如きにこの命を取られては、何のために今までやってきたか分かったものではない。
「だが、二度はないと思え」
「はっ」
二度と失敗は許されない。
武装をした巨躯を持つ兵隊長が胸元に腕をあて敬礼をすると、大きな扉が左右に開かれ部屋を出て行った。
「ジャジャムを」
金杯に手を伸ばし、明るければバルコニーから遠くに見えるだろう森に目を移す。
側仕えの女が一礼をし、そっと部屋から出て行くとすぐに戻ってきた。 ジャジャムと呼ばれた男は扉の側で控えていた。 痩身初老のジャジャムが側仕えを抜いてバルコニーまでやって来た。
「お呼びで御座いましょうか」
恭(うやうや)しく頭を下げたジャジャムは、目の前に居るこの城の女主(おんなあるじ)が幼い頃から付いている女主の側付きである。
女主(おんなあるじ)であるセイナカルが低頭する男、ジャジャムを僅かに横目に見た。
「どうなっておる」
「それが・・・まだ何も・・・」
「・・・何も、とな?」
ジャジャムが尚一層頭を下げる。
女から切った髪の毛を頼りに呪を使い、何年もある人物を探している。 だが一向に気配さえ見つけることが出来ないでいた。
セイナカルが金杯に口を付け一口飲むと大きく息を吐き金杯をテーブルに戻した。 左手にあった金の腕輪がカツンカツンと音をたてる。
「わらわは何年待てばいいと言うのか?」
「申し訳御座いません・・・」
音をたてた腕輪を一度二度と右手の人差し指で回すと、ジャジャムに視線を送る。
「呪師(じゅし)を変えるが良いだろうな」
「・・・はい」
ジャジャムの返事にセイナカルが眉をしかめる。
「まさか・・・髪を失くしたということは無いのだろうな」
ジャジャムのはっきりとしない返事に引っかかり、まさかと思って訊いた。
髪の毛を失くしてしまえば、百人千人の呪師を呼んでも無駄ということになる。 髪の毛は細い糸である。 それは分かっている。 それでも、たとえ細い糸でも失くしたとなれば糸が切れたということになる。 手立てはもうその糸しか残っていないというのに。
「それは御座いません」
どれだけ呪師を変えようとも、もう不可能に近い。 あまりにも時が経ちすぎた。 最初から髪を頼りにすればここまで長引くことは無かった。
「ふっ、わらわを愚弄しておろう」
「決して、決してそのような事は御座いません」
「お前の考えておることなど手に取るようにわかるわ」
「決して・・・」
頭を下げながら首を左右に振るジャジャムを目の端に捕らえながら森であったことを訊く。
「今日、あの森に子供が近付いてきたらしいが?」
「はい、聞いております」
「ゼライアではなかったのか?」
ゼライア、それは探している者の名前。 もしその者ならば、ずっと髪の毛で追っていた呪師にもジャジャムにも分かったはずである。
「髪には何の反応もございませんでした」
「・・・そうか」
細い糸、それはゼライアの母親の髪の毛であった。 その髪の毛に呪をかけている。 この城と森の距離である、我が子の気配を見つければそれなりの反応を示したはず。 だが何の反応も見せなかったということは、探している者、ゼライアでは無かったのだろう。
「よい、下がれ。 呪師は変えるよう」
ジャジャムが背に冷たい汗をかきながら再度恭しく頭を下げ部屋を出て行った。
あの時、ジャジャムは進言をした。 その時セイナカルの手には、セイナカル自身によって切った白銀に光る短い毛の束が握られていた。 長さにしてセイナカルの掌より少し長いくらいであった。
その白銀に光る髪の毛の持ち主である森の女王は産屋を出て森の中で倒れていた。 短くざんばらになった髪の毛で、すでに息はなかった。
『今すぐに呪師にこの髪の想いを追わせれば――――』
『要らぬ』
『ですが』
『わらわの力を侮るか?』
『滅相も御座いません』
わらわ、この城の女主であり、この州の女州王にその力はあった、あったはず、呪師に頼ることなくすぐにでも後を追えたはず。 事実、ゼライアという名前も周りに残っていた母親の口から出た名前を女州王が拾ったのであったのだから。
だが・・・名前まで知り得たというのに、あの時あとを追えなかった。 その後にもどれだけ探しても探しきれなかった。 それが何故だかは分からなかった、未だにその理由も原因も分からない。
(不運な力・・・と言えばいいのだろうか)
女州王に力さえなければこんなことにならなかったというのに。
背の後ろで扉が閉められると大きく息を吐いた。 これで何人目の呪師だろうか、この州から呪師が居なくなるのではないだろうか。
若頭の心配をよそにポポとブブは大人しく日々を過ごしていた。 大人たちが知らない間に二人でどこかに出かけるということはほぼなくなっていた。
「ちったー、大人しくなったか」
岩屋から出てお頭と若頭が並んで仲間と夕飯の用意をしているポポとブブを見ている。
「もうすぐ十二歳になる、それに新しくチビが出来るのにそんなんでどうするって、アナグマが言いきかせたようです」
この群れに赤ちゃんが生まれてくるということである。
双子は 「川に行ってくる」 と誰かに告げると飯のおかずの川魚を捕ってきたり、女達と一緒に街の市で売れるものを山に採りに行ったりとしていた。
まだまだ面白がって髪を括る形を変えたりしては仲間たちをおちょくってはいたが、お頭から “行くな” “するな” と言われたことは守っていた。
だが双子にすればアナグマに年齢のことや、生まれてくる赤ちゃんのことを言われたのもあるが、若頭らに言われたことが相当に効いていたようである。
双子はここから出されるとどこにも行けるところが無いのだから。 それにここから出されてしまっては、生まれた時から一緒に居る仲間たちと離れることになるのだから。
ポポとブブは仲間たちのことを仲間と思っているが、仲間たちは・・・きっとポポとブブの庇護者と思っているであろう、それは分かっている。 いつも守ってくれた。 なにより仲間内では一番年下のポポとブブであったのだから。
双子が大人しくなって一年が経った。
生まれた赤ちゃんはイタチと名付けられた男の子で双子はよく子守をしていた。
「ほら、イタチ、立てるだろ」
イタチは運動能力の発達が遅いようでいまだに立てないでいる。 ブブの両手がイタチの脇を取って立たせるが、少し力を抜くとすぐにヘナヘナと膝を折っていく。 何故か代わりに両手をバタバタと動かして喜んでいるが。
「あー・・・やっぱ、まだ無理かぁ」
「立つって意味が分かってないんじゃないのか?」
立てなくて喜んでいるのだから。
「ま、イワネコも焦ることは無いって言ってたからいいんだろうけどな」
イワネコとはイタチの母親である。 授乳が落ち着いてからは他の女たちと同じように働いている。 それが為にポポとブブの二人は子守役となることが多かった。
「な、それより明日、街に連れて行ってくれるって言ってたよな?」
「うん、久しぶりだな。 イタチ、明日は遊んでやれないからな」
イタチの脇を抱えると高い高いをしてやった。
この頃から街中は勿論だが、時折山の麓まで州兵を見かけるようになってきていた。
三人の女達と薬草を売りに街中の市にやってきたポポとブブ。
「なんか・・・兵が多くないか?」
市のあちらこちらに州兵が見え、市にやってくるまでも何人もの州兵たちとすれ違っていた。
「何かあるのかなぁ。 なぁ、ヤマネコ何か聞いてるか?」
ヤマネコは四十ほどの歳を経た、女たちを束ねている女衆の言わば女衆頭である。
「さあ、どうだかね。 いずれにしろ大人しくしてな、関わるんじゃないよ」
州兵になど関わるとろくなことは無い。 二人の女達が州兵を気にしながら市の端に筵(むしろ)を広げて乾燥させた薬草を並べていく。
一人はポポとブブに一番歳の近いサビネコ。 もう一人はお頭に言わすとヤマネコの次に口の達者な二十五前後の歳のチャトラ。
ヤマネコは州兵に目を付けられないよう州兵の動きを見ている。 その州兵は二人一組になって市の中を歩き、時折、情報交換なのか数人が集まって話をしている様子が見てとれる。 その中で歩いていた州兵の一人がもう一人に声をかけ、こちらに向かって歩いて来た。
ちっ、と心の中で舌打ちをしたヤマネコ。
「ポポブブ、なんにもやらかすんじゃないよ、耳が聞こえない振りでもしときな」
こちらに向かって歩いて来る髭をたくわえた州兵に背中を見せたヤマネコが、ポポとブブの肩を押して筵に座らせた。
ポポとブブにしてはどうしてこれだけ州兵がウロウロしているのか知りたかったが、ヤマネコに迷惑をかけるわけにはいかないし、相手は州兵だ、迷惑で終わらないかもしれない。 仕方なく二人で下を向いて胡坐をかいた。 州兵を見てしまうと睨んでしまいそうだからであった。 一年前のあの事は今でもしっかりと覚えているのだから。
「山の民の薬草か」
二人が下を向いて少し経った時であった。 カチャカチャと鞘のあたる音がし、上から男の声が降ってきた。 目先を少しだけ上げると長靴が見える。 州兵の長靴だ。
「そうだよ、よく効く薬草ばかりだ。 傷に効くのもあるよ、どうだい一束」
ヤマネコが言った。 筵を敷き薬草を並べた終わったサビネコとチャトラはここには居なかった。 ヤマネコに目顔を送られ、何かあった時に動けるようにとこの場所から離れている。
州兵が下を向いているポポとブブを見る。
「この二人は商売っ気がないのか?」
売り込もうともしなければ下を向いているだけだ。
「耳が聞こえなくてね、今日は街を見せてやろうと連れてきたけど、人の多さに驚いてるんだろうさ」
「へぇ・・・」
言ったかと思うと、すぐに座り込んで下を向いていたブブの顎に手をあて顔を上げさせた。
ポポが動きかけたが、そのポポの尻を州兵から見えないようにヤマネコが押さえた。
「・・・どっかで見たな」
睨み返したい気持ちを抑えて口を一文字にし、目を逸らせたブブの顔が見ようによっては怯えているようにも見える。
ヤマネコがしまったと思った。 この二人をどこかで見られていたのかもしれない。 だが今までに何度か市に来ていたが、ポポもブブも州兵の目に留まるような事は何もしていなかったはず。 市に入った時に頭の片隅に二人の姿が残っていたのか、それとも別のところでなのか。
「おい」
もう一人の州兵がブブの顎に手をあてている州兵を呼んでいる。
ヤマネコが呼びながら歩み寄ってきた州兵を見る。 この州兵の言うことによってはヤマネコが一言いうつもりでいた。 だがそれは州兵を馬鹿にしたと難癖をつけられ捕らえられても仕方のない一言であった。
「なんだ」
返事をしながらもまだブブを見ている。
「油を売ってる暇はない」
州兵にされるがままのブブがとうとう悔しさに目に涙を浮かべた。
「ふん、気のせいか」
悔しさの涙を怖がっている涙と勘違いをした州兵。 ブブの顎を弾くようにして手を外すと立ち上がった。
ブブの顔が勢いよく横に振られた。
「あの時のガキかと思ったが、こんなしみったれじゃあ森に来る勇気なんて無かったろうな」
「まだあの時のことを言ってるのか」
呆れたようにもう一人の若い州兵が言う。 以前ならこの髭をたくわえた州兵相手にこんな口の利き方は出来なかった。
若い州兵は噂で聞いていた。
この髭をたくわえた州兵は森に入ろうとしたガキ二人を捕らえ損ね、森隊長として兵隊長からかなりの竹刀打ちを喰らい挙句に街回りに降格されたと。
だがもう一年も経っている。 仮に今更その時のガキを捕まえたとて、どんな傷も塞がるものではない。 反対に古傷を再びこじ開けることになるだけではないのか。
「お前には分からねーよ」
州兵が歩を出すと二人で立ち去って行った。
州兵が遠くになり目の前から居なくなった。
「ブブ!」
思わずポポがブブを呼んでその肩に両手を置いた。 だが。
「構うな!」
ブブが目から溢れ出るモノを宙に撒き散らせ、ポポの手をはじき顔をそむける。
「ブブ・・・」
「あっちへ行け!」
「ブブ・・・なんで・・」
どうしてそんなことを言うのか、いつも一緒じゃなかったのか。 ブブに悔しさがあってそれを誰よりも分かっているのはこのオレだけなのに。
「ポポ」
ヤマネコが呼ぶ。
何がどうなったか分からないポポが振り仰ぐと、そこにヤマネコの慈愛に満ちた顔がある。
「今はブブを一人にしてあげな」
ブブを一人? そんなことは有り得ない。
「なんでっ!」
いつもポポとブブは一緒だった。 それなのにブブを一人になどさせられない。
「サビネコが戻って来た。 ブブはサビネコに任せな」
ヤマネコに目顔を送られこの場から居なくなっていたが、事が落ち着いたのだろうと戻って来たようだ。 チャトラはまだあたりに目を配っている。
ポポがヤマネコを睨みつける。
どれだけ睨まれようと頭や若頭と同じく、いやそれ以上にヤマネコに揺らぐ心などない。 ポポとブブを育てたという自負がある。 怯むことも嘲ることもない。
「いっちょ前に睨んでるんじゃないよ」
ポポの頭頂部にゴン! と拳を落とすとそのままポポを抱き上げ筵から居なくなった。
涙が止まらないブブ。
―――悔しい、悔しい。
思わずポポの手を弾いたほどに悔しい。 どうして、どうしてあんな屈辱をあじあわなければいけなかったのか。
言い返せばそれで良かった、そしたらこんな風に泣くことなんてなかった。 だがそれをしてはならないということは分かっている。
「よく我慢したね」
頭を撫でられ思わず顔を上げた。 そこにサビネコの顔がある。
サビネコは十七歳、ブブたちと一番近い歳。
「サビネコ・・・」
「泣きたい時には泣きな」
サビネコがブブの頭を抱える。
「あんな奴ら相手にする価値もないんだからね」
ブブがまだ溢れるものと共にサビネコの腕の中で何度も頷いた。
「離せよ! ヤマネコ!」
ポポがヤマネコの腕の中で暴れていると、ようやくヤマネコの腕から解放された。
だが片方の腕は取られている。
「ポポ、いいかい? 問題を起こすんじゃない」
「分ってるよ!」
「どうだかね、ブブが我慢をしたのを分かってるのかね」
「分かってる! ブブの横に居るだけ―――」
「それが問題を起こす起因となるんだろうが」
ブブが泣いたのだ、その姿を見て横に居るだけでは済まないだろう。 あのブブを泣かせた相手を追いかけて食って掛かるだろう。
「・・・」
言い返さないということは、食って掛かるつもりだったらしい。
もしあの時、ブブではなくポポの顎を上げられていたならポポはどうだっただろうか。
いつも全く同じ一言一句変わらないことを言い、同じ動きを見せていた双子のことだ、同じ反応をしたかもしれない。 だが今日のことは今までにないシチュエーションであった。 ポポはブブと違う反応を見せたかもしれない。 いや、見せただろう。 ここ最近の二人を見ているとその可能性は大きい。 きっとポポならさっきヤマネコを睨んだように州兵を睨んでいただろう。
「いいかい? 山の民が市で、街中で、問題を起こしちゃいけない」
下手に問題を起こすと市から放り出されてしまう。 それは他の山の民の群れにまで及んでしまう。 自分達だけでは済まない。
自分たちとて市での収入がなくなれば困ることが多々ある。 一人粗食に生きる為にだけ食べるのならば、山の中にあるものだけで暮らしていける。 だがそうではない。 一人ではない、生きるためにだけ生きているのではない。 仲間たちと時を分ち合うために生きている。 共に笑い、共に泣き、共に踊り、共に生きる。
そうなれば鍋がいる、米がいる、衣がいる、短刀がいる、山で摂れる食料だけでは済まないものが多々ある。
「・・・分かってる」