キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

二宮町選挙結果

2018年11月20日 | Weblog
4時前に目が覚めて山田風太郎と高木淋光のヨーロッパ旅行記を読む。
6時になったので下へ行くと下の息子が起きていたので、パッチャのところへ餌をやりに二人で出かけた。
自棄に喜んだね、一晩一匹で無聊をかこっただろうから、顔見知りが二人もやって来て大いに心強かったろう。
なんせまだ5ヵ月の子猫だからね。
餌と水をやり、息子がトイレの掃除をして、お茶を淹れて飲みながらひとしきり遊んだ。
はしゃぎ過ぎたのかスカイウォークから落下しそうになり、両手両足で板にしがみついて難を逃れた。

30分ほどで家に帰って来て雨戸を開け飯を作った。
南瓜の味噌汁、これが甘みがあってけっこう美味かった。
妻が踊りながら空中遊泳をさせたソーダ鰹が塩漬けになっていたので焼いた。
納豆、蕪の糠漬け、切り干し大根、春菊のお浸し。


8時に再びパッチャのところへ行き、YouTubeを聴きながら、ソファーで小林秀雄対談集を読む。
パッチャは一人で激しく動き陽気に遊んでいた。
小林秀雄と永井龍男の対談が良かった。
若い大工が熟練の大工に小鉋をかりたら、奇妙な顔をした。
手に馴染んだ道具は女房を貸すようなもんだと若い大工が気が付き、恥ずかしくて居たたまれなくなった。
今のサラリーマンは何でも頭で考えて計画を立てて仕事を進めるが、鉋を持っていない、仕事というのは下から上がって来るもんじゃなきゃダメだ。
それだから休日にレジャーに行くことしか考えないようになってしまっているんだ。
ここのところ、やけに身に詰まされる話で、はたして40年近く仕事をして僕は鉋を持つことが出来たんだろうか、少し救われるのは休日にレジャーに行くなんてことはなかったことだが。
直ぐに思いつかなきゃいけなかったが、僕の鉋は舌なのかも知れないねえ。

9時20分に自転車でJA湘南に向かった。
NさんとKさんがいて二宮町の選挙の話になった。
現職の村田さんが町長になり、高橋、桑原、松本の3名が町議を落選した。
美人のつゆき佳代さんはトップ当選した、人間やっぱり顔だなあ。

昔は選挙になるとやけに張り切る人たちがいて、票は夜ひっくり返したもので、運動期間中は夜になると街角にかがり火をたいて、他のテリトリーから運動員がやって来るのを防御するために木刀を持って見張っていたものだ。
選挙事務所では、みんな酒を呑んで騒いでいたが、今は酒も出せないらしく面白くない。
飲食を共にして語り合わなければ人間なんてどんな奴か分かりはしないだろう。
それが出来ないとなると美男美女が圧倒的に強い、これは地方選挙だけでなく国政選挙でも同じで、政治家の能力は下がる一方だが、見た目は昔より良くなっているという事か。


昼、妻と二人の食事で、妻は昨夜TVを観ながら酒を呑み、最後にカレーを喰ったらしく昼は軽く済ませるから、あなたは豚カツを揚げておいたのでカツ丼を作って食べてくださいと言われ、常備している昆布と煮干しの水出しの出汁に玉葱を入れ、酒、味醂、醤油で味を調えて豚カツを1枚半入れて、最後に溶き卵で綴じた。
朝作った南瓜の味噌汁が残っていたので麩と青菜を入れていただいた。
小町ポークだから美味いでしょと妻が自慢していたが、味わいはあるが結構硬く、最近のソフトなポークに馴れているのちょっと違和感があったな、でも朝からでもカツ丼を食べるくらい好きだから美味しくいただきました。
軽く済ませると言っていた妻は、結構重く食べていて、豚カツを喰いたそうにしていたので丼から豚カツを一つ摘まんであげた。


プレシネ「The King and I」1956年米映画、ユル・ブリンナーとデボラ・カーがタイの王様とその家庭教師に扮して売り広げる密やかなロマンス。
途中居眠りしていたので筋書きだけは理解できたが、面白さはディテイルにあるわけで、あるいは見逃してしまったのかも。
どうもユル・ブリンナーのスキンヘッドは趣味に合わない。

大磯方面へ散歩に出たが、雨がぽつりぽつりと落ちてきたので小一時間で、娘のうちに帰り、パッチャと遊びながら小林秀雄の対談集を読み、TVで相撲を観た。
6時過ぎに家に帰って来て風呂に入り晩飯を食べた。
酒を呑まないことにしたので、鯖の塩焼き、スティックブロッコリー、白菜と茸の春雨スープを飲んで仕舞にしたが、実に味気ないので、メイプルクッキーと柿、豆菓子を食後に食べた。

9時からプレシネ「Cinderella Man」2005年米映画、大恐慌時代のプロボクサー、ジェームス・J・ブラドックが貧困からチャンプになるまでの物語。
コーチ役のジムを演じたポール・ジアマッティが良いんだな、友人にこんな人がいたら、不遇でもどうにか生きていけそうな気がする。
こういう人物になりたいもんだなあ。

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吉田邸

2018年11月19日 | Weblog
湘南は小春日和の快適な天気だった。
セーターを着てサイクリング出かけると文字通り汗をかくほどだった。

娘が五島へ行っていて、パッチャの餌とトイレの交換を妻がやっているので付いて行った。
金魚の糞みたいで情けないが、餌が何処にあるかもわからないし、トイレの掃除もやったことが無いから仕方がない。
妻はパッチャを追いかけまわして捕まえようとするので嫌われている。
女は直ぐに胸に抱こうとするんだよね、男は相手が寄ってくるのを待つ。
妻が餌とトイレの掃除を終えて帰って行った後もネズミのおもちゃで遊んでやっていたが、ひとりぼっちが長くて寂しかったのか、やけに身体を摺り寄せてきた。
初めてのことだが、そんなことされるとヤケに可愛くなって摩ったりするから、ゴロゴロ喉を鳴らしてより密着してくる。
これが女だったらどんなに楽しいだろうかなどと思いながら抱きしめた。

昼の時間になったので家に帰ったが、息子が大磯のコンサートに知人と待ち合わせてゆくので早めの昼めしとなった。
肉、葱、エリンギ、麩、春菊が入った何とも言えない蕎麦だったが、出汁をきちんととってあったので美味かった。

コンサートは城山公園で2時開催と聞いていたが、調べてみると吉田邸でやるようなので、主催者に正確な開催場所を問い合わせると、吉田邸の管理事務所で開催とのことだった。
娘が五島の美味そうな刺身盛り合わせの写真と共に、パッチャの映像を送れと言ってきたので、コンサートの前に娘のところへ行き動画を撮って送った。

息子は歩いて会場に行ったが、僕は自転車だったので、だいぶ遅れて家を出たが1:40に会場に着いた。
高齢者ばかりが50人以上集まっていて、すでに満員に近かった。
奇数月の第三日曜日に開催しているとのことで、もう2年目らしい。
若い女の子のフルートと若い男の子の電子ピアノの演奏だった。
前半の頭が「心の旅」で、終わりが「ひこうき雲」だった。
「心の旅」では何故か涙があふれた、年とともに感受性が敏感になるんだなあ。


コンサートが終わってから庭の散策をした。
釣りをしていた頃、海側から吉田茂の銅像を眺めたが、初めて内側から眺めた。
屋敷が焼けたころは友人がその近くに住んでいて、近くにいたのに見学をしなかったのを残念に思ったが、2年前に建てなおされた。
吉田が愛人と共に二階の窓から富士山を眺めていたと思われる部屋の窓が庭から眺められた。
叔母の父君が吉田茂の侍従医をしていて話を聞かされたので、なんとなく馴染みがあり懐かしい気持ちになった。


余りにパッチャが寂しがっていたので、家に帰ってから直ぐに本をもって娘の家に行きパッチャの傍で読書をした。
近くに寄って来て腹の上に乗ったり、手を舐めたりして喜んでいた。
5時になったので読書を止め、炬燵に入ってTVで相撲を観た。
ここのところの寝不足で居眠りをしてしまったようだが、パッチャは炬燵の中に入って僕の足元で大人しくしていた。
多分眠っていたのだろう、6時過ぎに帰った時もそのままの姿だった。

家に帰り、ゆっくりと風呂に入って出てきたら妻が飯だと叫んでいた。
鮪のカマをコンベックで30分くらい焼いたそうだが、骨の内側は火が通りにくいんだね、生だった。
またもや叉焼、鮪の前に焼いたらしい、春菊のお浸し、切り干し大根。
桃川純米吟醸、洋ナシのスピリット、ホワイトラムを飲む。
飲酒の癖は治らず飲みすぎで内臓疲労だが、精神的な重圧が少し晴れたので酒が美味い。


昨年4月から1年8か月間何もせずに好きな事だけやって暮らしてきたが、心身ともに長い間の疲労から回復してきたように感じているので、いよいよ新たなことに挑戦することにした。
先週から隠居生活に入って以来連絡を絶ってい人たちにも連絡を取り、社会とのつながりを保っていこうと思うし、少しだけ社会に対して思う所を発言することに決めた。
そんな訳で、今日からこのブログも「椿庵酔哲湘南日記」と改めた。

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映画が少し分かって来た

2018年11月18日 | Weblog
久し振りにゆっくりと眠れた、懸案事項が何となく片付いたので緊張時に発生する体内のホルモンが消えたのであろう。
アドレナリンだかドーパミンだか知らないがだか、緊張時には多量に発生して眠らなくてもどうにか生きて行けちゃうんだな、これは人間の危機に際しての生体反応なんだろうが、長く続くとやっぱり死んじゃうような気がする。
4時半に目覚め、小林秀雄をすこし読んで、5時半に起き出し風呂に入り、着替えをして大磯方面へサイクリングに出かける。
昨日より人が少ないのは日曜日だったせいらしいが、さっきまで月曜日と勘違いしていたので、変だなあと感じながら走っていた。
朝焼けに向かって走るのは楽しい。

帰って来て朝飯の支度をした。
昨夜、妻が大量に焼売を作ったのでそれを温めて食べてもいいのだが、如何せん厭きた。
叉焼、ハンバーグ、焼売の奥義を極めようとしているのか、この3点が食事に出て来る確率が異様に高い、それでも昨夜本人が、飽きると美味しくなくなるのが分かったとぽつりと言っていたので、家族の苦しみが少し分かったのかも知れない。
娘はこの家の拉麺の比率は異様に高いと指摘していたが、それは叉焼が原因で、拉麺になるか炒飯になるかで、何れにしろ高カロリーの料理に化ける。
妻いわく、今回の焼売は既存の挽肉を使ったので思い通りの味になっていない、前にも指摘した通り、挽き肉はほとんど解凍が売られているので、生の肉を買ってきて自分で叩かなければ美味い焼売にはありつけない。
焼売の話で長くなったが、油揚げの味噌汁、獅子唐とブロッコリーの卵炒め、胡瓜の糠漬け、納豆を食べた。
胡瓜の糠漬けは、胡瓜が旬を過ぎているのと、糠の発酵最適温度に達していないので美味くない。
いよいよ白菜漬の季節がやって来たか。

昨夜は鰺のなめろう、焼売、ブロッコリー、蓮のきんぴらで、桃川純米吟醸を冷で呑んだ。
八戸の料理屋で桃川を浴びるほど呑んだことが思い出され、年を取ると追憶が良い酒の肴になるとは聞いていたが、まさにその通りだ。
妻は西友のPBの純米酒を熱燗にして大振りのコップ2杯飲んでいたが、安酒をコップに入れて電子レンジで熱燗にするのが好みで、その飲みっぷりもいい、2杯で多分2合半はある酒を10分ほどで呑み切ってしまった。
いい酒をぬる燗につけて猪口でちびりちびりやるんでは酒の醍醐味が味わえないとのことなのだが、時にそれが3杯になり、踊りながら”Ultra Soul!!"と歌いだすことがあって、子供たちから非難されるので最近では2杯で切り上げることが多い。
良い傾向である。

土曜日は母の着替えの当番なので、酒を呑みながら「寅さん望郷篇」を途中まで観る。
すでにこの映画は4度は観ているので全編見る必要もなく、場面場面での面白さと、高羽哲夫のカメラワークに感心しているだけで満足だ。
母の着替えが9時に終わり、10時半からの山田洋次の番組を観るために二階のベッドで横になったら眠ってしまった。
睡眠不足で疲れていたようだ。

番組では寅さん50作目の撮影現場が映っていたが、後藤久美子が若い頃より綺麗になってでいて驚いた。
映像と科白について監督からこんなに細かな指示が出るのかと驚いて観ていたが、先ずは脚本を書き、それを自分の美的センスで映像化し、科白を決めるのが映画なんだなあと改めて思った。
定年後、映画を観たいと思ったのは、映画監督が書いたエッセイなどの文章が凄く魅力的なので、それは何でなのかなあと思っていたためだが、そういう事かと何となく合点がいった。
自分が思う美しい文章を起こし、それを映像で撮り、音にする、要するに自分の美意識を文章、映像、音で表現するわけで、映像と音の美意識が文章にも反映されて美しさが総合的になっているってことか。


そういえばかつて一緒に落語に行っていた女友達が結婚してスペインへ行ってしまってから落語を聴きにいかなくなった。
月に一度5年くらい「にぎわい座」へ通ったが、もう2年くらい行ってないなあ、友人に拠り行動パターンというものが大きく変わる。
隠居してから2年間あまりそれまでの行動パターンと大きく変え、動かないで暮らしてみたが、心身ともに次の何かのための力が込み上げてきたような気がする。



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空飛ぶ鰹

2018年11月17日 | Weblog
素晴らしい天気の一日だった。
小春日和と言うより、暑いくらいだったのでインディアンサマーのほうが適切な感じだったね。

3時過ぎに目が覚め7時まで西部邁を読み、雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯を作る。
油揚げと葱の味噌汁、胡瓜と蕪の糠漬け、納豆、大根の葉と油揚げの炒め物。

娘が昼から鎌倉のタイ料理でバイトなので、9時に行ってみたが既にいなかった。
そのままJA湘南に行ったら農家の女性が3人納品に来ていて、会計の女性が来ていなかったので外で待った。
その間に大阪の知人に電話をして近況を話した。
ラディッシュ、ピーマンを買う。

一度家に荷物を置いてそのまま月京のヤオマサまで自転車で走り魚を見る。
サゴシ、スミヤキ、太刀魚、鯵など二宮か近場で獲れた魚があったが、このところ同じようなものを食べているので買わずに外へ出て、ベンチで日向ぼっこをしながら、自由が丘の友人と別府の友人に電話を掛けた。
自由が丘の友人は出版業をメインにやっているが、多岐にわたってやっているため何者か良く分からないところがある、横浜で個展を開くらしい。
最近二宮に来て落花生を買って食べたが美味かったと褒めていた。
家のジイサンが二宮の園芸試験場で研究を重ねたんだよと少し自慢した。
二宮より秦野の落花生が著名との認識を持っていて、チョット説明をさせてもらった。
まあこの辺りより千葉の八街が有名になっているんで、甲斐のないことかもしれないけどね。

別府の友人はもう20年以上の付き合いだが、身体を壊し好不調を繰り返している、今日は好調のようだった。
あと5年生きて太鼓をもってメキシコへ行きたいとのこと。
赤レンガ倉庫のボージョレ・ヌーボー・パーティーで太鼓をたたいてくれたのは、もう15年も前になるんじゃないかなあ、あの頃はお互いに元気だったが、今は二人ともガタのきたババアとジジイだなあ。

昼は妻と二人で冷凍してあったリーさんのカンパーニュを焼き、ハム、チーズ、胡瓜、サラダ菜を載せて食べた。
野菜とベーコンのクリームスープを作っておいてくれたので有難かった。

プレシネは「3MEN and Baby」1987年米映画で、いい大人3人で女の赤ちゃんの面倒を観ているうちに、すっかり可愛くなって手放せなくなるっていう物語、この3人のうち年長の男がトム・セレックで1981年ハワイ駐在の一人暮らしの無聊を慰めてくれたのが「Magnum PI」だった。
ハワイでは彼のアロハとGパン姿がかっこよくて真似ていたが、何しろ身長が2ⅿ近くあり長足、1m75㎝しかも短足肥満気味では及びもつかなかったが、懐かしくて涙が出そうだった。

自転車で大磯方面から西へ折り返し、イオン目で行き「高砂」と写真ホルダーを買う。
かなりの距離を走ったので汗をかき、風呂に入ってから相撲を観た。
貴景勝は重心が低く安定している、あの野太い性格もいい。

「朝日山」と「高砂」を燗にして呑む、金曜日なので当然のごとく妻も呑んだ。
「高砂」は富士宮の富士高砂酒造の製品で、霊峰富士山伏流水仕込み、精米歩合60%で、色合いも褐色があり、厚みのある力強い味わい。
「朝日山」は新潟県長岡市、山本五十六の故郷だなあ、新潟県産米100%使用 精米歩合65%、越後の淡麗のイメージと異なり濃厚な感じがするが、「高砂」ほどではない。
肴はソーダ鰹の刺身、風呂吹き大根、里芋煮、豚しゃぶサラダだったが、大根と里芋は出汁の取り方が良かったのか抜群に美味かった。
二宮産のソーダ鰹は50㎝ある太ったもので、新鮮で身が堅く、脂がのって実に美味かった。
妻が凄いソーダ鰹が買えたと自慢をしていて、プレシネを観ているときにわざわざ見せに来たが、1匹を刺身にして、もう1匹を潮にする予定だったらしいが、酒を呑んでいる時に、まだ丸のままのソーダ鰹を手に抱えて空中を泳がせて見せびらかして踊った。
とんでもねえ奴だ。
8時前に外へ繰り出したい気分だと言うので、見事なソーダ鰹と大根と里芋のご褒美に駅前の焼鳥屋へ連れて行ってやることにした。
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日本の歴史と個人の歴史

2018年11月16日 | Weblog
2時に起きて本を読んで音楽を聴いていたが、最近寒くなって来たので暖房を入れた、夜が明けるのも遅くなり、いよいよ冬が間近に迫っている。

雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯を作った。
ヤガラのあらに九条ネギを刻んで入れた汁、茄子のオリーブオイル焼き、納豆だったかなあ、日ごと記憶力が減退しているのが分かる。
JA湘南に下の息子が走って行くのに自転車で伴走した。
ブロッコリー、春菊、ルッコラ、胡瓜を買う。

娘のところへ寄り、珈琲を飲んでパッチャと遊ぶが、ネズミのおもちゃへの反応が鈍くなって、横になって休んでいることが多くなった。
スカイウォークは好きで、そこにネズミをのせておくと一気にデッドエンド迄登ってくる。


10時半、妻と下の息子と散歩をしながら月京のヤオマサへ魚を買いに行く。
僕は魚が目的だが、妻は肉が目的で肉のコーナーにへばりついていて不要なものを買っていた。
魚は二宮のものが上がっていて、50㎝の石持と鰺を5尾買った。
ピーナツ、川崎大師の葛餅なども買った。

昼、昨夜作った大量のハンバーグ煮を崩して、トマト、セロリなどを加えてスパゲティと絡め、ルッコラとパルメザンチーズを振りかけて食べたが美味かった。
食後は川崎大師の葛餅とアールグレイ。


プレシネは「Another Stakeout」で昨日の「Stakeout」の2作目、母の居間でお茶を飲みながら観ていたが、終わって台所へ行くと娘がいて、どうも最後まで観ていたようだ。
昨日のほうが面白かったと言って帰ったが、そういわれると気になるね。
映画は途中で眠くなって居眠りをしたせいでストーリーの脈絡がつかめなかった。


西部邁「歴史の復権 文明と成熟の構図」を読了したが、文章を呼んで何処に論点があるのか、覚えておくべきところは何処か吟味して赤と青線を引いているので、ただ読み進めるのに比べて3倍の時間がかかっていると思われるが、じっくり読むべき本で読了した充実感がある。
保守主義は歴史に学ぶ考え方だが、西部の歴史は日本の江戸や室町ではなく、西欧近代200年の歴史、それも裏面に学ぶものであり、産業主義と民主主義の欠陥を如何に平衡して行くかの知恵について書かれている。
学者らしい丁寧な論理の展開なので、だれが読んでもわかる優れた本なのだが、野に出ているために学界からは見向きもされないらしい。
小室直樹も同様であったが、近頃、西部邁と小室直樹しか読む気にならないことと、このことは大いに関係しているんだなと思っている。

この本は伊勢佐木町のBOで2,3年前に200円で買った5冊ほどの1冊だと思うが、良い買い物をしたなあ、今では西部邁の古書は中々出ないし、あってもかなり高い値が付いている。

昨日現像した昔の写真を眺める。
眺めるものがあるってのはいいもんだねえ、隠居というのは、それまでたんまりと色々なことをして置き、時間をかけてそれらを振り返り、その意味を考えたり、単に追憶にふけることなんだなあ。

4時に自転車に乗り、大磯方面へ向かい、引き返して西友まで行き、無くなってしまったウエットティッシュの詰め替えと「朝日山 純米」4合を買って帰る。
相撲を観たが大関が3人とも負けて、どうにも締まらない九州場所になっている。

風呂に入り、鰺の刺身、石持のから揚げ野菜餡かけ、ブロッコリー、カリフラワーを肴に「朝日山」を呑む、木曜日には珍しく妻も呑むというので4合燗につけて呑んでしまった。

石持は50㎝はあったので大きな皿にあふれるほどで、3人で食べきれなかったが、味のほうはかなり良かった。
深い大きなフライパンで妻が揚げ、僕は人参、玉葱、椎茸、青梗菜などを炒め、甘酢を入れ、最後に片栗粉でとろみをつけて、揚がったばかりの石持に掛けたが、二人でやったので揚げたて炒めたてを食べることが出来たので美味かったんだろうね。

先日出てきた古い手紙を詳細に読んだ。
37年前に何を考えていたかすっかり忘れていたところがあり、日記にしろ手紙にしろ時々読み返してみるべきだなあと思った。
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1982年10月24日

2018年11月15日 | Weblog
朝は何を食べたかなあ、帆立とベーコンのクリームシチューを温めて九条ネギを入れて食べたのは憶えているが、後はスミヤキの煮たのを焼いて、納豆を食べたのだったような気がするなあ。


朝からPCの具合が悪く、娘を呼んでみてもらったが、ウイルスに感染したというのが偽情報が出ることが多く何時もは消してしまうのだが、今回はビービー音がして消せなかったので慌てた。
それでもいい加減に色々なことをやっているうちに消えたが、果たして正常に戻ったのかどうか怪しい。

JA湘南まで自転車で行くと、会計の女性二人がいて賑やかだったなあ。
ブロッコリー、柿、春菊、青梗菜を買った。

娘のところへ寄ったら、まだ僕の家にいるようで留守だったが、家に帰ったら今帰ったと妻に言われた。
10時半過ぎに娘のところへ行き珈琲を飲んでパッチャと遊んだ。
娘と今日の昼飯の話になり、妻が大量に中華麺を買い込んであるし、叉焼もあるから拉麺になるんじゃないのかなあといっていたが、昼になったら妻から、あなたがえりに昼は拉麺だって話したんじゃないのと言われ、結局拉麺になった。
白菜、青梗菜、人参、豚肉、叉焼、蒲鉾、エリンギ、玉葱を件の如く大型のフライパンにあふれるくらい大量に炒め、餡にして麺の上に載せた。
五目うまにそばかなあ、かなり美味かった。

プレシネを止めて茅ヶ崎に36年前のネガフィルムをもって現像に向かう計画を立てていたが実行した。
フィルムがコダックだったせいもあるのか、劣化して黄色が強くなっていて、掛かりのオネエサンが黄色を消して現像したんですが、これが限界ですと28枚の写真を渡してくれた。

1982年10月24日日曜日多分薄曇りで風があったと思う、二宮海岸で写真を撮りあったが、僕が撮ったのは半分以上ピントがぼけていた
彼女が撮ったのはほとんどピントが合っていて綺麗に撮れていたが、自分の写真を観てもね、それでもファインダー越しの彼女の優しい視線を感じる。
オートで撮ったのが2枚あったが、三脚なしで撮ったにしてはまあまあの出来だった。
チャコールグレイのVネックのセーターに彼女が縫い付けたワッペンのペアルックで、彼女は紺のフレアスカート、僕は紺のコールテンのズボンをはいていた。
多分あの頃のもので残ったものはこれで全てだろう、けりをつけなくちゃね。

長谷川書店で、石ノ森章太郎「章説 トキワ荘の青春」中公文庫を買った。
これは昭和56年に講談社で「章説・トキワ荘・春」を再構成して、2008年清流出版から出た「章説トキワ荘の春」を再構成して改題したものだ。
偶然にも僕がハワイに駐在しているときに出たんだなあと感慨深い。


家に帰って来て母と一緒に相撲を観たが、稀勢の里は辛いだろうね、観ていて気の毒に思う。
でもそう思われたら引退の時期だという事なんだろうね、しかし、最後まで取って欲しいなあ。

風呂に入って出てきたら、ヤガラをO君に勧められたと3尾買って刺身にしてあった。
二日酔いでもあり酒は止めて置こうと思ってビールを飲んでいたが、やっぱり酒を燗して呑み始めた。
寒いので妻と娘も燗酒を飲み始めた、次に出てきたのがハンバーグで、これにはボルドーの赤を飲んだので、酒を止めて置こうどころではなくなった。
勢い付いた妻が「侘助」で大山地鶏炒飯を喰わせろと騒ぎ、前回死ぬまでに10回だけ喰わせるから今日は止めて置けといって収めたのだが、その10枚のカードの1枚を今夜使うと言い出し、仕方なく着替えをして9時に出かけた。
娘は素早く逃げて自分の家に帰ってしまった。
道中、綺麗な月が西の空に出ていた。

「侘助」で大山地鶏炒飯、ボージョレヌーボー、丹沢山純米燗、蛸山葵を飲みかつ食べた。
向かいのインドカレー屋が開いていたので入ってみたが、パオツのようなものとタンドリーチキンを肴に、ビールとインドラムを飲んだ。


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横浜デイ&ナイトクルージング

2018年11月14日 | Weblog
昼前に関内について、「駒」でチラシを食べ、伊勢佐木町のBOへ向かい1時まで本を眺める、
至福の時間だ。

荒川洋治「過去をもつ人」みすず書房 2016年3刷
5ヵ月で3刷しているが、2,700円+税と高い本なんだよね、書評集なんだが、この人は端正な素晴らしい文章を書くので、それを知っている人は読んでみたくなるんだろうな。

久し振りにTuesday Jazz Liveを聴いた、ピアノの楠さんとヴォーカルの詩織さんのデュオだった。
Song for Youを聴いていたら涙があふれてきて困った。
年を取ると幸福感を強く感じるようになるが、それと共に感受性も若いころに戻ったようで直ぐに涙があふれてきて困る。


2時半にかつての上司83歳になられた女性にお会いして、小説の掲載される「横浜文学」の出版の時期と㈱輸出入サービスセンターのOB会について打ち合わせをした。
思い出話や、昔の社員の消息などについて話すものだからつい長くなり5時になるのを見て暇を告げた。
かつての恋人もまさに小説の舞台の時期に会社にいたが、申し訳ないが多分来ないだろうと、今まで誰にも話さなかった恋の顛末について初めて真実を話した。
付き合っていたことと分かれたことはご存じだったが、初めて経緯を聴いて、それでももう昔のことだから、誘ったら来るかもしれないよと慰められた。


桜木町まで歩き「美濃屋」で柿の種と拳骨煎餅委などを買い、「紀伊国屋書店」で新刊を眺め、6時半に関内駅北口の合わせ場所に行くと既に知人が待っていた。
9月に一度しか会ったことが無かったので、果たして分かるだろうかと心配したが、彼女のほうから声を掛けてくれた。
「鳥伊勢本店」に入ったら、何度か来たことがあるとのことで、枡酒を薬缶から注ぐところと認識していた。
久し振りにトウリョウに会い、目の前のカウンターに腰かけて、大関樽酒燗を4合呑んだ。
ヤゲン、葱肉、ぼんぼち、ハツ元を食べた。

彼女、逗子だと思っていたら、実家が逗子で金沢八景に住んでいて、飲むのが好きだから関内は詳しいわけで、馴染みのイタリアンバーに移動した。
赤ワインを1本飲んだ。
西部邁ゼミナールを視聴している女を初めて目の前にした。
10時過ぎたのでお開きにして、12時前に家に着き、酔い覚ましにビールを飲んで寝た。




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最初のラヴレター

2018年11月13日 | Weblog
毎日blogを書いているが基本的には前日のことを書いている。
そして武田百合子の「富士日記」を倣って、何を買ったか、何を食べたかを基本に書くようにしている。
それはその記載が「富士日記」の中でも面白く感じるからで、山田風太郎の日記であれば、いかにして煙草を手に入れたかの毎日の記載が思いのほか面白いのだ。
まあそんなわけで、何を食べたのかを書いているが、最近毎晩の飲酒が度を過ぎているようで、脳の具合が悪くなり、前日に何を食べたのかを思い出せなくなっている。
これが高じると飯を食べたのかさえ分からなくなり、食前食後に飯を喰うはめになるのだろう。

さて、昨日の朝飯は何だったのだろう、 全く思い出せないでいてやばいなあと思ったが、一昨日の夜多量に作ったおでんを温めて食べたのだった。
昼は妻が帆立の炊き込みご飯を作り、二人で向かい合わせでおでんと豚カツを肴に食べたのであった。
そして夜もおでんを肴に燗酒を飲み、炭焼きの塩焼き、ブロッコリーとカリフラワーの茹でたのを食べた。
小振りのハンバーグにもあり、その時はイタリアとボルドーの赤を飲んだんだっけ。


JA湘南へは早めに自転車で行き、冬野菜が大量に出ていたので、ブロッコリー、カリフラワー、大根、薔薇、無花果を買って、帰りに娘のところへ寄って珈琲を飲んでパッチャと遊んだ。
もうスカイウォークに馴れて、一気にてっぺんまで登り回廊を伝わって歩く。
前夜、娘が吉祥寺の友達のところへ泊まり、餌をもらえなかったので今朝二皿喰ったらしい。
食欲旺盛で、来た時から1か月以上が経ち、体格は見違えるほど大きくなった。

㈱輸出入サービスセンターのOB会を行うにあたり、連絡のつく人に電話をし、知っている人の消息や古い社員名簿を送ってもらっているが、昔の手紙が入っている玉手箱を開けてみたら1981年当時ハワイに駐在していた頃の手紙があり、会社のや友人からの手紙が沢山あることに驚いた。
そして1981年暮れに一時帰国して、そのわずかの間に恋に落ちた会社の女性からの初めてのラブレターを見つけ、記憶から完全に消えていたが、読み進めていると涙が止まらなくなった。
1年間熱烈な恋をして、僕が馬鹿げた意地を張り破局したが、罪悪感と後悔と共に未練が強く残り、それを振り払うのにほとんどの手紙と写真を焼いてしまったが、3枚の写真と1通の手紙が今手元に残った。
意識の表からは振り払った苦い記憶が、心の奥深くに何時までも残っていることを象徴しているようだ。
凄い手紙を見つけてしまい、忘れていたことや、初めて分かったことが沢山あり、一日中眺めていたが、興奮で夜眠れなかった。

ご年配だった会社の先輩の小川さんからも手紙をいただいていて、彼女の近況がそれとなく書いてあり、御父上の心配を胸に仕事の負担が増えて毎日夜遅くまで仕事をしているが、私が彼女が帰るまで個人警護をしているから安心しなさい、「バレンタインデイに君が日本にいなかったのが残念」と告白をされたよとあり、またもやここで文字がにじんで見えなくなってしまった。
彼女はお父さんを亡くしていたが、僕が7月に帰国した時には既に亡くなっていたと思うが、2月には闘病していたんだなあと初めて分かった。

彼女が夫を亡くした母が、毎日会社から買ったホワイトホースを飲んでいることを心配していたが、そのことが彼女と破局した原因の一つでもあった。

今はそういった大人が少なくなってしまったが、当時は本当の大人がいて、若い人の恋を見守っていてくれた。
世代間の人間関係が結べないのは文化の衰退だが、貧富の分断を懸念するよりも、年代の分断を如何に修復すかのほうが大切に思う。

プレシネ「BIG」を観た。
トム・ハンクスが魔法の力で子供の心のまま大人になって恋をするが、やっぱり家庭に帰りたくなり、もう一度願をかけて元に戻ってしまうのを恋人が切なく見送る。
恋してる相手が消えてしまう悲しみを寓話で撮ったものだが、愛する人が居なくなるのは
嫌なもんだよね。

夜のプレシネは「LEON」で、無学の殺し屋と隣に住んでいた家族を麻薬捜査官に皆殺しにされた少女との交流を描いたもので、少女が人間の感情を孤独な男に呼び戻させる物語。
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粽を買う

2018年11月12日 | Weblog
今朝は何時もより遅く5時に目が覚めた、読書をしていたら下の息子が部屋に入って来て、散歩に行こうと言うんで大磯方面へ朝日を見ながら歩いた。
曇り空であったが、日が出るとまぶしかった、今日もいい天気になると思う。

7時過ぎに家に帰えり、朝飯を作る。
ブロッコリー、葱、美味菜の牛肉炒め、鰺の南蛮漬け、豆腐とホウレン草葱の味噌汁、納豆、茄子と蕪の糠漬け。


10時に娘のところへ珈琲を飲みに行き、パッチャと遊ぶ。
娘が木をのこぎりで切っていて、梁に斜めに渡す猫のスカイウォークを作っていたが、最初躊躇っていたものの、その内難なくそこまで登って行き歩くようになった。
チビでメスでなのに勇気があり羨ましいねえ、せめて僕にもこれほどの勇気があれば、もっとましな人生が歩めたのに。

ラディアンで行われている催しにKさんが出ているというので出かけた。
農産物の品評会と魚の販売、地場産業の紹介が行われていて、中華屋が出していた模擬店で粽を5ケ買って帰った。
粽好きの母が直ぐに食べ、息子と僕も烏龍茶を淹れて食べた。
鶏肉が入っていて、少し匂いがあったがまあまあだった。
夜のTVニュースでこの会場が映り、大磯警察署長が振り込め詐欺に注意を促していた。

昼は餡かけ五目焼きそばとのことで、そのまま烏龍茶を飲みながら食べればいいやと思ったが、出来上がったのが遅かった。


午後、横になって読書をして「西部邁の論争ふたたび」を読了した。
随分長い時間をかけて読み終えたが、書いてあることはこの本だけでなく出版年代の異なる本でも一定していて、かなり早い時期から思想を固めたことが伺われる。
その思想は、保守主義の神髄である進歩主義によって踏みにじられている、歴史、慣習、伝統から得られる叡智をきちんと見直して、日本の真の意味での国柄を確立し自立を促すものなのだが、肝に銘じるまで何度も西部の本を読み直すことにしよう。

3時半に下の息子のランニングの伴走を自転車でする。
大磯方面へ行き、月京から南へ折れ、東海道線を折り返してくるコースだが、アップダウンがあり、自転車でのスピードがかなり変わるために、ペースチェンジのいい練習になっている。
30分ほどのコースだが汗だくになっていた。
家に帰ってきたら妻が庭で草むしりをしていたので、トマトの整枝と生垣の剪定をついしてしまった。

大相撲初日を観る、稀勢の里は慎重にとりすぎたのではないか、爆発力が感じられなかった。
先場所10勝した手応えがあり、今場所は優勝への意識が強くなりすぎているような気がする。

朝から妻が大根を煮たり、午後ワクワクに小田原の練り物を買いに行って、夜はおでんだと騒いでいたが、風呂に入り出てきたら息子と二人で鍋をつついていた。

酒を呑むかと聞いたら、11時から「オクニョ」を観ながら一人酒をやるのを無上に楽しみにしているため、晩飯時には呑まない日曜日なのに呑むというので、チロリを出して急いで燗をつけた。
おでんに一番合うのは安酒の燗だねえ。
二人で4合ほど呑んだろうか、7時過ぎにヤオマサに散歩がてら買い物に行くというので、自転車で妻と息子の後を追って運送屋として出かけた。
8時前に帰って来て、母と少し日米野球を観て、2階に上がって西部邁「歴史の復権」を読んだ。

西部が自刃する前、これらの本はBOでよく見かけ、200円で購入できたのだが、今は本を見かけないし、価格を調べると異常に上がっているものが多い。
それだけ需要があり読んでいる人が多いという事だろう、いい世の中になればいいんだがなあ。





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小春日和

2018年11月11日 | Weblog
今朝は4時半に目が覚めた、大体この時間に目が覚めるようになってきたので、少しは精神が安定したのだろう。
それでも37年前の悔いがいまだに重く圧し掛かっていて、どうすればそれを軽減できるのかを思っているが、とことん向き合うことが肝心だんだろう。
でも、どうにもならないことってあり、耐えてゆくしかないんだろうなあ。

6時まで本を読み、下の息子を誘って大磯方面へ向かって散歩に出た。
夜、雨が降ったので道が湿っていて、雲も多かったが、やがて太陽が出てきてインディアンサマー小春日和になりそうな気配がした。

帰りに35年前に家を建ててくれた棟梁に会った。
今は大工を辞めシルバー事業で植木屋をやっているが、裏の家の庭をやりに来たということだ。
かつての弟子に屋根をやってもらうことになったので、その旨を話した。
本来の筋としては廃業しているとはいえ棟梁に頼んで、本人は出来ないからと弟子に仕事を回してもらうのが筋だが、まあ了解してくれたのではないかと思う。
白髪だが角刈りで顔色もよく、身体を使った仕事をしている人は若々しい。

朝めしは、獅子唐、ブロッコリー、美味菜の卵炒め、けんちん汁、納豆、鰤照り焼き、胡瓜と蕪の糠漬け。

9時にJA湘南に向けて、下の息子と歩いて出かけ、9時半前に到着、まだレジのオバサンが来ておらず、シャッターが閉まっていたが、早い納品をする農家の人たちは来ていた。
無花果、赤ホウレン草、ルッコラ、春菊、椎茸、ブロッコリーを買い終わったら、Kさんがやって来たので九条葱を買った。
皆さんの話で東大農学部農場跡で二宮市をやっているとのことで寄ってみた。
道中いよいよ日差しが強く顔が痛かった。
会場には100軒ほどの店が出ていて出品は様々だったが、こんな市にありがちなものだった。
吾妻山山麓の農園のパクチーとレタスを買い川勾神社の近くの蒸しパン屋で3種の蒸しパンを買う。
百合ヶ丘団地の活性化を行っている人たちが、その事業紹介で橘団地の近くで栽培した稲できりたんぽを作り振舞っていたのでいただいた。
50年以上前に分譲された団地で、とうの昔第二世代が巣立ち、残っている人たちも亡くなった方が多く、空洞化しているのをリノヴェーションして驚くほど安い価格で貸し出している。
今後ますます人口減少するので、何も手を打たなければ廃墟となってしまうだろう。
中学時代のガールフレンドもこの団地の天辺のほうの一軒家に住んでいたが、今はアメリカにいると聞いている、大学生の頃最後に会ったが美人だったなあ。

益子から陶器を持って来ている人がいて、焼酎や酒を呑むのに良さそうなカップと、当人はパスタ用と言っていたが白い三角形の皿を買った。

蜂蜜を持って来ているオネエサンがいて、十数種類試飲をさせてもらったが、北海道と伊豆の百花蜜が濃厚で奥行きがあり、大仁から来ているとのことで伊豆の百花蜜を選んだ。
桜の蜂蜜は香りが鼻に抜け素敵だったのでこれも求めた、この強い香りは大島桜から来ているとのことだ。
200gの瓶2本で2,800円の出費、色々な花の蜂蜜を味わうのは楽しいが、国産蜂蜜は最近養蜂家が少なくなり貴重になったので高いね。

散歩に出る前、妻から昼はカツ丼にするので卵を買ってきてくださいと頼まれたが、荷物が多くなり買わずに帰って来たら、何だかぶつぶつ言っていた。
妻はボーッとしていて気が利かないが、人柄はすごくいいので我儘な僕でも一緒に居られるんだなあと構えている。
汗をかいたので風呂に入った。

昼は予定通りカツ丼となった。
何時ものように各人好みで作ったが、玉葱に酒、味醂、醤油を入れて煮込み、カツを入れて少し温め、溶き卵を入れてとじた。
カツは小町ポークと、アメリカサンロースのを2種類入れたが、小町ポークは噛み応えと味わいがあり、アメリカンポークは柔らかくて、それはそれで美味かった。

食後2時間ばかり午睡を取った。
3時過ぎに下の息子がまた誘いに来たので、自転車で伴走して大磯方面へ出かけ、帰りに娘のところへ寄って珈琲を飲んでパッチャと遊んだ。
娘の幼馴染が来て金属アクセサリーの作品集をパソコンで作っていた。

家へ帰ると妻が鰺の南蛮漬けを作っていた。
午前中西友に買い物に行きいいのがあったからと鰺を買ったのに、午後ヤオマサで鯵が安かったからと2度買いしたらしいが、その量や莫大で、大ぶりの深皿につけ汁が見えないくらい盛り付けてあった。
南蛮漬けってのは、つけ汁に鰺が沈んで漬かってるもんじゃないのかと妻をからかったら、そのうち野菜から水が出てくるとのことだった。
でも、食べても食べても汁が何処にあるのか分からなかった。
この時期の鯵は大ぶりのものが多いが、いったい何匹鰺を買ったんだと聞いたが答えなかった。
多分20尾以上買ったのだろう、南蛮漬け以外にも刺身が出てきたから酒を呑むには悪くなかったのだが、この過剰によりダイエットが困難になってもいるんだよなあ。

娘もやって来て、銀杏を炒ったりして妻と3人で燗酒を呑んだ、「男山」「高清水」「桃川」が直ぐになくなり、妻の熱燗用の西友のPBの純米酒に手を付けた。
酔いが回ると妻が大山地鶏炒飯を喰いに行くと言い出したが、娘と二人強硬に反対して事なきを得た。

8時半に母の着替えを手伝い寝かせ、飲み食いし過ぎたなあと9時から自転車で大磯方面に出かけた。
帰って来てから、笠間焼を米のとぎ汁で煮て、カップの方で湯割りを作り飲んでみたが、持った感じ、口当たり、色合いと肌合いが中々良く気に入った。

10時に二階に上がり西部邁を読んだ。
西部は自刃する前に「言論は虚しい」と言っていたが、マスコミに出て来る多くの浅はかな専門家が主導する世間の認識とは異なる考えを持ち、それが日本にたいしてすこぶる有効な提言であったのだが、それに耳を貸す大衆はいなかった。
西部の孤立した戦いに賛同する人間もいたのだから、日本がそう簡単に変わることが無かったにしろ、生きていて欲しかったなあとつくづく思う。
残されたものは、少なくともその思想を継承し発言してゆくことをしなければいけない。
そんなことを考えていたら酔いも覚め目が冴えて眠れなくなってしまった。
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