キュヴェ タカ/cuvee taka 「椿庵酔哲湘南日記」

気儘な湘南暮し ー散歩に読書、映画、酒、そして時々釣り-

1982年10月24日

2018年11月15日 | Weblog
朝は何を食べたかなあ、帆立とベーコンのクリームシチューを温めて九条ネギを入れて食べたのは憶えているが、後はスミヤキの煮たのを焼いて、納豆を食べたのだったような気がするなあ。


朝からPCの具合が悪く、娘を呼んでみてもらったが、ウイルスに感染したというのが偽情報が出ることが多く何時もは消してしまうのだが、今回はビービー音がして消せなかったので慌てた。
それでもいい加減に色々なことをやっているうちに消えたが、果たして正常に戻ったのかどうか怪しい。

JA湘南まで自転車で行くと、会計の女性二人がいて賑やかだったなあ。
ブロッコリー、柿、春菊、青梗菜を買った。

娘のところへ寄ったら、まだ僕の家にいるようで留守だったが、家に帰ったら今帰ったと妻に言われた。
10時半過ぎに娘のところへ行き珈琲を飲んでパッチャと遊んだ。
娘と今日の昼飯の話になり、妻が大量に中華麺を買い込んであるし、叉焼もあるから拉麺になるんじゃないのかなあといっていたが、昼になったら妻から、あなたがえりに昼は拉麺だって話したんじゃないのと言われ、結局拉麺になった。
白菜、青梗菜、人参、豚肉、叉焼、蒲鉾、エリンギ、玉葱を件の如く大型のフライパンにあふれるくらい大量に炒め、餡にして麺の上に載せた。
五目うまにそばかなあ、かなり美味かった。

プレシネを止めて茅ヶ崎に36年前のネガフィルムをもって現像に向かう計画を立てていたが実行した。
フィルムがコダックだったせいもあるのか、劣化して黄色が強くなっていて、掛かりのオネエサンが黄色を消して現像したんですが、これが限界ですと28枚の写真を渡してくれた。

1982年10月24日日曜日多分薄曇りで風があったと思う、二宮海岸で写真を撮りあったが、僕が撮ったのは半分以上ピントがぼけていた
彼女が撮ったのはほとんどピントが合っていて綺麗に撮れていたが、自分の写真を観てもね、それでもファインダー越しの彼女の優しい視線を感じる。
オートで撮ったのが2枚あったが、三脚なしで撮ったにしてはまあまあの出来だった。
チャコールグレイのVネックのセーターに彼女が縫い付けたワッペンのペアルックで、彼女は紺のフレアスカート、僕は紺のコールテンのズボンをはいていた。
多分あの頃のもので残ったものはこれで全てだろう、けりをつけなくちゃね。

長谷川書店で、石ノ森章太郎「章説 トキワ荘の青春」中公文庫を買った。
これは昭和56年に講談社で「章説・トキワ荘・春」を再構成して、2008年清流出版から出た「章説トキワ荘の春」を再構成して改題したものだ。
偶然にも僕がハワイ意に駐在しているときに出たんだなあと感慨深い。


家に帰って来て母と一緒に相撲を観たが、稀勢の里は辛いだろうね、観ていて気の毒に思う。
でもそう思われたら引退の時期だという事なんだろうね、しかし、最後まで取って欲しいなあ。

風呂に入って出てきたら、ヤガラをO君に勧められたと3尾買って刺身にしてあった。
二日酔いでもあり酒は止めて置こうと思ってビールを飲んでいたが、やっぱり酒を燗して呑み始めた。
寒いので妻と娘も燗酒を飲み始めた、次に出てきたのがハンバーグで、これにはボルドーの赤を飲んだので、酒を止めて置こうどころではなくなった。
勢い付いた妻が「侘助」で大山地鶏炒飯を喰わせろと騒ぎ、前回死ぬまでに10回だけ喰わせるから今日は止めて置けといって収めたのだが、その10枚のカードの1枚を今夜使うと言い出し、仕方なく着替えをして9時に出かけた。
娘は素早く逃げて自分の家に帰ってしまった。
道中、綺麗な月が西の空に出ていた。

「侘助」で大山地鶏炒飯、ボージョレヌーボー、丹沢山純米燗、蛸山葵を飲みかつ食べた。
向かいのインドカレー屋が開いていたので入ってみたが、パオツのようなものとタンドリーチキンを肴に、ビールとインドラムを飲んだ。


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