キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

最初のラヴレター

2018年11月13日 | Weblog
毎日blogを書いているが基本的には前日のことを書いている。
そして武田百合子の「富士日記」を倣って、何を買ったか、何を食べたかを基本に書くようにしている。
それはその記載が「富士日記」の中でも面白く感じるからで、山田風太郎の日記であれば、いかにして煙草を手に入れたかの毎日の記載が思いのほか面白いのだ。
まあそんなわけで、何を食べたのかを書いているが、最近毎晩の飲酒が度を過ぎているようで、脳の具合が悪くなり、前日に何を食べたのかを思い出せなくなっている。
これが高じると飯を食べたのかさえ分からなくなり、食前食後に飯を喰うはめになるのだろう。

さて、昨日の朝飯は何だったのだろう、 全く思い出せないでいてやばいなあと思ったが、一昨日の夜多量に作ったおでんを温めて食べたのだった。
昼は妻が帆立の炊き込みご飯を作り、二人で向かい合わせでおでんと豚カツを肴に食べたのであった。
そして夜もおでんを肴に燗酒を飲み、炭焼きの塩焼き、ブロッコリーとカリフラワーの茹でたのを食べた。
小振りのハンバーグにもあり、その時はイタリアとボルドーの赤を飲んだんだっけ。


JA湘南へは早めに自転車で行き、冬野菜が大量に出ていたので、ブロッコリー、カリフラワー、大根、薔薇、無花果を買って、帰りに娘のところへ寄って珈琲を飲んでパッチャと遊んだ。
もうスカイウォークに馴れて、一気にてっぺんまで登り回廊を伝わって歩く。
前夜、娘が吉祥寺の友達のところへ泊まり、餌をもらえなかったので今朝二皿喰ったらしい。
食欲旺盛で、来た時から1か月以上が経ち、体格は見違えるほど大きくなった。

㈱輸出入サービスセンターのOB会を行うにあたり、連絡のつく人に電話をし、知っている人の消息や古い社員名簿を送ってもらっているが、昔の手紙が入っている玉手箱を開けてみたら1981年当時ハワイに駐在していた頃の手紙があり、会社のや友人からの手紙が沢山あることに驚いた。
そして1981年暮れに一時帰国して、そのわずかの間に恋に落ちた会社の女性からの初めてのラブレターを見つけ、記憶から完全に消えていたが、読み進めていると涙が止まらなくなった。
1年間熱烈な恋をして、僕が馬鹿げた意地を張り破局したが、罪悪感と後悔と共に未練が強く残り、それを振り払うのにほとんどの手紙と写真を焼いてしまったが、3枚の写真と1通の手紙が今手元に残った。
意識の表からは振り払った苦い記憶が、心の奥深くに何時までも残っていることを象徴しているようだ。
凄い手紙を見つけてしまい、忘れていたことや、初めて分かったことが沢山あり、一日中眺めていたが、興奮で夜眠れなかった。

ご年配だった会社の先輩の小川さんからも手紙をいただいていて、彼女の近況がそれとなく書いてあり、御父上の心配を胸に仕事の負担が増えて毎日夜遅くまで仕事をしているが、私が彼女が帰るまで個人警護をしているから安心しなさい、「バレンタインデイに君が日本にいなかったのが残念」と告白をされたよとあり、またもやここで文字がにじんで見えなくなってしまった。
彼女はお父さんを亡くしていたが、僕が7月に帰国した時には既に亡くなっていたと思うが、2月には闘病していたんだなあと初めて分かった。

彼女が夫を亡くした母が、毎日会社から買ったホワイトホースを飲んでいることを心配していたが、そのことが彼女と破局した原因の一つでもあった。

今はそういった大人が少なくなってしまったが、当時は本当の大人がいて、若い人の恋を見守っていてくれた。
世代間の人間関係が結べないのは文化の衰退だが、貧富の分断を懸念するよりも、年代の分断を如何に修復すかのほうが大切に思う。

プレシネ「BIG」を観た。
トム・ハンクスが魔法の力で子供の心のまま大人になって恋をするが、やっぱり家庭に帰りたくなり、もう一度願をかけて元に戻ってしまうのを恋人が切なく見送る。
恋してる相手が消えてしまう悲しみを寓話で撮ったものだが、愛する人が居なくなるのは
嫌なもんだよね。

夜のプレシネは「LEON」で、無学の殺し屋と隣に住んでいた家族を麻薬捜査官に皆殺しにされた少女との交流を描いたもので、少女が人間の感情を孤独な男に呼び戻させる物語。
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