キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ハーレムナイト

2018年11月27日 | Weblog
三連休が終わり世間では日常に戻るのに抵抗感があるようで、娘のパートナーも大学へ出かけてゆくのが億劫だったようだ。
もっとも彼の場合は、その前3週間タイのチェンマイ大学で展示をしていたから、彼の地との時間の流れ方の違いの修正にも困難が生じたはずだ。
ハワイに駐在していた頃、ハワイタイムというのがあって、食事の約束の場合にはだいたい1時間遅れて行くのが礼儀であったと記憶する。
ビジネスの約束でもその程度の遅れは許容範囲であった。
日本にいると電車などが時間通りに来るのに慣れ、いかにも当然だと思うが、こんなにきっちり来る国はそうはない。
イタリアで特急電車の指定を取って駅に行ったら、2時間前に発車したはずの前の特急が停車していて、それに乗ったら、新たな特急指定席券を買わなければ駄目だと言われ腹が立って、車掌と言い合いになったが、所詮イタリア語が分かるはずもなく無駄な咆哮だった。
日本なら特急が2時間遅れたら払い戻しになるのにねえ。

かくのごとく腹が立つこともあるが、正確に時間を刻み神経をすり減らすのか、アバウトに構えてのんびりやるのがいいのかと問われたら、現在の隠居暮らしの身としては後者を取る。

昨夜、酒を呑んで一度ベッドに横になったが、10時からBSで日本軍の精神に異常をきたした軍人の記録の解析を行った番組があり、ぜひ観たくて階下に降りた。
多少遠慮をして呑んだが、三日酔いのところに呑んだので、番組の途中しばしば居眠りをした。
北支で多く精神病が発病していたが、一番多かったのが統合失調症だった。
統合失調症は100人に1人の割合でいるというから妥当な結果なのかもしれないが、大きなストレスがかからない場合には発病しないで済むこともあり、軍隊生活、特に日本の軍隊は酷いもので、皇軍などと誇りをもっていえるシロモノでは無く、繊細な精神の持ち主には耐えられないところだったようだ。
中国人を殺す命令を受けて子供を殺したことでPTSDになった例も観たが、帰還した兵士が苦しむのは、その後ベトナム帰還兵にも現れた。

今朝は4時過ぎに目が覚め、7時まで音楽を聴いてから起き出して、雨戸を開けて、おでんの鍋に火を点けて風呂に入った。
朝めしは、おでんと納豆、白菜の漬物にしたので簡単だった。
白菜は乳酸発酵が始まっていて深みと酸味のある味わいになって美味かった。
おでんには春菊を入れた。

JA湘南に自転車で出かけ、春菊、スティックプロッコリー、菜花を買った。
レジの顔見知りのオバサンと春菊はおでんに入れると美味いですねえと話していたら、知らないお客のオバサンたちが、どうやって食べるのか聞いてきた。
小松菜、三つ葉、芹と青菜ならなんでもちょっと入れて煮過ぎないうちに食べると、味に変化が出ていいんだけどね、知らない人が多いみたいだ。
帰りに娘のところへ寄り、パッチャと遊びながら珈琲を飲む。
日曜日の鎌倉タイ料理店は5時の開店からフルハウスで混んでいたようだ。
日本風の味にアレンジしてあるとのことで人気らしいが一度食べてみないとね。
2年前の暮れにタイに二種間滞在したが、こぶ蜜柑という香辛料にやられて、それ以降なにも喰えなくなったが、昔はタイ料理好きの女友達に連れられて週一ペースで食べていた。
特にホーという麺が好きで、ナンプラを入れて食べるのが好みだったんだけどなあ。

家に帰って来て裏庭の柿を8個だけ収穫した。
100個くらい生ったのだが、鳥に食べさせるために取らないで置いてある、特に目白が来て食べる姿が可愛いので期待しているのだが、今年はその姿を見ていない。
家の柿は渋柿で良く実ると甘いが、たいがい蔕のほうに渋が残っている、試しに一つ食べてみたら三分の二が渋だった。
渋抜きのため、残りの柿の蔕に焼酎を付けて、ビニール袋に入れた、3日ほどで渋が抜けるだろう。

二階の書斎でメールなどをチェックしていたら、妻がヒレ肉の塊を持って来て、今日はこれでヒレカツを作りますからと宣言して降りて行った。
最近何でも現物を持って来て見せるが何でだろう、有名レストランの真似をしてるのではないんだろうけど。
ご飯を炊飯器にかけてヤオマサまで買い物に行くといって出て行った。
PCで音楽を聴いて遊んだり、ちょっと書きものなどをしていたら、お昼が出来ましたと下から呼ばれたのが、何時の間に帰って来たのだろう、忍者みたいなやつだ。
降りてみると、ヒレカツが揚がっていて、どの様に切りますかというので一口大だろうと言って、食べてみた。
いわゆるマルカツというのが好きで、熟成したヒレ肉の中がピンクの状態に揚がったのが好みだが、妻はそれを食べたことが無いからイメージが湧かず、どうもちょっと違う感じになっていた。
それでも巧く出来たと自賛していて、実際まあまあの出来だった。
それより楽しみにしていた明豊のハムをハムカツにしてしまい、食べてみたら最低だった。
美味いハムは生で食べないとね、こんなことはしょっちゅう起こるので一々腹を立てていられないが、一応指摘をしておいた。
だが、指摘をされることがあまりにも多いので、ほとんど聞いていない。
娘を呼んで、ヒレカツ、おでん、牛肉とピーマン炒め、ホウレン草とベーコン炒めなどを3人で食べた。

ヤオマサで大型の朝獲れの鰺が新鮮で良さそうなので2尾手に持っていたら、O君が鯖をもってやって来て、二宮で上がって生き締めしてあり、脂がのって美味いですと勧められ、鰺と鯖両方を買ったらしく、冷蔵庫から魚を取り出して自慢げに見せられた。
確かに皮の色も身もいかにも今まで生きていた感じがして良さそうだった。
娘に「二つとも買ったの、普通どっちか一つにするだろう」と言われ、ニタニタしてその様子を見いたら睨まれた。
だが妻の話はこれで終わらず、挽肉の色が変わって来たので、それで今夜餃子を作りますとがしていうので、娘と思わず顔を見合わせた。

プレシネはここのところ山田洋次監督作品が続いていて1970年の「家族」だった。
長崎の鉱山の閉山を機に一家で北海道へ移住して酪農をやることになり、その旅を描いたものだが大坂万博の映像が映り、中学の修学旅行で行き、太陽の塔の前の階段で初恋の人と写真を撮ったなあと遠い昔に思いを馳せた。
倍賞千恵子が若くて綺麗だった。

映画が終わると直ぐに小田原の歯医者へ向かった。
先週の月曜日に予約をしていたのだが、相撲を観ていてついうっかり忘れ、今日は必ず行かなくちゃと少し気に掛けていた。
治療は20分で終わり、駅ビルの有隣堂で本を眺め、欲しい本が6冊あったが3冊に絞って購入した。

武田泰淳「新・東海道五十三次」中公文庫の改版
ちなみに、この文庫の初版は1977年に出ていて、その改版なので読みやすい。
今思ったのだが、大磯のいた友人からこの単行本をもらったような気がする。

服部龍二「高坂正堯-戦後日本と現実主義」中公新書
名前だけはたびたび聞き及んでいて、多分TVでも観ていると思うが、どの様な仕事をした人か正確には知らない。
国際政治学者として現実的な日本の生きる道を示唆したという事くらいかなあ、知っていることは。
この本の評判がいいので読んでみる気になった。

橋爪大三郎・大沢真幸「アメリカ」河出新書
この二人の対談集は二冊目のような気がするが、前のが何だったか覚えていない。
日本の宗主国である摩訶不思議な国アメリカについて本当によく知っている人ってあまりいないような気がする。
伊藤貫は米国に長くいて割と情報を集めているので、かなり正確な分析をしているように思うが、日本での影響力が弱いからね、マスコミにあまり取り上げられないんだよねえ。


家に帰って休んでいたら晩飯に呼ばれた。
帰って来た時に餃子の匂いが玄関まで漂っていたが、その時は台所で妻が餡を皮に包んでいるところであった。
小田原の鰺は刺身になっていたが、実に美味かった。
鯖は味噌煮になっていたが、新しすぎて身がキシキシしていた。
この鯖は刺身か〆鯖にすべきなのだが、アニサキスで酷い目に遭ってから妻は〆鯖を作らない。
餃子は50個ほど焼いてあった。
20個ほどは冷凍にしたから随分な数を一人で包んだものだが、最近、焼売と餃子に何故か情熱を注いでいるので手間を厭わないんだなあ、以前は焼売でも餃子でも包むのを手伝わされたんだけどね。

刺し身と煮物と炒め物でバランスはとれているようだが、組み合わせは全くなってない、それに汁物が必要だし、野菜が無い。
まあ、それでも刺身が美味かったので、益子の黒いカップに麦焼酎の湯割りを作って一杯だけ飲んだ。

7時半から1時間だけ下の息子と二人で大磯方面へ夜の散歩に出かけた。
9時から「幸せの黄色いハンカチーフ」観る予定で、それまで大黒摩季を聴いた。
CDを後ろから掛けたら「ハーレムナイト」が鳴り響いた。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする