4時に目が覚めて「甲賀忍法帖」を読みながら、荒井由実を聴いた。
大学に入って2年間は稲毛に下宿したが、医学部の先輩が荒井由実の「ひこうき雲」と「MISSLIM」をテープに録音してくれたので、ほぼ毎日2回飽きずに聴いていた。
3年になって家から通うようになって「コバルトアワ―」と「14番目の月」を買って家で聴いていた。
その後、1981年にハワイ駐在となり、日本からやって来たこれも医者の知人に荒井由実のテープを買ってきてもらった。
どうも荒井由実については医者に縁があるなあと思っているが、このテープには5枚目のアルバム以降の曲も入っていたので、松任谷由実の楽曲も混じってはいたのだが、ハワイでも再び1年間毎日のように繰り返して聴いていたので、松任谷由実の初期の、と言うよりざっと言えば荒井由実の楽曲について強い思い入れがある。
そしてここのところ昔を懐かしむことが多くなり、1980年代前半に起こったことを反芻するのに、当時の気分や時代の雰囲気を思い出すのに荒井由実の音楽はうってつけなんだな。
もう40年近く前のことが、昨日のことのように鮮明に蘇ってくるという事は、そこに生きる基盤になった何かがあるはずで、その後は流れて生きてきてしまったような気がするので、はっきりと記憶に残っていて留保して生きてしまったことについて、きちんとけりをつけなきゃいけないんだろうなと思っている。
7時過ぎに起きて、雨戸を開け風呂に入って朝飯を作っていたら、下の息子が起きてきたので、朝飯の支度を手伝ってもらった。
蕪と油揚げの味噌汁、茄子のオリーブオイル焼き、秋茄子は本当に美味い、ソーセージ、塩鮭、蕪と胡瓜の糠漬け、納豆。
体重計が直ったので、風呂に入る前に1か月ぶりに測ってみたら、随分と増えていて愕然とした。
これだけ毎日飲み食いしていたら仕方がないなあとも思ったが、減らさなくては。
秋晴れの快晴の中、JA湘南まで自転車を飛ばす。
無花果、茄子、ピーマン、サニーレタスの苗を2パックずつ購入した。
無花果は低温のせいで小振りだが味わいが濃厚で美味い、茄子もしかり、ピーマンも小振りだがこれは温室栽培だろう、サニーレタスの苗は簡単に大きくなるというので人気らしい。
娘のところに寄り、パッチャと遊び珈琲を飲む。
パッチャは成長したせいか、単純にはおもちゃで遊ばなくなった。
知恵がついて省エネでおもちゃを追いかけるようになったようだ。
昨日娘にLINEの自己紹介の画像をパッチャにしてもらったら、女友達から直ぐにメールが来た。
猫って人気があるんだね。
ベッドの上で横になって本を読もうと思ったが、日差しが強く暑くて本を読んでいられない。
折角だからふわふわの布団の上で日向ぼっこをしたが、隠居生活に一番合っているように感じるねえ、極楽至極。
だが、そのお蔭で面白くなってきた「甲賀忍法帖」が捗らない。
この小説は1959年に書かれたものらしいが、TVがなくても、こういった面白い読み物があれば、無聊を感じることも無かったわけだ。
まあ、日向ぼっこをしていれば、日が陰るまで何もいらないけどね。
昼はリーさんのカンパーニュでサンドイッチを食べることになっていて、娘がカボチャスープを作ってくれたが、昔イタリアでもらってきた瓶入りのスープを加えたら傷んでいて台無しにしてしまった。
それでも娘はあまり文句も言わず、これはもう食えないと言ってパンを食べだした。
大人になったね。
スープが無いのでアールグレイでトーストしたカンパーニュを喉に流し込んで食べたが、ハム、玉子、ポテトサラダ、レタス、チーズの品質が良かったので、まあ悪くなかった。
プレシネは「華麗なるひこうき野郎」The Great Waldo Pepper 1975年米映画、第一次大戦に従軍したパイロットが、戦後曲乗りや映画でカネを稼いだ時代があり、主人公のウォルド・ペパーは天才的なパイロットだが、戦争にやや間に合わず実戦での華麗な戦歴はない。
それでも飛行機が好きで問題を起こしながら飛び回っていた。
ラストでドイツの撃墜王と映画撮影で二葉の戦闘機に乗るが、実践のようなドッグファイトをして留飲を下げる。
坂井三郎を読み始めて、飛行機乗りの戦記に嵌り、40代の半ばの3年をまるで戦闘機乗りの気分で過ごしたので、その気持ちは良く分かる。
父は14歳で志願して予科練丙で九州にいたが、練習機もなく通信兵として水上偵察機を取り扱っていたようだが、当時の男は皆パイロットに憧れ、敵機撃墜を夢見ていた。
3時半、下の息子と共に北へ向かって散歩に出る。
西友でつまみを買おうと寄ったら、北海道の「男山生酛純米」があり購入し、豆腐も買う。
風呂に入り、先ずは「男山」を燗して、秋刀魚の塩焼き、今季一番美味かった、で呑む。
ポテトサラダ、白菜と茸の春雨スープでさらに飲んでいると娘がやって来たが、酒は呑まないと言って飯を食いだす。
昨日はあんなに大騒ぎしていて飲んでたのにと妻が言って、本人が呑みだした。
この「男山」は900mlで、珍しい5合瓶であった。
それでも余りもたずに終わり、「箱根山」を呑み、前夜体調が悪くて飲めなかったために残しておいてやったイタリアワイン、ニノ・ガンドルフォ・グリッロ2015年を飲む。
ムルソーに似ているとの感想を吐く、云われてみれば新樽のバニラや香ばしい風味と切れと厚みのある感じが確かにムルソーに似ていた。
思えば妻は、ワインに限らずコニャックやマール、グラッパなど最高級の物をそれと知らずに目茶飲みしていたせいで、時に酒に関して高邁な批評をすることがある。
酔っ払って来たら、またもや「侘助」の大山地鶏炒飯を喰いに行こうと大騒ぎし、どうにかなだめたが不満そうだった。
大学に入って2年間は稲毛に下宿したが、医学部の先輩が荒井由実の「ひこうき雲」と「MISSLIM」をテープに録音してくれたので、ほぼ毎日2回飽きずに聴いていた。
3年になって家から通うようになって「コバルトアワ―」と「14番目の月」を買って家で聴いていた。
その後、1981年にハワイ駐在となり、日本からやって来たこれも医者の知人に荒井由実のテープを買ってきてもらった。
どうも荒井由実については医者に縁があるなあと思っているが、このテープには5枚目のアルバム以降の曲も入っていたので、松任谷由実の楽曲も混じってはいたのだが、ハワイでも再び1年間毎日のように繰り返して聴いていたので、松任谷由実の初期の、と言うよりざっと言えば荒井由実の楽曲について強い思い入れがある。
そしてここのところ昔を懐かしむことが多くなり、1980年代前半に起こったことを反芻するのに、当時の気分や時代の雰囲気を思い出すのに荒井由実の音楽はうってつけなんだな。
もう40年近く前のことが、昨日のことのように鮮明に蘇ってくるという事は、そこに生きる基盤になった何かがあるはずで、その後は流れて生きてきてしまったような気がするので、はっきりと記憶に残っていて留保して生きてしまったことについて、きちんとけりをつけなきゃいけないんだろうなと思っている。
7時過ぎに起きて、雨戸を開け風呂に入って朝飯を作っていたら、下の息子が起きてきたので、朝飯の支度を手伝ってもらった。
蕪と油揚げの味噌汁、茄子のオリーブオイル焼き、秋茄子は本当に美味い、ソーセージ、塩鮭、蕪と胡瓜の糠漬け、納豆。
体重計が直ったので、風呂に入る前に1か月ぶりに測ってみたら、随分と増えていて愕然とした。
これだけ毎日飲み食いしていたら仕方がないなあとも思ったが、減らさなくては。
秋晴れの快晴の中、JA湘南まで自転車を飛ばす。
無花果、茄子、ピーマン、サニーレタスの苗を2パックずつ購入した。
無花果は低温のせいで小振りだが味わいが濃厚で美味い、茄子もしかり、ピーマンも小振りだがこれは温室栽培だろう、サニーレタスの苗は簡単に大きくなるというので人気らしい。
娘のところに寄り、パッチャと遊び珈琲を飲む。
パッチャは成長したせいか、単純にはおもちゃで遊ばなくなった。
知恵がついて省エネでおもちゃを追いかけるようになったようだ。
昨日娘にLINEの自己紹介の画像をパッチャにしてもらったら、女友達から直ぐにメールが来た。
猫って人気があるんだね。
ベッドの上で横になって本を読もうと思ったが、日差しが強く暑くて本を読んでいられない。
折角だからふわふわの布団の上で日向ぼっこをしたが、隠居生活に一番合っているように感じるねえ、極楽至極。
だが、そのお蔭で面白くなってきた「甲賀忍法帖」が捗らない。
この小説は1959年に書かれたものらしいが、TVがなくても、こういった面白い読み物があれば、無聊を感じることも無かったわけだ。
まあ、日向ぼっこをしていれば、日が陰るまで何もいらないけどね。
昼はリーさんのカンパーニュでサンドイッチを食べることになっていて、娘がカボチャスープを作ってくれたが、昔イタリアでもらってきた瓶入りのスープを加えたら傷んでいて台無しにしてしまった。
それでも娘はあまり文句も言わず、これはもう食えないと言ってパンを食べだした。
大人になったね。
スープが無いのでアールグレイでトーストしたカンパーニュを喉に流し込んで食べたが、ハム、玉子、ポテトサラダ、レタス、チーズの品質が良かったので、まあ悪くなかった。
プレシネは「華麗なるひこうき野郎」The Great Waldo Pepper 1975年米映画、第一次大戦に従軍したパイロットが、戦後曲乗りや映画でカネを稼いだ時代があり、主人公のウォルド・ペパーは天才的なパイロットだが、戦争にやや間に合わず実戦での華麗な戦歴はない。
それでも飛行機が好きで問題を起こしながら飛び回っていた。
ラストでドイツの撃墜王と映画撮影で二葉の戦闘機に乗るが、実践のようなドッグファイトをして留飲を下げる。
坂井三郎を読み始めて、飛行機乗りの戦記に嵌り、40代の半ばの3年をまるで戦闘機乗りの気分で過ごしたので、その気持ちは良く分かる。
父は14歳で志願して予科練丙で九州にいたが、練習機もなく通信兵として水上偵察機を取り扱っていたようだが、当時の男は皆パイロットに憧れ、敵機撃墜を夢見ていた。
3時半、下の息子と共に北へ向かって散歩に出る。
西友でつまみを買おうと寄ったら、北海道の「男山生酛純米」があり購入し、豆腐も買う。
風呂に入り、先ずは「男山」を燗して、秋刀魚の塩焼き、今季一番美味かった、で呑む。
ポテトサラダ、白菜と茸の春雨スープでさらに飲んでいると娘がやって来たが、酒は呑まないと言って飯を食いだす。
昨日はあんなに大騒ぎしていて飲んでたのにと妻が言って、本人が呑みだした。
この「男山」は900mlで、珍しい5合瓶であった。
それでも余りもたずに終わり、「箱根山」を呑み、前夜体調が悪くて飲めなかったために残しておいてやったイタリアワイン、ニノ・ガンドルフォ・グリッロ2015年を飲む。
ムルソーに似ているとの感想を吐く、云われてみれば新樽のバニラや香ばしい風味と切れと厚みのある感じが確かにムルソーに似ていた。
思えば妻は、ワインに限らずコニャックやマール、グラッパなど最高級の物をそれと知らずに目茶飲みしていたせいで、時に酒に関して高邁な批評をすることがある。
酔っ払って来たら、またもや「侘助」の大山地鶏炒飯を喰いに行こうと大騒ぎし、どうにかなだめたが不満そうだった。