昨日、千葉の友人と二宮発11:15の東海道線の電車で待ち合わせて、熱海まで出かけた。
大学時代仲の良かった6人でプティ同窓会を開くことになっていて、完全リタイアの二人で早めに熱海へ入り、飯を食って散歩をして、チェックインの2時にはホテルに入り、温泉にたっぷり入ろうとの計画だった。
ホテルは後楽園だったので、先ずは海まで下り、その辺りの店で魚を食べて酒を呑もうとの心心算であったが、渚通りと云うのかなあ、ソープランドなんかがある少し色っぽいところを通り、干物屋がやっている割烹料理に入り、ビールでノドを潤し、海鮮丼を注文して燗酒を呑んだ。
昼の酒は効くが、結構いい気持になって海岸までぶらぶらと歩き、ヒマラヤ桜を眺め、海が見えるベンチで休んだ。
今回とだいたい同じメンバーで熱海で呑んだのは16年ほど前で、お宮の松の向かいの大月ホテルに泊まったが、すでにこのホテルは無くなっている。
横浜ワインコレクションで温泉試飲会を開いたのもこのホテルで、懐かしいホテルが無くなったのは寂しい。
熱海港を西に歩くとウオミサキホテルに出たが、ここも経営が変わってブッフェスタイルの低価格ホテルになってしまった。
神奈川県酒販協同組合で女体盛をやって騒いだのは、もう30年も前になるだろうか。
後楽園ホテルはその先にあり、どうもイメージが良くなかったのだが、部屋も綺麗で料理も美味かった。
昼に酒を呑んだ料理屋の親方が、あそこは割と美味いものを出しますよと言っていたが、水道橋の後楽園ホテルの系列であることを教えてくれた。
そういや巨人軍が納会をここでやっていたことを思い出した。
以前、後楽園ホテル東京で試飲会とディナーを開いたこともあり、中村シェフが素晴らしいディナーを出してくれたことを思い出した。
その先にあるニューアカオは、この間の西へ進んだ台風で1階レストランのガラスが割れて大変なことになった。
遊覧船の船長の話では、海の上に柱を立ててそこに建物が乗っかっている構造で、建てられた当初は、建築家がたくさん見学にやって来たとのことだ。
後楽園に着いてチェックインをすると、きちんと教育された綺麗なオネエサンが部屋まで案内してくれて、浴衣のサイズや、こまごまとお世話をしてくれた。
このオネエサンは市原出身のSさんで、とっても感じのいい人でした。
帰りにもお見送りをしてくれて、少し涙で目が潤みましたよ。
直ぐに風呂に入って、部屋に帰り昼寝をして目が覚めると、辺りは暗くなっていて、対岸の熱海の町の夜景が綺麗でしたね。
夕方から仲間が集まって来て、ビールを飲み、静岡の友人が持ってきた生酛づくりの地酒を呑んだ。
この静岡の奨励米で作った生酛原酒が中々美味かった。
7時からの晩飯は、最上階の18階のラウンジでブッフェスタイルだったが、ブッフェとしては刺身と丹那豚のソーセージが美味く、サントリープレモル生、月桂冠燗、オックの白ワイン、赤ワイン、富士山麓ウイスキーをたっぷり飲んだ。
もちろんここからの夜景も見事だった。
部屋に帰ってから零時過ぎ迄、酎ハイを呑んで皆で話をして騒いだが、夕方から一貫して役に立たない詰まらねー話ばっかりだったなあ。
まあ、研修会に来ているわけでもなく、旧交を温めて、楽しい時間を過ごそうってのが目的だから、それでいいのだけれども何年経っても成長が無いんで呆れたねえ。
5時に起きて海からの日の出を見て、風呂に入り、7時に朝飯を同じところへ喰いに行ったが、晩に比べると質が良くなかったね。
いろんなの出さなくていいから、うまい味の干物と、海藻の味噌汁がほしかったなあ。
でもパンとコーヒーは美味かった。
9時に部屋を出て下の喫茶店でお茶を飲み、記念撮影をして、早帰りする友人3人を見送り、千葉と京都の友人と遊覧船に乗って30分の遊覧を愉しんだ。
この後、検番を観て起雲閣を見学した。
ここは根津嘉一郎の別荘だったところで、この人のことは中島飛行機を調べた時に出てきたので興味を持って見学した。
洋館が二棟あり、だれの設計かは知らないが、日本の大工が高い技術を持っていたためだろう、住みやすそうな素晴らしい部屋だった。
それにしてもうららかないい天気で小春日和ってやつだったなあ、最後に庭を散策したが、時間がゆったりと流れて実に贅沢な気分だった。
駅まで戻り、評判の蕎麦屋に行ったら3日間の臨時休業で嫌われ、その後入った店でたべた穴子丼は酷く不味くて、家の奥様が如何に美味い天婦羅を揚げるのか良く分かったね。
妻が欲しがっていた鰹の酒盗を土産に買った。
大学時代仲の良かった6人でプティ同窓会を開くことになっていて、完全リタイアの二人で早めに熱海へ入り、飯を食って散歩をして、チェックインの2時にはホテルに入り、温泉にたっぷり入ろうとの計画だった。
ホテルは後楽園だったので、先ずは海まで下り、その辺りの店で魚を食べて酒を呑もうとの心心算であったが、渚通りと云うのかなあ、ソープランドなんかがある少し色っぽいところを通り、干物屋がやっている割烹料理に入り、ビールでノドを潤し、海鮮丼を注文して燗酒を呑んだ。
昼の酒は効くが、結構いい気持になって海岸までぶらぶらと歩き、ヒマラヤ桜を眺め、海が見えるベンチで休んだ。
今回とだいたい同じメンバーで熱海で呑んだのは16年ほど前で、お宮の松の向かいの大月ホテルに泊まったが、すでにこのホテルは無くなっている。
横浜ワインコレクションで温泉試飲会を開いたのもこのホテルで、懐かしいホテルが無くなったのは寂しい。
熱海港を西に歩くとウオミサキホテルに出たが、ここも経営が変わってブッフェスタイルの低価格ホテルになってしまった。
神奈川県酒販協同組合で女体盛をやって騒いだのは、もう30年も前になるだろうか。
後楽園ホテルはその先にあり、どうもイメージが良くなかったのだが、部屋も綺麗で料理も美味かった。
昼に酒を呑んだ料理屋の親方が、あそこは割と美味いものを出しますよと言っていたが、水道橋の後楽園ホテルの系列であることを教えてくれた。
そういや巨人軍が納会をここでやっていたことを思い出した。
以前、後楽園ホテル東京で試飲会とディナーを開いたこともあり、中村シェフが素晴らしいディナーを出してくれたことを思い出した。
その先にあるニューアカオは、この間の西へ進んだ台風で1階レストランのガラスが割れて大変なことになった。
遊覧船の船長の話では、海の上に柱を立ててそこに建物が乗っかっている構造で、建てられた当初は、建築家がたくさん見学にやって来たとのことだ。
後楽園に着いてチェックインをすると、きちんと教育された綺麗なオネエサンが部屋まで案内してくれて、浴衣のサイズや、こまごまとお世話をしてくれた。
このオネエサンは市原出身のSさんで、とっても感じのいい人でした。
帰りにもお見送りをしてくれて、少し涙で目が潤みましたよ。
直ぐに風呂に入って、部屋に帰り昼寝をして目が覚めると、辺りは暗くなっていて、対岸の熱海の町の夜景が綺麗でしたね。
夕方から仲間が集まって来て、ビールを飲み、静岡の友人が持ってきた生酛づくりの地酒を呑んだ。
この静岡の奨励米で作った生酛原酒が中々美味かった。
7時からの晩飯は、最上階の18階のラウンジでブッフェスタイルだったが、ブッフェとしては刺身と丹那豚のソーセージが美味く、サントリープレモル生、月桂冠燗、オックの白ワイン、赤ワイン、富士山麓ウイスキーをたっぷり飲んだ。
もちろんここからの夜景も見事だった。
部屋に帰ってから零時過ぎ迄、酎ハイを呑んで皆で話をして騒いだが、夕方から一貫して役に立たない詰まらねー話ばっかりだったなあ。
まあ、研修会に来ているわけでもなく、旧交を温めて、楽しい時間を過ごそうってのが目的だから、それでいいのだけれども何年経っても成長が無いんで呆れたねえ。
5時に起きて海からの日の出を見て、風呂に入り、7時に朝飯を同じところへ喰いに行ったが、晩に比べると質が良くなかったね。
いろんなの出さなくていいから、うまい味の干物と、海藻の味噌汁がほしかったなあ。
でもパンとコーヒーは美味かった。
9時に部屋を出て下の喫茶店でお茶を飲み、記念撮影をして、早帰りする友人3人を見送り、千葉と京都の友人と遊覧船に乗って30分の遊覧を愉しんだ。
この後、検番を観て起雲閣を見学した。
ここは根津嘉一郎の別荘だったところで、この人のことは中島飛行機を調べた時に出てきたので興味を持って見学した。
洋館が二棟あり、だれの設計かは知らないが、日本の大工が高い技術を持っていたためだろう、住みやすそうな素晴らしい部屋だった。
それにしてもうららかないい天気で小春日和ってやつだったなあ、最後に庭を散策したが、時間がゆったりと流れて実に贅沢な気分だった。
駅まで戻り、評判の蕎麦屋に行ったら3日間の臨時休業で嫌われ、その後入った店でたべた穴子丼は酷く不味くて、家の奥様が如何に美味い天婦羅を揚げるのか良く分かったね。
妻が欲しがっていた鰹の酒盗を土産に買った。