キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

中世の相模

2024年01月21日 | Weblog
「相模のもののふたち」はだいぶ前から気になっていたのだが、しかもこの本は昭和53年に有隣新書で出ているので、神奈川県に住んで横浜に通った僕としては当然もっと早くに読んでなきゃいけない本で、伊勢佐木町の有隣堂本店でも何度か手にしたことがあったが、何故か買わなかった。
借りてきた本はドロドロで汚かった。
まあ、半世紀も前の本で、しかも二宮に住んでいれば読まずにいられない本だから、何百人が読んだろうから当然ではあるが、糸綴じなのに本の体裁にとどまっているところが凄い。

今二宮に住んでいるが、二宮四郎は中井の中村宗平の四男で、平塚の三男土屋三郎、湯河原の次男土肥次郎とは兄弟、伊豆の北条や伊東や河津との関係も深く、頼朝挙兵の時には駆け付けた平家の武将である。
去年のTVドラマでもやっていたように、頼朝は平家に預けられたが伊東の娘と出来、子供が生まれたが、平家から逆賊とみなされるのが嫌で、子供を殺して源氏色をはっきりとさせた。
北条の娘政子と懇ろになったときに、平家であった北条は頼朝について戦った。
頼朝というのは敵の娘を篭絡する才に長けていて、その一点でトップまで上り詰めたと云ってもよく、まさに死命を決するのは女だ。
相模の歴史に詳しいわけじゃないが、清和源氏の系統は甲斐の武田まで行かないと、いなかったのではないか、さらに遠く上野まで行けば新田や足利はいたが。

まあ、借りてきてそのままになっている本が山積みだが、相模の歴史は最も身近で興味のあるところなので、読みだした。

散歩の後、風呂に入って相撲を観た。
絶対的に強い横綱や大関がいないな所がここ数年続いていて、平幕から優勝者が出ることも多いから、下のほうの角力がやる気になっているので面白い。
秀でた実力者がいないところでの小競り合いというのもいいもんだなと思う。

娘が飯を喰いにやってくるというので、貝とキャベツと蕪のクリームスープ、ポテトサラダ、塩鮭、カツ丼を食べて、娘を待っていたら7時近くにやってきたので、ちゃんとカツ丼を作ってやった。
自分のは面倒なので玉葱を入れなかったが美味くなかったので、ちゃんと玉葱を入れて作ったら匂いも見た目も如何にも美味そうだった。
既に定番となっている、相性の良いものを抜いて作っちゃだめだね。


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戦時歌謡

2024年01月21日 | Weblog
3時過ぎに図書館へ行って戦時歌謡のCDと永井路子「相模のもののふたち」を借り、そのまま駅のほうへ歩いて帰って来たら、脹脛がやけに張ってしまった。
ここのところあまり歩かないで自転車に乗っていたら直ぐにこれだ。
折角アルコールを控えていたら足の痛みが無くなったと思っていたのに、ことはそんなに都合よく運ばないもんだ。

歌謡曲についての本をいろいろ読んでいたら、つまるところ、その創成期とその後の戦争による強制的な戦意高揚のための歌を知らなきゃ、流れが分からないってことが分かったので、戦時歌謡と軍歌に行き着いてしまった。
軍歌は昭和30年代に父の兄弟会の時に必ず歌われていて、末弟の父が唯一海軍予科練で兄3人は陸軍だったが、軍歌は陸海軍関係なく一通り歌われたので、多少は耳に残っているが、正確に知らないので聴いてみることにした。
だが、軍歌と図書館というのは相性が良くないようで、オーケストラの演奏はあるけど、歌が入った良いアルバムが思いのほか無い。

戦時下、軍歌は一億国民がこぞって歌ったが、それが戦後の歌謡曲を国民が誰でも知っている歌にした。
本来それが異常で、最近の歌が一部の人だけの間で愛唱されていることが、自立した人間の本来の姿で正常なんだと、なかにし礼が唱えている。
日本映画の最盛期に、酒場の情景が出て来ると、皆茶碗をたたいて軍歌を歌っているが、死を共有し、命からがら復員した戦友が会えば、そりゃあ酒を呑んで、知ってる軍歌を一通り歌わなきゃ気がすまなかったろうなと思う。

今の世の中、歌詞カードもなく、箸で茶碗をたたいて、みんなで一緒に歌える歌なんてないよなあ。


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お初天神

2024年01月21日 | Weblog
毎月25日は天神祭だが正月の天神祭を特別にお初天神といって尊ぶ傾向がある。
日本は偉い人がいると神様に仕立てるから、天神様は藤原道真を祭った神社で、彼は左遷されたから、その怨み辛みが都に災いを引き起こしたと畏れられ、手厚く祭られた。
平将門なども大いに畏れられた人だ。
西郷隆盛も非業の死を遂げたから、神として神社に祭られたが、東郷平八郎や乃木希典などは畏れられたというより崇められて神になって神社が建てられた。

元々神道には神社などなく、巨岩や奇岩や巨木に注連縄を張ってたてまつっていたが、仏教が派手に寺を建てたり仏像を飾ったりしたので、人気が仏教に偏り神殿を作るようになった。
だが、教祖もないから祭るものが無く、仕方なく神様の名前を紙に書いて祭った。

そんなわけで社の中には何もないのが通例だが、我が元町の天神様には古老が大宰府参りをしたときに土産に買って来た菅原道真の人形があるらしい。
今回は昭和9年に作成した幟が古くなったので新調し、それのお披露目を兼ねた天神祭ということで、宮世話人も力が入っていた。

しかし、神道というのはお宮参りに始まり、初詣や七五三や結婚式など、我々の生活に密着しているが、教祖も分からず経典もないという不思議な宗教で、はたして宗教といえるのかどうかも分からない。

新しい幟のお披露目と初天神祭はつつがなく終了し、落花生と天神様のお札を土産にいただき帰ってきた。


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ひらめきを解析する

2024年01月21日 | Weblog
南岸低気圧の影響なんだろうねえ、昨日からの雨が降り止まない、お陰でやけに暖かく、朝、台所に降りてきてもストーブを点ける気にならない。
暦じゃ大寒なんだけど、これじゃあ昨日漬けた3玉の白菜が痛んじゃう。

昨夜読んでいたなかにし礼が最近の歌謡曲に対して痛烈な批判をしていたが、同も読んだことあると思っていたら、何時ものように摘まみ読みしてるもんで数日前に読んだところだった。
幾らジジイになってぼけたとはいえ数日前のことなら少しは覚えてる。
その批判一言でいえば、言葉が弱くなったということで、なかにしや阿久悠なんかは作詞は日本文学ジャンルの一つとして書いていたらしいから、AIなんかでヒット量産何て心構えじゃ駄目だってことだね。

しかし、今度芥川賞を受賞した、名前は分からないが若い女流作家は一部分AIで小説を書いたらしいから、今後の文章は自動大量生産のモノを読んでいくことになりそうだね。
道具については手作りのモノは廃れ、ほとんど自動大量生産のモノを使ってきたわけで、機械類なんかはなおのことその傾向が強く、食い物までもその作り方のものが大半になってきているから、言語においてそれが一般化しても何ら不思議じゃないし馴れて行くことだろう。

なかにしに拠れば、ひらめきから出た言葉が入った歌は必ずヒットしたというから、将来はひらめきが何であるかを解析し、それによって紡ぎ出される言葉を自動生産する事になるだろう。
そんな刺激的な言葉が量産されたら人間の精神がもつかどうか、それが問題になりそうだが、その頃はこの世とオサラバしてるから結果を見届けられないのがヤヤ残念だな。

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