五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

私は塵です

2010年05月01日 | 第2章 五感と体感
職人技にしても芸事にしても武道にしても、型を覚えなくては始まりません。

かといって型を覚えることに執着すると、薄いものしか表現できません。

何のための型なのか所作なのか、何のための道具なのか、何のための作業なのか、その意味を知りつつ自問自答する時間を持つことが型の習得から体得へとなっていくようです。

幼いころからピアノに親しんできましたが、何故中途半端なまま来てしまったか、、、それは、上記の行程が欠落していたからだ、と最近しみじみ感じます。

自分が時を経て経験を積み大人?となったからだけではなさそうです。

「技芸とは何か、精神性とは何か」それらを自問自答する時間が持てていることに大きな違いがありそうです。

宇宙の法則を信じていると自ずから魂を見据えようとする情動に駆られます。
それが想像する力を与えてくれるのです。

有機的なものを同じ明度で表そうとすると、有機的なものが無機的なものへと変容しいつしか面白味のないものになっていきます。有機的なもの中に含む無限を分子的にイメージしていくと、見えるものに深みを与えていくのです。

華厳の想いを馳せることは分子とエントロピーの法則に繋がります。永遠の命もそのイメージがある故信じることができるように思います。

私という個の存在は永遠へのひとコマに過ぎません。
塵にしか過ぎません。

塵の存在が無くては物質は成りません。それが華厳です。

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