五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

アボリジニの見神欲

2008年07月17日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
エミリー ウングワレー展
7月28日ま・国立新美術館にて

かなり期待して行きました。
そして、久しぶりに期待に応えてくれた展覧会を観ました。

「人が描く」行為、というのは、魂の情動だと常々思います。

自己の魂を顕わにし、それを自分の表現にどう表すか。
難しい言い方かもしれませんが、簡単にいえば、「湧き出す情動」は、誰にも止めることはできません、ということでしょうか・・・

生きる「しるし」を表層の世界に表すことは、現在、芸術という言葉で区切られてしまっていますが、本来、区切るべきものではないと考えています。

区切りは無いのです。人が勝手に区切っただけの話。

顕わにしたい魂の情動を、規則的に表現したくなった時に、表現のためのルールをつくり、そこに音楽とか美術という区別ができ、それぞれの分野でさらにルールができ、技術をもち、工芸的になっていくのが、知性ある人間の技であるとも云えます。

でも、時々、そんな概念を吹き飛ばしてしまう表現者が現われてくることも事実ですし、その表現を商業にしたいと行動する人間が出てくることもよくある話です。

「ベルリンの壁」以前の20数年前、ニューヨークで出会ったドイツ人の現代美術家・キーファー氏のアトリエで衝撃を受けたことが私が絵を描くのをすんなりやめたきっかけとなりました。
彼の持つ激しい闘志と平穏でありたい心の葛藤がコールタールという材料で画面いっぱいに表現され、その表現力に打ちのめされたと同時に、描くことの意味が瞬時に私の内在していた想いと一致したのです。

エミリーの絵は、その時の私の体感を包み込んでくれるようなものでした。
大地の母は、普遍的で、アボリジニという民族を超越した魂の融合を得たように感じました。
描くエミリーは、誰よりも表現力のある人かもしれません。もしかしたらシャーマンかもしれません。でも、そんなことはどうでもよく、湧き上がる情動が彼女の手を動かしているに過ぎないことを目の当たりにしたときに、人の持っているといわれている「見神欲」という言葉が私の頭に浮かんできました。

人は見えないものを見、そこに普遍性を見出し、真善美を求めていく。
感謝と喜びは、普遍性の中に留まり、それを巡って螺旋状に天に昇っていくのだと
確信しつつも、いつもそのことを確認したい自分がいるのです。

エミリーの描いたしるしは、私たち人間の代弁者であるといっても過言ではないと思いました。

時満ちて出合うものとは、このことかもしれません。

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2 コメント

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Unknown (露芳)
2008-07-17 20:41:05
マリオさん、展覧会の会場で絵を眺めている人の表情も、興味深かったです。
「何が何だかわからない」と悩む方の言葉の背景にも興味津々・・・
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Unknown (マリオ)
2008-07-17 13:07:21
タイトルも素晴らしいですね。見神欲そのものなんでしょう。

何が何だか分からないと悩む初老の方がいらっしゃいましたが、TERESAさんのブログを見てもらいたいと思いました。なるほどと思いました。
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