五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

融の塩釜・渉成園 

2012年03月16日 | 第2章 五感と体感
旅の僧が、京都、六条河原院(光源氏のモデルとされている源融の屋敷跡)の廃墟に辿りつき休んでいると、桶(担桶)を担いだ老人がやってきます。

老人に、「何をやっているのか?」と尋ねると、「この場所で汐汲みをしている」と答えます。

旅の僧:「京都のど真ん中で、汐汲みとは?」

老人:「昔、ここは源融(とおる)の屋敷でした。陸奥の塩釜の景色を移し、日毎難波から海水を汲み、この池に注ぎ、塩田の風景を愉しんでおりました」

老人は旅の僧に、その頃の物語を語り、やがて、渚に立ち汐を汲み消え去ってしまいました。

旅の僧は不思議に思い、六条院辺りに住む人に尋ねると、それは、源融の化身だと言われます。

その話を聞き、弔いも兼ね好奇心も湧き立ち、六条河原院の廃墟に泊り、老人の出現を待ちます。

すると、源融が現れ、昔を偲び、名月の下で舞って夜明けと共に消えていきます。

・・・・

これは、能楽の「融」のおおざっぱなあらすじです。

京都駅近く、東本願寺の境内(飛び地)に、六条院があったであろう場所に渉成園があります。

平安の贅沢さは、尋常ではありません。
美しい風景を愛でるために、その場を訪ねるのではなく、写し移すわけです。

拵える側は、場所や調度品に写しの想いを籠め、技術と豊かな表現力が試されます。それを愛でる人の感受性も、現代人の何倍も繊細であったかもしれません。

観たことの無いものを観る。

たぶん、平安の貴人は、それぞれの想いで、これらの風景を観ていたことでしょう。

渉成園で、名月を仰ぎ見、融の舞いを鑑賞してみたいものだと、思いながら、庭園と茶室の佇まいを散歩しました。

川の浅瀬にはシジミが撒かれ、塩釜が何気なく設えられ、桜や藤の季節には、もっともっと華やかな庭園となるでしょうが、人気の無い静かな庭園は、融を想うに相応しく、妄想しながら散歩を楽しみました。

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