五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

琵琶湖勉強会の遠足

2015年04月13日 | 第2章 五感と体感
琵琶湖、大津市唐崎の勉強会から戻りました。

昨年に引き続き二回目。参加者の皆様、お疲れ様でした。

二泊三日の勉強会の中日11日土曜日には昨年同様遠足も行いました。昨年は堅田の浮御堂の周辺を巡り歴史探訪しました。今年は、滋賀里のオオボトケを訪ね、天智天皇が建立した崇副寺跡を確認し、百穴古墳、滋賀里古墳群の一つでもある倭(しどり)神社に。
滋賀里のオオボトケは、高さ三メートルの巨大な石に刻まれた仏様です。昔の街道であり、京都の北川と結ばれており、広大な敷地であった崇副寺は比叡山と京都に向かう道の分岐に位置しています。このオオボトケは北川と滋賀里に置かれており、いにしえ人の旅の祈願を一手に引き受けた様な穏やかな仏様のお顔は、心細い人々の心を和ませたようにも感じました。

大津の地形は湖畔の平地から山にかけて、すり鉢状になっており、かなりの高さのところまで古くからの住まいがあります。チャーターしたタクシーの運転手さん三人は、このオオボトケの存在を知らず、大津を訪れる観光客を是非案内したい、と、喜んでおられました。
とはいえ、よほどのモノ好きでないと興味は示さないかもしれませんが、勉強会の参加者の多くの方々は、このオオボトケとの出会いに心を動かされていらっしゃるようでした。

このオオボトケの少し手前には百穴古墳があり、滋賀里古墳群と繋がっています。

整理してみますと、滋賀里駅から西側を上がったところにある天智天皇と政略結婚させられた倭(やまと)姫を祀った倭神社は、既に誰かの墳の上に建立されており、その道をぐんぐん上ってっていくと、百穴古墳があり、そこからおよそ100m上にオオボトケがおられます。そして、そこからさらに300mの場所に崇福寺跡があるのです。

滋賀里見学を終えたら近江神宮へ。大津京跡を巡りながら、気の流れの良さを満喫しました。
崇福寺は、多分、大津京の鬼門に位置していたのではないでしょうか。山を背にしている大津京の軍事的な拠点と砦としても相応しい場所だったはずです。大津京の陽の気とはま逆な体感を感じます。隠密な陰の空気感は、魅力的ではありますが、天智天皇が遷都した頃は、もっと活気があったはずです。こればかりは大津京の時代に身を置いてみないとわかりません。そんなこんなで深く妄想が膨らみます。

近江神宮は、昭和になってから建立されていますので、歴史は浅いのですが、ここの場に立つと陽気な気分になり、清々しさを体感します。私は二度目の参詣でしたが、前回と同じような気持良さを感じました。
大津京跡を歩いた跡は、天智天皇の子、大友皇子の御陵とされている弘文天皇の御陵を見学し、これもまた色々説があるので解りませんが、大友皇子は明治以降に弘文天皇と称されるようになり設定された御陵です。あれこれとうんちくを述べるより、壬申の乱を想うには思索できる場所かもしれません。

そこから三井寺の前を抜け、大津歴史博物館へ。

大津の歴史。琵琶湖の歴史を知るには、この大津歴史博物館と安土歴史博物館を訪れると良いようです。今回は常設のみを拝観し学びを深めることができました。

タクシーで巡る遠足を皆様と楽しむことができ、とても楽しうございました。

オオボトケを教えてくださった唐崎の友人に感謝をこめて。。。
歴女&仏女の情報連携の面白みを感じつつ、これからも互いにいしにへの妄想を愉しんでゆきたいものです。

数日かけて、ぼちぼちと琵琶湖唐崎勉強会と日吉大社や西教寺、比叡山の事も書きたいと思います。

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