Mr.コンティのRising JAPAN

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ポルトガル 3度目の正直なるか?

2006-07-06 | FIFA World Cup
現地時間の7月4日、ドルトムントではついにドイツ代表がイタリアの軍門に屈し、ホスト国優勝の夢は潰えた。あと2分持ちこたえられれば得意のPK戦に持ち込めたのだが。むしろ延長戦に入って決定機が多かったのはドイツ。これを決めておればと言ったほうが的確かもしれない。 決勝戦でイタリアと対戦するのはフランスがポルトガルか?それが翌朝(現地時間午後9時)に決る。いよいよ今回のワールドカップも終わるのかぁ….

何故ポルトガルなのだろう? 
ここ数年、日本ではポルトガル人気が席圧しているが、(ポルトガルファンの方にはごめんなさい)私は何故ポルトガルの人気がこれほど高いのか不思議だ。まさかみなキリシタンでもあるまいし?(この意味わかりますか?)
ポルトガル株が上昇したのは2000年の欧州選手権でベスト4に進出して以来だ。そして翌年のワールドカップ予選ではオランダを破って日韓大会に出場を決めた。そしてワールドカップ本大会では韓国に“疑惑の”判定で敗れ、決勝トーナメント進出はならなかった。当時、ポルトガルの敗退はセンセーショナルに報道されたがポルトガルがワールドカップ本大会に進出したのは今大会を入れてわずか4大会のみ( 1966, 1986, 2002, 2006 )。この数字は今大会、ベスト8以上の国のどこよりも少ない(ウクライナは除く)。それは今大会、欧州大陸予選で敗れたルーマニア(7回)、ベルギー(11回)スコットランド(8回)との比較を考えて頂きたい。確かに1966年大会は1次リーグでブラジルを破るなど、3位に輝いた。これは大会9得点(うち4得点は伝説の北朝鮮戦)を叩き出したエウゼビオの得点力に寄る所が大きく、もし彼が大会を通して絶好調で無ければこういう結果は残せなかっただろう。事実4年後のメキシコワールドカップ予選ではホームでルーマニアを 3-0 で破ったのみでギリシア、スイスから勝星を上げられず最下位に終わってしまった。 2000年の欧州選手権は初戦のイングランド戦では開始18分で2失点を喫するスタート。しかし22分にフィーゴのミドルシュートで1点を返すと37分ジョアン=ピント、59分ヌーニョ=ゴメスと連続ゴールでイングランドを沈めた。この試合の立役者はいわゆる“ゴールデンエイジ”世代であった。この欧州選手権はインターネット時代が最加速した時代で UEFA はホームページで大会期間中に各試合の予想、詳細、総評を写真付き、5ヶ国語(英、独、仏、西、葡)で配信。世界中のサッカーファンをどの大会よりも惹きつける事が出来た。日本でも初出場を収めたワールドカップフランス大会の2年後と言う事で数多くのサッカーファンが生まれ、そして2年後に迫った自国開催のワールドカップに向けて大いに注目をされていた大会であった。そしてポルトガルの所属した Group Aでは“大国”イングランド、ドイツが枕を並べて討ち死した事が更に“彗星の如く現れた”ポルトガルの快進撃の印象を増長させた。私はこの時何故か??サッカー人気に市民権が与えられていなかったオーストラリアに出張をしており、テレビでは結果を伝えるだけで、インターネットカフェで毎日情報を収集していた。この大会以降日本のスポーツ用品店等でもポルトガルのレプリカが見られる様になった。

フランス戦へかける思い
イングランドを逆転で破った後はゲオルカ=ハジ率いるルーマニアを 1-0 で破りグループ勝ち抜けを決め、メンバーを落として臨んだドイツ戦もセルジオ=コンセイソンの3ゴールで一蹴。準々決勝のトルコ戦はヌーニョ=ゴメスの2ゴールで快勝し、準決勝のフランス戦を迎えた。 ポルトガルは欧州選手権ではチェコ(またはチェコスロヴァキア)の様に好成績を残す。1984年フランスで行われた欧州選手権も予選でソ連、ポーランド、フィンランドを破って本大会に進出。欧州選手権で初めてベスト8に進出(当時は開催国を含めて8カ国が本大会へ)するとグループリーグではドイツを押さえて準決勝に。そこでミッシェル=プラティニ将軍率いる地元フランスと延長戦の末 2-3 と惜敗した。しかし、この代表チームの久々の快進撃に国民は大いに期待を寄せ、翌年のワールドカップ予選でもスウェーデン、チェコスロヴァキアを抑えてドイツと共に本大会に20年ぶりの進出を決めた。ワールドカップでは初戦のイングランドを 1-0 で破ったが、続くポーランド 0-1 モロッコ1-3 と連敗し20年ぶりの決勝トーナメントには届かず、低迷期に戻ってしまう。それを脱したのがベスト8に進んだ1996年欧州選手権であり、2000年の欧州選手権であった。その原動力となったのが先述した1989, 1991 FIFA U-20 で連覇したメンバー、いわゆる黄金世代だった。 この大会の“予選”となったUEFA U-20 では両年共にソ連の後塵を拝したが、本大会ではジョアン=ピント、フィーゴ、ジョルジ=コスタ、ルイ=コスタ、カプリッチョら後に欧州選手権で活躍する選手達がいた。2000年大会の準決勝には1984年大会、同じ準決勝で敗れた相手への雪辱を誓って臨んだ。前半、ヌーニョ=ゴメスの大会4得点目のゴールで先制するが後半はアンリのゴールで世界王者のフランスが追いつく。試合はVゴール方式の延長戦に入った117分、混戦からフランス、ビルトールが放ったシュートがカバーに入ったポルトガルDFアベル=ザビエルに当たる。一旦はCKと見えたが、主審が副審と協議しフランスにPKを与える。この判定に激興したポルトガル選手達が審判団を取り囲む。しかし判定は替わらずヌーニョ=ゴメスが退場処分に。そしてジダンが決勝のPKを落ち着いて決め、フランスはポルトガルを返り討ちに葬った。この大会のメンバーからポルトガルはフィーゴ、パウレタ、そしてヌーニョ=ゴメスが今大会も残っている。一方のフランスもジダンを初めGKバルデス、MFヴィエラ、DFテゥラム、FWトレゲゼ、アンリの6名が残っている。このメンバーでブラジルを2度ワールドカップで破ったのだ。その両国9名の選手の中でN.ゴメス以外の選手達がスタメン名を連ねると考えられる。個人的にはN.ゴメスにリベンジの機会を与えてくれないかと思うが、今大会はまだメキシコ戦途中出場で20分程度プレーしたのみだ。前回の日韓大会まではN.ゴメスが不動のワントップであったが、2004年の欧州選手権ではパウレタがそのポジションに。それでも欧州選手権ではN.ゴメスがパウレタに替わって投入される試合が何試合かあった。今大会はパウレタが好調なのでN.ゴメスも出番が廻ってこない。それでも2004年大会1次リーグのギリシア戦の様にリードを許している時間ではN.ゴメス、パウレタの2トップの布陣もあるだろう。そして更に好調なのがフィーゴ、デコ、CロナウドのMF陣。ただフィーゴが90分を通してどれだけ動けるか?ただ守備的MFプティが出場停止なのは痛い。グループリーグのイラン戦の様にディナモ=モスクワのMFコスチーニャが代役を果たせるか?不動の4バック、N.バレンチノ、R.カルバーリョ、Fメイラそしてミゲウ。しかしバレンチ、カルバーリョは警告を1枚貰っているの。(決勝戦はだれもがプレーしたいしなぁ?) 迎え撃つフランスはおそらく決勝トーナメントから不動のイレブンだろう。ワントップのアーセナルFWアンリはデコを見て Champions League 決勝を思い出すか?2列目は真中にジダン。左にマルダ、右にリベリー。ボランチにはヴィエラ、マケレレ、4バックは左からアビダル、ギャラス、テゥラム、サニョール そしてGKバルデス。鍵を握るのはヴィエラの出来。彼が最高のパフォーマンスを見せれば攻守にポルトガルを圧倒できる事だろう。心配なのはスタミナか? GKバルデスは34歳。フィールドプレーヤー10人の平均年齢は 28.8歳。今大会終了後何人の選手が代表に残るだろう? それにしてもフランスはアフリカ系の選手が増えた。1978年大会ではDFトレゾールくらいだったのだが。アフリカ系の選手との融合、融和こそ20世紀末からのフランス進撃の要因だ。1966年イングランド大会でポルトガルが3位になったその立役者エウゼビオはモザンビーク系の選手。今後更に欧州とアフリカ系の選手との関係は深く深くなるだろう。 だから“ SAY NO TO RACISM ”なのだろう。だったらアジア系蔑視もやめてくれよ。だからと言ってアジア枠を据え置いてくれと言う訳では無いが…… あぁもうすぐ大会が終わってしまう。 


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