Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

夏草や兵どもが.... 4年後どうしているかなぁ?

2006-07-14 | FIFA World Cup
選手交替は無いまま後半が始まるがフランスは戦術を替えて来てボールが回る様になる。49分、ジダンのスルーを受けたアンリがドリブルでカモラネージ、グロッソ、マテラッティを“跳ね飛ばして”ゴール右側に迫るが、最後はザンブロッタが何とかコーナーに逃れる。7分には逆襲からジダン、リベリに繋がりマルダに渡り、何とかザンブロッタが激しいチャージで止める。そしてこれはノーホイッスル。8分にもマルダが右サイドを切り裂くがゴール前のリベリには僅かに合わない。 フランスはジダンに集中的にボールを集める。この日のジダンは絶好調と言ってよく1対1でもほとんど負けていない。そこから自在にパスが供給される。アンリがポジションを下げその代りに右側がリベリ、左側がマルダがそして更に左後方からアビダルががんがん上がってきて、しかもほぼワンタッチ、ツータッチで早いパスを回すのでイタリアはボールに触れない。フランスはこの日のスタメンの平均年齢が30歳らしい。それだけに早くリードして守備固めに入りたいが56分にはビエラが負傷してしまい、ディアッラとの交替を余儀なくされる。そしてイタリア、リッピ監督はここを先途と見たか、61分にペロッタ、そしてトッティ王子に替わってイヤキンタとデロッシを投入する。デロッシは1次リーグのアメリカ戦でマックブリッジの顔面に肘を入れて一発退場の上4試合出場停止処分に。そしてこの決勝戦が“謹慎明け”の最初の試合であった。記憶している方も多いと思う。アテネ五輪の日本対イタリア戦で豪快なバイシクルキックでゴールを決めた。他にも五輪チームからの”昇格組“はジラルディーニョ、ピルロがいる。日本は茂庭、駒野そして小野… 。  これで2列目はトップ下、トッティのいた位置にピルロが入り右にイアキンタが、デロッシはガッツゥーゾと共にディフェンシブMFに。交替直後にはグロッソのFKからザンブロッタがゴールを破るがこれはオフサイド。その直後には今度はアンリがカンナバーロを振り切って放ったシュートはGKブッフォンの美技を引き出す。しかし、ゴール前のシーンはこの時間以降は激減してしまう。それは両チーム失点のリスクを恐れてか、当りが激しくなってきたからか?76分にはマケレレのトーニへのチャージがファールと取られ、それに抗議したマケレレにイエローが出される。そこで得たFKをピルロが直接狙うがゴールポストを約1m外れた。これが後半最後の見せ場となる。79分にはジダンが空中戦でカンナバーロと競り合った際に肩を痛める。治療の間、選手達は水分の補給に余念が無い。そしてエリゾンド主審もカンナバーロからボトルを貰って水分補給を。試合前は気温30度、湿度38%だった天候状態。この時間帯はどうだったのだろう?疲労度が急上昇するとそれが原因でプレーが大雑把になり怪我を招きやすくなる。それでなくともこの1ヶ月で両チームとも6試合をこなしており疲労もピークだろう。86分、イタリアは最後の交替選手、デル・ピエロがカモラネージに替わって投入される。彼自身3度目のワールドカップだがレギュラーメンバーとして活躍できた大会があっただろうか?ポジションは左の2列目の”デル・ピエロゾーン“に入り、イアキンタが右に入った。 ここでデル・ピエロを入れたのは90分以内で勝負をつけたかったのか? しかしそのまま後半もタイムアップ。1994年大会以来ワールドカップ史上5回目の延長戦に入った。イタリアは後方からのロングボールとピルロのFK,CKだけが攻撃の頼りであったが、フランスはジダンを中心に細かくパスを繋ぎシュートまで持ち込んでくる。そして1対1でもほとんどフランス側に軍配が上がる。フランスは後半7本のシュートを放つ一方でイタリアはわずか2本だった。この試合代表通算100試合目のカンナバーロ、そしてザンブロッタ、ガットゥーゾらの踏ん張りが無ければとっくに勝敗は決まっていただろう。  
延長戦に入っても主導権はフランスが握る。イタリアはラインが最終ラインが低い位置にあるが、これは相当でフェンスに自信があるからだろうか?100分にはフランス最後の切り札?トレゲゼが投入され2トップ気味の布陣に。最前線からプレスをかける作戦か?トレゲゼは EURO2000の決勝戦でイタリアを粉砕する Golden Goal を決めた選手だ。だが106分にはアンリが足を痛めてか?それとも足が止まってか?ウィルトールと交替する。ウィルトール、トレゲゼ、 EURO2000 のイタリア戦でゴールを上げた両名がピッチに並んだ。ジダンも運動量が減ってきた、しかし、デル・ピエロとのマッチアップも見られた。こんなのチャリティーゲーム以外では拝めない。そして108分にワールドカップ史上今後も話題になるであろう出来事が起こる。デルピエロがドリブルで持ち込むが倒され、主審に“ファールだろ?!”と抗議をし、イタリアGKブッフォンが審判に駆け寄る。だがそれはデル・ピエロへのチャージでなく、イタリアゴール側のペナルティーエリア付近で倒れているマテラッツィの事で、審判はボールアウトになっていないがプレーを止めて、スペイン人のルイス=メディナ・カンタレホ第4審判のところに駆け寄り、後ろのポケットからレッドカードを出しながら選手団に駆け寄り、そのレッドカードをジダンに示す。テレビのリプレーは今世界で最も話題になっているであろうジダンの頭突きのシーンが映し出される、続いてその頭突きに至る前のシーンも映し出された。イタリアゴール前に上がってきたジダンにしつこくマテラッティがジダンのシャツを軽く引っ張りながら何か言い続け、最後にジダンがマテラッティの胸部に頭突きをかました。 ジダンはエリゾンド主審に何か言うが、キャプテンマークをサニュールに渡しピッチを後にしてしまった。 そしてドメネク監督はその決定に対し、第4審判に嫌味の拍手を送る。 これ以降、約10分程度に渡り両国選手はゴールを狙う気力が失せたかの様になり中盤での潰し合いが続く。フランス人サポーターか、イタリア人以外の全てのサポーターか、イタリア選手がボールをキープすると口笛とブーイングがスタジアムを覆う。それがGKブッフォン、マテラッティがボールを持つと更に大きくなる。ジダンの頭突きのシーンは競技場内のスクリーンに映し出されたのか? ドメネク監督もジダンの退場から何かが切れたのか?自軍選手が倒されてもファールを取ってもらえないとボトルを蹴り上げたり。そしてジダン退場シーン以上の見せ場が無かった延長戦も終わり勝負は8年ぶりのPK戦に委ねられる事となった。 過去フランスはPK戦で2勝( 86年ブラジル、98年イタリア) 1敗( 82年西ドイツ )、イタリアは3戦3敗 ( 90年アルゼンチン、94年 ブラジル 98年フランス) しかも94年は決勝戦で敗れ、98年はフランスにPK戦で敗れていると言うデータが残っている。しかし、フランスはトレゲゼが失敗したのに対して、イタリアはピルロ、マテラッティ、デロッシ、デル・ピエロそしてデロッソと全員が確実に決めて激戦に終止符を打った。しかしPK戦で勝敗を付けるのは気の毒に思った。78年大会まで規則化されていた様に再試合(決勝戦ではそうなったことはなかったが。)にすればとも思った。ワールドカップを手に歓喜を爆発させたイタリアよりも準優勝のメダルを授与されてもすぐに首から外したフランスの選手達の方が印象的だった。 ジダンの件はこれからしばらく物議を醸し続ける事だろう。それだけ人々は久々に順当に強豪が勝ち残って行った今大会の余韻に浸りたいのかもしれない。ホスト国ドイツには世界中から人々が集まって来ていた。大会期間中は国中がお祭り騒ぎであっただろう。日本代表が本大会に出場したおかげで、ドイツに行った自分もワールドカップに参加した気分になれた。そんな1ヶ月間もあったワールドカップ、終わってみれば早いもの、そしてまた次の大会がやって来て“4年経つのは早いなぁ”と述懐する自分が居るのだろう。 そのとき日本サッカーはどうなっているのだろう。そしてアジアは。南アフリカまでまた見に行くのかなぁ….


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