Mr.コンティのRising JAPAN

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6月21日 イラン、アンゴラ勝利を目指して

2006-07-17 | FIFA World Cup
スタンドに腰掛、競技場を見渡すが客の入りはこれまで観た3試合と比較にならないほど空席が目立つ。FIFA のホームページ内にある Ticket Shop を観ても、この試合の所にRe-Sale されるチケット公式に出回ったとされている “R” マークが点灯された事もしばしば。ここに今大会の(前回もそうだったか?)チケット売り出しの特徴が現れる。1次チケット販売はグループ分けが決る前に、要するに対戦カードと日程が決まる前に始まり私が大会前に手に入れたチケットは未だ試合カードが決る前の1次チケット販売のものばかり。大会出場枠が32に拡大された為、1次リーグから欧州や南米の列強が激突するということが少なくなり、この試合の様にアジア(イラン)対アフリカ(アンゴラ)と言う様に第三世界同士の対戦も出て来る様になった。4年前の大会でも自宅近くのさいたまスタジアム2002でのカメルーン対サウジアラビアの試合を観戦した。だが私はワールドカップには無駄な試合は一切無いと言う考えだ。それにこの両国は実力も拮抗しており、一方的な試合になることは無いと思われる。ただこの試合もカテゴリー1だったのに2階席であった。1次チケット販売分は全て2階席なのだろうか?やがてスタメンの発表が始まる。アンゴラはアクワのワントップ2列目に右からゼ・カランガ、マテウス、メンドンサとメキシコ戦と同じ布陣。ベンフィカ所属のマントラスはこの日もベンチ。ボランチのアンドレがメキシコ戦で警告2枚貰い退場になった右のボランチア、アンドレのポジションには左のフィゲレイドが入り、そこにはミロイが入った。4バックは不動のロコ、ジャンバ、カリ、デルガドそしてGKは浪人中のリカルド。アンゴラはGKとトップのアクワが浪人中だ。それでメキシコと引分けるのだから恐れ入る。一方、メキシコ、ポルトガルに連敗したアジアの雄イラン、確かに相手が強すぎたがメンバー起用に問題も無かったか?メキシコ戦で得点を挙げたゴルモハマディに替わってバフティアリザデがスタメンに。ディフェンシブハーフにはネクナムに替わって1FCカイザースラウテルンのザンディ、2列目のマダンチ、マハダビキアは替わらないが2トップに96ハノーファーのハシュミアン、そしてアリ=ダエイが起用され、バイエルンのカリミは外れた。ホテルのイラン人に教えて貰った通りだった。アンゴラ戦こそ、メキシコ戦の様にカリミを入れて攻撃陣をブンデスリーガ組(マハダビキア、カリミ、ハシュミアン)を並べるべきではなかったか?イバンコヴィッチ監督はダエイに何故こだわるのだろう?選手入場の時間になってもやや空席は目立つ。そしてイランのサポーターが圧倒的に多い。これはここドイツに多くのイラン系移民が在住するからだろう。私の隣には赤と黒の2色に染めた鬘を被ったアンゴラ人のサポーターが。周囲には他にはドイツ人が多かった。試合は1対1に優るイランがやや優勢に進める。開始2分、イランのザンディがアンゴラのジャンバに倒されれば、今度はイランのカエビが攻撃参加したアンゴラのデルガドを倒す。7分には左サイドを上がったノスラティが倒される。共に局地戦では当たりが激しいがアジアでは体格では当り負けしないザンディ、ノスラティが倒される事がワールドカップなのだろう。アンゴラは同時進行のメキシコ対ポルトガル戦の結果次第では勝てば決勝トーナメント進出の可能性があったが、前線のアクワへの2列目のサポートがいまいちだった。それはマハダビキアがポルトガル戦と比較して高い位置に張っていた為でこの日もマハダビキアは好機を演出する。9分にはダエイに絶妙のクロスを送るが頭に当てただけ。ダエイはAマッチ通算109ゴールは世界記録だが、未だワールドカップでの得点は無い。この試合では何とかワールドカップでの得点を、と期する所があっただろうがマークに付くジャンバに遮られる。そしてこの日はもう1人のFWハシュミアンよりもポジションを下げる事も少なくなかった。13分にはイランの左サイドバック、ノスラティが怪我で早々とベンチに下がりジョジャイエが投入されるイランは左からザンディとハシュミアンで中に切れ込みチャンスを作る。13分には交替で入ったばかりのジョジャイエからハシュミアンに渡りあがってきたザンディが放ったショットはGKリカルドがパンチで防ぐ。一方アンゴラもマテウスが逆襲から早いドリブルでイランゴール前に上がりチャンスを作るが23分に負傷でロベとの交替を余儀なくされる。その直後、前半最大のチャンスをイランは逸する。FKからの波状攻撃。最後はノスラティのクロスがフリーのダエイを目指すがそれをダエイが外してしまう。どうせならドーハでの日本戦で外してくれれば良かったのに。あれから13年が経つが、ここまで残っているのはアリ=ダエイだけだ。それだけ彼は偉大なのだろう。この時間以降はアンゴラが主導権を握る。4バックが高い位置をキープし、中盤でのこぼれ球を拾う様になり、前線もマテウスと交替出場のロベの2枚が張り出す。そのロベが25分にスローインで入れられたボールをフリーで撃つがGKの正面に。31分にはゼ・ラガンガのボールキープからデルガドがシュートを放つがイランGKミルザプールがコーナーに逃れる。そこから3連続CKを蹴るがゴールネットは揺らされない。尚もアンゴラが優勢な時間が過ぎるが、38分何故かハシュミアンが下げられてしまう。怪我でもしたのかな?替わって投入されたのは172cmのハティビ。ダエイを1トップにしてその周りを衛星の如くまわるのか?と思うも目立った動きは見られなかった。しかしその直後、マダンチが持ち込んで倒されて得たFKから波状攻撃を見せる。イランもアンゴラも前半で延べ3名の選手が交替したが、交替直後にその選手が直接絡む訳では無いがあわやというシーンが見られる。前半は負傷退場者が2名も出たので5分もロスタイムがあったが無得点のままハーフタイムに入った。観客席からは色々な垂れ幕があるが、HSVハンブルグの旗も。これはここに長く在籍するイランのマハダビキアへの敬意を込めてか?個人能力のレベルではアジアナンバーワンのイラン。8年前もアジジ、バケリといったブンデスリーガ所属の選手がいた。もう少し組織的な戦術が徹底されればこの大会もこんな苦戦続きでなかったはずだ。しかし、そうなれば日本はもっとアジア予選で苦労しただろう。ハーフタイムにゲルゼンキルシェンで行われているポルトガル対メキシコの途中経過が入り 2-1 でポルトガルリードと紹介されると、隣のアンゴラ人が歓声を上げる。後半3点を取れば決勝トーナメントの可能性があるのだが…..。このゲルゼンキルシェンでの途中経過を耳にしたか、後半開始早々にメンドンサがゴール右に僅かに外れるシュートを放つ。しかし、50分にエースのアクワが負傷で下がってしまう。そして投入されたのはエジプト、アル=アリ所属のフラビオ。マントラスは怪我でもしているのか?スタンドからは数で優るイランサポーターのボルテージが上がる。“イラン!イラン!!”と聞こえる歓声を聞くのは3回目だ。1989年東京で開催されたレスリングのフリースタイル世界選手権と1992年に国立競技場で行われたアジアカップウィナーズ選手権の日産自動車対ピルジー戦。当時は数多くのイラン人が日本に出稼ぎ労働者として渡ってきていた。新宿駅や上野公園で数多くのイラン人を見かけた。確かに変造テレフォンカードを売る輩もいたが、総じて犯罪に手を染めるものは少なく、特に民家に空き巣に入ったり、ATMを壊したり(当時は少なかったか?)組織犯罪集団を形成したという話は聞かなかった。今の中国人違法就労者とは大違いだ。しかし、これは日本に限らず、オーストラリアやニュージーランドでもイラン系の移民はいるが集団で犯罪を犯すなど地元の人を困らせる事は皆無に等しく、反対に中国人犯罪には手を焼いているとの事だ。しかし先制点はアンゴラが上げる。60分フィゲイレドのクロスがゴール前フリーで待ち構えていたフラビオに渡り、そのままイランゴールに押し込んだ。隣のアンゴラ人サポーターは大喜び。そしてアンゴラも可能性を求めて更に攻撃に転ずる。62分には再びフラビオのシュートはイランDFに当り、そのこぼれ球をロベが撃つが惜しくも外れる。デルガドへのファールで得たFKをフィゲレイドが直接狙う。アンゴラは後半からサイドチェンジを頻繁に使う様になる。イランは攻撃の糸口となるべくマハダビキアにボールが渡らなくなってしまい、反対にマハダビキアが下がってしまい、そこにボールが渡ってもポジションが低いので前に繋がらない。67分に右サイドバックのカエビに替えてFW登録のボルハニを入れてパワープレーに出る、その一方でアンゴラは好機を演出したMFフィゲイレドに替えてDF登録のEngland League 所属のマルケスを入れる、しかしアンゴラのゴンザレス監督、もう2点取らないとメキシコを上回れないよ、と思うも、前半終了直前にスクリーンに映し出されたある文章を思い出した。 Group D の中でアンゴラだけが自国人が監督を務めるという事だ。この時間であと2得点を挙げるのは難しい、ならば母国の為にワールドカップ初出場初勝利をと考えたのかもしれない。隣のアンゴラ人男性も“ア~ンゴォ~ラッ!!” と声援を飛ばす。しかし、彼の願いも、ゴンザレス監督の狙いも空しく、イランDFバフティアリザデがCKをドンピシャのタイミングで捕らえて同点ゴールが。わずかにマークに着いていたメンドンサがずれてしまった。 スタンドのイラン人サポーターは大喜び。アンゴラ選手達は落胆の色が隠せない。試合再開後はそれまでボールキープからアンゴラ攻撃の起点となっていたゼ・カランガが得意のボールキープからミロイのミドルがイランゴールを襲うがこれはGK正面。そしてゼ・カランガは更にボールを持ちすぎる様になってしまう。そして残り10分、今度はイランと言うよりもアリ=ダエイの怒涛の攻撃が続く。81分にはクロスに飛び込むが惜しくも合わない。83分にはまたもやダエイのヘッドがアンゴラゴールを目指すがGKリカルドがパンチで逃れる。87分にもマハダビキア、ザンディと渡りダイエに上げられたクロスから放たれたヘッドはGKの正面。その直後、今度は反対にダエイからマハダビキア、ザンディと渡るがザンディのシュートはクロスバーを越える。私も何とかダエイのゴールが見たくてアンゴラゴール前にクロスがあげられる度に ”ダエィッ!!” と叫んでしまう。その度に隣のアンゴラ人に聞こえたか彼の反応を見てしまう。しかし、そのままタイムアップ。アンゴラのワールドカップ初勝利もダエイのゴールも成らなかった。 アンゴラ、イランとお互いに勝点3を計算していた試合だったのか無念さの為に試合終了後はピッチに倒れこむ選手達も。それともこれでワールドカップを去ると言う感傷に浸っていたのか?しかし、選手達はそれぞれ立ち上がって歓声を送ってくれたサポーター達の所に駆け寄っていった。特にアンゴラの選手の何人かはユニフォームをスタンドに投げ込んで感謝の意を表現していた。私も隣のアンゴラ人と記念撮影をしてゆっくりとスタジアムを後にしようとした。だがこの試合は1人で観に来たせいか、なかなかその場を立ち去り難かった。そしてもういちどピッチを振り返った。1979年11月欧州選手権予選、ここにオランダを迎えた東ドイツは前半で2点をリードしながらその後3失点を喫して翌年イタリアで行われた本大会への出場権を逃した。もし、この試合で引分けていれば本大会にも出場し、再び東西ドイツ対決が実現したのかな… と想像していた。勿論当時はこんな近代的な競技場ではなかったが10万人近く収容出来る東ドイツ最大の競技場であった。会場のあちこちでみな記念撮影をしている。みんな試合後の余韻に浸りたいのだろう。ある家族から声を掛けられた。母親と娘3人で観戦に来たのだけどカメラを忘れたので写真を撮って送って欲しいとの事であった。彼女達はアメリカ人で主人(ここにはいなかった)の仕事の都合で数年前からここに在住しているとの事。E-mail と住所を聞いて数日後に e-mail で転送し、写真も現像して送ってあげると丁寧なお礼のメールを受け取った。Leipzig に来る際は連絡下さい。色々案内しますから….と。
スタジアムを出ると競技場敷地内は広大な芝生地が広がっている。そこを通過して大通りにでるのだが、2人組みの青年が “Dynamo Dresden “ の大きな旗を広げて何やら叫んでいる。東ドイツ時代の末期には後にボルシア=ドルトムントに移籍したマティアス=ザマーが在籍していたクラブだ。”マティアス=ザマー!!“と大声で叫ぶと彼らも”ザマー、ザマー“と応える。そしてすぐ横には日本人の女の子二人連れがいた。1人はHSVのマハダビキアのレプリカを着ている。イランのファンですか?と訊くと、特にそうでもないけど、マハダビキアのファンらしい。本当に女の子連れのワールドカップ観戦者も多く見た。そして歩を進めると、芝生の上で文字通り草サッカーをしているところに出くわした。立ち止まって見ていると、1分もしないうちに” Hey Japan !! Come Come “ とゴールキーパーが誘ってくれた。この滞在期間中ずっとユニフォームの如く着ていた日本代表のレプリカのおかげで?すぐに仲間として打ち解けてくれた。“ Iran and Angola, unofficial match !! “ と誰かが叫ぶと、皆が” Yeahhhhhhh !!” と歓声を上げた。 


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