Mr.コンティのRising JAPAN

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痛快ワンツーフィニッシュ メルボルンカップ

2006-11-11 | Aussie & Kiwi
6月のワールドカップでは Socceroo に痛い痛い忘れられない逆転負けを喫し、多くの日本国民が落胆させられたが、今度は“日本”がオーストラリア大陸でその名誉を回復した。11月7日、日課?となっている Australia の新聞の WEB SITE を覗いていると日本人がアップで写し出されている写真が。前日11月6日、オーストラリア第二の都市メルボルンで開催された競馬の Melbourne Cup で日本調教馬であるデルタブルースとポップロックが見事なワンツーフィニッシュを決めた報道であった。この2頭は共に滋賀県の栗東・角居厩舎に所属しデルタブルースは菊花賞に勝った事があるらしい。デルタブルースに騎乗した岩田康誠騎手がメルボルン入りしたのは何とレース前日との事。そしてデルタブルースに続いたポップロックには Damien Oliver 騎手が騎乗。レースは残り1ハロンでこの両日本調教馬が並びそのまま後続を降り切りマッチレースとなった。レース直後に鞍上の岩田騎手は優勝を確信し、下馬した直後に角居調教師ら厩舎の関係者を見るや否や号泣を始めたらしい。 Very happy, vary happy… biggest win ever と知っている限りの英語でインタビューに答えたらしい。 
今年で146回目を迎えたメルボルンカップでオセアニア州以外の馬が優勝したのは1993年の Vintage Crop と 2002年の Media Pazzle の2頭のみでいずれもアイルランド馬。2002年 Media Pazzle に騎乗したのが今回ポップロックに騎乗した Damien Oliver そして 2003年から 昨年までオーストラリア馬の Makybe Diva が史上初の3連覇を果たした。Makybe Diva は2005年に日本の天皇賞にも出場し7着に終わっている。
この快挙にはある伏線があった。デルタブルーとポップロックは前月の10月に Caulfield Cup に出馬し3着(デルタブルー)7着(ポップロック)に終わっているがこれで“オーストラリア大陸”に順応しだしたらしい。そのレースに勝ちメルボルンカップでも優勝候補に上げられていた Tawqeet は最後尾争いの馬群に沈んだ。そしてメルボルンカップの前に第4Rで騎乗で岩田騎手が騎乗できたことも大きい。このレースは着外に終わり、しかもレース後は通訳を通じて地元アナウンサーにその騎乗を酷評された事も聞いた。しかしこの騎乗でコース形態や馬場状態を把握し、本番での完ぺきな騎乗につなげた。 このレースの結果は英国の老舗紙 TIMES でも “ Japan one-two leaves Melbourne Stunned “ との見出しで報道され、その記事内容には先月パリで開催された凱旋門賞に出走したディープインパクトの事や、“何人かのオーストラリア人はこれらの日本馬は(このオーストララリアに)順応してほしくなかっただろうなぜならこれが日本馬進出になりうるだろうから”とか “日本馬の快挙”がメルボルンカップをよりグローバルなレースにするだろう“”例えディープインパクトやハーツクライの功績が日本のサラブレッド産業の世界的な関心を高めてはいるがわずか1年前から参加を始めたばかりのこのレースの上位独占は大変な快挙である“と得意の皮肉をこめたメッセージも込められている。 
このメルボルンではこのメルボルンカップレースはオージーフットボールのグランドファイナル、テニスの全豪オープンにならんでその競技の権威もさる事ながら当地では年中行事となっている一大イベント。その“国民的”イベントの主役を日本の競争馬が上位を独占したのだから痛快と言わずに何と言えばいいのだろうか?ワールドカップでの敗戦で現地在留されている邦人の方々の名誉をこれで回復してくれた。私自身も次回のオーストラリア出張が非常に楽しみで仕方が無い。しかし、この快挙の主役達は本当に紳士的だ。角居調教師は通訳を通じて“我々にこの快挙の機会を与えてくれたオーストラリアに感謝の意を表わしたい。そしてこの偉大な結果は地元Racing Victoria Club とそこの人々のサポートによって成し遂げられた”とコメントを残した。
日本のマスコミはこの偉業を凱旋門賞の100分の1以下にも満たない程度の報道をしないが、この我々に勇気を与えてくれたこの快挙に携わった人々に敬意を表します。



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