Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

6月21日 Iran vs Angola unofficial Match

2006-07-23 | FIFA World Cup
人生は何処でどんな願いが叶うか解らない。大学ではインカレも出た。(サッカーじゃないけど)そして夢は五輪とまではいかないでも国際試合に出ることだった。その野望を果たすべく実業団にもすすんだがあっさり2年で挫折。それから18年。異国での国際試合に参加できる事になった。半分そんな気持ちだった。ピッチの広さはハンドボールコートくらいか?ゴールの大きさはハンドボールゴールの 1.5倍程度。人数は両チーム10名程度ずつ。イランのユニフォームを着ている人とアンゴラ人らしき人が分かれてあとはドイツ人やイギリス人達が加わり、小学生程度の子供も2人いる。日本人は私だけ。私のポジションは中盤の左で着ているレプリカの通り中村俊輔と同じポジションと言えば聞こえがいいが、ピッチに入ったときに、そこに立ったのでそのままそこにいただけだった。試合が改めて始まるとまず誰もパスを出そうとしない、まぁ敵味方の区別がつかないと言う事もあるが、ボールを持つとドリブル突破を試み、そこに相手チームの選手が群がってくる。それでもボールを取られまいとボールキープを試みて周りなど見ない。そしてボールがこぼれると、そのボールを拾った選手が同じ様に取られるまでドリブル突破を試みる。少し離れて見ているとボールの行方を追って両チーム10名以上の選手が塊となって動いているのだ。私の所にもボールが転がって来た。ボールは試合球の様な大きさで無く、お土産屋で売っている様な小さなもの。こういうサイズのボールを使って練習すればテクニックが非常に上がると聞いた事があったので、家では子供と小さなボールでよく遊んでいる。そのせいか、サッカー未経験者の私でもけっこうボールを扱え、何人かかわす事が出来が、ボールを追って4人から5人の選手が突進してくる。しかも何人かは身長が私より10cm近く高くて横幅も非常にある。これはたまらんとばかりに、パスを出す事に。まず誰が味方かを選別せねばならない。そこで自分と同じゴールを目指す方向を向いている選手を探し出し、もうワンタッチ、ツータッチでパスを出す事にした。すると味方は私がパスを出す事を悟り、ボールを持つや、“ジャポネ!”“ヤーパン!!”と周りが声を出してパスを要求するので更にパスを出しやすくなる。中には“ナカムラ!!”と声を掛ける選手も。彼の欧州的に有名なスルーパスを知っているのか?それとも私のレプリカの名前を見てか?そしてキックイン(スローインではなく)の際にはなるべく子供達にパスを出す様にした。だが両チームを見回してもパスを出したり、子供に配慮するのは皆無で、ボールを奪い合うときもその瞬間は遠慮が無い。でも倒した選手はきっちり起こす。倒された方も笑っている。本当に国際親善試合だ。そのうち、ピッチの外で見ていたガールフレンドや家族、他の仲間が帰りを促し出し、何人か抜けていく。ゴールキーパーが抜けた時だった。だれもGKをやりたがらないので私が入ることにした。すると何人かは “ Thank you !” と声を掛けてくれた。GKをしていると更によくわかるが屈強な大男達がどんどん突進して来る。そして遂に身長 190cm くらいありそうな選手がドリブルで突っ込んできて1対1となった。私が2、3歩前に出た時にその選手がシュートを放ち、たまたま私の足に当たった。味方は この“ プレー “に親指を立てる。私は “ カワグチ !! “ とレプリカのエンブレムを指した。するとまた何人かは“ Yeahh Kawaguchi !! “ と。恐らくクロアチア戦のPKを止めたシーンを憶えていたのだろう。 この試合に、私は国民性の縮図を見た様な気がした。日本人はまだまだ世界の中では他人の事を考える人種で”公共性“がある方だろう。そしてFW選手に必要な”俺が、俺が。俺が決める“と言う強い気持ちというか”わがまま“の”必要範囲“は外人の方がずっと広いと思った。彼らから言わせれば”FW選手がゴール前で何故パスコースを探すのか?“と理解に苦しむのが解る。だから世界レベルで言うと、日本人選手が最も向いているのは中盤の選手と言うことなのだろう。こうして試合開始から小一時間程度経ったときに、また数人の選手が抜けることになり、それを潮時と試合も終了する事になった。スコアーなんて誰もわからない。各個人が思い思いに楽しんだ時間だった。私もそうだった。そして再び子供を連れてこなかった事を後悔した。何人かのドイツ人とイラン人とで名残惜しそうに何度も写真を撮った。イラン人はドイツに在住しているらしい。そしてドイツ人はシュツッツガルトから来ており、これから夜行列車に乗り明日の朝、シュツッツガルト中央駅に着いてそのまま職場に向うらしい。ライプツィヒの中央駅まではトラムで一緒に行くことにした。片方のドイツ人男性は Stuttgart Kickers のファンで私が”かつてユルゲン=クリンスマンもいたチームだろ?“と言うと2人とも” Genau, genau : そうだ、そうだ“と言った。もう1人は Vfb Stuttgart のサポーターで彼のほうから”今、ブッフバルトはどうしている?“と訊いてきた。浦和レッズの監督をしている事もかつてレッズでプレーしていた事も知っていた。トラムが中央駅前に到着し”明日、日本が勝てばいいね。“と言われて、握手を交わして別れた。 私はそのままホテルに戻った。ロビーでは4~5人のイラン人がビールを飲んで歓談している。その中の1人が、私が被っていた IRAN のロゴの入った帽子と日本代表のレプリカを見つけ、” Iran ! Japan ! Asia !!”と彼は言いながら握手を求めてきた。 “今日のゲームの印象は?”“勝てると思ったけど残念だ。”“イワンコビッチ監督は?”と訊くと両手を広げて“もう仕事が無いよ”と言った。彼は流暢な英語を話した。部屋に戻った私はシャワーを浴びて、再びNAKAMURAのレプリカを着て中央駅に夕飯の買出しに出かけた。中央駅構内では電車に乗り込もうとする人や、数箇所あるスタンドでビールを飲む人達も。先程一緒に国際試合に興じた人も何人かおり、またまた記念撮影を。デジタルカメラの開発、発達は確実に世界の人々の友好に役立っていると感じさせられた。駅のショッピングモールにあるティクアウェィ店で昨日同様、中華料理と寿司を、そしてスーパーではミネラルウォーター等を買い込む。何台か大型の液晶テレビが設置されていて、死の組と言われていたC組の第三節、アルゼンチン対オランダの試合が丁度キックオフを迎えるところであった。しかし共に勝ち抜けを決めており、この試合はいわゆる消化試合。この試合をテレビで観るよりも、試合後の Leipzig の雰囲気に浸りたかったので、そのままぶらぶらと駅の構内を抜けて、ホテルの部屋に戻った。外は午後9時(夏時間だから本当は8時?)なのにまだ充分明るい。部屋に帰ると試合はもう15分過ぎであった。アルゼンチンはDFエインセ、ファン・パブロ・ソリンを外しミリト、クフレが初先発。FWもクレスポ、サビオラがベンチでテベスそしてメッシがスタメンに起用された。一方のオランダ、マタイセン、ファンブロンクホルスト、ヘイディンガのDF陣はベンチスタート。それはイエローを既に貰っているからか?FWも前のコート・ダジュール戦で警告を受けたロッペンが外れている。両国の対決と言えば、1978年大会の決勝戦を思い出す。地元の大声援を受けて決勝に進んだアルゼンチンとクライフが大会参加を拒否しながら残されたメンバーで決勝にまで進んだオランダ。アルゼンチンが前半英雄、ケンペスのシュートで先制すると後半38分交替出場の長身ナニンガのヘッドでオランダが追いつき、終了直前のオランダ、レンセンブリンクのシュートはポストに阻まれた。このシュートが入っていれば、オランダは優勝し、当のレンセンブリンクは得点王になるはずであった。試合は延長戦に入ってケンペス、ベルトーニのゴールでアルゼンチンが粘るオランダを突き放し、悲願の初優勝を達成した。しかし、欧州人の記者席からは“審判がアルゼンチン寄りだ”と不満が出ていたらしい。事実試合前、オランダのルネ・ファンデ・ケルクフォフが手首に撒いていた包帯が長すぎると言う事をアルゼンチンのパサレジャ主将のクレームで包帯を巻きなおすと言う一幕があったが、その包帯の事をパサレジャに教えたのはこの試合の線審であった。翌年、チューリッヒでFIFA設立75周年試合として再び両者が対戦し、そこに若き日のディェゴ=マラドーナの溌剌とした姿を見た。同年、日本で開催されたワールドユース杯で彼がアルゼンチン代表として来日する2ヶ月ほど前であった。 1998年フランス大会でも両者は準々決勝で対戦。終了直前、デニス=ベルカンプのゴールでオランダが20年越しの雪辱を果たした。しかし、アルゼンチンに言わせればオランダはどうも“絶対に負けられない”相手ではなさそうだ。前のドイツでのワールドカップでもアルゼンチンは中心選手のバビントンが出場停止でもあったが、オランダにクライフの2ゴール、そしてジョニー=レップ、ルート=クロルのゴールで 0-4 と粉砕された。 アルゼンチンでは地元大会での決勝戦で破った相手としてオランダをより強く記憶する人の方が多いのかもしれない。試合は共に決勝トーナメントを考えての安全運転に終始している様であった。そして私も前日同様、試合終了前に眠ってしまい、結果は翌日に判った。 翌日はいよいよ私のワールドカップ観戦最終試合だ。そしてドイツ滞在ももうあと二日を残すのみとなっていた…….


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2 コメント

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Unknown (コンチィ応援団)
2006-07-28 16:36:28
コンチィさん、色々なお国の方たちとサッカーできて楽しそうですね。でも相変わらず、文章長すぎる。
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サッカーの閉鎖性 (九州っこ)
2007-10-04 22:33:04
アジアカップでも解るように、日本だけがパスだけのサッカーにこだわっていましたね
ドリブルで突っかける場面でも突っかけない、あるいは、シュートのチャンスなのにシュートを打たないでパスで逃げる
日本のサッカーは日本閉鎖社会を物語っているように感じます

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