Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

6月22日 ICE の行き先は北ドイツ.....

2006-07-28 | FIFA World Cup
6月22日。朝の目覚めは午前7時少し前。外は曇天。前日の国際試合?のせいかすこし筋肉痛が。日課のジョギングは前日走ったスタジアムと反対方向に。5分も走らないうちにパブリックビューイングが。その規模は決して小さくはなかった。少しいくといかにも“共産党本部”と見られる様な建物があった。また Neues Gewandhaus や Grassimuseum 等も。前日は典型的な旧共産圏のアパート群を見ながらも走った。初めて海外に出張に出たポーランドを思い出した。あれから16年経った。旧共産国もこの間の激しい経済の遷り変りに考えられない様な貧富の差が出て来た。同じドイツ国内でも経済の地域差は拡がるばかりらしい。
ホテルに戻り、シャワーを浴びてチェックアウトを。そして中央駅に向かい、9時50分発の ICE に乗り込んだ。行き先は Dorutmund では無くHamburg。実は20日、 Hamburg のGさん宅に御世話になった時に“6月22日、ハンブルグで行われるイタリア対チェコの Category 1 のチケットが当たっているという通知がつい数日前に届けられたけど店が忙しいので離れられない。だから誰かに買って貰いたい。”と言っておられたのだ。私はそれまでは同日はドルトムントで行われる日本対ブラジル戦を見に行くつもりにしていた。チケットは競技場の近くで何とか入手しようと考えていた。Gさんも私がドルトムントに行くものと思っていた。そこで私は考えた。“日本がブラジルに2点差以上で勝つ確率。しかもチケットは未定。イタリア対チェコ戦、しかも消化試合で無く負ければ1次リーグ落ちの欧州列強のガチンコ勝負。どっちが魅力的か??”答は後者だった。Gさんには“そのチケット私が買います。譲ってください。”とお願いすると、二つ返事で了解してくれた。本当にこのワールドカップはGさん様々であった。それでも前日の21日、試合観戦後、中央駅をぶらぶらしていると“貴方は日本人ですか?明日の日本対ブラジルのチケットがあるけどペアーで EURO500 で買いませんか?”と声を掛けてくるイラン人が二組もあった。”300なら買うけど“と応えると”400まででどうだ?“と二組とも折れて来た。この時はハンブルグに戻るつもりにしていたのでそれ以上は取り合わなかったが、もし当初の予定通りにドルトムントに向うのならば間違いなく手を出していただろう。同じ駅構内に日本人の二人連れが3組いたのでそれぞれに”あのイラン人が明日の日本戦のチケットを売りに来たけど…“と教えてあげたけど、皆入手済みであった。そしてそれぞれの方々に丁寧にお礼を言われた。”明日奇跡が起これば良いですね。“とも。 ICE の車内は結構混んでいた。しかし1等車の車内の7割は Press Card をぶら下げた記者かジャーナリスト。あぁ羨望と垂涎のまなざしとオーラが自分から発せられる。自分も負けじと?パソコンを取り出しキーを叩く。発車後10分くらいすると近くの席にPress Card をぶら下げたご主人に奥方とかわいらしい小さな女の子が。ご主人の様相を見るとどうもイラン系の様だ。私の方から声を掛けた。 “ Excuse me ? イランの方ですか?…..” 1978年のワールドカップアルゼンチン大会で活躍した選手達、カブール=ヤハニ、ハッサン=ローシャン、エスカンダリアン、ダナいファル…彼らは今どうしているのですか?と、兼ねてから知りたかった質問をぶつけた。彼は非常に驚いていた。カーブール=ヤハニはアジア、オセアニア地区2次予選で得点王になった当時のエース、ストライカーだった。今もイランに在住するがサッカーと関る仕事はしてないとの事。だがもう一人のFW選手でワールドカップのペルー戦でゴールを決めたハッサン=ローシャンはイランサッカー協会のある職に着いており、エスカンダリアンはアメリカに住んでいてスポーツ用品店を経営しているらしい。エスカンダリアンはワールドカップではスコットランド戦でオウンゴールを献上してしまったが、大会後は New York Cosmos にスカウトされ、翌年は Cosmos の一員として来日している。ダナイファルもアメリカでスポーツビジネスに携わっているらしい。スコットランド戦ではダイナイファルの同点ゴールで強豪相手に勝点を上げた。だがワールドカップ翌年に起こったイスラム革命で王朝のみならずイランチームは四散してしまい、その後のイラン、イラク戦争で大変な打撃を受けた。そういった歴史的な事象が無ければイランはまだまだアジアの王者として君臨していたのではないか?そんな話をした。そしてイスラム革命後、アヤトラ=ホメイニ師と対立し罷免され、フランスに亡命した当時のバニサドル大統領の話もした。(未だ生きているのかな?)。このイラン人ジャーナリストはアメリカ在住で2月に日本代表がアメリカで試合をした時はジーコ監督にインタビューをしたらしい。アジアの中でも日本のサッカーは技術が高く、組織的でイランもそれを見習うべきだと語っていた。かつてはイランは守備の組織の高さで定評があったのだが。韓国の様な体力勝負のサッカーは欧州相手では通用しない、それどころかアジアでも限界がある。とも解説していた。それは1996年のアジアカップでイランが韓国を 6-2 と粉砕した事か?それとも今回のアジア予選でサウジアラビアに勝てなかった事なのか?はたまた近年のバーレーン、ヨルダン、レバノンの台頭を指摘しているのか?ただサウジアラビアに就いては”彼らはワールドカップで勝つことは重要ではない。ガルフ=カップで勝つ事を重きにおいている“と鋭い指摘。これからイランはもっと日本との対戦を増やすべきだとコメントしていた。最後”今日はドルトムントにブラジル戦を観に行かないのか?“と訊かれたので”ハンブルグでのイタリア対チェコ戦が手に入ったのでそちらを観戦する。それにブラジル相手では期待は出来ないので日本戦はテレビ観戦だ。“と応えた。すると”そんなことは無い。今の日本ならブラジルに勝つ事も不可能じゃない。フットボールは何が起こるか解らない。“と言ってくれた。そして列車がベルリン中央駅に到着すると家族と共に下車をしていった。”またいつかアジアの話をしたいね。“と言ってくれた。 ベルリンを出発すると半分以上の乗客が降りてしまった。社内を見回すと Press Card を下げていないのは私一人だった。  ハンブルグ中央駅に電車が着くと駅のホームにはクロアチアのレプリカを着たグループと2~3出くわした。彼らも私の日本代表レプリカを見て親指を立てる。私も” One and Zero Please !! “ と声を掛けた。意味解ってくれたかな? 中央駅からGさんの寿司ティクアウェィ店までは歩いても10分以内だ。その道中、多くのイタリア人達が陽気に街を歩いている。私の着ているレプリカも青色なので、彼ら、彼女達の多くは味方だと思ってか?陽気に“イッタリアァ~”と声を掛けてくる。Gさんのお店に着くと午後1時を少し回ったところだが、多くのビジネスマン、ウーマン達がランチを Sushi で楽しんでいる。“お昼まだでしょう?どうぞ。”と Sushi 定食を進めてくれた。近所にもう一軒レストランを開設する予定だが、なかなか役所の許可が降りなくて閉口してとの事。“本当はワールドカップ前に大々的にオープンにして日本の勝利を祝いたかったのだけど..” といっておられた。日本では何かと文句をつけて仕事をしない事を”お役所仕事“と言うが、ドイツではもう”お役所“どころではないらしい。役所の担当者個人の裁量で勝手にルールを作ったり、朝令暮改なんて日常茶飯事。それでいて残業などは1秒もしなくて休暇はしっかりとるらしい。そんな話をして、異国の地で Sushi Lunch を楽しんでいるとここで働く女性従業員のNさんがやって来た。今日はNさんと観戦する事になっていた。Nさんは音楽留学でハンブルグに渡ってきて、以来和食レストラン等でアルバイトを続け、数年前からGさんの店で働き出し、今や経理や仕入もこなす、ここではなくてはならない従業員になっている。それだけでなくGさん曰く”商売の成功は働いてくれる人次第ですよ“。と言われるとおり、ここの従業員の人達は本当によく働く。ワールドカップ期間中は日本代表のレプリカをユニフォームの様に着て働いておられたとか。それは私がタイで入手しアレンジアしたもの。でも皆さん大変に喜んでくれて、クロアチア戦ではパブリックビューイングにこのレプリカを着て応援に出掛けた人も。異国に居てこそ望郷の思いというよりも日本というアイデンティティが芽生えるのだろう。これを左翼連中は”軍国主義の始まり“とか”右傾化“と言うのだろう。格言う私も、今日は日本戦でない試合を楽しむのだが。ガーナ戦でも着たチェコのレプリカに着替えてNさんと競技場に向かうことに。街はイタリア人ばかりでなくチェコ人も目立ってきた。前回出場した時は連邦分裂前のチェコスロヴァキアの時代。まだまだこれだけ多くの人が国外には出られなかっただろう。 Nさんはサッカーはそれほど興味がないらしいが高原がHSVに加入以来、興味を少し持ち始めたとか。ドイツ語が堪能なNさんはニュースなどで報道される高原の評判や今回の代表の地元での評判を教えてくれた。 2年前のアテネ五輪前、HSVのサポーターは高原が五輪でプレーすることを楽しみにしていたらしい。そういえばこの頃オフィシャルファンショップで従業員の何人かは” タカハラ? オリンピッシュッ !! “ と言っていた。それだけに彼があんな形でアテネ五輪でプレー出来なかったのは残念な話だ。 大会後は Frankfurtへの移籍が決まってしまったが、在留邦人の方達は試合に出れてもそうでなくても彼を暖かく見守っていたと言う事が良くわかった。また今大会前のドイツ戦後の日本の評判はすごく良くてかつてドイツ代表選手で解説のギュンター=ネッツァーは褒めちぎっていたらしい。しかし大会期間中はやはり日本代表は日本国内で思われているほど話題には昇らなかった様だ。競技場に近づくにつれて両国のサポーターが増えてくる。最寄の駅ではチケットを求める人も多くいる。バスでスタジアムに到着すると更にその数は増える。ダフ屋に声を掛けると試合開始40分前だがカテゴリー1で Euro 400 と相場は高い。さすが1次リーグきっての好カードだ。日本人女の子3人連れがチケットを求めるプラカードを掲げている。自分の事を棚に上げて“日本戦は見ないのでしょうかね?”とNさんに話してしまう。 スタジアムに無事に入場し、席を探す。そして本当に驚き。何と私たちの席は1階席の前から2列目。しかも最前列は警備上の問題から着席をさせておらず、事実上我々が最前列。しかも目の前にはペナルティーエリアが広がっておりスリリングなゴールシーンが期待できる。本当にワールドカップ観戦最後にして最高の席をGさんがプレゼントしてくれた。またこの試合は対戦カードばかりではなくグループリーグ最終戦にして、尚4チーム全てに決勝トーナメント進出の可能性があるということ、私のすぐ後ろにはイタリアのレプリカを着た3人組が居る事、そして斜め後方には20名ばかりのチェコサポーター達が。私の着ていた NEDVED のレプリカを見て“ Hey !! ネドメェドォ~”と声を掛けてくる事がシンクロナイズして本当に“欧州サッカー”の雰囲気が醸し出されていた。但し私のネドベドレプリカは EURO2000 当時のもので背番号も4番だけど…. そしてスタメンの発表。イタリアはこの試合もインザーギはベンチスタートでデルピエロもベンチだ。一方のチェコは長身のコレルはやはり名前は無いが、バロシュがスタメンに戻ってきた。ネドベドが映し出されるとスタンド中のチェコのサポーターが大きな期待の歓声を送る。そしてやがて両国選手が入場してくる。 想像以上に選手が大きく見えた。私が長年見たかったと言うか、味わいたかったもう一つのワールドカップの雰囲気とはこんな感じだったのだろう……..


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2 コメント

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エスカンダリアン (鍼灸)
2006-07-31 23:45:17
エスカンダリアンは息子がアメリカ五輪代表のエースです。U17、U20、U23とすべてのユースカテゴリーで代表入りしていますが、なぜかフル代表には呼ばれていません(ブルース・アリーナに嫌われたか?)。監督交代&メンバーの若返りで今後招集される可能性が高いです。名前の通りアルメニア系です。アルメニア系はイラン革命後、弾圧を嫌って(キリスト教徒のため)欧米に出国した人が多いと聞いています。



http://soccernet.espn.go.com/players/stats?id=36500&cc=4716
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いつもありがとうございます (Mr.コンティ)
2006-08-01 21:07:24
鍼灸様 いつも情報ありがとうございます。エスカンダリアン Jr が米国五輪代表とは知りませんでした。2001年 FIFA U-20 アルゼンチン大会に米国代表で選ばれていますね。代表入りすれば日本に来る機会は無いでしょうか?1978年のイラン代表は圧倒的な強さでアジア、オセアニア地区予選を通過したので印象の強いチームでした。それだけにこのチームの選手達は今でも気になります。彼はアルメニア系ですか。何故コスモスにスカウトされたというよりも米国に渡ったかが解るような気がしました。 それからレバノンのアジアカップ棄権は残念です。8月31日のオーストラリア対レバノン、少し楽しみにしていたのですが.....
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