Mr.コンティのRising JAPAN

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浦和REDS精一杯の“惜敗”

2007-12-30 | Weblog

FIFA Club World Cup の準決勝戦の行われた12月13日はミラニスタ、イタリアサッカー関係者には極東の島国のクラブチームが例えアジア王者とは言えイタリアの偉大な AC Milan が負けるなど考える事もなかっただろう。しかし我々から見れば “日本サッカーの存在”を世界に知らしめる絶好のチャンスであった。もし万が一浦和 REDS が AC Milan を破ってくれたら……

今から16年前の4月。生まれて初めて訪れた海外(といっても会社の業務命令の出張だった。)はポーランドの見本市で有名な Poznan市。当時はワールドカップイタリア大会の1ヶ月半前。ホテルで初めて視た EURO SPORTS CHANNEL では連日ワールドカップの歴史や前年行われたワールドカップ予選の再放送をしていて“さすが本場欧州”と当時の“ワールドカップ”と言えばバレーボールと言われていた日本との違いを感じた。ある日上司や駐在所長らがカジノに出掛け、一人ホテルに居残った夜、欧州 Champions Cup の準決勝戦 AC Milan 対 Bayern Munchen のゲームがロビーの大型テレビに映し出され、その前に5~6人の人集りが出来ていたのを見つけた。イタリアやドイツそして地元ポーランドと言った欧州人ばかりでビールや水割り等アルコールを片手に談笑とテレビ観戦を楽しんでいた。そこに“アジア人”の私が入って行ったのだ。まだビジネス英語半人前だったが毎月(当時のサッカー専門誌は月刊誌ばかり)サッカー雑誌を隅々まで読んでいたのでサッカーの知識なら、と彼らの輪に加わった。ワールドカップの話や欧州のカップ戦等の話をして楽しい時間を過ごした。やがてAC Milan が1-2 で敗れたもののアウェーゴール数でバイエルンを降し決勝進出を決めた試合の中継も終わり、そろそろ宴も潮時と、お互いに握手をして別れたが、その際に一人のイタリア人が私にこう言った。

“日本人なのに随分サッカーに詳しいなぁ。日本にもサッカー選手がいるのかぃ?” 

彼に悪気が無いのはよく解っていたがはっきり言ってショックだった。1968年にメキシコ五輪で銅メダルを獲得した事や70年代から80年代中盤にかけて奥寺が Bundesliga で活躍した事…….なんてしらなかっただろうなぁ……..

それが当時の世界のサッカー界における日本の地位であった。こあれから時は過ぎ、日本代表はアジア王者、ワールドカップの出場を果たし、日本はワールドカップのホスト国にもなり着実に“日本サッカー”は前進を続けている。そしてこの AC Milan 戦は“日本サッカー”がどれだけ世界に近づいているかを測る絶好の機会でもあった。 70年代に来日した海外のクラブチームの中には羽田空港に到着しそのまま国立競技場に直行して試合を行うという条件下でも日本代表を破ったと言うチームがいくつかあった。しかし、AC Milan はこの大会の為に UEFA にChampions League の日程変更依頼をしてまで最初の試合の1週間も前から日本入りをした。時差対策も専門医と相談し来日前の11月30日から調整して来たらしい。これで日本の数少ないアドヴァンテージが一つ減った。

12月1日には Serie A で Juventus と 12月4日には UEFA Champions League で Celtic との試合を こなし、そのメンバー構成を見てもこの大会と言うよりの浦和戦に照準を絞って来たのが想像できた。 GKはCeltic 戦で起用された元オーストラリア代表GKカラッチのスタメンかとも思ったがジダ。アトランタ五輪の日本戦ではアウダイールと交錯して日本に決勝点を献上する原因を作ってくれた。この試合ではどうだろう? 4バックのDF陣は左サイドバックがJuventus 戦でも Celtic 戦でも起用されなかったヤンクロフスキ。CBは右がネスタで左がカラーゼ、右サイドバックはオッド。中盤は左がアンブロシーニ、真中がピルロ。右にはガットゥーゾ。2列目はセードルフにカカー。この5人は Juventus , Celtic 戦共にスタメンで起用された。ただ Juventus 戦ではカカーとジラルディーノが2トップでセードルフがトップ下だった。そしてジラルディーノのワントップ。 Celtic 戦でワントップに起用されたインザーギはベンチスタート。一方の浦和は三日前の Sepahan 戦と同じスタメンだった。

歴史的な試合はキックオフの直後から浦和が攻勢に出た。開始直後には長谷部と細貝が連続してサイドからクロスを上げる。 Milan の選手がボールを持つと周囲を素早く囲み込み前に出させない様にする。4分には阿部がミドルを放つ。6分にはネスタからジラルディーノへのパスを闘莉王がインターセプトし攻撃に転じようとするところを闘莉王の右足首を後方からネスタが反則タックルで止め、イエローが出される。7分には右サイドで長谷部からボールを受けた細貝が粘り再び長谷部に繋ぎシュートに持ち込む。その直後にはピルロからカカーへ渡ったところをネネが奪い取る。カカーだけがこの試合のブラジル人選手ではないんだぞと言う意地もあるのか? 8分には細貝からペナルティーエリア内のワシントンに渡るがトラップが少し大きくシュートは撃てなかった。10分にはカカーがドルブル突破を図るがネネと阿部がストップ。大歓声に後押しされた浦和が立ちあがりいいリズムで Milan と渡り合うが
15分を過ぎるとそれまでは様子見に徹していたのか Milan が主導権を握りだす。
23分にはカカーが中央からドリブルで上がり阿倍とネネを引き付け右から上がって来たセードルフが闘莉王がマークに入る前にシュートを放つがGK都築がキャッチ。26分には相馬がピルロへのファールでFKを与えヤンクロフスキが撃ったFKは都築の正面に。27分ネスタからボールを受けたカカーが左サイドをドルブル突破。闘莉王、細貝、啓太がマークに入るが逆サイドに走り込んだアンブロジーニに渡り、中のジラルディーノに折り返されるが足下に入りすぎてコントロール出来ずGK都築が掴む。 40分には左サイドをヤンクロフスキ、アンブロジーニのパス交換で突破され中のカカー、ジラルディーノの待つゴール前にクロスが入るがここは坪井がヘッドでクリアー。Milan はロング、ミドルのパスそしてダイレクトパスを多用し、そして両サイドが高い位置に張り出してくるので細貝、相馬が押し込まれてしまう。
そんな中でも奮闘したのが阿倍。何度もカカーと対等にボールを奪い合い、32分と37分にはカカーが阿倍にファールで止める。

            


そして細貝が前に出られないとなるや永井が右サイドに流れてそこにボールが出ると長谷部が上がって来る。41分には浦和に良い形が出来た。ワシントンが中盤からドリブルで右から左へ斜めに上がる。ガットゥーゾ、オッド、カラーゼの3人がマークに着くがそのままキープし長谷部に下げる。長谷部から右サイドに流れた永井にクロスを入れ永井が頭で落とした所を啓太がボレーで撃ったが弾道はそれほど勢いがなくGKジダの正面に。そしてロスタイム1分を経て前半を無失点で終えた。前半32分に出たボール支配率では Milan の63% に対し浦和は 37% であった。浦和としてはワシントンが前半最後の攻撃で起点になった様に何とか良い位置でワシントンにボールが入れば…と後半期待する。

しかしながら後半は立ち上がりから Milan が更なる攻勢にでる。 48分にはカカーが右サイドを突破し、一旦後方のガットゥーゾに下げそこから逆サイドのヤンクロフスキに渡りダイレクトで撃たれるがファーサイドを狙ったシュートは僅かにポストの左に外れてくれる。50分には波状攻撃が浦和ゴールを襲う。ガットゥーゾからボールを受けたヤンクロフスキがアンブロジーニとのワンツーで抜け中のジラルディーノが撃ったシュートは戻ったネネが何とかブロック。そのこぼれ球を拾ったヤンクロフスキが再び中に入れるがフリーのセードルフにはオフサイドのホイッスルが鳴る。中2日での試合に浦和イレブンの動きが徐々に鈍ってきたのかそれともMilan がさらにテンポアップして来たのか。後半は開始早々からヤンクロフスキが高い位置に張り出して来る。そして1対1では競り負け、クリアーボールを高い位置に出て来たDFラインが容易に拾う。
それでも55分、ボールが Milan ゴール前に進む。左サイドを相馬が突破し阿倍に繋ぐ。阿倍はセードルフ、ガットゥーズをドリブルで振り切りオッドの来る前にシュートを放つ。そのシュートはGKジダの正面に飛ぶがジダは一旦前に落す。しかし永井が詰める前にカラーゼがジダとの間に入る。まだまだ阿倍の突破力は威力が残っているか?その間に何とかチャンスをつかめぬものかと思う。しかしその直後からも Milan の攻勢が続く。56分にはピルロからボールを受けたアンブロジーニが入れたロブをセードルフが胸でワントラップして相馬がブロックに入る前に放ったショットはサイドネットに。58分には坪井がチェックに入る直前にカラーゼがアンブロジーニに渡し、更に中のジラルディーノに渡るもそこからのシュートは大きく外れる。アテネ五輪では日本相手にアクロバティックなゴールを決めるなど2ゴールを決めたジラルディーノは当時パルマに所属していた。アテネ五輪の日本戦にはピルロもオーバーエイジ枠でエントリーされ出場した。浦和では闘莉王、阿部、小野そして田中達也がイタリア戦に出場し阿倍はゴールも決めた。ジラルディーノはその後 AC Milan に移籍しワールドカップ予選では8試合に出場し2得点。試合出場数ではルカ・トニに並んでFW選手では最多タイだった。2006年のワールドカップでも決勝戦こそ出場出来なかったが5試合に出場し302分間プレーした。この数字もワールドカップでもFWではルカ・トニに次ぐ数字。出場時間で言えばデルピエロやインザーギよりも長かった。しかしこの試合では思う様なパフォーマンスを披露出来なかったか62分にインザーギと交替でベンチに下がった。相手のワントップに仕事をさせなかった事は浦和イレブンに勇気を与えたか、65分には啓太からボールを受けた闘莉王が前線の永井にドンピシャのロングパスを送る。永井が入れようとしたクロスはネスタがコーナーに逃げる。67分には啓太からボールを受けたワシントンがアンブロジーニ、カラーゼの前でミドルを放つがジダがキャッチ。まだゴールは遠いが何とか先制点の希望が少し出て来る。しかし67分にはカカーが右サイドをドリブルで坪井、永井を振り切り中へ切れ込みシュートを放つ。これは戻った坪井がカバーに入りゴールインを防ぐが、その直後の68分、今度はカカーが左サイドを突破し坪井、闘莉王がマークに入るがゴール前に入れられ、走り込んできたセードルフがそのままプッシュし遂に先制ゴールを割られてしまった。

          

セードルフにボールが入る前に先にゴール前にいたインザーギにネネと相馬がマークに入りセードルフがフリーになってしまった。勝つためには絶対に先制ゴールが欲しかったのだが、そうさせないのはさすがに世界の Milan だ。
劣勢の中先制ゴールを許した浦和に更に追い討ちをかける様に76分には闘莉王が太腿を痛めたらしく山田と交替を余儀なくされる。

             

この交替はオジェク監督には痛かっただろう。小野伸二の投入時機がこれで遠のいてしまった。阿部が左のDFに入りネネがCBにそして長谷部がボランチに入り山田がトップ下に入った。阿倍が後方に下がったのは痛かったが、山田が投入直後に魅せる。都築からのフィードを頭で永井に落しそのまま右サイドからワシントンにクロスが入るがその前にカラーゼがクリアー。その直後にも相馬からボールを受け、左サイドを突破し切れ込んでシュートに持ち込むがコーナーに。10月28日の名古屋戦以来1カ月以上試合から遠ざかっていた山田だったがなんとかこの大会に間に合った様だ。
80分に Milan ベンチはヤンクロフスキに替えてマルディーニが投入されるがこれは想定内か想定外か? 81分には平川が相馬に替って投入される。なんとか同点ゴールをと思うが今季の Milan は残り10分で失点したの試合は Serie A でのパレルモ戦と Champions League のベンフィカ戦とセルティック戦の3試合あるが…..
しかしクロスは上げられるのだがなかなかシュートにまで至らない。ロスタイムの3分も過ぎようとする93分、カカーのスルーパスをカットした坪井がそのままドルブルで持ち込み山田を経由し細貝に。中に入れたクロスをカラーゼがヘッドでクリアーするがそれを平川が拾い山田に繋いでまたも右サイドの細貝に送られたところで無情のホイッスルが吹かれた。

やや安堵の表情を浮かべたが Milan イレブンではあったが、やはり“勝って当たり前”といった表情。カカーは“先輩セレソン”に敬意を表してかワシントンとユニフォームを交換していた。一方の浦和イレブンは無念の表情が消えない。

          

しかし前半は浦和の守備が機能していた。これは個々の能力がある程度のレベルの達しているからで1対1でまったく話にならない程個人差に開きがあればいくら守備が組織化されても機能はしない。個人では阿倍がミラニスタ達に印象を残したのでは無いか?前半はカカーと対等に競り合うシーンも。

          

ポンテがいればなぁ~、小野が万全の状態だったら、達也の怪我がなければ……そう言う思いが消えない。最後はカカーの個人能力1発にやられた様な結果だったが、全体では埋められない差が随所に合った様だ。浦和が三日前に試合をしていると言うエクスキューズがあるもののもし Milan が2点を挙げる必要があれば2点を取っていたかもしれないし、それ以上の得点が必要だったらその通りになっていたかもしれない。 Milan 相手に一人で状況を打開出来る選手はワシントンだけ。やはり日本人には難しいか?と思うもカカーもブラジル人だったっけ…….

翌日の新聞には“惜敗”の文字が躍っていたがそれが精一杯の報道だろう。この試合で少しはイタリア人に日本にもジョカトーレがいる事を示せただろうか………
だがサッカーは世界中にある。今度はアフリカ王者にアジア、日本の存在を示す番だった…….



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2 コメント

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妥当な結果でしょう (Mr.コンティ)
2008-01-01 23:20:35
中東の太鼓様

コメント有難うございました。
古典的な言い方ですか”地力”では何枚も上手の相手、しかも浦和の方が短い試合間隔。”ホーム”とは言え相手は今年バイエルンミュンヘンでさえアウェーで破ったチーム。交通事故的なチャンスさえも与えてくれませんでした。
しかしこう言う”真剣勝負”が出来る様になった事が大きな前進でしょう。
イタリアにも野球チームがありますがそのチームが中日ドラゴンズに勝てるには何年掛かるか(私は巨人ファンだけど)と言うのと同じ感覚でしょう。
来年の FIFA Club World Cup でもアジア王者としてJリーグのチームがまたこう言う大会に出場することを願って止みません。

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真剣勝負を通じて・・・ (中東の太鼓)
2007-12-30 15:08:26
スコアだけで判断すれば"惜敗"のように見えるが
ミランにとっては1点で十分すぎる試合だったので
完勝だと思う。
ミランがボールを支配するとボールと人がちゃんと連動しボールを持ってない人の動きも組織だっていて、スペースにボールを供給してる為、とてもスピーディーで正に質の高い動きでした。
対照的に浦和は足元にパスを供給する事が多くパス回しも遅い為、守ってる方もパスコースが楽に予測が出来るのでプレスの網に次々と掛かってました。
サッカーは少ない得点で争われるのだから、ラグビーやバスケットに比べれば番狂わせが発生する確立が高いです。
だからこそ浦和は前半の序盤にもっと積極的に攻撃を仕掛けられなかったのが悔やまれると思う。
あともう少しセットプレーに工夫が欲しかったと思います。
相撲で例えれば横綱の回しこそ掴んだが悠々寄り切られた感じです。
今回の内容をしっかり精査し、何年掛かるか分からないが少しでも彼らに近づけるようにJリーグ全体で弛まぬ努力が必要です。
ただ私はこの内容に決して悲観はしてません。
今は大輪の花を咲かせる事は出来ないが、愛情と真心と不断の努力を持って接すれば自らの思い描いた色の花を咲かせる事は可能なはずです。
我々は決して焦ることなく長く温かい眼で見守る姿勢が必要です。


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