日本時間の19日に行われたWorld Baseball Classic の準決勝の日韓戦は日韓の実力差がそのまま出た結果と信じている。 朝鮮日報紙は敗戦を以下の様に分析する。
■投手陣の崩壊
この日の試合前までは、投手陣は韓国野球の柱だった。6試合のチーム防御率1.33、1ゲーム当たり平均2点も許さない鉄壁の守りを見せた。 その反面、打線は平均以下だった。この日の試合前まで、参加各国のなかでチーム打率10位(0.262)、平均得点も4.33でしかなく、平凡なレベルだった。言葉通り「守りの野球」でベスト4入りを果たしたのだ。 そこまで信じていたマウンドの崩壊は、ただちに敗戦につながった。 イ・スンヨプ、李鍾範(イ・ジョンボム)に依存し過ぎた打線は、結局ほころびを招いた。この日のスタメンのうち、イ・スンヨプ、 李鍾範(イ・ジョンボム)、趙寅成(チョ・インソン)を除く6人は、1割台の貧困な打率で大会を終えた。
2次リーグの日韓戦での韓国は日本の守備のほんのわずかな乱れをついて得たチャンスをものにした。韓国チームはショートの朴鎮万(パク・ジンマン)、ライトの李晋暎(イ・ジンヨン)らの攻守が目だった。この日も李晋暎は2回に小笠原の飛球を好捕。そして朴鎮万はイチローの第三打席目、センターに抜けるあたりをうまく回りこみ3打席連続安打を阻んだ。 守備を基準に代表選手を選んだコーチングスタッフの判断は正しかったのだ。良い守備は仲間の集中力を高める効果もある。 しかし準決勝では2点を先行されてから金炳賢の暴投から追加点を与えてしまった。 そして投手陣も先発徐在応は5回を日本の決定打不足から無失点に抑えたが2番手以降全炳斗以下が乱調。日本はこの試合、福留の代打2ラン、上原の7回3安打無失点と攻守の活躍が大いに目立ったが、私は勝敗のターニングポイントは福留の本塁打で均衡を破った直後の打者、小笠原への初球の死球と次打者里崎へのワイルドピッチと思う。これが追加点に繋がったが福留に打たれた後の3番手金炳賢は明らかに浮き足立っていた。本来ならここで脇腹を痛めて登板できなかった具成晟が投入されるべきか内野陣が集るなどして間を取るべきであった。ロッキーズ所属の金炳賢は2番手投手全炳斗が先頭打者の松中に二塁打を許した後を引き継いでの登板であったが、こういう場面での登板は苦手だったのか?この継投は2次リーグでの日韓戦と同じだが、2点差のままなら試合展開は違ったものになっていただろう。
■雨降るペトコパーク
試合の前に振った雨が、有利に働くかそれとも不利に働くかをめぐって、意見が拮抗していたが、結果は雨は日本の味方になった。日本の先発投手、上原の得意なフォークボールは、「水を得た魚」のようにくねくねと動いた。ペトコパーク中に満ちた湿度の高い空気のためだった。湿度の高い場合、投手の手にボールがよくフィットし、変化球投手には有利に働く。 打者たちが上原との勝負に粘りきれなかったのも惜しかった点。上原は韓国の打者たちの性急な攻撃のなかで、投球数を調整しながら7回までマウンドを守った。踊るように揺れ動くフォークボールを打ち崩せなかったなら、せめて粘り強さを発揮して踏ん張るべきだった。
この解説は的を得ているとはいえない。確かに上原が好投を見せるときはフォークが冴える。しかし、それはストレートの伸びがあるからこそだ。2次リーグの米国戦では7安打を喫したが、それはアメリカ打線が試合途中でフォークを見極め出したのとストレートの伸びが今一だったこと。それでも1失点に抑えたのはさすが上原だった。準決勝の上原はフォークよりもストレートの走りが目立った。それの2ストライクと追い込んでからの遊び球も少なかった。これは規定投球ルールのせいでもあるが、里崎の強気なテンポの良いリードも冴えた。
■兵役免除の早期発表
あまりにも早くシャンペンを抜いてしまった。17日の与党と政府の協議会で、WBC代表選手に対する兵役免除措置が決定されると、一部では懸念の声が強まった。「準決勝を前にして、選手たちの闘志に水を差すのではないか心配だ」という声だった。無用の心配だった。代表チームの選手たちは、この日もベストを尽くしたが「どうせなら大会が終わった後、決定した方がよかったのでは?」とのわずかな心残りがあるのもまた事実だ。
兵役の問題は徴兵制の無い我々には言及できない問題だ。韓国は今休戦中。一昨年多くの韓国の男優のみならず野球選手までが徴兵を逃れる為に身体検査に細工をしたりした。これが大いに社会問題になり、有名な男優ソン=スンホがその経緯を釈明し公式に謝罪。今兵役に服している。 兵役を終えたある親しい韓国人は兵役逃れを絶対許せないと語った。プロ野球選手は兵役問題が生じたのにサッカーは日韓ワールドカップベスト4の好成績を残したと比較されプロ野球界は少なからず悔しい思いをしたに違いない。それが今回の好成績にも繋がったのではないか?
だが韓国マスコミ界はこの大会から自国代表が退場してしまうことを受け入れられない様だ。下記の論調が朝鮮日報にあった。
アメリカが主導した今回のWBC。世にも珍しい試合方式のせいで韓国は最大の犠牲者となった。韓国は1次リーグ(アジアラウンド)で日本に3-2で勝った。ベスト8に入った2次リーグでもう一度戦って2-1で勝利した。韓国の2次リーグ成績は3勝。1組の1位として準決勝に進出。一方、日本は1勝2敗で脱落が予想されたが、2次リーグ最終日に米国がメキシコに敗れる波乱があり最小失点の原則によって漁利の利で準決勝に上がった。 ほとんどすべての国際大会では組を2つに分けて進行し、ベスト4が決まったらクロストーナメントで決勝に進む2チームを決める。しかし大会初めての年に無理に欲を出した米国は、同じ組のチーム同士を再び準決勝で戦わせる日程を採択した。2組の最強チーム、ドミニカ共和国に決勝戦まで会わなくて済むように、という意図以外に説明のしようがない。 その結果、韓国は準決勝で日本とまた戦うことになった。1つの大会で同じチームと三度も戦うという、失笑するしかないようなことになった。すでに二度勝った韓国だ。もう一度勝ってあたりまえ、負ければ脱落という滑稽なプレッシャーを抱えて三度目の対日本戦を行った代表チーム。
日本は韓国よりプロ野球の歴史が50年も長い。高校だけで約4700チームもある日本と、50前後しかない韓国では、基本的な資源からして相手にならない。だから客観的な戦力に優れた日本に二度連続で勝ったことさえも奇跡のような出来事だった。
前半の論評は正しいとは言えない。準決勝でキューバあるいはドミニカが相手なら勝てたとでも言いたいのであろうか? 今大会のこの方式は米国と敵対関係にあり、経済封鎖までかけられているキューバの存在が難しかったのだ。キューバを米国に上陸させる機会を可能な限り少なくする為に子の様なフォーマットになったのだ。
だが、後半は納得できる。日本はプロ野球の歴史も、高校野球の選手層も韓国とは比較にならないはずだった。従い、最初に連敗を喫すること自体、3度目の正直がある事自体、韓国の方が頑張ったといわざるを得ない。夏の全国高校野球選手権後、高校選抜チームが何度か韓国に親善試合に訪れた。しかし、日本選抜が韓国代表に勝てない時期があったことも。 今韓国の高校球児達の指導者に多くの元プロ選手が就いている。これは日本には無いことだ。1991年シーズンオフに宣銅烈ら韓国選抜チームが来日し日本選抜と試合を見てまだまだ野球ではとの思いがあった。しかしこの15年の進歩は想像以上で、今後も更に後ろから響く韓国の足音は大きくなるのではないか? 次に続く
■投手陣の崩壊
この日の試合前までは、投手陣は韓国野球の柱だった。6試合のチーム防御率1.33、1ゲーム当たり平均2点も許さない鉄壁の守りを見せた。 その反面、打線は平均以下だった。この日の試合前まで、参加各国のなかでチーム打率10位(0.262)、平均得点も4.33でしかなく、平凡なレベルだった。言葉通り「守りの野球」でベスト4入りを果たしたのだ。 そこまで信じていたマウンドの崩壊は、ただちに敗戦につながった。 イ・スンヨプ、李鍾範(イ・ジョンボム)に依存し過ぎた打線は、結局ほころびを招いた。この日のスタメンのうち、イ・スンヨプ、 李鍾範(イ・ジョンボム)、趙寅成(チョ・インソン)を除く6人は、1割台の貧困な打率で大会を終えた。
2次リーグの日韓戦での韓国は日本の守備のほんのわずかな乱れをついて得たチャンスをものにした。韓国チームはショートの朴鎮万(パク・ジンマン)、ライトの李晋暎(イ・ジンヨン)らの攻守が目だった。この日も李晋暎は2回に小笠原の飛球を好捕。そして朴鎮万はイチローの第三打席目、センターに抜けるあたりをうまく回りこみ3打席連続安打を阻んだ。 守備を基準に代表選手を選んだコーチングスタッフの判断は正しかったのだ。良い守備は仲間の集中力を高める効果もある。 しかし準決勝では2点を先行されてから金炳賢の暴投から追加点を与えてしまった。 そして投手陣も先発徐在応は5回を日本の決定打不足から無失点に抑えたが2番手以降全炳斗以下が乱調。日本はこの試合、福留の代打2ラン、上原の7回3安打無失点と攻守の活躍が大いに目立ったが、私は勝敗のターニングポイントは福留の本塁打で均衡を破った直後の打者、小笠原への初球の死球と次打者里崎へのワイルドピッチと思う。これが追加点に繋がったが福留に打たれた後の3番手金炳賢は明らかに浮き足立っていた。本来ならここで脇腹を痛めて登板できなかった具成晟が投入されるべきか内野陣が集るなどして間を取るべきであった。ロッキーズ所属の金炳賢は2番手投手全炳斗が先頭打者の松中に二塁打を許した後を引き継いでの登板であったが、こういう場面での登板は苦手だったのか?この継投は2次リーグでの日韓戦と同じだが、2点差のままなら試合展開は違ったものになっていただろう。
■雨降るペトコパーク
試合の前に振った雨が、有利に働くかそれとも不利に働くかをめぐって、意見が拮抗していたが、結果は雨は日本の味方になった。日本の先発投手、上原の得意なフォークボールは、「水を得た魚」のようにくねくねと動いた。ペトコパーク中に満ちた湿度の高い空気のためだった。湿度の高い場合、投手の手にボールがよくフィットし、変化球投手には有利に働く。 打者たちが上原との勝負に粘りきれなかったのも惜しかった点。上原は韓国の打者たちの性急な攻撃のなかで、投球数を調整しながら7回までマウンドを守った。踊るように揺れ動くフォークボールを打ち崩せなかったなら、せめて粘り強さを発揮して踏ん張るべきだった。
この解説は的を得ているとはいえない。確かに上原が好投を見せるときはフォークが冴える。しかし、それはストレートの伸びがあるからこそだ。2次リーグの米国戦では7安打を喫したが、それはアメリカ打線が試合途中でフォークを見極め出したのとストレートの伸びが今一だったこと。それでも1失点に抑えたのはさすが上原だった。準決勝の上原はフォークよりもストレートの走りが目立った。それの2ストライクと追い込んでからの遊び球も少なかった。これは規定投球ルールのせいでもあるが、里崎の強気なテンポの良いリードも冴えた。
■兵役免除の早期発表
あまりにも早くシャンペンを抜いてしまった。17日の与党と政府の協議会で、WBC代表選手に対する兵役免除措置が決定されると、一部では懸念の声が強まった。「準決勝を前にして、選手たちの闘志に水を差すのではないか心配だ」という声だった。無用の心配だった。代表チームの選手たちは、この日もベストを尽くしたが「どうせなら大会が終わった後、決定した方がよかったのでは?」とのわずかな心残りがあるのもまた事実だ。
兵役の問題は徴兵制の無い我々には言及できない問題だ。韓国は今休戦中。一昨年多くの韓国の男優のみならず野球選手までが徴兵を逃れる為に身体検査に細工をしたりした。これが大いに社会問題になり、有名な男優ソン=スンホがその経緯を釈明し公式に謝罪。今兵役に服している。 兵役を終えたある親しい韓国人は兵役逃れを絶対許せないと語った。プロ野球選手は兵役問題が生じたのにサッカーは日韓ワールドカップベスト4の好成績を残したと比較されプロ野球界は少なからず悔しい思いをしたに違いない。それが今回の好成績にも繋がったのではないか?
だが韓国マスコミ界はこの大会から自国代表が退場してしまうことを受け入れられない様だ。下記の論調が朝鮮日報にあった。
アメリカが主導した今回のWBC。世にも珍しい試合方式のせいで韓国は最大の犠牲者となった。韓国は1次リーグ(アジアラウンド)で日本に3-2で勝った。ベスト8に入った2次リーグでもう一度戦って2-1で勝利した。韓国の2次リーグ成績は3勝。1組の1位として準決勝に進出。一方、日本は1勝2敗で脱落が予想されたが、2次リーグ最終日に米国がメキシコに敗れる波乱があり最小失点の原則によって漁利の利で準決勝に上がった。 ほとんどすべての国際大会では組を2つに分けて進行し、ベスト4が決まったらクロストーナメントで決勝に進む2チームを決める。しかし大会初めての年に無理に欲を出した米国は、同じ組のチーム同士を再び準決勝で戦わせる日程を採択した。2組の最強チーム、ドミニカ共和国に決勝戦まで会わなくて済むように、という意図以外に説明のしようがない。 その結果、韓国は準決勝で日本とまた戦うことになった。1つの大会で同じチームと三度も戦うという、失笑するしかないようなことになった。すでに二度勝った韓国だ。もう一度勝ってあたりまえ、負ければ脱落という滑稽なプレッシャーを抱えて三度目の対日本戦を行った代表チーム。
日本は韓国よりプロ野球の歴史が50年も長い。高校だけで約4700チームもある日本と、50前後しかない韓国では、基本的な資源からして相手にならない。だから客観的な戦力に優れた日本に二度連続で勝ったことさえも奇跡のような出来事だった。
前半の論評は正しいとは言えない。準決勝でキューバあるいはドミニカが相手なら勝てたとでも言いたいのであろうか? 今大会のこの方式は米国と敵対関係にあり、経済封鎖までかけられているキューバの存在が難しかったのだ。キューバを米国に上陸させる機会を可能な限り少なくする為に子の様なフォーマットになったのだ。
だが、後半は納得できる。日本はプロ野球の歴史も、高校野球の選手層も韓国とは比較にならないはずだった。従い、最初に連敗を喫すること自体、3度目の正直がある事自体、韓国の方が頑張ったといわざるを得ない。夏の全国高校野球選手権後、高校選抜チームが何度か韓国に親善試合に訪れた。しかし、日本選抜が韓国代表に勝てない時期があったことも。 今韓国の高校球児達の指導者に多くの元プロ選手が就いている。これは日本には無いことだ。1991年シーズンオフに宣銅烈ら韓国選抜チームが来日し日本選抜と試合を見てまだまだ野球ではとの思いがあった。しかしこの15年の進歩は想像以上で、今後も更に後ろから響く韓国の足音は大きくなるのではないか? 次に続く
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