Mr.コンティのRising JAPAN

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京都西高校 いざ出陣

2006-03-26 | 京都西高校
23日に開幕した第78回選抜高校野球大会。いよいよ明日は愛する母校、京都西高校の登場である。相手は神奈川県代表の東海大相模高校。2004年の夏には同じ神奈川県代表の横浜高校にサヨナラ負けを喫しているだけに同じ神奈川県代表校に雪辱をして欲しいものだが、こちらも強豪だしなぁ。私が小学校2年の時の東海大相模は全国優勝を果たしているが、この時の決勝戦の相手はPL学園。後に東映フライヤーズ(後に日本ハム)に入団した新美投手を擁しての決勝進出であった。東海大相模はそれ以来優勝が無い。あの原辰徳を擁しても夏の大会はベスト8が最高。選抜では準優勝している。 さて京都西高校だが昨夏の快進撃を支えた北岡君(3年)-本田君(2年)の継投がこの春も戦い方の根幹となる。さらに昨秋の京都府大会では左腕の大野君(3年)が先発の柱として活躍し、投手陣は再武装されて甲子園に戻ってくる。チーム打率は出場32校中21位の3割1分6厘、本塁打はわずかに2本。しかし秋季大会では1試合平均5個の四死球を選んで出塁。チーム一の10打点をマークした吉田君(3年)や8打点の南本君(3年)ら中軸の勝負強い打撃しぶとく得点を奪う。京都府の秋季大会は昨夏の甲子園大会後のわずか4日後に始まったらしい。昨年は結構2年生がいたから新チーム作りには大丈夫であろう。  

私が入学した時は本当に甲子園が遠かった。野球部は毎日遅くまで練習に明け暮れていたが甲子園にいけるとは考えられなかった。しかし、前にも書いたが、野球部の顧問が“お前達が3年になった時が楽しみだ”といっていた通りになった。2年の時の秋季大会、京都府大会を勝ち抜き何と平安高校と共に近畿大会に進出したのだ。そして1回戦の相手はこれも近畿大会は初進出の大阪代表上宮高校。 試合の数日前に担任が“日曜日の近畿大会に応援バスを出すけど、応援に行こうと思ってい者は手ぇ挙げ。”と問うたところ、なんと挙手をしたのは私だけ。これには担任は怒った。“おまえらの同級生が頑張っているんやぞ。何で行こうとせんのや?日曜日やけど他に何の用事があと言うんや?あかんなぁ。バスが足らんから追加してくれ言うくらいになるのが普通とちゃうのか?”と言い放った。結局私のクラスからは20人近くが応援に出かけた。相手の上宮高校は恐らく全員が来ていたのではないかな?2倍くらいの生徒が来ていた。 試合は初回、先攻の西校がチャンスを掴むが得点にならなかった。その裏の上宮もチャンスを掴む、そして次打者の打った打球はサード正面のゴロ、これでチェンジだ、と思うも3塁手の直前でイレギュラーバウンドし、そのまま外野へ転がる。結局この回2点が入り、その後も追加点を許し5点を許す。やはり甲子園は遠いのか?と諦めかけた8回、突如西校の猛攻が始まり、一挙4点を返す。我々は総立ちで声援を送る、いつも学校で気軽に話す同級生がプロ野球選手に見えた。その裏に追加点を許すがそれでも最終回、更に大声で声援を送る、だが残念ながら点差は詰まらずセンバツの夢は消えた。試合終了後、3塁手(確か1学年下だったと思う)が泣いていた様だった。そして天気が崩れ出し帰宅したときは雨が降っていた。帰宅後は日本シリーズの、あの江夏の21球をテレビで観た。
そして夏、1,2年の時は共に府予選の1回戦で敗れたが、野球部でも無いのに甲子園の銀傘を夢見た。在校中にまさか母校を応援できるなんて、同じクラスの奴らが甲子園に立つのか?と期待した。京都府大会の3回戦であったか、東宇治高校と対戦する事に。この年は宇治市のいくつかの高校が力を持っていると教えてもらっていた記憶がある。しかし、負けるとは思わなかった。私は受験生らしく、夏期講習の帰りに予選のあった西京極球場に行った。この日もあまりいい天気ではなかった。 試合は西校が2点を先制した。しかし東宇治が1点を返しさらに二死ながらランナーが二人いた、そしてバッターの打球は外野を破った、その打者走者は2塁を廻って3塁を狙うがここは外野からの好返球、好中継でアウト、だがそれより1塁走者のホームインが早く、逆転されてしまった。しかし試合はまだ中盤、チャンスはあると思い声援を送ったが中々得点に繋がらない。終盤に逆にピンチを迎えた。その時マウンド上にいるエース投手に懸命に声援を送った。彼は同じクラスの奴だった。私と同じく走るのが速く、何度も競争をしたものだ。そのエースが踏ん張り追加点を許さない。そして最終回。雨が降ってきた、もうみんな総立ちだ。ブラスバンドの連中も椅子の上に立って楽器を奏でている。同点のランナーが出た。しかし、彼は生還しなかった。そして彼らの夏も終わった。3年間毎晩遅くまで練習をし、修学旅行にも行かずそして日曜日も試合や練習で遊べなかっただろう。私もクラブ活動をしていたが、彼らほど練習漬けでは無かった。帰りの阪急電車の中で数人の同級生と“惜しかったなぁ、残念だったなぁ、夏休みどないしてるんや?”等と話した。 だけど、負けはしたが彼らが羨ましかった。俺も応援される側になりたいと思った。進学希望だったので大学に入っても絶対スポーツはしようと思った。母校が甲子園に出られたのは4年後であった。そして私もあるスポーツ競技で全国レベルになった。 同級生の活躍は大いに刺激になった事は間違いない。 今の在校生達の中にも当時の私の様な思いをしたり、将来同じ思いをする子達も出て来るだろう。 スポーツは全てが積み重ねだ。 西校生よ これからもがんばれ !!! ( 文章は私の遠い記憶を頼って書いたものです。おそらく数箇所、記憶違いがあるかも知れませんがご勘弁下さい。)


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2 コメント

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懐かしく読ませてもらいました (野球部OB)
2006-06-15 17:24:16
西高VS東宇治と検索したらあなたのブログにたどりつきました。

僕は当時記録員でベンチ入りしてた野球部のOBです。つまりあなたと同級生ですね。今でも野球部とは縁あってたまに西山に練習試合いったりしています。

OB会は三原監督世代だけで古森監督(おなくなりになりました)世代は私だけです。

これからも頑張ってブログ続けてください。

楽しみに読ませていただきます。
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ネットの力はすごいわ (Mr.コンティ)
2006-06-16 23:46:39
野球部OB様 書き込みありがとうございました。恐らく私と1年の時に同じクラスでしたね。古森先生、亡くなられましたか。残念です。でも同級生が見てくれたなんて感激です。ショートのSさん?誰やったかなぁ?記憶を手繰り寄せましょう。これからもお互い頑張りましょう。また西校ネタを載せます。
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