Mr.コンティのRising JAPAN

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Just Like Starting Over

2005-12-09 | Half Time
12月8日。この日は何の日と訊かれて即答できる人達の世代は二つに分けられるかもしれない。1941年の同日(現地時間は7日)に日本軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争の幕開けとされた日。それから1980年の同日(日本時間は9日)元 Beatles のメンバー John=Lennon がDakota の郊外で Mark David Chapman と言う精神異常者の凶弾に倒れた日だ。当日 John は遺作となった久々の Album “ Double Fantasy “ の Recording の帰りであった。共に Studio から出て来た妻の Yoko は何かを食べて帰ろうと言ったが、John は当時5歳の息子 Sean が寝付く前に帰りたいと、そのまま帰途に着こうとした午後10時52分、M.D. Chapman に ” Mr.Lennon “ と声を掛けられ、振り向いたころを彼が撃ち放った5発の bullets に“I’m shot !!” と叫んで倒れた。その銃声を聞き付けた Doorman が飛んで来て時、そこに佇んでいた Chapman は銃を落としてそれを蹴り飛ばした。 Doormanが
”何をしたか解っているのか?“ との叫びに ”John=Lennon を撃ったんだ。“と応えたと言う。Chapman は Honolulu で就いていたガードマンの職を離れて New York にやって来て John を撃つ前に Yoko に”殺人予告“の電話を入れていたらしい。John が倒れ、Yoko達駆けつけた一団は、救急車を待たず Roosevelt 病院に駆け込んだが凶弾に倒れた15分後の午後11時7分、出血多量で帰らぬ人となった。病院に運ばれる間、医師の問いにはうなり声を上げたらしい。 Yoko は直ぐにはJohn の死は受け入れられず警察官に “ 彼は大丈夫だと言って”と取り乱しながら詰め寄ったとの事。また Chapman は現場から連行される前に持っていた“ライ麦畑で捕まえて”を捲っていたらしい。私はこのニュースは当時高校に登校中にあるサラリーマンの読んでいた朝刊で知った。私の年代の Disadvantage のひとつとして物心が付く前にメキシコ五輪でのサッカーの銅メダルと Beatles の全盛期が存在していたと言う事がある。あと4~5年早く生まれていればこの両方の歴史的事象は見られたはずだった。私が Beatles に興味を持ったのは解散後5年以上が経過した中学時代であった。Beatles が解散後でも、影響力はまだ大きく彼らのサウンドを聴いて衝撃を受けた中学生は多かった。日本代表のワールドカップ出場と言う夢は叶ったが、Beatles がいつの日か再結成をしてくれないか?と言う夢は実現しなかった。しかし私は当時どちらかと言えば Paul McCartney の方に興味があった。それはおそらく解散後の活動の違いがあると思う。Paul は Album “ Wings Over America “ のリリースに見られる通り、”コンサート活動“にもいそしんだか、彼の作品はヒットチャートの上位にランクされる事が多かく、知る限りでも Silly Love Song, May be I’m Amazed, Mull of Kintyre , With a little luck, 等が英国、米国( Billboard Magazine ) で1位になった。80年代以降は Michael=Jackson や Steavy = Wander らと Duoを組んだりとした。またソロ活動直後に発表した McCartney, RAM 等もよく好んで聴いた。一方の John=Lennon はヒット曲を作ると言うよりも、自分の芸術を磨くと言った気がしてならなかった。ソロ活動開始後 リリース された Number では Imagine と言う世界的に有名になった曲はあるが、それ以外のシングルタイトルを言える人は多くは無い。そして皮肉な事に遺作となった Double Fantasy が最も売れた Album であり、そこからシングルカットされた Just Like Starting Over が最初の Billboard 誌の1位となった。もし彼が凶弾に倒れなかったら?と言う人も少なくない。1998年にリリースされた Lennon Legend は130万枚売れたが今年10月に発売された “ Working Class Hero “ は18万枚の売り上げの後にチャートから消え、 Double Fantasy の前、1975年2月に発表された Rock “N” Roll の今年発売されたリバイバル版は32,000枚しか売れていない。だが1981年2月に Ringo Star との Collaboration 作品が決まっていたのでもしそれが発売されたらきっと売り上げは悪くなかったと思う。事実、彼の死を偲んで Beatlesの元メンバー3人が手掛けた All Those Years Ago ( George=Harrison が Vocal ) は全米、全英共に1位となった。 だが彼の価値は営業的な数字で計られるものでは決して無い。きっとBeatles 時代の晩年から自分の芸術に没頭をしたかったのだろう。その思いは Yoko=Ono との出会いによって拍車がかかったのではないか?彼を知る人々はその代わり振りを “ Before Yoko “ “ After Yoko “ と区別できると語った。今日 AFN のNews を通じて彼女のインタビューを聴いた。Beatles 世代の何割かは”Yoko の出現が Beatles の解散を早めた“と言う人もおれば ”いや Manager のBrian Epstein の謎の死だ“と言う人もいる。Beatles が全盛期であった1960年代の英国はどうだったのだろう?それは今でもたまに思う。もう彼らの様なグループは出てこないと断定出来るのは時代の違いから来るのかもしれない。最近は英国人でも “ Beatles は Classic ”と言う人も。私もそれだけ年輪を重ねたのかな?


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