北欧のノルウェーから空路フランクフルトに渡りDeutsche Bahn 御自慢の ICE で陸路を約4時間。
旧東ドイツ(もう誰も云わないか?)の Leipzig 入りしたのは夜の8時を過ぎていた。歳のせいか?列車の中で新聞や雑誌を読みふけり目を疲れさせたせいかチェックインを終えて部屋に入った途端にそのまま眠ってしまった。そして目が醒めたのは午前3時だった。 まだ時差は取れていなかった…
空腹は我慢できるが喉が渇いてたまらない。たまらずホテルの外に出るが Convenience Store なんかは無い。ガソリンスタンドでもあればと思うがそれもない。 仕方が無いので徒歩数分しか離れていない中央駅に向かう。
欧州の大都市の中央駅は24時間営業の“ショッピング街”となっているところが多く。ここ Leipzig もそうだ。
“ショッピング街”はまだ開店前だったが遠距離列車はもう発着しているのでそれらを利用する人の為にサンドイッチやコーヒーを販売しているスタンドが2,3有ったのでそこでコーラとミネラルウォーター1本ずつ買ってホテルに戻った……
そして再びベッドにもぐった…
Leipzig に来たのは5年振り。ワールドカップ観戦以来だった。あの時は1次リーグのイラン対アンゴラを観戦した。
ずいぶんとアンゴラのサポーター達が多く。試合のあった日の朝から太鼓や楽器を打ち鳴らし街中を歩きまわっていた。
そしてアンゴラの国旗を彩ったマフラーを配っていて私も1つもらった。
しかしドイツにはイラン系の移民も多く、スタジアムはイランサポーター達の歓声がやや多かった様に思えた。
試合は1対1の引分け。私の目当てであったイランの英雄アリ=ダエイは試合終盤何度かシュートチャンスはあったがゴールは割れなかった。 全盛時だったらどれか一つ入っていたんじゃないかなぁ…と思った。
試合後はスタジアムの前にある芝生の広場で世界各国のサポーター達が入り混じってサッカーの試合を行った。ワールドカップ観戦旅行のものすごく良い思い出の一つだった…..
あれから瞬く間に5年近くが過ぎて行った…..
あの大会で使われた競技場は12。そのうち旧東ドイツで開催された都市は Leipzig だけで、Bundesliga の1部チームのホームスタジアムでないのも Zentralstadion だけで大会後はスタジアムを後にしてホテルに戻る時、あの立派な競技場はこれからも有効に使われるのだろうか…と思った。
Mauerfall ( 東西統一 ) 前の東ドイツサッカーを調べてみると面白い。
私が知っていたのはモントリオール五輪でハンガリーを逆転で降し金メダルを勝ち取った事(この決勝戦は幸運にもテレビで見たなぁ…)と伝説化?している1974年ワールドカップ西ドイツ大会での1次リーグ最終戦で東ドイツが 1-0 で西ドイツを破った事。(この試合もDVDで見た。)あとは日本がボイコットしたモスクワ五輪の決勝戦でユーゴスラビアに 0-1 で敗れた事くらいだった。
戦後間もない1949年から東ドイツでは DDR-Oberliga と云う全国リーグ戦が既に創設されてカップ戦 Pokal と並行して行われていた。 1963年に今の Die Bundesliga が全国リーグとして統一される前の事だ。DDR-Oberliga では東ベルリンをホームとする Berliner FC Dynamoが強く 1978/79 シーズンから10季連続で優勝しているがおそらく共産党の息が強く掛かっていたのだろう…そして当時の東ドイツでは Dynamo クラブは五輪メダリストを多く育成するクラブとして潤沢な予算と設備が備わっていたので選手達もここで競技をする事が1つのステータスで有ったと思われる。
他には統一後も Bundesliga に所属した Dynamo Dresden ( 現在は 3 Budesliga ) 1950年代は SC Wismut Karl-Marx Stad が強く1970年代半ばまでは 1FC Magdeburg が強かった。
1974年ワールドカップ西ドイツ大会。東ドイツが唯一ワールドカップに出場した大会の代表チームでは DFの中心は FC Carl Zeiss Jena に所属する Bransch, Weise, そして攻撃陣は 1FC Magdeburg でプレーする Hoffman , Sparwasser が FC Carl Zeiss Jena でプレーする Vogel とともに構成されていた。
FC Carl Zeiss Jena所属の選手は他にも MF でレギュラーだった Irmscher を含め22人のメンバーの中に7人の選手が含まれていた。そして Jürgen Sparwasser は1次リーグ西ドイツ戦で決勝ゴールを決めた選手。大会後しばらく東ドイツスポーツ界では英雄だったが1988年西ドイツに亡命をした。壁が崩れる1年前だった。
この頃東ドイツのクラブチームは欧州のカップ戦でも好成績を挙げていた。
1973-74 の European Cup Winners Cup では Magdeburg は決勝まで進出し Rotterdam で開催された決勝戦でも Gianni Rivera, Romeo Benetti そして K.H. Schnellinger らを擁した AC Milan を2-0 で破り優勝を収めている。
このシーズンの東ドイツ勢は欧州でもその存在を知らしめており UEFA Cup でも FC Locomotive Leipzig が決勝まで進出した。( Tottenham に 1-2, 0-2 で敗れる。)そしてChampions Cup でも Dynamo Dresden が Capello らを擁する Juvenrus Turin を破り2回戦で Bayern München と対戦する。München Olimpic Stadion で行われた 1st Leg では Hansen のOwn Goal で Dresden が先制するとホームのBayern München が連続ゴールで逆転すれば Dresden も2ゴールを連続で挙げて再逆転。そしてBayern München は 71分 Franz Roth のゴールで追い付き最後は80分 Gerhard Müller のゴールで再々逆転勝利を挙げた。
しかし Dresden は 2週間後のホームゲームでは自信を持って Bayern München を迎える。試合は連続失点で Bayern München に2点のリードを許すも3連続ゴールで試合をひっくり返す。このままいけばBayern München 相手に歴史的な勝利を収めるところであったがリードを奪った直後に Müller に同点ゴールを許し準々決勝進出はならなかったがこの死闘は長く東西両ドイツの Football ファンの間で語られる事になったらしい。
Lepizig にあるワールドカップでも使われた立派な競技場 Zentralstadion は中央駅から徒歩でも15分程度で到着できる。この競技場はワールドカップ時は FC Sachsen Leipzig と云うチームのホームだったが今はRB Leipzigのホームスタジアムとなっている。数年前から清涼飲料水で著名な Red Bull がこのチームのスポンサーになり競技場も“命名権”を駆使して Red Bull Areana と名付けられている。
ここは 1956年10万人収容の欧州最大の競技場としてスタートしたがすぐに警備上の理由から入場規制がかかったりしたらしい。ワールドカップ予選や欧州選手権予選等東ドイツ代表の熱戦が繰り広げられたらしい。私が憶えているのは(観戦したわけじゃないけど) 1979年11月21日に行われた欧州選手権予選。オランダ、ポーランドと云った当時の列強と同組 ( 他にスイス、アイスランド ) になり激戦を繰り広げグループ最終戦 Leipzig で行われたオランダ戦に臨んだ。
前半 Streich, Schnuphase の連続ゴールで主導権を握るが前半終了間際にオランダ Thijssen のゴールで1点差に詰めると後半 Kiest のゴールで追い付き最後は ワールドカップ1974, 78 年大会を経験する Rune van de Kerkhof の逆転ゴールが決まりオランダが逆転勝利を収め本大会進出を決めた。
当時の欧州選手権予選の経過を英字新聞や専門紙で追い掛けていた。 日本のマスコミが誰もサッカーを振り向かない時代だった…
現在ここをホームにする RB Leipzig は Regionalliga Nord にいる。Regionalliga は長谷部 ( Wolfsburg )
香川 ( Dortmund ) 内田 ( Schalke 04 ) 岡崎 ( Stuttgart ) らのいる Bundesliga Ⅰ, 鄭大世の所属する Bochum が Budesliga Ⅱ、更にBudesliga Ⅲがありその下に文字通り地方( Regional ) リーグが北部 ( Nord ) 西部 ( West ) 南部 ( Süd ) の3つの地域に分かれて存在している。行ってみればBayern München ら世間で知られるチームが所属するリーグを1部リーグとすると RB Leipzig がいるのは4部リーグと言う事だ。
RB Leipzig の RB は Red Bull の略称かと思っていたが Rasen Ballsport の略称らしい。訊いてみたら会社名や商品名はチーム名には付けられないらしい。
RB Leizpig の前身はSSV Markranstädtと云う戦後間もなく設立された Leipzig のチームで 2009-10 に RB Leipzig となった。
Leipzig には他にも前身は1903年初代 Deutsche Meister に輝いた伝統のクラブチームVfb Leipzig ( 2年後も優勝を収めた ) というLoKomotive Leizpig と云うチームもあるがこちらは更に下の Oberliga Süd に属している。
この素晴らしい競技場の入場料金は€8.00 ワールドカップの時は€ 100.00 もチケット代がした。
ここは共産圏時代の多くの競技場がそうだったように掘り下げ式だった競技場をベースに再建築されたもので印象的なのは昔の木材製の長椅子が“モニュメント的に”残されている事だった。
対戦相手は何度か Bundesliga 1部にも所属し今は Budesliga Ⅱ部にいる Energie Cottbus の下部チーム Energie Cottbus Ⅱ。入場時に無料配布されていたパンフレットを見ると Regionalliga Nord では 10位であった。今シーズントップを走るのは Chemitzer FC で2位 Vfl Wolfsburg Ⅱ4勝点差 をつけていた。 RB Leipzig は間に Vfb Lübek を1チームはさみ首位 Chemitzer FC と13勝点差の4位につけていた。
しかし Regionalliga から 3 Liga に上がれるチームは各3地区の首位チームにみなのでシーズン残り5試合で RB Leipzig が首位に立てる可能性はほぼ無かった。それでも今シーズンから Regionalliga に上がれた事を考えれば上出来か? オーナーは10年で Budesliga の定着を目指しているらしい。
両チームのメンバーを見ると20歳前後の若い選手が多く何人か30歳以上のベテラン選手もいる。ベテラン選手はチームとして、プロ選手としての骨格、見本とすべき契約をしているのだろう。でもこのご時世選手が中心選手に育つとすぐに上のチームに行ってしまいチームとしてはなかなか強化が進まないのかなぁ.. でも若い選手を育成してビッグクラブに“売って”行かないとクラブ経営は成り立たないのかなぁ...と思った。
観客はばらばら。それでもチームのグッズを販売するスタンドもあり子供達がボールや帽子そしてシャツ等を買ってもらっていた。そして熱心に声援を送るサポーター達も。
私の注目は RB Leipzig の FW Daniel Frahn 。この試合の前までシーズン14得点はリーグ2番目だった・
試合は序盤アウェーの Cottbun がやや押し気味。13分には右のクロスから FW Marc Zimmermann がボレーを放ち GK Sven Neuhaus の ファインセーブを引き出す。Zimmermann はまだ21歳だが一時トップチームにも登録されていたらしい。
GK Neuhaus は33歳のベテラン。Ⅱ部にいた Augsburg でプレーしていた。Leipzig は中盤でボールが繋がらず前線の FW Frahn そして190cm の長身 Stefan Kutschke に直接ボールを入れた時の方がチャンスに繋がりそうであった。
それでも Cottbus の 21歳のCB Robert Zickert が184cm 19歳のクロアチア人 DF Christian Bubalovic が 191cm と長身でなかなか空中戦でタフな守備をする。 Regionalliga とはいえさすが欧州CB はこのくらいの上背が当たり前か? Leipzig のCB 2人 34歳の Thomas Kläaener 22 歳 Fabian Franke らは共に187cmだった。
優勢に試合を進めていた Cottbun は19分にも右サイド Fernand Lenk からのロングフィードを GK Neuhaus がファンブルしたとろを Zimmerman がシュートを放つがクロスバーの左に僅かに外れた。
20分を過ぎるとやや劣勢だった Leopzig はペースを握り出す。2トップの Kutschke と Frahn がポジションを替えながらロングボールを受け2列目の3選手がそのこぼれ球を拾いにラインを上げる。特にブラジル人 MF 26歳の Thiago Rockenbach Da Silva がボールを持つとCottbus DF陣はなかなかボールを奪えない。Rockenbach は昨シーズンまでⅡ部の Fortuna Düsseldorf でプレーしていた。ここでもブラジル人選手は存在感があるなぁ...と思った。
35分クロスボールが Cottbus ゴール前に上がると Frahn が胸でトラップ。そして落としたところをKutschke がシュートを放ちそのまま Cottbus ゴールに突き刺さり、ホームチームの先制ゴールが生まれた。
Cottbus DF陣とすれば 194cm の Kustschke に注意が引かれたか....
その2分後 Leipzig に追加点が生まれる。右SB Sebastian Albert のクロスを Fhahn がヘッドで合わせ今シーズンの15得点目を決めた。 Albert がクロスを上げる前にドリブルで突破して来たのは Rockenbach だった。
後半開始早々にも Leipzig は GK Rene Renno が前に出たとことろを Kutschke がループ気味に Ranno の後ろに落としリードを3ゴール差に広げた。 186cm の GK Renno はかつて Bundesliga の Bochum に所属していた33歳のベテランGKだった。
ホームの Leipzig が3点差をつけたことでこの試合の興味が薄れつつあった。 Cottbus の攻撃は殆どが左サイドからばかりで 21歳の 左MF Nils Miatke にボールが収まった時にだけ何かが感じさせられるだけだった。しかし59分にはその左サイドの崩しから最後は22歳の MF Andy Hebler のヘッドが決まって Cottbus が1点を還した。今シーズン5ゴール目だった。Miatke はこの直後にも素晴らしいドリブルシュートを見せた。
67分 Cottbus はまたも Miatke がドリブルで上がりゴール前の Zimmermannに送ると Albert がストップするがそのタックルがファールに取られPKを献上してしまった。 そのPKは Zimmermann が蹴り一旦は GK Neuhaus が止めるが詰めた 21歳のオーストリア人 MF Markus Obernosterer が押し込み1点差に詰め寄った。
向こう正面の数少ない Cottbus サポーター達の歓声がここまで聞こえて来た。
リードを詰められた Leipzig ベンチは73分2トップの2人を一気に替えて 21歳の Carsten Kammlott と33歳のベテラン FW Nico Frommet を投入する。そして75分今度は Leipzig がPKを貰い追加点のチャンスを掴むが ベテラン GK Rennno がストップ。後方の Cottbus サポーター達が狂喜乱舞する様子が印象的だった。Frahn か Kutschke のどちらかが残っていれば...と思った。
そして今度は Cottbus ベンチがFW2人を下げて 19歳の MF Kai Reuer と 20歳の Severin Mihm を投入する。そして 長身CB Zickert をトップに入れ Reuer と2トップを組み Mihm は2列目右に入った。
そうすると追うものの有利が俄然 Cottbus が攻勢に出る。 投入直後に Reuer がカウンターからドリブルで左サイドを突破しクロスを上げ Zickert がフリーでヘッドを放つがゴール枠を外してしまった。
Leipzig は88分 27歳の Tom Geißlerに替って31歳ベテランの Daniel Rosin が投入される。 Leipzig はリードしているのだからボールキープの出来る Rockenbach に集めれば良いのにと思うが何故か “4点目”を目指して攻撃に転じようとする。裏を取られたら危ないのになぁ...と思うと90分スローインから Zickert がシュートを放つがポストの右に外れてしまった....
そして91分15秒。 試合終了のホイッスルが鳴った。ホームの Leizpig が何とか逃げ切った試合だった。
試合が終わってトラムの停留所に向かう。途中で思い出の広場が。ワールドカップの試合観戦後ここでサッカーをしたなぁ... この歳でサッカーの“国際試合”が出来るなんて...とものすごく良い思い出の詰まった芝生の広場だ...
この広場も共産圏時代の名残だ。 中央駅前は今巨大ショッピングモールの建設中だ。共産圏時代の匂いがどんどん薄くなっていくみたいだけどそれも時代の流れなのか....
いつの日かこの立派な Red Bull Stadion ( Leipzig Zentralstadion ) が Budesliga の試合で一杯になる日が来るだろう......
旧東ドイツ(もう誰も云わないか?)の Leipzig 入りしたのは夜の8時を過ぎていた。歳のせいか?列車の中で新聞や雑誌を読みふけり目を疲れさせたせいかチェックインを終えて部屋に入った途端にそのまま眠ってしまった。そして目が醒めたのは午前3時だった。 まだ時差は取れていなかった…
空腹は我慢できるが喉が渇いてたまらない。たまらずホテルの外に出るが Convenience Store なんかは無い。ガソリンスタンドでもあればと思うがそれもない。 仕方が無いので徒歩数分しか離れていない中央駅に向かう。
欧州の大都市の中央駅は24時間営業の“ショッピング街”となっているところが多く。ここ Leipzig もそうだ。
“ショッピング街”はまだ開店前だったが遠距離列車はもう発着しているのでそれらを利用する人の為にサンドイッチやコーヒーを販売しているスタンドが2,3有ったのでそこでコーラとミネラルウォーター1本ずつ買ってホテルに戻った……
そして再びベッドにもぐった…
Leipzig に来たのは5年振り。ワールドカップ観戦以来だった。あの時は1次リーグのイラン対アンゴラを観戦した。
ずいぶんとアンゴラのサポーター達が多く。試合のあった日の朝から太鼓や楽器を打ち鳴らし街中を歩きまわっていた。
そしてアンゴラの国旗を彩ったマフラーを配っていて私も1つもらった。
しかしドイツにはイラン系の移民も多く、スタジアムはイランサポーター達の歓声がやや多かった様に思えた。
試合は1対1の引分け。私の目当てであったイランの英雄アリ=ダエイは試合終盤何度かシュートチャンスはあったがゴールは割れなかった。 全盛時だったらどれか一つ入っていたんじゃないかなぁ…と思った。
試合後はスタジアムの前にある芝生の広場で世界各国のサポーター達が入り混じってサッカーの試合を行った。ワールドカップ観戦旅行のものすごく良い思い出の一つだった…..
あれから瞬く間に5年近くが過ぎて行った…..
あの大会で使われた競技場は12。そのうち旧東ドイツで開催された都市は Leipzig だけで、Bundesliga の1部チームのホームスタジアムでないのも Zentralstadion だけで大会後はスタジアムを後にしてホテルに戻る時、あの立派な競技場はこれからも有効に使われるのだろうか…と思った。
Mauerfall ( 東西統一 ) 前の東ドイツサッカーを調べてみると面白い。
私が知っていたのはモントリオール五輪でハンガリーを逆転で降し金メダルを勝ち取った事(この決勝戦は幸運にもテレビで見たなぁ…)と伝説化?している1974年ワールドカップ西ドイツ大会での1次リーグ最終戦で東ドイツが 1-0 で西ドイツを破った事。(この試合もDVDで見た。)あとは日本がボイコットしたモスクワ五輪の決勝戦でユーゴスラビアに 0-1 で敗れた事くらいだった。
戦後間もない1949年から東ドイツでは DDR-Oberliga と云う全国リーグ戦が既に創設されてカップ戦 Pokal と並行して行われていた。 1963年に今の Die Bundesliga が全国リーグとして統一される前の事だ。DDR-Oberliga では東ベルリンをホームとする Berliner FC Dynamoが強く 1978/79 シーズンから10季連続で優勝しているがおそらく共産党の息が強く掛かっていたのだろう…そして当時の東ドイツでは Dynamo クラブは五輪メダリストを多く育成するクラブとして潤沢な予算と設備が備わっていたので選手達もここで競技をする事が1つのステータスで有ったと思われる。
他には統一後も Bundesliga に所属した Dynamo Dresden ( 現在は 3 Budesliga ) 1950年代は SC Wismut Karl-Marx Stad が強く1970年代半ばまでは 1FC Magdeburg が強かった。
1974年ワールドカップ西ドイツ大会。東ドイツが唯一ワールドカップに出場した大会の代表チームでは DFの中心は FC Carl Zeiss Jena に所属する Bransch, Weise, そして攻撃陣は 1FC Magdeburg でプレーする Hoffman , Sparwasser が FC Carl Zeiss Jena でプレーする Vogel とともに構成されていた。
FC Carl Zeiss Jena所属の選手は他にも MF でレギュラーだった Irmscher を含め22人のメンバーの中に7人の選手が含まれていた。そして Jürgen Sparwasser は1次リーグ西ドイツ戦で決勝ゴールを決めた選手。大会後しばらく東ドイツスポーツ界では英雄だったが1988年西ドイツに亡命をした。壁が崩れる1年前だった。
この頃東ドイツのクラブチームは欧州のカップ戦でも好成績を挙げていた。
1973-74 の European Cup Winners Cup では Magdeburg は決勝まで進出し Rotterdam で開催された決勝戦でも Gianni Rivera, Romeo Benetti そして K.H. Schnellinger らを擁した AC Milan を2-0 で破り優勝を収めている。
このシーズンの東ドイツ勢は欧州でもその存在を知らしめており UEFA Cup でも FC Locomotive Leipzig が決勝まで進出した。( Tottenham に 1-2, 0-2 で敗れる。)そしてChampions Cup でも Dynamo Dresden が Capello らを擁する Juvenrus Turin を破り2回戦で Bayern München と対戦する。München Olimpic Stadion で行われた 1st Leg では Hansen のOwn Goal で Dresden が先制するとホームのBayern München が連続ゴールで逆転すれば Dresden も2ゴールを連続で挙げて再逆転。そしてBayern München は 71分 Franz Roth のゴールで追い付き最後は80分 Gerhard Müller のゴールで再々逆転勝利を挙げた。
しかし Dresden は 2週間後のホームゲームでは自信を持って Bayern München を迎える。試合は連続失点で Bayern München に2点のリードを許すも3連続ゴールで試合をひっくり返す。このままいけばBayern München 相手に歴史的な勝利を収めるところであったがリードを奪った直後に Müller に同点ゴールを許し準々決勝進出はならなかったがこの死闘は長く東西両ドイツの Football ファンの間で語られる事になったらしい。
Lepizig にあるワールドカップでも使われた立派な競技場 Zentralstadion は中央駅から徒歩でも15分程度で到着できる。この競技場はワールドカップ時は FC Sachsen Leipzig と云うチームのホームだったが今はRB Leipzigのホームスタジアムとなっている。数年前から清涼飲料水で著名な Red Bull がこのチームのスポンサーになり競技場も“命名権”を駆使して Red Bull Areana と名付けられている。
ここは 1956年10万人収容の欧州最大の競技場としてスタートしたがすぐに警備上の理由から入場規制がかかったりしたらしい。ワールドカップ予選や欧州選手権予選等東ドイツ代表の熱戦が繰り広げられたらしい。私が憶えているのは(観戦したわけじゃないけど) 1979年11月21日に行われた欧州選手権予選。オランダ、ポーランドと云った当時の列強と同組 ( 他にスイス、アイスランド ) になり激戦を繰り広げグループ最終戦 Leipzig で行われたオランダ戦に臨んだ。
前半 Streich, Schnuphase の連続ゴールで主導権を握るが前半終了間際にオランダ Thijssen のゴールで1点差に詰めると後半 Kiest のゴールで追い付き最後は ワールドカップ1974, 78 年大会を経験する Rune van de Kerkhof の逆転ゴールが決まりオランダが逆転勝利を収め本大会進出を決めた。
当時の欧州選手権予選の経過を英字新聞や専門紙で追い掛けていた。 日本のマスコミが誰もサッカーを振り向かない時代だった…
現在ここをホームにする RB Leipzig は Regionalliga Nord にいる。Regionalliga は長谷部 ( Wolfsburg )
香川 ( Dortmund ) 内田 ( Schalke 04 ) 岡崎 ( Stuttgart ) らのいる Bundesliga Ⅰ, 鄭大世の所属する Bochum が Budesliga Ⅱ、更にBudesliga Ⅲがありその下に文字通り地方( Regional ) リーグが北部 ( Nord ) 西部 ( West ) 南部 ( Süd ) の3つの地域に分かれて存在している。行ってみればBayern München ら世間で知られるチームが所属するリーグを1部リーグとすると RB Leipzig がいるのは4部リーグと言う事だ。
RB Leipzig の RB は Red Bull の略称かと思っていたが Rasen Ballsport の略称らしい。訊いてみたら会社名や商品名はチーム名には付けられないらしい。
RB Leizpig の前身はSSV Markranstädtと云う戦後間もなく設立された Leipzig のチームで 2009-10 に RB Leipzig となった。
Leipzig には他にも前身は1903年初代 Deutsche Meister に輝いた伝統のクラブチームVfb Leipzig ( 2年後も優勝を収めた ) というLoKomotive Leizpig と云うチームもあるがこちらは更に下の Oberliga Süd に属している。
この素晴らしい競技場の入場料金は€8.00 ワールドカップの時は€ 100.00 もチケット代がした。
ここは共産圏時代の多くの競技場がそうだったように掘り下げ式だった競技場をベースに再建築されたもので印象的なのは昔の木材製の長椅子が“モニュメント的に”残されている事だった。
対戦相手は何度か Bundesliga 1部にも所属し今は Budesliga Ⅱ部にいる Energie Cottbus の下部チーム Energie Cottbus Ⅱ。入場時に無料配布されていたパンフレットを見ると Regionalliga Nord では 10位であった。今シーズントップを走るのは Chemitzer FC で2位 Vfl Wolfsburg Ⅱ4勝点差 をつけていた。 RB Leipzig は間に Vfb Lübek を1チームはさみ首位 Chemitzer FC と13勝点差の4位につけていた。
しかし Regionalliga から 3 Liga に上がれるチームは各3地区の首位チームにみなのでシーズン残り5試合で RB Leipzig が首位に立てる可能性はほぼ無かった。それでも今シーズンから Regionalliga に上がれた事を考えれば上出来か? オーナーは10年で Budesliga の定着を目指しているらしい。
両チームのメンバーを見ると20歳前後の若い選手が多く何人か30歳以上のベテラン選手もいる。ベテラン選手はチームとして、プロ選手としての骨格、見本とすべき契約をしているのだろう。でもこのご時世選手が中心選手に育つとすぐに上のチームに行ってしまいチームとしてはなかなか強化が進まないのかなぁ.. でも若い選手を育成してビッグクラブに“売って”行かないとクラブ経営は成り立たないのかなぁ...と思った。
観客はばらばら。それでもチームのグッズを販売するスタンドもあり子供達がボールや帽子そしてシャツ等を買ってもらっていた。そして熱心に声援を送るサポーター達も。
私の注目は RB Leipzig の FW Daniel Frahn 。この試合の前までシーズン14得点はリーグ2番目だった・
試合は序盤アウェーの Cottbun がやや押し気味。13分には右のクロスから FW Marc Zimmermann がボレーを放ち GK Sven Neuhaus の ファインセーブを引き出す。Zimmermann はまだ21歳だが一時トップチームにも登録されていたらしい。
GK Neuhaus は33歳のベテラン。Ⅱ部にいた Augsburg でプレーしていた。Leipzig は中盤でボールが繋がらず前線の FW Frahn そして190cm の長身 Stefan Kutschke に直接ボールを入れた時の方がチャンスに繋がりそうであった。
それでも Cottbus の 21歳のCB Robert Zickert が184cm 19歳のクロアチア人 DF Christian Bubalovic が 191cm と長身でなかなか空中戦でタフな守備をする。 Regionalliga とはいえさすが欧州CB はこのくらいの上背が当たり前か? Leipzig のCB 2人 34歳の Thomas Kläaener 22 歳 Fabian Franke らは共に187cmだった。
優勢に試合を進めていた Cottbun は19分にも右サイド Fernand Lenk からのロングフィードを GK Neuhaus がファンブルしたとろを Zimmerman がシュートを放つがクロスバーの左に僅かに外れた。
20分を過ぎるとやや劣勢だった Leopzig はペースを握り出す。2トップの Kutschke と Frahn がポジションを替えながらロングボールを受け2列目の3選手がそのこぼれ球を拾いにラインを上げる。特にブラジル人 MF 26歳の Thiago Rockenbach Da Silva がボールを持つとCottbus DF陣はなかなかボールを奪えない。Rockenbach は昨シーズンまでⅡ部の Fortuna Düsseldorf でプレーしていた。ここでもブラジル人選手は存在感があるなぁ...と思った。
35分クロスボールが Cottbus ゴール前に上がると Frahn が胸でトラップ。そして落としたところをKutschke がシュートを放ちそのまま Cottbus ゴールに突き刺さり、ホームチームの先制ゴールが生まれた。
Cottbus DF陣とすれば 194cm の Kustschke に注意が引かれたか....
その2分後 Leipzig に追加点が生まれる。右SB Sebastian Albert のクロスを Fhahn がヘッドで合わせ今シーズンの15得点目を決めた。 Albert がクロスを上げる前にドリブルで突破して来たのは Rockenbach だった。
後半開始早々にも Leipzig は GK Rene Renno が前に出たとことろを Kutschke がループ気味に Ranno の後ろに落としリードを3ゴール差に広げた。 186cm の GK Renno はかつて Bundesliga の Bochum に所属していた33歳のベテランGKだった。
ホームの Leipzig が3点差をつけたことでこの試合の興味が薄れつつあった。 Cottbus の攻撃は殆どが左サイドからばかりで 21歳の 左MF Nils Miatke にボールが収まった時にだけ何かが感じさせられるだけだった。しかし59分にはその左サイドの崩しから最後は22歳の MF Andy Hebler のヘッドが決まって Cottbus が1点を還した。今シーズン5ゴール目だった。Miatke はこの直後にも素晴らしいドリブルシュートを見せた。
67分 Cottbus はまたも Miatke がドリブルで上がりゴール前の Zimmermannに送ると Albert がストップするがそのタックルがファールに取られPKを献上してしまった。 そのPKは Zimmermann が蹴り一旦は GK Neuhaus が止めるが詰めた 21歳のオーストリア人 MF Markus Obernosterer が押し込み1点差に詰め寄った。
向こう正面の数少ない Cottbus サポーター達の歓声がここまで聞こえて来た。
リードを詰められた Leipzig ベンチは73分2トップの2人を一気に替えて 21歳の Carsten Kammlott と33歳のベテラン FW Nico Frommet を投入する。そして75分今度は Leipzig がPKを貰い追加点のチャンスを掴むが ベテラン GK Rennno がストップ。後方の Cottbus サポーター達が狂喜乱舞する様子が印象的だった。Frahn か Kutschke のどちらかが残っていれば...と思った。
そして今度は Cottbus ベンチがFW2人を下げて 19歳の MF Kai Reuer と 20歳の Severin Mihm を投入する。そして 長身CB Zickert をトップに入れ Reuer と2トップを組み Mihm は2列目右に入った。
そうすると追うものの有利が俄然 Cottbus が攻勢に出る。 投入直後に Reuer がカウンターからドリブルで左サイドを突破しクロスを上げ Zickert がフリーでヘッドを放つがゴール枠を外してしまった。
Leipzig は88分 27歳の Tom Geißlerに替って31歳ベテランの Daniel Rosin が投入される。 Leipzig はリードしているのだからボールキープの出来る Rockenbach に集めれば良いのにと思うが何故か “4点目”を目指して攻撃に転じようとする。裏を取られたら危ないのになぁ...と思うと90分スローインから Zickert がシュートを放つがポストの右に外れてしまった....
そして91分15秒。 試合終了のホイッスルが鳴った。ホームの Leizpig が何とか逃げ切った試合だった。
試合が終わってトラムの停留所に向かう。途中で思い出の広場が。ワールドカップの試合観戦後ここでサッカーをしたなぁ... この歳でサッカーの“国際試合”が出来るなんて...とものすごく良い思い出の詰まった芝生の広場だ...
この広場も共産圏時代の名残だ。 中央駅前は今巨大ショッピングモールの建設中だ。共産圏時代の匂いがどんどん薄くなっていくみたいだけどそれも時代の流れなのか....
いつの日かこの立派な Red Bull Stadion ( Leipzig Zentralstadion ) が Budesliga の試合で一杯になる日が来るだろう......
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