Mr.コンティのRising JAPAN

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AFC ユース大会 好調東アジア勢

2006-11-05 | 五輪 U-20, U-17
ASEAN 勢は殲滅されたが、日本を始め東アジア勢は全てベスト8に進出を果たした。準々決勝の組み合わせは日本対サウジアラビア、韓国対オーストラリア、北朝鮮対イラク、そして中国はヨルダンと対戦し勝った方が来年カナダで開催される FIFA U-20 大会への出場権が与えられる。1970年代末、イランが台頭して以来アジアの勢力図は中近東諸国が優勢を占めるようになり1984年ロス五輪ではアジアからの代表3カ国はカタール、サウジアラビア、イラクと中近東勢で占められてしまった。その後韓国がアジアの盟主として君臨するようになったが勢力図では中東勢に対抗できたのは東南アジアを含めても韓国だけであった。それが1990年代に入り日本がJリーグの旗揚げをきっかけにアジアのトップクラスに躍り出た事から東アジア勢が中東勢と対抗出来る様になった。そして今大会の準々決勝の結果は今の勢力図を測ることが出来る一つの定規になるかもしれない。そんな中、日本と同居するグループCではイランが北朝鮮に破れ一次リーグを突破できなかったのは中東勢に取っては痛手であろう。 北朝鮮は日本に破れたあと中1日おいて初戦のタジキスタンを 3-1 で破ったイランと対戦。この強豪を 5-0 と粉砕してしまう。北朝鮮は日本戦のスタメンからメンバーを2人替えて来た。FWのパク・チョルミンとDFのイ・ヨンチョルを起用した。一方のイランはタジキスタン戦と同じメンバー。試合は立ち上りから北朝鮮の速攻が冴える。2分には左サイドを駆け上がった主将のキム・クムィルが入れたクロスをイ・ヨンチョルが頭で合わせて難なく先制。10分にも再びキム・クムィルがイランがジョン・チョルミンとの間にいたイランDF3人の間を“糸を通すような”スルーパスを入れそのままイランゴール右隅に蹴り込んで追加点。イランDF陣は北朝鮮のプレッシャーの前に最終ラインに6人、7人と選手が釘付け、その上このピッチコンディションではバウンドもままならずイランGKハギギ-を悩ました。17分にはモエウダッド・プーラーディーがグラウンダーのシュートを放つがポスト右に僅かにそれる。25分、今度はジョン・チョルミンがチャンスを演出しキム・クムィルが3点目を。ブラジル人のオリデイラ,イラン代表監督は34分に早くもアリ・アミルに替えてサマン・アガ・ザマニィを入れて中盤を厚くするが、後半に入っても北朝鮮の攻勢は変わらず47分に波状攻撃からイランGKハギギが至近距離からのショットを2回続けてセーブしたが3回目にキム・クムィルに押し込まれて4点目を喫した。そして77分には交替出場のリ・ファンリョンに5点目を献上し良い所無く惨敗を。ヨ・トンソプ北朝鮮代表監督は“初戦のイランの試合を近くで観察し徹底的に分析をした。そして初戦と異なった戦術を取り入れそれが功を奏した。DFでは長身DFのアルハミスとチャマナラそして相手MFカリリとグーダルゥジィを特にマークした。”と試合後語った。イランは続く日本を 2-1で破った。試合終了の瞬間は大喜びのイラン選手達だった。同時刻にスタートした北朝鮮対タジキスタンが0-0 のままだったからだ。しかしロスタイムに北朝鮮はジョン・チョルミンのゴールで勝利を収め得失点差で日本と共にベスト8進出を決めた。 北朝鮮は昨年ペルーで行われたFIFA U-17 でベスト8に進出。その時のメンバーが12名も含まれている。そして2年前静岡でAFC U-16 大会で日本戦を戦ったメンバーのうち9名が今大会メンバー入りしている。 北朝鮮チームのエースはロシアリーグのKryliya Sovetov でプレーするMFのチェ・ミョンホ。もちろんFIFA U-17ペルー大会に出場し3得点を挙げている。しかしそれ以上に北朝鮮の選手が国外でプレーしていたとは驚きだ(在日朝鮮人選手の例はあるが。) しかし今大会は怪我のため3試合でスタメン出場は無く3試合全て交替途中出場で出場時間も通算で40分だ。次の世界大会進出がかかったイラク戦ではどの程度出場機会があるだろうか?
参考までに日本はDF内田篤人と青山準の2人だけが2004年のアジアU-16大会に出場している。そして中国は2005年ペルー大会、2003年フィンランド大会に連続して FIFA U-17 に進出しているが、その大会を経験した選手は2名ずついる。 2005年大会の FIFA U-17出場選手は現在18歳以下。そして今大会は19歳まで出場資格がある。日本ではこの1歳の年齢差が非常に大きく、その1年に多くのタレントがいるのだ。北朝鮮の場合はどうなのだろう?2005年のペルー大会のメンバーが秀でているのか?それともこの世代に少数英才教育を施し、世界の舞台にと考えているのだろうか?
AFCユース大会といえばタイで開催された1976年、信じられないような事が起こった。1次リーグ、日本は地元タイ、北朝鮮と同じ組になり、3カ国とも2戦2分けであった。大会開始前、勝点、得失点差で3カ国が並べば準々決勝進出の上位2カ国は抽選で決めると規定されていたのだが、大会当局は突然再試合を行うと通達してきた。これはもう3試合行えば収益が上がる事と、地元タイ。そして当時強豪で人気の高かった北朝鮮を準々決勝に進出させる為であった。日本選手団はこの決定に怒りの“棄権”を決めたが、大会当局は“ならば宿泊費は負担できない。罰金を含めた違約金を支払え(約750万円)と通達してきた。”当時の日本サッカー協会は金が無くこんな“大金”は払えなかった。そして再試合が行われた。日本は強豪北朝鮮相手に 1-0 で勝利を収めるが続くタイに 0-3 で破れる。そしてタイは北朝鮮に“予定通り”2点差で破れて日本を除く両国が準々決勝に進出した。そして北朝鮮はイランと優勝を分け合った。タイではサッカーは人気スポーツの1つ。アジア大会でもサッカーだけ試合数を多くして収益を多く上げようとする。この事を思い出すたびにタイには絶対に世界への路を与えてはならないと思ってしまう。 11月7日に来年のカナダ行きを賭けてサウジアラビア戦に臨む日本ユース代表選手達は先輩達がスポーツマンシップにあるまじき振る舞いの犠牲にあった事を、その悔しさを晴らす思いでピッチに立ってもらいたい。 がんばれニッポン。