Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

シンガポール マーライオンの国から

2006-01-27 | Football Asia
ジョホールのバスターミナル内にある出国税関でパスポートにスタンプを押してもらい、そのまま歩いて“停留所”に2.4 リンギット(約75円)の料金を支払い目的地、シンガポールの Bugis バスターミナル 行きのバスに乗り込む。バスが動き出して 2~3 分後、今度はシンガポール入国手続きの為に一旦下車せねばならない。エスカレーターで建物の2階に向かい入国手続きを。マレーシア、シンガポール、この両国の出入国税関は距離にして 1km も離れていないだろうが、設備や手続きの進め方を見るとこの違いは…と思わざるを得ない。入国税関の列はマレーシアパスポート、シンガポールパスポートそして諸外国のパスポート保有者に分けられる。以前は中国の旅行団体の後ろに就いてしまい、随分と待たされてしまった。ここを抜けて再び今度は “バスターミナル”に向かい先程下車したバスに乗ろうとしたが、係員に行き先を尋ねられ “ Bugis Bus Terminal “ と答えると、このバスにどうぞ、と先程とは違ったバスに。いいのかな?と思いつつも気温30度近くの中で待つのは御免とばかりに乗り込む。前日までの雨天続きが嘘の様な好天だ。数百メートルも走るとシンガポールの綺麗に舗装された道路と清掃の行き届いた街並みが。数キロメートル離れただけでこの違いだ。ここシンガポールは中華系が人口の7割を占め、他にはマレー系、インド系などからなる多民族国家だ。公用語はマレー語、中国語、タミル語そして英語の4つで、地下鉄の案内等もこの4国語が使われている。最近では子供達への英語教育熱が上がり、中国語と英語を流暢に話す小学校高学年の子供も少なくない。国民の殆どが19世紀以降の移民の子孫で第二次大戦後は英国の自治州となり1963年 にマレーシアの1つの州として独立したが1965年8月にはマレーシアから分離独立して共和国となった。元々はマレーシアのジョホール・リアウ王国の領地であったが、1819年に英国人ラッフルズ卿が王位継承紛争に介入してこの地を獲得5年後英蘭協定で英国領として国際社会から認知され、その頃から現在と同じ様に東南アジアの中継港として発展してきている。従って今でもここに荷を卸すときは関税が掛からない。( VAT 付加価値税は課税されるが )地理的にもマレーシア、インドネシア、ブルネイと言った周辺諸国の中心だ。ここの貿易高は国民総生産を上回るらしい。地元の新聞 Straits Times では日本の新聞では見られない東南アジア諸国の出来事を伝えている。これらの国々の通貨も街角の両替屋で簡単に現地通貨に換金出来る。また自国の通貨よりも安定感のあるシンガポールドルを保有する周辺諸国の人々も少なくない。国土が狭く、人口密度も高い為、自家用車にはかなりの税金が課せられるらしい。移動は地下鉄、バスが整備され人々の足になっているがタクシーも料金が安く、必ずメーターで走ってくれるので Carrefour や他の Shopping Mall の前のタクシー乗場には買い物を終えた人々が目に付く。また週末には地下鉄 ( MRT と呼ばれている。Mass Rapid Transportation の略らしい。) 内でも買い物袋を提げた家族連れを見かける。整備された幹線道路の脇には街路樹や植え込みの手入れや掃除をするタミル系の人々が、こういう人達も政府が雇い無職者を極力減らし、その労働者からも税金を徴収出来るようにと考えているらしい。この国の象徴とされるマーラインオン像の周辺には終日観光客一行が押し寄せるが、最近は中国大陸からの旅団が多い。その近くでは毎朝、法輪功の人々が中国政府の不当弾圧を訴えるなどの活動をしている。オーチャードロード の繁華街には日本の高島屋やISETAN も軒を並べる。ホテルも近代的なものからクラシックなものまで。中華街もあればインド人街そして川沿いに並ぶ屋台群そしてそこを訪れる欧州からの観光客も多く異国情緒に拍車がかかる。人口密度は日本の10倍と学校で習った記憶があるが、都心にも緑眩しい広々とした公園がいくつも有り、週末にはクリケットを楽しむ人々も。7人制のラグビー等の国際大会もけっこう開催されるらしい。2007年のアジアカップは東南アジア4カ国の共同開催であるが、シンガポールはその会場には選ばれていないのが残念だ。ただシンガポールが選ばれてしまえば、まずベトナムが落選しただろう。(他はタイ、マレーシア、インドネシア)。サッカーのワールドカップ予選、五輪予選もここで集中開催される事もあった。アルゼンチンワールドカップアジア地区1次予選、イタリアワールドカップアジア地区2次予選(一部の試合はマレーシアで開催)そして 1984年4月に開催されたロスアンゼルス五輪予選。あの時の五輪予選の悪夢を憶えている人もいると思うのだが。 つづく