元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「不撓不屈」

2006-09-14 06:42:59 | 映画の感想(は行)

 昭和38年から45年まで続いた地方の税理士事務所と税務当局との裁判闘争、いわゆる“飯塚事件”を描いた高杉良の同名実録小説の映画化。

 主人公の税理士飯塚(滝田栄)は、中小企業の経営者に合法的な節税指導をしていたが、それを面白く思わない税務署および国税庁は、手段を選ばない理不尽な圧力を彼の事務所とその顧客達に加えるようになる。だが、飯塚は逆境をものともせず、真正面から立ち向かう。

 非常に力強い映画である。彼を支える家族や同僚・恩師、そして意外な協力者など、敵役の面々も含めてどれもキャラクターが“立って”おり、展開も質実剛健でまったく浮ついたところがない。泣かせどころもバッチリ押さえ、それだけに事件の重大さを観客に無理なく伝えることに成功している。また、カメラワークや舞台セットなどにも細心の注意が払われている。私自身、税務調査の対応で苦い思いをしたことがあるので、主人公達の奮闘にはグッと来るものがあった。

 しかし、この映画が幅広い層にアピールするかといえば、それは無理だ。なぜなら、雰囲気が古臭いから(もちろん、それは映画自体の出来とは関係ない)。

 本作はTKCという税理士の元締めみたいな法人が製作をバックアップしているが、一般の観客はそこに“PR映画”の臭いを感じ取ってしまう。所詮は映画業界にとって“外様”であるTKCみたいな法人は、自分達の主張こそ正しいとばかり(事実、今回は正しいのだが ^^;)、愚直なまでの正攻法な映画作りを要求する。結果として、限られた客層しか集められない非スマートな映画が出来上がる。逆に言えば、外部の圧力団体によってでしか社会派のマジメな映画が作られない日本映画界の“後ろ向き”の態度が透けて見えるのだ。

 アメリカに目を向ければ「グッドナイト&グッドラック」や「ミュンヘン」といった厳しい映画が有名監督・俳優によって作られ、それが商業ベースにも乗り、アカデミー賞候補にもなっている。それに比べて日本は何だ? もっと世相を反映したハードな題材をエンタテインメントに昇華させて幅広い観客に問うような、そんな見上げた製作者はいないのか。あるいは“日本の観客に難しい話をしたって無駄だよォ”と最初から世間をナメきっているのか。

 いずれにしろ、テレビ局とのタイアップや、チマチマとした自分の趣味の世界に閉じこもるような作品ばかりを垂れ流していては、今は好調でもいずれは先細りになることは目に見えている。
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大沢在昌「心では重すぎる」

2006-09-13 07:22:22 | 読書感想文
 私立探偵・佐久間公シリーズのひとつらしいが、他のは読んだことがない(爆)。失踪した人気漫画家の行方を追う佐久間の前に、渋谷の覇権を争うヤクザ連中やカリスマ的な謎の女子高生など、濃い面子が次々と現れて彼の邪魔をしてどうのこうのという話だ。

 当シリーズに初めて接する身としては主人公の“過去”がどうなのか知る由もないが、随分と老成したキャラクターだと思った。たぶんこの年齢(40代)になる前に紆余曲折があり、物事を達観するに至るバックグラウンドがあるのだとは思いつつ、やはり違和感がある。もうちょっと破天荒な部分が欲しい。

 とはいえ、大沢在昌の文章は流麗で、最後までスラスラと読める。脇のキャラクターが“立って”いて、佐久間に仕事を依頼する自閉症的な好事家をはじめ、物腰が垢抜けた暴力団の二代目若親分、佐久間をフォローする“仲間”たちも出番が少ないながら印象は強烈だ。

 カリスマ女子高生の造型は、いかにも作者が頭の中だけで考えたような“(中年男御用達の)萌えタイプ”なのは御愛敬として(笑)、それより彼女の“奴隷”に身をやつしている若い男の屈折度が印象的。この描写が物語に影と重さを加え、単純なハードボイルド篇と一線を画している。

 さて、このシリーズの次作はたぶん佐久間の助手になるであろうカリスマ女子高生がクローズアップされ、“萌え”度が増すのかもしれないね(笑)。とにかく、読んで損はしない本だった。
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「野生の夜に」

2006-09-12 06:53:29 | 映画の感想(や行)

 (原題:Les Nuits Fauves)92年作品。全然面白いとは思わなかった。その年のセザール賞で主要4部門を独占したとか、わが国でも評論家連中が絶賛しているとか、いろいろと話題になったらしいが、世評ほどアテにならないものはないと痛感した一作だ。

 CMディレクターである主人公ジャン(シリル・コラール、監督も担当)は、バイセクシャルでエイズのキャリアだ。ある日彼は17歳の少女ローラ(ロマーヌ・ボーランジェ)に出会って愛するようになる。一途な彼女を前に彼はエイズ感染者であることを告白できないままセックスしてしまう。後になって真実を知らされたローラはパニック状態になるが、それでも彼を愛することをやめない。ひたむきに愛を求める彼女にどう応えていいのか分からないジャン。ローラは憔悴しきって神経衰弱状態になり、ジャンの元を去る(以上、チラシより勝手に引用)。

 実際にエイズ患者で、93年の3月に死亡したコラールの自伝的要素もあるらしいが、はっきり言ってこの主人公にはまったく感情移入できない。夜な夜な行きずりの男と関係を持ち、取材先ではあやしげな売春婦と一緒になる。こういう乱れた生活ではエイズになってあたりまえ。しかも、エイズの告知を受けた後は、さらに乱行はひどくなり、男の恋人サミー(カルロス・ロペス)とローラとの間を行ったり来たり。迫り来る死の恐怖をごまかすためかどうかは知らないが、少しは自重したらどうなんだと言いたくなる。エイズにかかったのも自業自得なら、ガールフレンドとあえてコンドームなしでセックスするなんてのは殺人行為と同じ。こんな奴がラストで偉そうに“世界は僕の外側に存在するものじゃなく、僕も世界の一部だ”などと立派なセリフを吐くんだから、笑っちゃうぜ、ホントに。

 主人公の周囲の人物にしても、ただ一人として共感できるようなキャラクターはいない。どいつもこいつもヒステリックでマトモじゃない。類が類を呼ぶとはこのことか。ひょっとしてこの感覚はエイズ・キャリアでないとわからないのでは? と思ってみたりする。誰だってエイズになる可能性はある。私もあなたも、潜伏期が長いからすでにかかっているかもしれない(おいおい)。そうだとわかればヤケになって暴走するかもしれない。でも、この主人公は最初からメチャクチャであり、もとより常軌を逸した自分の姿を観客に勝手に押しつけているに過ぎない。加えて、必要以上に荒っぽいカッティングと乱暴なカメラワークが目を疲れさせる。まったく、気が滅入ってウンザリするような映画なのだ。

 唯一の収穫はローラ役のボーランジェだろう。名優リシャール・ボーランジェの娘でこれがデビュー作だった。実に生意気、実に憎たらしい。ちょっとは可愛いかもしれないが、絶対付き合いたくない。そんなキャラクターを実にうまく演じている。断じて好きなタイプではないが、実力はかなりのもの。最近ニュースを聞かないのが寂しいところである。
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フェイキー(FAKiE)のライブに行ってきた。

2006-09-11 06:41:55 | 音楽ネタ
 去る9月10日、以前ここでもCDを紹介したフェイキー(FAKiE)のライブが福岡市中央区大名のライブハウス「ROOMS」で行われたので足を運んでみた。



 このイベントは、私が何度か商品を購入した福岡市内のオーディオ・ショップ「吉田苑」が企画したもので、ライブハウス貸し切りでワンドリンク付、そして入場無料(事前予約要)という実にオイシイ催し物だ。

 コンサートに入る前に、ガレージメーカー“四十七研究所 47 LABORATORY”が近々発売するというアナログプレーヤー(予価98万円)のデモが行われた。なおアンプとスピーカーはmarantz proの製品を使用。写真を見ても分かるとおり、ターンテーブルが上下2つ付いていて、それぞれ逆方向に回るという凝ったシロモノ(もちろん、レコードを載せるのは上のテーブルのみ ^^;)。出てくる音は盤石の安定感を誇る堂々としたものだった。サウンドはグッと前に出て力強いが、たとえばDENONのCDプレーヤーみたいに分離が悪くて暑苦しい押し出し方ではなく、解像度や低歪率はキッチリとクリアしてくる。この“中域重視で堅牢。なおかつ音離れは良い”というのがこのショップがユーザーに提案している音なのだなと、納得してしまった。



 前置きはこのくらいにして、とにかくフェイキーだ(^^;)。同グループは、大物ミュージシャンのライヴやレコーディングに参加してきたKEiCOと、ギタリストNAOKiからなるユニットである。レパートリーは有名曲のカバーとオリジナル曲がほぼ半々だ。

 CDで聴いてもNAOKiのテクニックは凄いが、実物に接してみるとそのバカテクぶりに圧倒されてしまう。とにかく千変万化する音色の巧みさには茫然自失だ。当日はエレキギターまで持ち出しての大サービス(注:彼は普段アコースティック・ギターしか使わない)。KEiCOのヴォーカルは以前“フツーに上手い”と書いてしまったが、実演ではさすがに凡百の歌手とは違うパフォーマンスを見せる。声の量もツヤも十分で、聴けば思わず引き込まれる。今回は一番高い声を出すのが苦しかったようだが、それでも聴く側は大満足だ。

 演目はCDに収録されたもの以外に、ジャーニーの「オープン・アームズ」のカバーも聴かせてくれて、これも絶品だった。今度はぜひこの曲も吹き込んで欲しい。聞くところによると4曲入りのアナログ・レコード(45回転)も10月にリリースされるとかで(限定500枚)、これも出来れば入手したい。

 それにしても、二人の掛け合いと雰囲気は“Every Little Thingの大人版”みたいで実に面白かった。サウンドこそ玄人好みだが、もしもCMやテレビドラマのタイアップ等で取り上げられればイッキにブレイクする可能性を持っていると思う。それだけの実力を持ったミュージシャンであり、極上の録音を誇るディスクも魅力。頑張って欲しいものだ。

余談:安田大サーカスのHIROみたいなフェイキーのマネージャーと、広域暴力団の構成員みたいなカッコのシャープ(株)のエンジニア達など、スタッフ側のキャラクターの濃さも目立ったイベントだった(爆)。
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「インサイド・マン」

2006-09-10 07:25:59 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Inside Man)世評は高いようだが、個人的には凡作だと思う。

 冒頭、ニューヨークの銀行を襲った犯人(クライヴ・オーウェン)が暗い場所から意味ありげなモノローグを披露する時点ですでにオチが分かってしまう。だいたい「インサイド・マン」なんてタイトルからしてネタバレではないか(爆)。犯人グループが人質全員に自分たちと同じ服を着せてしまうという仕掛けも、どっかの小説かマンガで読んだような気がするし、斬新さはゼロである。

 現場を指揮する刑事(デンゼル・ワシントン)や、裏を取り仕切る女弁護士(ジョディ・フォスター)の扱いは通り一遍で、事件の“真の背景(らしきもの)”も、ハッキリ言って“またこの手の話かよ!”とタメ息が出るようなシロモノだ。

 映画は犯行の様子と平行して、事件が終わった後の人質からの事情聴取のシーンが映し出されるが、事件が派手なドンパチや思いがけない展開なしに収束したことを早々に明かしているという意味で、これもネタバレだ。犯罪映画の醍醐味を削いでしまっている。

 監督はスパイク・リー。私は彼を“ずっと以前に終わった作家”だと思っているが、今回の映画を観てもその認識は変わらない。ひとつひとつの描写はエッジが効いていても、全編にわたって観てみると平板でメリハリがない。シークエンスの繋ぎ方が漫然としすぎているのだ。これじゃ退屈なシャシンしか作れない。

 さらに“スパイク・リーは音楽の使い方が非凡”との定説が間違いであることが今回ハッキリした。漫然とした展開に合わせるような、印象希薄なBGMが鳴り響いているだけ。そのへんの活劇専門職人監督(?)の音楽デザインにも負ける。ではなぜそういう“定説”が長い間流布されてきたのか。それは彼が“冒頭タイトル曲の扱いだけは上手い”という事実による。今回の、インド音楽をテーマ曲に使うセンスも相当なものだ。しかし、それがあまり印象に残りすぎて、本編のサウンド処理の凡庸さがマスキングされただけである。逆に言えば、数分の曲を効果的に聴かせる“プロモーション・ビデオの作り手”の才能しかないということだ。
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最近購入したCD(その3)。

2006-09-09 09:06:22 | 音楽ネタ
 またしても最近買ったCDを紹介します。今回は旧譜ばっかりだけどね(^^;)。



 まず、80年代末から90年代初めにかけて活躍したイギリスのバンド、オール・アバウト・イヴ(ALL ABOUT EVE)のセカンドアルバム「SCARLET AND OTHER STORIES」(89年リリース)。

 パッと聴いてわかると思うが、このグループはトラッド・フォークをベースにした音楽性を持っている。こういう傾向のバンドは昔からあって、スティーライ・スパンとかペンタングルなどが代表選手。あとルネッサンスやコクトー・ツインズなんかもその範疇に入るだろう。ただし、この手のバンドが日本でウケた例はない(爆)。事実、本国イギリスではベストテンに入るセールスを記録したが、我が国では鳴かず飛ばずである。

 ただし、個人的にはこういう音は決して嫌いではない。叙情的で仄暗い雰囲気と美しいメロディ。まあ、しょっちゅう聴いていると飽きるが(笑)、たまに接すると気持ちが良かったりする。このアルバムは特に1曲目から5曲目あたりの展開が秀逸で、透き通るようなサウンド・デザインをバックに紅一点メンバーのジュリアンヌ・リーガンの蠱惑的な歌声が浮かび上がる様子は、なかなか聴き応えがある。

 確かに今時流行らない音だが、内容は悪くない。昔プログレッシヴ・ロックにハマっていたリスナー(私もそう ^^;)には、けっこう魅力的な一枚と言える。



 次に紹介するのは、現代最高のサックス・プレーヤーと言われるブランフォード・マルサリスを中心としたカルテットによる2004年発売のバラード集「エターナル」。

 スイング・ジャーナル大賞か何かを受賞したディスクだということだが、これは良い。マジに良い。テクニックに関して完璧なメンバーを集めているため、もうこれは“上手くて当たり前”の次元なのだが、それが嫌みに感じられないほど、めざましい美しさを見せている。とにかく哀愁たっぷりで、これからの秋の夜長には絶対。

 実は、ジャズを聴き始めたのは7,8年前からだ。もちろん主要なプレイヤーの名前やスタンダード・ナンバーについては十代の頃から“知識”として知ってはいたが、自分でディスクを買い出したのはオッサンになってから。トシは食ってもジャズに関しては初心者で(笑)、当初は“名盤”と言われるCDを片っ端から買ったのだが、なぜかその約半数が中古屋行き。それでいて何も考えず“ジャケット買い”したものが気に入ったりする。いまだジャズについての好みの方向性が掴めないでいるが、特定の好きなディスクを繰り返し聴く頻度は他のジャンルよりは多い。この「エターナル」もその中の一枚になるだろう。録音も良好だ。



 また買ってしまったモーツァルト。今回はヴァイオリン協奏曲第5番イ長調(K.219)と同第4番ニ長調(K.218)のカップリングだ。演奏は寺神戸亮のヴァイオリンとシギスヴァルト・クイケン率いるラ・プティット・バンド。通常の現代楽器ではなく、オリジナル楽器を使用している。

 寺神戸亮の演奏は昨年の福岡古楽音楽祭で接したことがあり、その確かなテクニックに感服したが、このディスクでも安定したパフォーマンスを見せている。キレが良くて繊細、音色も伸びがよい。バックのラ・プティット・バンドも手堅く表現が奥深い。

 録音が90年代半ばだから決して古くはなく、録音もDENONレーベルらしく安定感がある。それがなんと1,050円の廉価版なのだから、これはお買い得だった(^^)。
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「隠された記憶」

2006-09-08 06:51:47 | 映画の感想(か行)

 (原題:Cache )カンヌ国際映画祭でも絶賛されたフランス製の問題作。とにかくめちゃくちゃキツい映画だ。テレビ司会者としてそこそこ成功し、キャリアウーマンの妻や中学生の息子と幸せに暮らしている男の生活が、送られてきたビデオテープによって、その虚飾がはげ落ちてゆく・・・・と書けば何やら通俗サスペンス劇の設定みたいだが、本作の仕掛けは度を超して巧妙かつ悪意に満ちている。

 テープの内容は、固定カメラで彼の家の前を延々と撮っただけのもので、その映像は冒頭のタイトルバックにも引用されているのだが、何気ない光景のように見えて観客に凄まじい緊張感を強いる空間の切り取り方に舌を巻いていると、2回目、3回目と続くにつれ、送られる画像には主人公の幼い頃の忘れたい記憶を暗示させるモチーフが積み上げられ、映画全体に漂う不穏な空気は濃度を増すばかり。直接的でないだけに不気味さは極上だ。

 やがて、今は何食わぬ顔をしてテレビで尤もらしいことを喋っている主人公は実は小心で偏狭な人種差別主義者だったことが判明するのだが、ただのセンセーショナルな告発ドラマに終わらないのは、虐げられた側の屈託を最悪の形で表現していること。その最たるものが観る者を慄然とさせる中盤のショックシーンだ。

 通常、ヒドい目に遭わされた人間はそのことを一生忘れないが、加害者の方は気にも留めていない。それを無理矢理分からせるのは“こういう方法”しかないのだという、吐き捨てるような作者の主張が切実に伝わってくる。

 また、インテリ層の表面的な上品さと御為ごかしの社交辞令も容赦なく糾弾され、ラスト近くのエグさも含めて後味の悪さは最大級。こういう露悪的テイストを知的なタッチでジワジワと真綿で首を絞めるように提示してゆく監督ミヒャエル・ハネケの外道ぶり(←真摯さとは紙一重)は天晴れと言うしかない。

 気の小さい見栄っ張りをイヤらしく演じるダニエル・オートゥイユと、見かけは常識人だが何か腹に一物ありそうな妻役のジュリエット・ビノシュのパフォーマンスも絶品だ。
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ドナルド・E・ウェストレイク「斧」

2006-09-07 06:50:09 | 読書感想文
 リストラされた中年男が、再就職のライバルとなる他の応募者6人の皆殺しを図るという、常軌を逸した行動を一人称で描くピカレスク小説。

 まず、仕事や家庭の安寧といった自分を支えるものが消失した時、人間これほどまでに正気を失うのかと慄然とした。もちろんこれはフィクションであるが、それが絵空事には思えないほど、本書は歪んだリアリズムに満ちている。暗いユーモアをたたえ一見自嘲的に繰り出されるテンポの良いモノローグの連続の裏に隠された凄まじい狂気を、徐々にあぶり出してゆく作者の力量には感服した。

 特に、狙うのは“具体的な再就職口をめぐる椅子取りゲームの参加者”ではなく、単に“一般世間的に自分より能力が上の連中”というのが怖い。それを達成するため彼は業界誌にニセの求人広告まで出し、それに応募した“彼と同じスキルを持つ者”をターゲットとするのだ。その過程がまた読者に必然性があるように思わせる妙な理屈を伴っているから始末が悪い。

 凄惨な話なのに文体はノリが良く、最後まで一気に読ませる。ラストの脳天気なまでの処理は呆気にとられるが、にもかかわらずジットリとした重さが残るのは、誰しもこの主人公のようにならないとも限らないという、シビアな現実がしっかりと存在するからだろう。「このミステリーがすごい!」の2001年海外編で第4位ランクインの異色作である。
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親王御誕生は、まことに目出度い。

2006-09-07 06:45:04 | 時事ネタ
 皇室にやっと親王御誕生か。よかった。本当によかった。あの胡散臭い「皇室典範に関する有識者会議」のゴリ押しを食い止める意味でも、実にお目出度いニュースだ。

 しかし、小泉首相は相変わらず「将来は女系天皇にしなければ皇位継承が困難になる云々」などと眠たいことを言っている。もしも女系天皇になったところで、ある意味もっと皇位継承がヤバくなることは前にも述べたが、それ以前に皇位がずっと男系で継承されてきた「歴史」をまるで顧みていない。こんなに「歴史」を軽視するような奴に、涼しい顔で靖国に参拝してもらいたくはないね。

 小泉の寝言は別にして、皇室典範は「改正」されるべきだとは思う。御誕生は目出度いが、これからは親王殿下たった一人で皇位を維持しなければならなくなる可能性が高い。将来何があるか分からない。女系天皇などという安易な泥縄式の対策ではなく、二重・三重の安全弁を「歴史」「伝統」を十分考慮しつつ用意すべきであろう。もちろん「皇室典範に関する有識者会議」のような拙速は絶対ダメだ。時間を掛けて、冷静に議論されることを望みたい。
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「デリカテッセン」

2006-09-06 07:15:30 | 映画の感想(た行)
 (原題:Delicatessen)91年製作のフランス映画で、「アメリ」「エイリアン4」などの監督ジャン・ピエール・ジュネがマルク・キャロと共に演出を手掛けている。

 核戦争後の荒野に建つアパルトマンの住人たちが唯一食料を買えるのが一階にあるデリカテッセンだった。ある日ふらりと元芸人の男が訪ねて来る。彼らの中にあって唯一マトモな肉屋の娘と愛し合うようになるのだが、変質者揃いの住人たちはそれを許さない。2人ははたして無事に脱出できるのだろうか・・・・。

 映像派の最右翼であるジュネ監督が、その素質を最も良く活かした映画がこのデビュー作だ。公開当時のキャッチコピーに“「未来世紀ブラジル」よりシュール、「ツインピークス」より奇怪”とあるが、この2人の作家にはテリー・ギリアムやデイヴィッド・リンチの持つ“毒”は感じられない。あるのは底抜けに明るい楽天性とポップ感覚だ。

 人肉食いというホラー度満点の題材を扱っているにもかかわらず、グロい場面は皆無。予告編に出てきた、最上階でのベッドのきしみ音に乗って、チェロの練習場面やメトロノームの音、主人公が天井にペンキを塗るリズム、オバサンがマットをパンパン叩く音、などが絡み合ってズンズン展開していく様子に代表されるように、音響処理のセンスが抜群だ。

 自殺志願の女(いつも未遂に終わる)や、カエルとカタツムリをいっぱい飼って食料にしている男や、“バカ発見機”などの役に立たない物を発明している男、そして人肉を処理する肉屋のオヤジなど、住人たちのユニークさに主人公も霞んでしまう。各部屋をつなぐパイプにより、会話は盗聴され、カメラはそのパイプを伝って部屋から部屋へ、そして“地底人”の住む地下へと動き回る。

 クライマックスは主人公と娘と住人たちと“地底人”と出入りの郵便配達人までも巻き込んでの追っかけだ。かなり登場人物が多いのにもかかわらず、ちゃんと手際よく描かれ、ラストの一件落着までうまくつなげているところは感心する。新人らしからぬ力量だ。

 あらゆる映像テクニックを満載した内容だが、観た後、まったくあと腐れのないスッキリ、サッパリした印象なのは、根アカな作りとセンスのよさ、そしてティム・バートンやサム・ライミみたいな“おたく”っぽさのない娯楽映画に対する前向きな姿勢のせいだろうか。誰にでも薦められる快作である。
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