元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「好きだ、」

2006-09-05 06:45:30 | 映画の感想(さ行)

 宮崎あおいにセーラー服を着せるとチョーかわいいね・・・・といったオタク的戯れ言で片付けるしかないような(爆)、どうしようもないシャシンである。

 監督と脚本をつとめる石川寛の前作「tokyo sora.」は中身がスカスカの映画だったが、今回も同様。

 こいつは、存在感のある俳優をただ並べ、そばでカメラをただ回し、それに小綺麗な映像とセンスの良い音楽を乗せれば映画になるとでも思っているのだろう。それは断じて違う・・・・と言いたい気分も虚しくなる。そんな方法では劇映画は出来ないと本人も頭では分かっているのだ。だから、後半起伏のあるエピソードを入れて物語を綴ることに腐心している。

 しかし、伏線もへったくれもない行き当たりばったりの“展開”では、これまた映画にならないのだ。特に映画の前後半を繋げるはずの、恋人を交通事故で亡くして情緒不安定になっている主人公の姉のくだりが、取って付けたような説明不足の与太話になっているのは閉口するしかない。

 さらに、宮崎あおいと瑛太によるティーンエイジャーの登場人物と、西島秀俊と永作博美による30代になった彼らとが、まったく繋がらない。別々の話を漫然と並べているだけのように見える。映画を撮る前に、もうちょっと作者は人生経験を積んで人間を見る目を養うべきではないのか。

 一頃と比べて邦画の全体的レベルは上がっているのは確かだが、中にはこんな“ニセモノ映画作家”も堂々と作品を手掛けてしまう現実があり、このへんをどうにかしないことには、真の日本映画の復活は覚束ないね・・・・などと平凡なグチを垂れるしかない現状が悲しい。
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「初恋」

2006-09-04 06:50:17 | 映画の感想(は行)

 1968年に起こった3億円強奪事件と青春恋愛ドラマをからめた映画だが、幸いなことに“全共闘世代のノスタルジィ”とやらに染まった気色の悪さは微塵も感じられない。それどころか大人になりきれない当時の若者達をクールに突き放して描いている。まあ、監督の塙幸成は1960年代生まれなのでそれは当然だが、観る側としてはホッとした(笑)。

 イデオロギー云々の話も出てこず、現状を脱却しようと藻掻くヒロインの成長に徹底して密着する。いちおう、リーダー格の若者との淡いアバンチュールが描かれるが、観終わってみればあまり印象に残らない。作者からすれば親や社会と対立するかのように見えて、実はその関係に拘泥するばかりの若造どもはハナっから興味の対象外だったのだろう。

 演じる宮崎あおいの存在感は相変わらず素晴らしく、中盤以降は彼女のプロモーション・フィルムみたいになってくる(爆)。クライマックスの強奪シーンなど、ほとんど“一人芝居”だ。それだけドラマを全部自分の方に引っ張ってくるパワーを持ち合わせているということだろう。邦画界では得がたい人材である。

 塙監督は「tokyo skin」で見せた東京の街の濃密な空気感をここでも画面に十分漂わせることに成功。しかも少ないセットで時代背景を的確に演出しているのには感心した。

 関係ないが、ヒロインの兄役に宮崎あおいの実兄である宮崎将が“またしても”扮しているが、もっと他の仕事を見つけないと“妹のヒモ(?)”と呼ばれる日も遠くないのではと、いらぬ心配をしてしまった(^^;)。
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「9デイズ」

2006-09-03 08:11:13 | 映画の感想(英数)
 (原題:Bad Company)昨日(9/2)テレビ放映もされていた2002年作品。

 ジェリー・ブラッカイマー製作によるジョエル・シュマッカーの監督作品にしては、えらく安上がりな映画である。ロケのほとんどはチェコのプラハで行われているが、これは物語の舞台がチェコであることだけではなく、撮影経費が安いことが大きいと思われる。映画終盤に出てくるニューヨークのグランドセントラル駅の場面もプラハで撮っており、派手な活劇シーンといえば畑の中をぐるぐる回るだけのカーチェイスしかない。いつもなら大袈裟なシチュエーションを展開するブラッカイマーだが、今回に限っては“携帯核爆弾の恐怖を描く”とは名ばかりで、B級スパイ・アクションのルーティンに終始。似たようなネタの「トータル・フィアーズ」と比べても見劣りがする。

 ではこの映画の製作理由とは何か。それは若手黒人コメディアンのクリス・ロックの存在以外は考えられない。つまりは彼のプロモーション・フィルムである。

 おそらくクリス・ロックの所属エージェンシーから企画が持ち込まれたのだろう。当然、監督もプロデューサーも“小遣い稼ぎ気分”。相手役にちょうどスケジュールが空いたアンソニー・ホプキンスを短期間起用し、結果としてこのような“見掛けは大作っぽいが中身はショボい”という作品が出来上がったに違いない。

 でもまあ、そのへんを割り切ればそこそこ楽しめる映画だろう。ブラッカイマー作品には場違いな艶笑コメディ的な部分もあり、けっこうニヤリとさせてくれる。
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電源タップを買ってみた。

2006-09-02 07:28:57 | プア・オーディオへの招待

 オーディオ機器用に電源タップを購入してみた。ただし、実質的な効果を期待してのことではない。家庭用音響機器の動作にとって電源周りが大事である・・・・というのは、ここ十数年間に出てきた“定説”だが、私は多くのユーザーには関係のない話だと思っている。なぜなら、いくら壁コンセントや電源ケーブルを高品質のものに替えようが、電気が通ってくるのは細い屋内電力線だし、供給元は他の電化製品と共有である。完全にオーディオ機器用の電源を200Vかそこいらの別ルートにして、配線ケーブルも奢ればよいのだが、それが出来るのは一戸建ての持ち家で、しかも使用者自身が世帯主でないと難しい。ましてやアパートや借家なら不可能に近いだろう。

 そもそも電源タップの使用など“やむを得ない方法”でしかない思っている。タップを使うより、ケーブルを壁コンセントに直接差し込む方が少しでも音質が良いに決まっているではないか。しかし、私が住む社宅は、誰が設計したのか知らないが、壁コンセントがヘンテコな位置に据え付けてあり、ほとんどの電化製品にタップが必要という状態に追い込まれている。オーディオ機器もその例外ではない(脱力)。かといってホームセンターで売っている安物タップでは見てくれがあまりにも悪く、仕方なく専用のタップを導入した次第。

 機種はオヤイデOCB-DXsにした。たかがタップにしては値段が高い。もちろん、巷では数十万円もするタップがいくつか存在することは知っているし、それに比べるとこの製品は安価な部類だ。でも、一般世間的にはボッタクリとも言える価格なのは確か。本当はメーカー品ではなく自主製作しているところから“産地直送品”(かなり安い)を通販で買いたかったのだが、当方の都合でケーブルを90度に曲げる必要があり、通販品で使われる業務用のゴッツいケーブルではフレキシビリティに難があるため断念。結局、条件に一致したのは柔らかいケーブルを使っているオヤイデのこの製品しかなかったのだ。

 で、繋げた印象だが・・・・多少落ち着いて見通しの良い音になったとは感じるが、びっくりするような変化はない。まあ、予想通りだ。ちなみに、実家のメイン・システム(通常は壁コンセントから直取り)にも繋げてみた。聴きやすい音にはなったが、情報量は明らかに落ちている。やっぱり電源タップは“必要悪”なのだと思う。

 だが、安物タップよりは見てくれは随分と良くなった。あとはアンプやプレーヤーの付属品である頼りない電源ケーブルを順次見栄えのする製品に替えていくだけ。“あまり音が変わらないのに、無駄な出費だ!”と思われるのは承知の上である。だって所詮オーディオってのは“見栄”の部分があるから、見た目を整えるのも大事なことなのである(笑)。
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「アダプテーション」

2006-09-01 06:51:16 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Adaptation)2002年作品。
[概要]新進脚本家のチャーリー・カウフマンはノンフィクション「蘭に魅せられた男」の脚色を依頼されるが筆が進まない。彼と同居している正反対の性格の双子の弟ドナルドも脚本家を目指し養成セミナーに参加。行き詰まった兄を尻目に娯楽映画の脚本をモノにするが、事態は思わぬ方向に向かい出す。「マルコビッチの穴」の監督スパイク・ジョーンズと脚本家チャーリー・カウフマンによるシニカルな実録風ドラマ。なお、主人公のチャーリーは脚本家自身をモデルにしているが、弟のドナルドは架空の人物である。

[感想]映画のメイキングを装ってスタッフの苦悩を笑い飛ばそうという仕掛けはフェリーニの「8 1/2」と同様であるが、こういう趣向はフェリーニのような大物がやってこそサマになるもので、カウフマンみたいな駆け出しの映画人には似つかわしくない。

 それでも前半は主人公と双子の弟との、顔は同じだが映画に対する姿勢は正反対の二人の掛け合い漫才的な展開は悪くない。特に、才気煥発だったはずの兄が、スランプのあまり弟と同じ初心者向け脚本講座を受け、はからずも自信を取り戻してしまう展開には爆笑させられた。一人二役のニコラス・ケイジも快演だ。

 しかし、こんな一種の「禁じ手」はボロの出ないうちにサッと切り上げるのが鉄則なのだが、この作品は不必要に長い。後半、メリル・ストリープ扮する「蘭に魅せられた男」の作者との絡みになると、映画は平板な追跡劇になってしまう。時折挿入される進化論もどきの科学ドキュメント風画面も意味不明。

 たぶん作者は哲学的な「何か」を表現しようとしているのだとは思うが、それまでに暗示も伏線もないため完全に浮いている。全体的に“自分の頭の中だけでデッチ上げた楽屋落ちドラマ”との雰囲気が強く、新進作家としては早くも“ネタ切れ”との印象を受ける。
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